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リマインドと想起の不一致(38)

2016年06月18日 | リマインドと想起の不一致
リマインドと想起の不一致(38)

 新しい女性との思い出は増えるが、過去が減るわけでもない。記憶というのは意外と強みをもつものだった。恋慕。未練。若い健康な十代の青年にどれもふさわしいことばではない。だが、ぼくの中味を埋め尽くしているのはそれだった。そういう負の思いがガスのように逃げ場もなく充満していた。致死量にはいたらない程度に。

 ひじりに日々、訪れる新しい思い出を作る過程にぼくは参画できない。ずっとぼくの成長とともにいるはずであり、彼女の成長もぼくが見守れたのに、それを失った。喪失感は蚊に吸われた治療もいらない表面の赤味のようなものだと軽く考えていたが、次第に重傷になる。火傷でもあり、血の出ない出血でもあった。外から見えない透明な傷あと。ぼくは彼女の家の電話番号を頭のなかで復唱する。それで何か答えに導かれるわけでもない。副作用や後遺症になやまされる。ぼくは自分の決断を信じられなくなる。そして、こころの底から笑うことを忘れていった。

 だが、新たな女性はぼくといると楽しいと言った。彼女がひじりと違うという一点だけでぼくは無条件で減点をした。その気持ちも本人には通じないようだった。ぼくらはひじりといたときとは別の場所で遊ぶ。ぼくのうわさを耳にしたらひじりはどう感じるのか心配になった。簡単に好きな女性を変えられる男。後悔という感情をもたない冷酷極まる男性。

 ぼくは拘らずに新しい流れに身をまかせれば良かったのかもしれない。結論は簡単なものだ。古いものを断ち切る。それを再接続するのは理にかなっていない。誰とは特定できないひとの集団はみなそうしてきたのだ。ぼくができないわけはないだろう。

 あゆみという名の新しい恋人の家まで送る。ぼくの町ではない。同時にひじりの町でもない。家の前に犬がいる。

「どこの犬?」
「うちの」あゆみは屈んで犬の名前を呼んで頭を撫でた。それが終わると途端に防御本能を発揮したのか、犬は不審者を警戒するようにぼくに向かって吠えた。

「こら、やめな。ずっとこれからうちに送ってくれるんだから、ね」

 永続性を約束させられる。ひじりへの思いがつづかないのであれば、あゆみに対してはもっと容易であろう。もし、ひじりなんかいない世の中で暮らしてきたら、このあゆみの位置はどれぐらいの評価に値するのだろう。そう考えている時点で、ぼくはとにかくひじりを考慮に入れている。

 あゆみは犬に紐をつけて、反対にぼくを送るためにいま来たばかりの道を戻りだした。そのお供がうれしいらしく犬はあゆみの足に絡みついた。ぼくはその様子を可愛いと思う。ひじりへの執着もいずれ、この女性が消してくれるのだろう。ぼくは責任をその女性に転嫁する。もし、忘れられない場合は、あゆみに問題があるのだ。ぼくはどこまでも卑怯である。自分の失敗を都合よく譲り渡した。その重荷にまったく気づかない彼女と犬はにぎわう商店街を歩いている。ぼくも彼女らの世界のまぎれもない出演者である。しかし、エキストラのように主役ほど大きな文字で自分の名前が載ることはないだろうと思っていた。