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繁栄の外で(55)

2014年06月25日 | 繁栄の外で
繁栄の外で(55)

 仕事は最後の1ヶ月ほど違う部署で働き、このことで同じルーティンをこなすということが嫌いになった。飽きっぽい人間の誕生です。もともと持っていた種子があることをきっかけに花開く場合がある。昨日の自分のくりかえしを何よりいちばん恐れた。それは進歩ではないという感覚で、そのまま気持ちは退化につながった。それでも自発的に仕事をこなしていき、そのことで自分に余裕をあたえた。誰かの役割を演じて、お金を貰うということが段々と理解できるようになった。ありのままの自分には金銭は流れてこないのだ。仕方がないので、いつもなにかを演じるようになる。それを忘れるように、こっそりひとりで酒を飲んだ。だが、もちろん酔いというのは気軽に付き合ってくれるものでもない。ぼくの酔いとの間柄はシャイで気難しいタイプでもあった。

 最後には、会社がお金を出してくれなかなか盛大なパーティーが開かれた。誰かのグラスにビールをつぎ、自分のグラスも満杯になるという、あの感じだ。何人ともその後も付き合うようになるが、その後会わなくなってしまう人の数も少なくなかった。それが生きることだといえば、その通りであるかもしれない。もっと後に電話番号を変えたときに、以前のほとんどの人の番号も消えた。なんとか残そうとおもっていたが、ついつい移行しそびれ、しかし、本当に望んでいたかどうか、潜在的な気持ちまでは自分の理解の範疇外であった。

 その後、いくつかの仕事を転々とした。ある時は、パソコンの操作に詳しい人たちに囲まれ、またあるときは、山ほどの残業をこなした。別の派遣会社で同じようにパソコンに文字入力したりテストを受けたりした。またしても、滑稽な役割をすることになる。それを通してまた別の職場に出向き、いくらか学ぶべきことが控え、忘れ去るひつようがあるものも順々に増えていった。そして、低賃金ではたらけばはたらくほど、社員の給料は安定することになるのだろう。そこに差別社会の根がいくらか垣間見えた。

 だが、もし階級社会というものが現実に存在するならば、底辺にいたいという愚かな思いもあった。上からでは見えてくる景色がリアルではないというただ一点のためだけに、そのことを願った。両親や教師が恐れるのは、こうした人間の思考そのものとぼくの傾向なのだろう。だが底辺から見たい、そのために、トーマス・ハーデイーが書くところの負け戦を挑み続ける主人公に肩入れして読むことになり、ずっと好意をもっていた。

 あるときは通帳の残高は翌月までいくらかの水準を残し、あるときはぎりぎりまでになっていた。マイナスになることもなかったが、大幅なプラスも待ち構えてはくれなかった。

 自分の住んでいる足場を仮の場所として考えていたが、それも限界に来ていた。現実こそが、圧倒的なまでに愛される対象であることを再認識する。長いこと、その結論に到達するまで悩み続けていた。

 そのころに以前交際していた女性が婚約したという噂を耳にする。かなり遠い昔に置き忘れていた記憶が、意外と自分にショックを与えることに自分自身で驚いていた。だが、世の中のすべてのひとが幸福をにぎる権利をもっていた。実際になれるかどうかはまた別問題であるが、そのひとにもそうなってほしいと思っていた。だからといって、なにも出来ない自分であった。

 ある日、知り合いの携帯電話の中に保存されている写真を見せてもらったときだ。最近の旅行の写真があり、写り具合を感嘆の声をあげながら見ていた。友人は、その場を離れそのまま操作を教えてもらい、次々と見ていたときに、その交際相手と婚約者の写真を目にすることになる。自分は、なぜだかうろたえた。そのまま、待ち受け画面に戻し、自分はそのことを忘れようとした。

 そのころは、いろいろな面でも忙しかった。仕事以外にもやるべきことが多く、自分のためだけに時間を使うことなどできなくなっていた。こころの中を象徴するように自分の部屋は散乱していった。聴く時間をとれないままの音楽は壁を占領し、一生読み終えることのない量の本が床に置かれた。自分は賢い人間になろうと願っていたが、賢さ自体の基準ももう忘れていた。

 2004年の年末にはスマトラ島で地震と津波があり、翌年の3月末にも2回目のそれがあった。かなりな数の被害者がでて、凝視したくない気持ちもあった。これは、そのころの話だ。災害で自分の記憶をたどるということが不本意でもあり失礼でもあるが、それが現実でもあるのだろう。ぼくは、35から36才になろうとしていた。


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