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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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壊れゆくブレイン(43)

2012年03月08日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(43)

 うちの社長が入院した。見舞いに行くとベッドに静かに横たわっていた。エネルギッシュなひとなので、その様子が似つかわしくなかったが、思っていたより顔色は良く、心配はいくらか軽減された。だが、ぼくは過去に安心しすぎて失敗もしていたのだ。

「悪いな、近藤」
「いや。全然。それより、顔色も良くって」ぼくは、思ったままを発した。「でも、病院に来るのが、ほんとは好きじゃないんです。正直に言いますと」
「誰でもそうだけどな、特に、お前はそうだろう・・・」自分のことより、彼はいろいろなところに気を遣った。「彼女を亡くしたからか?」
「その通りです」言葉に出したつもりだったが、もしかしたらそうなってはいない心配のため、自分は深くうなずいた。
「いやだろうな、オレでも。思い出したくない」
「ぼくは、逆なんです。いろいろなことを思い出し過ぎます。あと、彼女にしてあげられなかったことが山積されているような不安も起こりますから」

「それは、みんなそういうもんだよ。オレだって、家内にどれほどのことをしてこれたか。それは、持ち回りみたいなもので、できなかった分は、ほかに廻せばいい。娘とか、いまの奥さんとかに」
「頭では、分かっているんですけどね」
「もう随分と経ったよな」
「ええ、かなり」
「向こうの家族は、まだ許してくれない?」
「許すもなにも、接点すらないですから」
「お前に、新しい家族ができたことで、喜んで、敢えて、蒸し返したくないのかも」
「どうなんでしょう。裕紀が喜んでいるなら、話は別ですけど。すいません、自分の話ばっかりして。食事は?」
「あまり、うまくもない。健康で、そとで暴飲暴食の時代が懐かしいよ」

「いつか、また出来ますよ」
「うちの息子より、お前の方が優しくできてるのかな。見舞いにも来ない。付き合った月日も越えただろう?」社長は指折り数える仕草をした。
「同じ会社にいるんですもん。そうなりますよ。彼だって照れ臭いんでしょう」ぼくは腕時計を見る。「そろそろ、仕事に戻ります。社長の入院費ぐらいの売り上げを作らないと」

「保険というものが世の中にはあるんだよ。奥さんにもよろしく。そこにある花、彼女からみたいだから」

 ぼくは、ベッドサイドにあるテーブルを見た。その花の匂いを嗅ぎ、雪代のことを思い出した。ぼくと彼女の若いときの交際はひとから認められなかった。それは、ぼくが裕紀を捨て、彼女とくっ付いたことからの余波だったが、いまでは、ぼくらぐらいぴったりとした関係を築いているひとはいないと誰もが思ってくれていた。

「言っときます」ぼくは自分のカバンを持った。「じゃあ、ゆっくりと休んでくださいね」
「復活するよ。まあ、それほどの大病でもないんだけどな」

 彼は枕に頭を埋めた。ぼくは、もう一度だけ時計を見た。病室のそとの廊下を歩いていると、やはり、また裕紀のことを思い出してしまう。あそこのベッドに寝ているのは彼女なのだ。彼女の叔母が付き添い、心配を解消させるようにたくさん話をしている。ぼくは、彼女が死んでから失った生活と覇気みたいなものを最初から知っていたのだったら、その分を彼女のために前以って作ってあげても良かったのだ。しかし、それはどうやっても取り戻せなかった。そして、その彼女のために雪代は花を贈ったのだとも考えようとした。ぼくの最愛のふたりは、当然のところ、親しくなることもなく、友人になるということも論外だった。だが、ぼくの中では共存していた。裕紀はぼくの幸せのために誰かと生活することを望んでくれただろうか。多分、望んでいたのだろうが、それは彼女が親しかったゆり江という子の名を真っ先に上げるだろう。とにかくは、ひとりで亡くなった自分のことを後ろ向きに考えてばかりいる男性など予想していないはずだ。それならば、雪代と暮らしていることも妥当だろう。父親という役目をさずけられなかった自分を裕紀は悔いていた。ぼくは、いつの間にかある少女の父にもなっていた。責任感からいえば兄ぐらいの役目だったが。それでも変わりはない。

 反対に雪代は、ぼくの前の妻をどう考えているのだろう。ぼくらは、それぞれ別の人間と結婚していた。ふたりとも不意にアクシデントや病気で配偶者を亡くしていた。自分の辛さや楽しかった生活に匹敵するものをぼくが持っていたと過程するならば、それを与えてくれた裕紀のことも嫌いになれるはずがなかった。それは、ぼくがいまごろになって雪代の前の夫である島本さんに抱く感情でもあった。それに広美の持ついくつもの素晴らしい感情やこころの一部も島本さんが負っているという証拠によっても認めていた。

 ぼくは、廊下を歩きながら、さまざまな状況を思い浮かべ、過去と現実を行ったり来たりした。手放せないものや、手放すタイミングが来ているものも考えていた。ぼくは、廊下で立ち止まり、歩いてきた奥の方を振り返り眺めた。そこに裕紀が元気な姿で立っているようなイメージを持つ。

「良かったじゃない。あんなに元気で可愛い子のお父さんになれて」と、彼女は言うような気がする。
「こんな役割、君から見て似合っているかな?」と、その裕紀の幻に、ぼくは問いかけてみたかった。