世界一高い 電気料金
電気料金が世界一高い原因が人件費であることが判明。東電「値上げは ...5 日前 ... 電気料金が世界一高い原因が人件費であることが判明。東電「値上げは原料の...
世界一高い 電気料金
電気料金が世界一高い原因が人件費であることが判明。東電「値上げは ...5 日前 ... 電気料金が世界一高い原因が人件費であることが判明。東電「値上げは原料の...
TPPは日本に不利、大損との意見大
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/tpp/?1318312350環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)貿易自由化を目指す枠組...
『五体不満足』の著者で知られる乙武洋匡さん(36)。スポーツライターとして活躍した後、教育界へ転身。最近は、3年間の小学校教諭の経験などを生かし、子供たちが自己肯定感を育むことの大切さを伝える活動を続けている。大人が褒め、励ますことで、子供たちを育てていきたい-。この乙武さんの教育観の原点は、父の賢二さんのもとで育まれた。
賢二さんは大手建設会社に勤める建築家。おしゃれで、優しく、ユーモアにあふれる人だった。
バブル期の建設業界は多忙で、平日はあまり顔を合わせることはなかった。しかし、休みの日には、賢二さんは必ずといっていいほど乙武さんをいろんな所に連れ出した。
一緒に楽しく過ごした記憶は数え切れない。忙しい中でも授業参観日には必ず来校。夕方、父の会社で待ち合わせ、一緒に夕食を食べて帰ったこともあった。
「愛を伝えるのも上手な人でした。朝、起きれば『おはよう。今日も愛してるぜ』と必ず言ってくれた。母の誕生日には玄関先でバラの花束を抱えて待っていたこともありました」
小学5年生のとき、成績表の点数が下がってしまったときのことだ。それまでオール5で来ただけに傷心したが、会社から帰った賢二さんは通知表を閉じ、「おまえってすごいなあ。俺なんて『アヒル』ばっかりだったぞ」と一言。
「アヒルとは、『2』のこと(笑)。普通なら『何やってるんだ』とか『頑張れ』とか叱咤(しった)激励されるのでしょうが、父は僕の自尊心を傷つけないよう、あえて嘘をついた。逆に気をつかわせて悪いなあ、という気持ちになりました」
息子にたっぷりの愛情を注いできた賢二さんだが、心の底にさまざまな葛藤があったことを知ったのは乙武さんが20歳の頃。賢二さんから突然、告白された。
「実は、今までずっとお前にびびっていた。いつか『なぜ、こんな体に生んだんだ』と責められる日が来るんじゃないかと、ずっと思っていた」
「そんな葛藤を父は普段の行動からみじんも感じさせなかった。僕が重い障害を持ちながら卑屈になることなく周囲から『強い』と言われるのは、愛し、大切な存在だと実感させてくれた父や母のおかげ」
平成13年、賢二さんは病気で他界。乙武さんは結婚し、長男は今年4歳、次男は2歳になった。
「僕は普通のパパたちと違って物理的なお世話はしてあげられない。でも、毎日、息子たちに『今日も大好きだよ』と伝えています。僕の子育ての手本は、まさに父ですね」
教員時代も放課後、毎日のように保護者に電話をかけ、その日頑張ったことを「褒めてあげてください」という言葉と一緒に伝えていたという。
いじめや傷害、殺人など子供たちの暴走に、社会挙げての模索が続く中、乙武さんは言う。「一番大事なのは家庭。周囲の大人がいつも愛を伝えていくことで、子供たちを育てていけたらと思います」(清水麻子)
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≪メッセージ≫
あなたから、たくさんの愛を受け取りました。その感謝の気持ちが、今の活動の支えとなっています。
◇
【プロフィル】乙武賢二
おとたけ・けんじ 昭和16年、東京都出身。大学卒業後、大手建設会社に建築家として勤務。ホテルや別荘、ゴルフクラブハウス、住宅などを手掛ける。平成13年、60歳で死去。
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【プロフィル】乙武洋匡
おとたけ・ひろただ 昭和51年、東京都出身。早稲田大卒。スポーツライターなどを経て、平成19年に小学校教諭2種免許状取得。同年4月から22年4月まで東京都杉並区立杉並第四小学校に勤務。教育現場で得た経験を発信する傍ら、都認証保育所「まちの保育園 小竹向原」(練馬区)の運営に携わる。最新刊に『ありがとう3組』(講談社)。
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わかっていても感情に負けた。この親父さんと乙武さんのメッセージを見るにつけ私など反省しきりだ。
政府が「2030年代の原発稼働ゼロ」を柱としたエネルギー・環境政策を打ち出すなか、技術者の転職などを支援する団体に登録し、海外での勤務を希望する原子力関連技術者が、東日本大震災以前と比べ1・5倍に増えていることが7日、分かった。この団体には、中国の企業からの引き合いが増加しており、脱原発の動きが日本の原発技術の低迷だけでなく、海外への技術流出を進める実態が浮き彫りになった。[記事詳細]
脱原発は正しい。
しかし実現課題が多すぎ、放射能対策が効果が出るまでに長い道のりがある。
技術者が減ったら、現状の維持すら困難、技術者の仕事の保障、安全対策をしっかり決めて、廃炉までの道筋を扱う第3者機関を用意して、独創的な技術を編み出してもらう。
約45キロ離れた福島県飯舘村などのプルトニウム 濃度は原発敷地の1~3割
プルトニウム 濃度は原発敷地の1~3割 東京電力福島第1原発から約45キロ離れた福島県飯舘村などの土壌でプルトニウムが検出された問題について、東電は1日...
<清掃工場>焼却灰汚染濃度高すぎ…炉休止 千葉・柏市 20111001
<清掃工場>焼却灰汚染濃度高すぎ…炉休止 千葉・柏市毎日新聞 10月1日(土)2時34分配信 東京電力福島第1原発事故の影響で、清掃...
2012.7.4
放射能物質は、放射線を出し続けリサイクルにも乗れず、行き場がない。結局人間の生活を脅かす。
だからこの原発の目的が何か。
核の抑止力という目的にして人類全体の生活、LIFEに危機をもたらす方向にあるのは間違いない。
アメリカも本音は同じだと思う。
ただし、この面の計算が、力の前に甘くなって誤差を生んでいる。
だから、アメリカが誤ちを認めるときはすでに遅い。まだ猶予があると思っているが、この問題を力のベールに包んでおこうとしている。それが世界戦略の一環だと思っている。
世界平和のやり方は使う材料によってこうまで人類の安全、世界平和からは程遠くなるものか。
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放射能物質という目に見えないものと戦う。
放射能の核分裂の熱で蒸気を起こしてタービンを回し電気を起こす。
この方法、技術があまりに原始的過ぎるのだ。
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放射能物質の取り扱いもわからない人類が、自然界の放射能物質と同等に考えることが大きな誤りだ。セシウムなどは人類が原子力発電の名の下に生み出した人為的な核反応の副産物で、カルシウムや、カリウムと同位元素のため、人間の体が栄養物質と勘違いして取り込んでしまう。そこが長年遺伝的に人間の体が覚えてきた自然界の放射能と大きく違う点なのだ。だから体に取り込んだセシウムなどは、体の中で放射線を出し続け、ある時点で人間の体のほうが耐え切れなくなって別の物資、ガン化して、かなり激しい変化を遂げる。今まで、映像などで何度もみてきた。浴びた量や体質など個人差こそあれ、時間の経過とともにその方向に向かっていることは間違いないと思う。遺伝子レベルの変異が起きてくるため、次世代の人間に与えるダメージは計り知れない。未来のことだから、楽観視している部分があるが、人間は楽観したがるものだ。いやなことは考えないようにしたい。
だから、危機を目にしたときはすでに遅い。わずかな人類の望みが絶たれるなんて考えもおよびはしない。
(人間の体は短期間でセシウムなどが有害物質だということを覚えられない。地球上の生物が何億年もかけて危険を遺伝子レベルで認識して防衛できるように覚えてきたものとは違うからだ。)
―――――――――――――――――――――>
とりあえず、原子力発電以外の利用方法、熱でタービンを回す、あの原始的な利用方法は縮小していかなくてはならない。その間に、別の放射能物質の利用方法があるか、人工的放射能物質をどうしたら、生命にとって巨大に危険なエネルギーのままから方向転換させることができるか
目に見えないエネルギーなら、まず素粒子の研究を加速的に進める必要が重要で、体を通過してしまう、宇宙のダークマターとプラスマイナスの原子構造の物質界の接点の研究もきわめて重要で、この面の研究こそが、放射線を出す、人工的放射能物質の取り扱いを進める鍵になる。今の人類はまだこのレベルの袂にもついていない。原子爆弾で被害にあった日本だからこそ、世界に目覚めさせる、方向性や、新たな対応の模索を先導しうる背景を持っていることにもっと気つかなくてはいけない。
―――――――――――――アインシュタインの涙と苦悩―――――>2012.10.6
この知らせを受けた時、大の親日家のアインシュタインは、「Oh, weh ! (おお、なんということだ!)」 という悲痛な声をあげ、そのまま絶句してしまったそうです。
原爆の理論的な裏付けとなったのが、特殊相対性理論であったことをご存知の方も多いと思いますが、彼はまた、数名の科学者とともに、時のアメリカ大統領フランクリン・D・ルーズヴェルトに、原爆製造を促す意見書を提出していたのです。
ユダヤ人である彼は、ナチス・ドイツが原爆の開発をスタートしたことに危惧を覚えました。
そして、その抑止力をアメリカに期待したのですが、ドイツ降伏後も連合国と戦い続けていた日本に、まさか原爆が落とされることになろうとは…。
アインシュタインの親日家ぶりは、あまりにも有名で、1922年、講演のため1ヵ月あまり日本に滞在した彼は、次のような文章を残しています。
「この数週間、私は日本を科学的国家として尊敬するばかりではなく、人間的見地からも愛すべきに至った。 私が1カ月に余る日本滞在中、特に感じた点は、地球上に、日本国民のような謙譲で篤実な国民が存在していたことを自覚したことだ。 世界各地を歴訪した私にとって、このような純真な心持ちのよい国民に出会ったことはない。また、私の接触した日本の建築絵画その他の芸術や自然については、山水草木がことごとく美しく細かく日本家屋の構造も自然に適い、一種独特の価値がある。 私はこの点については、日本国民がむしろ欧州に感染をしないことを希望する。 西洋と出会う以前に日本人が本来持っていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしいものだ。」
アインシュタインが、愛してやまなかった日本…
その日本に、原爆が投下された。
しかも、そのきっかけをつくったのは自分だった…。
彼は、生涯、その苦悩から解放されることはなかったのです
後年、彼は次のような言葉を残しています。
「私は生涯において一つの重大な過ちをしました。
それは、ルーズベルト大統領に原子爆弾を作るように勧告した時です。」
「もし私がヒロシマとナガサキのことを予見していたら、1905年に発見した公式(特殊相対性理論)を破棄していただろう。」
その後、彼は 「核兵器廃絶と戦争廃止」 を最期まで訴え、平和運動を推進していくことになります。
その平和運動に共感し、真剣に取り組む科学者が、一人、また一人と増えていきました。
その中に、日本人の若き科学者・湯川秀樹の姿もありました。
原爆投下そして敗戦から3年、湯川が初めて米国を訪れた時、わざわざ彼を訪ねてきたのが、70歳になろうかというアインシュタインでした。
アインシュタインは湯川に駆け寄ると、彼の両手を握り締めて、激しく泣き出しました。
そして、何度もこう繰り返したといいます。
「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった…許して下さい」。
世界最高の科学者が肩を震わせて涙に暮れている。
若輩者の自分に対して、何度も何度も詫びながら…。
“人間” アインシュタインの良心に触れた彼は、「学者は研究室の中が世界の全てになりがちだが、世界の平和なくして学問はない」 という考えに至り、以後、積極的に平和運動に飛び込んでいくのです。
アインシュタインとの対面から一年…
1949年、42歳になった湯川秀樹は、日本人初のノーベル賞受賞に輝きました
敗戦からまだ4年、自信を失ったまま傷の癒えていない日本人に、湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞という明るいニュースは、大いなる希望と勇気を与えました。
彼は、ノーベル賞の賞金の一部を奨学金制度設立に用い、後進の育成に務めました。
そして、アインシュタインの遺志を生涯の使命として受け継ぎ、1981年に74歳で亡くなるまで、反戦と核兵器廃絶を訴え続けたのです。
国立京都国際会館の入口には、湯川秀樹による碑文があります。
『世界は一つ』。
The World We Knew 'Over And Over' (Frank Sinatra - with Lyrics)
Frank SINATRA Rain In My Heart Reprise 1968 YouTube
毎日新聞 2012年10月03日 東京朝刊
東京電力福島第1原発事故を受けた福島県の県民健康管理調査について専門家が意見を交わす検討委員会で、事前に見解をすり合わせる「秘密会」の存在が明らかになった。昨年5月の検討委発足に伴い約1年半にわたり開かれた秘密会は、別会場で開いて配布資料は回収し、出席者に県が口止めするほど「保秘」を徹底。県の担当者は調査結果が事前にマスコミに漏れるのを防ぐことも目的の一つだと認めた。信頼を得るための情報公開とほど遠い姿勢に識者から批判の声が上がった。【日野行介、武本光政】
9月11日午後1時過ぎ。福島県庁西庁舎7階の一室に、検討委のメンバーが相次いで入った。「本番(の検討委)は2時からです。今日の議題は甲状腺です」。司会役が切り出した。委員らの手元には、検討委で傍聴者らにも配布されることになる資料が配られた。
約30分の秘密会が終わると、県職員は「資料は置いて三々五々(検討委の)会場に向かってください」と要請。事前の「調整」が発覚するのを懸念する様子をうかがわせた。次々と部屋を後にする委員たち。「バラバラの方がいいかな」。談笑しながら1階に向かうエレベーターに乗り込み、検討委の会場である福島市内の公共施設に歩いて向かった。
毎日新聞 2012年10月03日 22時48分(最終更新 10月03日 23時02分)
建設工事を再開したJパワー(電源開発)大間原発(青森県大間町)について、原子力規制委員会の田中俊一委員長は3日の記者会見で、周辺に活断層があるとの一部専門家の指摘を踏まえ、「(活断層かどうか)判断できるように現地調査などを準備していきたい」と述べた。活断層と分かれば、建設作業の継続に影響する可能性もある。
東洋大の渡辺満久教授(変動地形学)ら一部の専門家は08年、大間原発が立地する下北半島沖の海底に活断層がある可能性を指摘。Jパワーは存在を否定している。
こうした指摘に対し、田中委員長は「(内容を)検討したうえで、必要と思えば、再調査を求めたり、場合によってはこちらから出向いて調べることも検討したい」と述べた。
規制委の前身の経済産業省原子力安全・保安院は、全国の原発の敷地内にある断層や、敷地外の活断層が連動するかを再点検してきたが、建設中の原発は対象外だった。保安院は先月、同半島にある日本原燃の六ケ所再処理工場の敷地内断層を再点検し「下北半島広域の地質調査が必要」との見解を表明している。【岡田英】