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壊れゆくブレイン(30)

2012年01月30日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(30)

 ひさびさに東京にいる。前の勤務地であった支店に向かっている。お得意様に挨拶をしなければならず、その前にいまの支店長と会う約束があった。ぼくは馴染みの坂道を歩き、いままでの経験を振り返っている。すると、目の前にコンビニがあらわれ、ぼくは水を買うためにそこに入った。当然のこと、当時と店員の顔は違っていた。ぼくには、ここにたくさんの思い出があった。裕紀と10代のときに別れてしまい、再会したのは26歳のときで、その場所がここだった。あとで聞くとぼくはずっと彼女に気付かず、1月近く経って声をかけたらしいが、彼女はすでにぼくのことを確認していた。これまでの行き掛かり上、彼女はぼくに声をかけるのを控え、ただ待っていた。待っていた証拠と、まわりにまだ同じような店がなかったため、ぼくらはいつかは出会う必然性があったのだ。

 ぼくは水を手にしてその店を出る。ただこれだけのことでいままでの経緯がすべてよみがえってくる。しかし、ぼくの手には思い出しかない。それを変えることも更新させることもできなかった。それゆえに思い出は必要以上に甘酸っぱく、また同じ条件のゆえ悲劇的でもあった。

「お疲れ様です」ぼくは、扉を開いて声を発した。
「あ、近藤さん」
 ぼくが居たときと同じメンバーは気安く声をかける。

「会議室で待っててください。あとで、お客さん来ると思いますので」ぼくは、そう言われたがだらだらとみんながいるところにいて、無駄話をした。ぼくは、ここにいる最後のころ、裕紀を亡くし自暴自棄な生活を送っていた。それを鮮明に覚えている同僚たちは、ぼくに対して危なげないような応対をしてきたが、何人かは社長がすでに立ち直った報告でもしていたのだろうか、親しく接してきた。それも予定の時間がせまったころには止め、奥の会議室に向かった。

 すると待ち合わせの時間を1、2分過ぎ、以前交流のあった会社のひとびとがやってきた。そこからは、まじめに緊張感のある仕事にもどった。やはり、本社である地元より、こちらで会う他社の面々は洗練され、仕事にも厳しい印象を与えた。しかし、厳しくても同じものを共有すれば、そこには愛着らしきものも芽生え、力をあわせる楽しみもあった。ぼくはこうして仕事面でも復活したことを証明できたようにも思う。

 お客さんは帰り、ぼくはそのまま会議室でコーヒーを飲みながら打ち合わせをした。いまの業務の行き詰まりを聞き、解決策をかんがえた。直ぐに答えのでないものももちろん多く、ぼくはカバンに宿題を詰め込み、その返答の期限をきいた。
「近藤さん、泊まりですか?」
「そうだよ」
「じゃあ、どうです。付き合いません」
「いいよ」この言葉は自分のアルコール分量を制御できる確定の内容だった。ぼくは、ここを去る前、だらしない飲み方をした。それが悲劇をともなった忘れる方法でもあり、また忘れられなかった記憶の勝利の日々でもあった。「その前に、ちょっと用を足してくる。東京にしかないものも意外とあるんだよ」そういって、ぼくは外にでた。そこには顔見知りの女性が犬を散歩させていた。

「久し振りね。この子も覚えている」
 犬が尻尾をふり、ぼくにまとわりついた。その飼い主の女性はひとの将来がのぞけた。ぼくは何度かヒントのようなものをもらい、またショックを受けるような事実は教えてもらえなかった。それに感謝と戸惑いの両方が常に過去にはあった。いまも似たような状況であることには変わりなかった。

「ほんとですね。覚えていてくれた」
「子どもが、幸せを与えてくれているようね」
「再婚して、そのひとに子どもがいた。説明の必要なかったですよね」
「その子に何かを教えている女性がいるのね。その子もあなたは同じような視線を注いでいる」
「ぼくは、ふたりの子ども時代を大切に考えている。大人になっても、ぼくのことを覚えていて欲しいから」
「覚えてるよ、ずっと」
「この子みたいに」ぼくは、犬のあたまを撫でる。
「そうにおいとなったり、感情の栄養源になったりして」彼女は靴先で2、3度地面を突いた。乾いた音が響き、犬はその音のほうに振り返った。「もう悲しみは癒えた?」

「すべてというわけにはいかないけど・・・」ぼくは、その象徴のように屈んでいた身体を立ち上がらせた。
「いいじゃない、ゆっくりで。最後の最後にきもちの整理がつき、決着すれば」
「そうなるといいですね」ぼくは着いてもいない犬の毛を払うようにズボンの裾を手ではらった。「ちょっと、買い物を頼まれていて」

「そう、また」そういって彼女は犬につながっている紐を軽くひいた。ぼくが小さな女の子と遊んでいるという姿を彼女は予感した。ぼくは、それを今日までまゆみの幼いころだと思っていたが、実際は広美であったことを知った。ぼくはその子の未来になにが訪れるのか訊いてみたい興味もあったが、やはり、そのことは忘れることにした。ぼくはそこまで自分の裁量を信じてもいなかったのだろう。もっと、それは別の領域に任せておけばいいのだろう。

 ぼくは買い物を済ませ、また職場のそばまで戻り、むかしの同僚たちとビールを飲んだ。時間は流れ、流れてしまわなかった友情や愛のかけらを東京で見つけていたのだ。


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