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壊れゆくブレイン(17)

2012年01月13日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(17)

「仕事のことで、相談にのってあげてくれないか?」松田が殊勝な感じで、ぼくに話しかけた。「オレは特殊なルートで仕事をしたから、きちんとした就職とかあまり分からないもので」

 松田はいまや個人的に小さな会社を興している。それだけでも立派なものだが、自分の子どものことになると判断が鈍るのかもしれない。

「じゃあ、取り敢えず、いまはいっしょに歩きながら話すよ」と言ってぼくはまもると歩き出す。いつの間にか彼の肩の位置は、ぼくのそれより越えていた。「どんな仕事に就きたい? なにか目的があって?」ぼくは、目論見もないままそう訊ねた。しかし、彼の頭のなかはなにも固まっていないようだった。
「どんなものに、自分は向いているんでしょうね?」
「さあ、さっき会って、それまでも継続してなにかしてきたわけじゃないからね」と、ぼくは彼の顔を見返す。
「それより、別の話をしていいですか?」
「いいよ、もちろん」
「前に彼女がいたんです。ふとしたはずみで別れてしまったんですけど、いまでは、後悔している」
「気持ちは分かるよ」
「それで、元に戻すには、どうしたらいいものかと・・・」
「その通りに言えば」ぼくは、仕事上で失敗したあとの解決法を考えているようだった。どんなに繕ってみてもミスは消えない。それを誤魔化そうとすればするほど、逆に目立ち、非難も増える。思い切って、明らかにしてしまった方が逆鱗に触れるかもしれないが、解決は楽になるようにも思える。「なにか言えない理由でも?」
「自分から、別れることを切り出してしまったんです」

「まずいね」
「それで、相談」
「仕事からかけ離れてしまった」
「広美ちゃんにまゆみが勉強を教えてますよね。さっき、ききました」
「そうだよ。まゆみちゃんが関係してくる話?」
「ええ、別れた子は、まゆみの親友なんです」
「ああ、それで、彼女を通して訊いてほしいとか?」
「その通りです」

「それは、簡単だよ。今度、来たとき伝えてあげられるけど、結果が良いものかは知らないよ。覚悟しておいて」ぼくは、その若者の無邪気さに嫉妬していたのだろうか。誰かのひとことで一喜一憂できる立場に羨望を感じていたのだろうか。わざと、無関心を決め、最悪のことを口にした。それでも、彼は自分のもやもやした気持ちを吐き出したことで爽快になっているようだった。
「仕事のことは、また」と勝手に話を終わらせ、まもるは小走りに自分の家の方角に向かった。ぼくは彼の親にたいして申し訳ない気持ちがあったが、それも仕方がなかった。終わらせたのは彼である。

 そして、広美と雪代がそばに近寄ってきた。

「相談、終わり?」
「今度、まただって」
「そう、でも、さっぱりとした顔をしてたけど・・・」雪代は怪訝そうにしていた。だが、ぼくは彼との秘密のようにその話題を伏せていた。
「どっかに寄って、お茶でも飲もうか?」広美は同意し、ぼくらはいつも行くその店に向かった。
 何日か経って、ぼくはその話題をすでに忘れていた。しかし、会社から帰り、まゆみがまだ家のなかにいて顔を見たので、この前のことを思い出した。
「まゆみちゃん、もう勉強終わったんでしょう。少し、話していい?」
「わたしのこと?」広美は心配した表情になっている。
「違うよ。安心して。大人のはなし」
「なんですか?」
 ぼくらは玄関の外にでた。満天の星がきらめくような静かな風のない夜だった。
「ぼくには、学生のころに松田っていう友人がいてね、この前、会ったんだ。サッカーを教えている。いまでも、教えている。彼の息子もサッカーをしていた。能力のある子だった。先日、再会したら、あんなに成長しているとも思っていないので驚いた」
「まもるのこと?」
「そう。話が早い」
「彼には、好きなひとがいたみたいで」
「知ってる。でも、別れた」

「そう、そこなんだけどね。彼は後悔しているみたいだよ」
「一方的にふられて、彼女、悲しんだのに」
「そういう振る舞い自体を後悔しているんだろう」こう言いながらも、ぼくはむかし自分がしてしまった過ちも思い出している。これは、ぼくと裕紀の物語なのだろうか? 幼馴染の智美に憎まれた自分。
「ひろし君はどっちの味方なの? まもるの?」
「どっちでも、ないよ。もし、うまくまとまるなら、まとまったほうがいいので、頼まれただけだよ。彼女の言い分もあるだろうけどね」
「訊いてみるよ。それから、答える」
「そうして。ごめん、いやな役目まで引き受けさせて」
 また、ぼくらは部屋に戻る。

「大人のはなしは終わったの? ご飯、食べていくんでしょう?」雪代は、妹に話しかけるようにまゆみにたずねた。彼女は、すいませんとか言ったようだが、気持ちの一部は外に残されたままのようだった。「変なこと、うちのひとが話したの? ねえ、ひろし君」両者に雪代は素朴な疑問を投げかける。
「別に、大した問題じゃない」ぼくは、冷蔵庫に向かい、ビールの缶を探した。ぼくは、裕紀との突然の別れを思い出したことにより、雪代にたいして素っ気無く接してしまったようだ。まもる君がいくつかの傷を誰かに与え、その影響をこうして拭おうとしていることに、ぼくは淡い興味や関心を持つ。それで、なにがぼくに始まるわけでもないし、逆に終わるわけでもない。ぼくは、そのままビールの缶を開け口につけた。
「あ、少し欲しかった」と、雪代はそれを見て言った。

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