爪の先まで神経細やか

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最後の火花 63

2015年05月19日 | 最後の火花
最後の火花 63

 友だちとハワイにいて浮かれている。空も青く、海も青く、身体は黒くなった。最初は赤くヒリヒリしていたのだが。

 飛行機のなかでおしゃべりをして、友だちが寝ている間は本を読んだ。アメリカの航空会社は働くひとを外見の美という観点だけでは採用していないようだった。旅についての本はたくさんある。わたしはアルコール飲料を飲み、目をつぶった。イヤホンのサイズが合わず耳が痛かった。気になるので取ると轟音がすごかった。耳栓を次の機会には持参しよう。忘れなければの話だが。

 離陸した飛行機は着陸する。わたしはいつもこのふたつの言葉で悩む。エスカレーターとエレベーターの違いも分からなくなる。

 国の変化は匂いの変化でもある。空港は独自の匂いをもっている。免税店の化粧品の匂いが我先に主張する。それから流れてくるスーツケースを待つ。荷物を解いてから水着を着てビーチで寝そべり、大きなステーキを食べた。

 どこかの夜は朝だった。地球は回転する。海は下にこぼれ落ちることもなく、逆さになっても意に介さない。わたしはそんなことを空想しながら、テラスに出て手軽な読みものである「悲しみよこんにちは」を読む。飛行機のなかで半分ほど読んでいる。自由というものはそのままで自由であると思いたかった。不自由になって代償を支払い再度、自由になる。だが、もう大らかな朗らかな自由はどこにもなくなってしまった。しかし、ここはハワイだ。アイスランドでもなければ、シベリアでもない。わたしは目をつぶって自由を謳歌する。好事魔多し、と無意味に口ずさんでみる。意味があやふやだった。良いことが中断されるのか、悪いことも早く過ぎ去ってしまうのか。家に帰ってから調べようと思った。まだ、覚えていられるかどうかも判断できない。

 夜のレストランで同じぐらいの年齢の日本人に話しかけられる。男性二人で旅行に来るのだから大の仲良しなのだろう。ひとりはユニークでおしゃべりで、ひとりは無口なタイプだった。わたしは笑わせてくれる快感に身を任す。

 出会っても会話をしなければ奥底までは分からない。ひとは表情だけでも情報を受け取れるが、話す内容、語彙の正確さと意味のぴったりとした一致、もちろん肉体上での声の質というのにも好悪があった。波の音は、不快感を与えない。わたしたちは海辺を散歩する。わたしのことを知っているのは、いまは友だちと彼らふたりだけだった。名前を伝え合い、わたしは学生という身分を告げる。それだけで充分だった。日本のどこかに家があり、家族がいた。将来というのもおそらく全部がそこにあるのだろう。

 友だちと無口な方は先に行ってしまう。話すこともなく自然と足が早まっているようだった。わたしたちは寄り道するように笑い合った。砂浜に前を歩く彼らの足跡がつく。規則正しい歩幅。同じところを歩くことはむずかしい。

 示し合わせたように、お互いの部屋に向かった。わたしはおしゃべり君がいる部屋に。炭酸のお酒を飲む。ジンだかウオッカをソーダで割ったもの。もう詳細な味わいも分からない。また理解する状況でもなかった。

 彼は服を脱ぐ。上半身が裸になる。密着すると毛もなく全体的に肌がつるりとしている。イルカを触ったときのようだ。

 朝をさわやかに迎える。着替えて食事をとって四人でクジラを見に行った。海という大きな場所で、丁度よいタイミングで出会う奇跡はどれほどの確率なのだろうか。そういうサービスが成り立っている以上、奇跡と評するには重過ぎる。日常というほどの簡便さではない。ここに来て、誰かと会って、愛し合って、いや、愛という一種の行為をして、翌朝にクジラを見ているという流れで奇跡と考えてみた。どれもこれも深い意味を与えようとしていた。

 何枚かの夕陽の写真を撮る。家族にお土産も買って旅も締めくくられる。彼らはまだ数日泊まる予定だった。鍵をかけることなどできない。また別の誰かを誘うことも考えられた。当然だと思いながらも、淋しくも感じる。東京にもどってもおそらく会わないだろう。わたしたちは荷造りをして、ホテルの鍵を返す。清算してバスに乗る。おしゃべり君はクジラに呑み込まれてみたいとバカなことを言った。わたしは笑いながらもクジラの主食を知らない。サメなら想像として簡単そうだった。

 パスポートと飛行機のチケット。それだけがもっとも重要なものだった。水着も、帽子も、ビーチサンダルも大きなタオルをなくしてもいい。これだけが必要だ。貞操という古びたことばをなつかしむように使ってみる。むかしの本に多用されている。それさえもなくしてもいい。現在の現実の等身大の女性。自分がそういうものだと仮定する。急にベンチで待っていると眠気を感じる。その誘いはずっと継続して帰りの飛行機のなかではほとんど眠って過ごした。着陸する。離陸したものは、日本の大地に着陸する。小さな人間に誘導され、扉が開く。家まで、まだ時間がかかる。わたしはあれから一度も会わなかった避暑地の男の子を突然に思い出した。肌がつるりとしているだろうか。草のなかでは蚊も多く、虫にさされた跡が無数にあるかもしれない。わたしは架空の微細なことに意味もなくこだわっていた。些事が人生であり、ハワイの海も同様に人生だった。

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