爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

「考えることをやめられない頭」(4)

2006年08月17日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(4)

 二人の関係は順調に進んでいた。身長の伸び盛りの子供のように、あっという間にリレーションシップは強く大きくなっていた。会うたびごとに理解も深まっていき、互いを必要としているのを実感した。
 電話も鳴る回数が増え、話す時間も長くなった。そして、両方の家族から、電話を占有していることにたまに苦情が出た。かといって、それ以降も、その状態は直ぐに変わることもなかった。
 その彼女を知って、まだ見ぬ未開の地、あるいは大気圏を越えたのだった。そこに足を踏み入れることによって、また回りとの関係も変化を及ぼした。自分と世界、自分と他の人間、社会。そうした今まで気まずかったものが一瞬だけ崩れ去った。以前の不幸な交友は解消されたのだ。自分も、なんだかんだ上手いこと社会と結合できるのだ、と宣言したくなった。その有頂天さも、またかすかなきらめきのようだったが。
 女性との関係で自信が持てると、あとは応用を利かすだけのような気がした。ある日、別の女性に映画に誘われた。バイト先で話のあう女性だった。自分も観たいものだったし、特別なことでもないから一度ぐらい、その女性に都合を合わせても大丈夫だろうと思った。楽しい2時間と、その後食事をとった。ただ、それっきりにすることも出来た。また会おうと誘われたが、自分には決めた人がいるのでと実際に断った。だが、付き合っていた彼女の兄に僕らの姿は見られていたらしい。ちょうど、同じ映画館にいたようだ。その兄は、自分の妹とぼくの交際は、少し前に終わっているものと勘違いし、家に帰って彼女に告げた。
 それから、会うこともままならなくなった。自分は、空虚な気持ちを抱いた。喪失の記録。
 しかし、自分のことだけを考えていた気もする。この失意を作った自分を呪いもしたが、最初にしたことは、まず自分の傷ついた気持ちを取り除こうと必死だった。どうして、こんな目に合うのかとも思った。だが、彼女の気持ちを考えなければならなかった、とあれから時が過ぎた自分は、当然のように知っているが、その頃の荒んだこころと、自分のある種の不快さを大切に育んでいたのかもしれない。
 バイトをしていたが、手もつかず止めてしまった。生き方の大幅な変更が求められていた気もした。
 そんな時、彼女は自身を傷つけた。あまり、大事にはいたらなかったらしいが手首を切った。すぐに彼女の兄に呼び出され、そのことを告げられた。2度と会うな、と紅潮した顔で怒鳴られ、彼はぼくの頬を殴った。殴り返してもよかった、と瞬間的に思ったが、当然思いなおし、そのまま痛みをこらえた。そして、永久的に会うことも潰えた。
 自分に全身で跳び込んでくれた彼女。それを受け止めず、台無しにした自分。こんな例えは、おかしいだろうか。バイクに二人で乗っていて事故にあい、その転倒のために後ろに乗っていた女性が傷物になる。もし、その行為を運転していた自分に責めるなら、たとえ万が一嫌いになったとしても、そのアクシデントのために、その女性を一生、守らないだろうか。
 自分は、当然のように長い間、彼女を嫌いになることなど出来ずにいた。一方的に悪いのも自分だった。彼女のしたことが、軽はずみな行為とも思いたくなかった。
 友人と夜中を通して遊んで、公衆電話をみるたびに彼女の電話番号を思い出した。そして、何度かは勝ったが、数回誘惑に負け、電話を鳴らした。だが、彼女を呼ぶ勇気がなく、すぐに受話器を置いた。記憶には、雨が降る。寒い夜のなかを歩いて、このまま病気になって自分の命も終わってしまえばよいとも思った。
 だが、さっきの例え。もし仮に自分が神に全身で跳び込んでみたら、その存在は命がけでぼくを守るだろうか。人間でさえ、一人の女性を守りたい気持ちがあるぐらいだから、その絶対的な行為者は、ぼくの過去の行いを嫌っていたとしても、容易に愛することができるだろうか。
 まじめに考えることが好きになってしまったが、友人とあえば以前の気軽な気持ちをもった自分を表した。ユーモアも混じえた話も連発した。だが、家に帰れば、どっと疲れた。本来の自分と、偽りの自分の接点をつなごうとした。そんな時に、社会に押しつぶされるヘルマン・ヘッセの小説は、いくらか同情心を示してくれなかっただろうか。だが、そう簡単にピリオドを打って、終わりにできないこともたくさんある。ぼくにとっては、この1ページで書き上げてしまったことだが。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿