作家・乙武洋匡さん 褒め、励ます教育観の原点学ぶ
『五体不満足』の著者で知られる乙武洋匡さん(36)。スポーツライターとして活躍した後、教育界へ転身。最近は、3年間の小学校教諭の経験などを生かし、子供たちが自己肯定感を育むことの大切さを伝える活動を続けている。大人が褒め、励ますことで、子供たちを育てていきたい-。この乙武さんの教育観の原点は、父の賢二さんのもとで育まれた。
賢二さんは大手建設会社に勤める建築家。おしゃれで、優しく、ユーモアにあふれる人だった。
バブル期の建設業界は多忙で、平日はあまり顔を合わせることはなかった。しかし、休みの日には、賢二さんは必ずといっていいほど乙武さんをいろんな所に連れ出した。
一緒に楽しく過ごした記憶は数え切れない。忙しい中でも授業参観日には必ず来校。夕方、父の会社で待ち合わせ、一緒に夕食を食べて帰ったこともあった。
「愛を伝えるのも上手な人でした。朝、起きれば『おはよう。今日も愛してるぜ』と必ず言ってくれた。母の誕生日には玄関先でバラの花束を抱えて待っていたこともありました」
小学5年生のとき、成績表の点数が下がってしまったときのことだ。それまでオール5で来ただけに傷心したが、会社から帰った賢二さんは通知表を閉じ、「おまえってすごいなあ。俺なんて『アヒル』ばっかりだったぞ」と一言。
「アヒルとは、『2』のこと(笑)。普通なら『何やってるんだ』とか『頑張れ』とか叱咤(しった)激励されるのでしょうが、父は僕の自尊心を傷つけないよう、あえて嘘をついた。逆に気をつかわせて悪いなあ、という気持ちになりました」
息子にたっぷりの愛情を注いできた賢二さんだが、心の底にさまざまな葛藤があったことを知ったのは乙武さんが20歳の頃。賢二さんから突然、告白された。
「実は、今までずっとお前にびびっていた。いつか『なぜ、こんな体に生んだんだ』と責められる日が来るんじゃないかと、ずっと思っていた」
「そんな葛藤を父は普段の行動からみじんも感じさせなかった。僕が重い障害を持ちながら卑屈になることなく周囲から『強い』と言われるのは、愛し、大切な存在だと実感させてくれた父や母のおかげ」
平成13年、賢二さんは病気で他界。乙武さんは結婚し、長男は今年4歳、次男は2歳になった。
「僕は普通のパパたちと違って物理的なお世話はしてあげられない。でも、毎日、息子たちに『今日も大好きだよ』と伝えています。僕の子育ての手本は、まさに父ですね」
教員時代も放課後、毎日のように保護者に電話をかけ、その日頑張ったことを「褒めてあげてください」という言葉と一緒に伝えていたという。
いじめや傷害、殺人など子供たちの暴走に、社会挙げての模索が続く中、乙武さんは言う。「一番大事なのは家庭。周囲の大人がいつも愛を伝えていくことで、子供たちを育てていけたらと思います」(清水麻子)
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≪メッセージ≫
あなたから、たくさんの愛を受け取りました。その感謝の気持ちが、今の活動の支えとなっています。
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【プロフィル】乙武賢二
おとたけ・けんじ 昭和16年、東京都出身。大学卒業後、大手建設会社に建築家として勤務。ホテルや別荘、ゴルフクラブハウス、住宅などを手掛ける。平成13年、60歳で死去。
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【プロフィル】乙武洋匡
おとたけ・ひろただ 昭和51年、東京都出身。早稲田大卒。スポーツライターなどを経て、平成19年に小学校教諭2種免許状取得。同年4月から22年4月まで東京都杉並区立杉並第四小学校に勤務。教育現場で得た経験を発信する傍ら、都認証保育所「まちの保育園 小竹向原」(練馬区)の運営に携わる。最新刊に『ありがとう3組』(講談社)。
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わかっていても感情に負けた。この親父さんと乙武さんのメッセージを見るにつけ私など反省しきりだ。