リマインドと想起の不一致(34)
不幸になるという要素と幸福になる確率をぼくは天秤にかけている。
幸福という無形のよろいがすべてを覆ってくれることを期待するなど、さすがに信じつづけられる年代ではなくなりながらも、反対に常に不幸の濁流に飲み込まれるほど自分の力を信じられなくなるぐらいに厭世的な状態も勝利を保たなかった。愚かな側は幸福と希望というやっかいな用語を用いたがり、賢者は不幸にこそ甘美さを求めたがっていた。
ぼくはまだあの日々を幸福だと思っていた。というか無心に信じてもいた。ひじりがぼくのかたわらにいる有形の世界を。
ぼくは思い出せる。それこそが希望であり、勝利であった。しかし、思い出せる事柄や映像が事実と異なっているという不安がまれにあった。ぼくが作り上げた虚構にだけ住んでいるのかもしれないひとりの女性。ぼくはまだあの時間を追体験する役目や任務がある。
本当はない。義務も権利もない。誰かが奪い去ってしまった。いや、ぼくが捨てただけなのかもしれない。だが、あの頃は息が長く、いまだに継続している。
ぼくは自分の愛情をグラフのようなもので想像する。徐々に上がり、落ち着いたところでなだらかに上下する。もし、ことばという実際的な表現に恵まれた有用なものがなければ、ぼくはイラストでただそのことだけを表示させたかった。しかし、頂点に近いところで具体的な意味を述べる必要があり、下降した部分でも出来事のあらましを書き加える理由が生じるはずだ。例えば、ケンカと仲直りとか。例えば浮気を発見とか。
ぼくらは互いに騙すことなど意図していなかった。両者は自分の幸福と(やはり使う)相手のそれとを一致させる決意があった、だから下降といっても、底や斜面で表せるものではなく、ただの窪みであり、小さなへこみだった。ぼくは愛情というものを文字で表現するのを拒んだり放棄しているわけではない。当事者ではなくなった自分が、客観的に見えるものをイメージしていた。球は丸いというようなシンプルな姿を通して。複雑な心情をむりやりに。
物語の継続は作者にかかっていながら、読者の要求もある。ぼくは熱心な読者であろうとしている。結末を知りつつも、それを先延ばしにできる小手先なテクニックを力技に変換させることを望んでいた。ぼくはもう単なる部外者であり、傍観者であった。テストの時間配分を間違えて、途中で次のページに延々と質問があったことに驚いているのだ。解く時間は尽きる。ぼくはうっかりと見落とした。半分の解答で合格点を得られるように苦心している。追試というのは別れのあとには起こらないのだ。ぼくは、別れなど欲していたのだろうか。真実の愛は、映画や本などでは死が介在となって分岐点を迎える。いや、日常に別れは満載されているのだ。どちらも事実であり、どちらの事実もまた不満であった。
コップに残された半分の水の例え。それすらも透明なケース越しに眺めて手が出せないのであれば、いかなる心理も、楽観さも悲観さも無意味な領域にただよっているだけだった。
不幸になるという要素と幸福になる確率をぼくは天秤にかけている。
幸福という無形のよろいがすべてを覆ってくれることを期待するなど、さすがに信じつづけられる年代ではなくなりながらも、反対に常に不幸の濁流に飲み込まれるほど自分の力を信じられなくなるぐらいに厭世的な状態も勝利を保たなかった。愚かな側は幸福と希望というやっかいな用語を用いたがり、賢者は不幸にこそ甘美さを求めたがっていた。
ぼくはまだあの日々を幸福だと思っていた。というか無心に信じてもいた。ひじりがぼくのかたわらにいる有形の世界を。
ぼくは思い出せる。それこそが希望であり、勝利であった。しかし、思い出せる事柄や映像が事実と異なっているという不安がまれにあった。ぼくが作り上げた虚構にだけ住んでいるのかもしれないひとりの女性。ぼくはまだあの時間を追体験する役目や任務がある。
本当はない。義務も権利もない。誰かが奪い去ってしまった。いや、ぼくが捨てただけなのかもしれない。だが、あの頃は息が長く、いまだに継続している。
ぼくは自分の愛情をグラフのようなもので想像する。徐々に上がり、落ち着いたところでなだらかに上下する。もし、ことばという実際的な表現に恵まれた有用なものがなければ、ぼくはイラストでただそのことだけを表示させたかった。しかし、頂点に近いところで具体的な意味を述べる必要があり、下降した部分でも出来事のあらましを書き加える理由が生じるはずだ。例えば、ケンカと仲直りとか。例えば浮気を発見とか。
ぼくらは互いに騙すことなど意図していなかった。両者は自分の幸福と(やはり使う)相手のそれとを一致させる決意があった、だから下降といっても、底や斜面で表せるものではなく、ただの窪みであり、小さなへこみだった。ぼくは愛情というものを文字で表現するのを拒んだり放棄しているわけではない。当事者ではなくなった自分が、客観的に見えるものをイメージしていた。球は丸いというようなシンプルな姿を通して。複雑な心情をむりやりに。
物語の継続は作者にかかっていながら、読者の要求もある。ぼくは熱心な読者であろうとしている。結末を知りつつも、それを先延ばしにできる小手先なテクニックを力技に変換させることを望んでいた。ぼくはもう単なる部外者であり、傍観者であった。テストの時間配分を間違えて、途中で次のページに延々と質問があったことに驚いているのだ。解く時間は尽きる。ぼくはうっかりと見落とした。半分の解答で合格点を得られるように苦心している。追試というのは別れのあとには起こらないのだ。ぼくは、別れなど欲していたのだろうか。真実の愛は、映画や本などでは死が介在となって分岐点を迎える。いや、日常に別れは満載されているのだ。どちらも事実であり、どちらの事実もまた不満であった。
コップに残された半分の水の例え。それすらも透明なケース越しに眺めて手が出せないのであれば、いかなる心理も、楽観さも悲観さも無意味な領域にただよっているだけだった。