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最後の火花 60

2015年05月13日 | 最後の火花
最後の火花 60

「あの子、可愛いのに、中身はやんちゃなのね」と母は、わたしの友だちのことを評していた。わたしは一致と不一致ということを学ぶ。外見でひとは性格を予想する。裏切られるとがっかりして、同時にあるひとは思いがけなく褒められることになった。尊敬という高さも用意されているが、そこまではなかなかたどり着けないようだった。

 しばらくしてギャップということばも知る。やはり、内面と外見の不一致が容認し評価される所為でもあった。

「静かに本を読んでいて偉いわね」と、外で見知らぬおばさんに言われた。子どもは奇声を発して駆けずり回るものという先入観がどうやらあるらしい。わたしは猿ではなかった。考える猿でもある。

 代わりに母は子どもっぽくないと言った。しかし、騒ぎまわる子どもが何よりキライでもあった。わたしは帽子をかぶり父を待ちながら本を読んでいた。

 父はどこかへ仕事で遠出をしていた。早めに帰ってくるためわたしたちは大きな駅のそばのお店にいた。いっしょにお昼ご飯を食べようという約束だった。たまに外でナイフとフォークを静かに使う食事を試された。これも大人になるための訓練の一環だった。わたしを王女様のように接してくれる店員さんがいる。彼は微笑みを浮かべて対応できることによりお給料をもらう。ギャップということを考えれば、彼も家に帰ると違う人間になるのかもしれない。

「ありがとう」わたしは手元にジュースを運んでもらった際に、そうきちんとお礼を述べた。父のネクタイはいつもより緩んでいる。スーツケースは店のどこかに預けられた。母は泡の立っている飲み物を頼んだ。細身のグラスのなかで泡は上に急速に移動している。父はビールを飲んだ。午後の仕事はもうないようだった。

「よくここ来るの?」わたしはどちらに向かってでもなく訊く。
「光子が生まれる前はよく来たよ」父は感慨深げな表情を浮かべてそう言う。
「ふたりで?」
「そう、ふたりで」

 すると、三人分の料理が運ばれてきた。わたしは普通にお子様ランチのようなものを食べたかったが、許してはもらえなかった。この店に置いてあるのかも分からない。わたしはいくつかのフォークやスプーンを使って料理を食べた。
 父は赤いワインを飲みはじめている。仕事の話をめったにしないが、今日は成功という味覚の余韻に浸っているように寛いでいた。これで、父は欲しかったギターを買って、母のタンスの洋服が増え、わたしの本棚の隙間も減ることになるのだろう。だから、わたしもうれしくて満足だった。

「どうやって交渉するの?」
「もっと大人になって、いっしょにお酒を飲めるようになったら教えてあげる」

 わたしは将来の自分の姿を想像する。きれいなドレスを着ている。お酒だって飲めるようになるのだ。たくさんアルコールの種類があって、合うのと苦手なものが存在するだろう。父はもっと白髪が多くなる。ハゲているのはいやだなと思う。太ったお腹も厭だった。スマートでギターを弾くお父さん。そのままだったら格好いい。

 父のことを知り過ぎているのでギャップはない。だけど会社にいるときはもっと偉そうにしているかもしれない。反対に、臆病な一面があることも考えられる。ひとのすべては分からないのだ。

 また丁寧な様子で食事が済んだお皿が下げられた。最後にデザートが出る。バニラのアイスを父は食べ、わたしと母はケーキをそれぞれ食べた。散々、食べたが母は太ると困るといままでの時間を否定した。父はそう太っていないと本気かお世辞か分からない意見を述べた。これで家族は安泰なのだ。

 帰りに家のそばまで電車に乗って、そこから家まではタクシーに乗った。わたしは真ん中にすわり料金のメーターが変わるたびに数字を言った。母はたしなめ、父は笑った。

 家のまえで父が料金を払う。端数のお金を父は受け取らなかった。わたしはお小遣いとしてそれが欲しかった。

 父は服を脱いでお風呂場に向かった。加藤さんは休みをもらっている。もう夕飯の仕度もいらない。帰りにデパートの地下でお惣菜を買ってきている。

 父の鼻歌が聞こえる。厳粛な顔をもつ父は今日はどこにもいない。わたしはいつか大人になって仕事をして、満足する仕事をして、父とお酒を飲む。それから、鼻歌をお風呂場で響かせる。幸福というのはそんな情景だと思った。

 夕方、本を読みながらベッドで寝てしまった。起きると母は誰かと電話をしている。違和感のある余所行きの声。

 オオカミはベッドでおばあさんのフリをしている。鶴は人間になって機を織っている。カエルは善行をしたにも関わらず無慈悲にもお姫様に壁に叩き付けられた。ひとになったり動物になったり忙しい。お父さんも仕事をしたり、母に優しいことばをささやいたり、わたしにプレゼントを買ったりしてくれる。わたしも勉強をして、意地悪をかくして静かに本を読んで、見知らぬおばさんに褒められたりしている。母の余所行きの声は終わった。わたしもお風呂に入るよう階下から叫んだ。わたしは返事をする。この声が、優等生の口調であるよう願っていた。

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