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抹殺されたがん治療法 

2022-12-31 20:16:19 | Weblog
抹殺されたがん治療法
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ウェブロイヤル・レイモンド・ライフは、機械系の技術者であった父ロイヤル・レイモンド・シニアと母アイダ・メイ・チェイニ-の次男として、 1888 年 5 月 16 日に米・ネブラスカ州で生まれました。母は、ライフが生まれて 8 ヶ月後に病気で他界しました。

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がんは光で簡単に殺すことができた

医療従事者でも、その名を知っている人は、少ないのではないでしょうか。 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士。これほど、医療において革命的な発明・発見をした人物はいないと言っても過言ではありません。ライフ博士の偉業を、誰にでもわかるように簡潔に言ってしまえば、 人々を苦しめる、あらゆる種類の病気を、完全に治療する方法を、約 80 年も前に見つけた人物です。 果たしてそんなことが可能でしょうか。とても信じられませんね。残念なことに、病気で死んでいく人は後を絶ちません。


ライフ博士の魅力的な治療が本物であるならば、先進治療として、スタンダードになっていいはずです。誰もが抱く疑問の答えは、医療の正史には決して出てこない、抹殺された天才の壮絶な人生が物語っています。隠され続けた発明と、ライフ博士の生涯を振り返ってみることにしましょう。


多くの専門分野を持つ科学者

ロイヤル・レイモンド・ライフは、機械系の技術者であった父ロイヤル・レイモンド・シニアと母アイダ・メイ・チェイニ-の次男として、 1888 年 5 月 16 日に米・ネブラスカ州で生まれました。母は、ライフが生まれて 8 ヶ月後に病気で他界しました。その後は、叔母のナイナが、 17 歳までのライフ少年を自分の子どものように育てました。


幼いころから様々なことに興味を持ち、多才で聡明だったライフは、医者になることを決意し、ジョンズ・ホプキンス大学に進学し、医学を勉強し始めました。次に細菌学に興味を持ったライフは、ハイデルブルグ大学で多くの菌類標本の写真の撮影に成功しました。その分野での多大な功績をたたえ、後の 1914 年には、同大学から寄生虫学の名誉博士号を授与されています。また、微生物の観察に関し、当時の顕微鏡の倍率の限界に不満を感じたライフ博士は、随一の技術を有する光学レンズ会社・ツァイス社で働き、光学レンズについての知識を深めました。


その後、ライフ博士は、病理学における微生物の生態研究を深めるためにカリフォルニアに移ります。そこで、知りあった東洋系アメリカ人女性メイニー・クインと知り合い恋に落ちます。当時の強い人種差別の風潮の中でも、ライフ博士は、彼女に対する思いを変えることはありませんでした。その想いを詩にして手紙に書き、二人は結ばれます。 1912 年に結婚し、子宝には恵まれませんでしたが、メイニーはライフ博士のよき伴侶であり続け、その結びつきは 1957 年にメイニーが亡くなるまで続きました。


ライフ博士は、専門分野をいくつも独学で身につけており、それまでの科学の枠にとらわれない答えを直感で探し当てることができる科学者でした。つまり、ひとりで各分野の科学者や技術者が集まったチームのように、知識や技術を自由に操ることができたのです。ゆえに、新たな目的のために新しい技術が必用とされるときに、ライフ博士はすべて自分で機械を発案し、設計していました。ライフ博士の数々の発明品の中には、ヘテロダイン・紫外線顕微鏡やミクロ解像管、極微操作装置などがあり、広範囲にわたる知識を有していたことがわかります。

ロイヤル・レイモンド・ライフ博士 ロイヤル・レイモンド・ライフ博士
(1888-1971)

ライフ夫妻 ライフ夫妻
驚異の顕微鏡「ユニバーサルマイクロスコープ」

1910 年代当時、がんやその他の病気の原因である病原菌の真の正体をとらえようと研究していたライフ博士は、当時の顕微鏡の性能に限界を感じていました。当時の顕微鏡の倍率の限界であった 2500 倍では、実際に病気を引き起こしているウイルスを見ることはできないと、自らの手でより優れた性能の顕微鏡の開発に乗り出します。


そして、 1920 年までにライフ博士は、ウイルスを見ることができる世界初の顕微鏡を完成させました。また、 1933 年には、約 6000 個の部品で作り上げた驚くほど複雑な装置である「ユニバーサル・マイクロスコープ」を完成させました。

これは、 60000 倍もの倍率を誇る顕微鏡です。 この驚異的な顕微鏡によって、 ライフ博士は生きたままウイルスを観察した世界初の人間となったのです。 60000 倍という拡大率は、今日の技術水準からしても、驚異的な数字といえます。


ちなみに、現代の電子顕微鏡を使用すると、その観察下で即座に全ての微生物は死んでしまいます。そのミイラ化した残骸か死骸が観察できるだけなのです。一方、ライフ博士の顕微鏡のもとでは、生きているウイルスが目まぐるしく動き回り、環境の変化によって形を変えたり、発がん性物質と反応して素早く複製したり、また正常な細胞をがん化させていく様子を観察することもできたのです。

極小の微生物を生きた状態で 観察できるのは、診断と治療という目的のためには、非常に重要なことでした。














ユニバーサルマイクロスコープライフ博士が設計したユニバーサルマイクロスコープ。1933年に製造されたこの3号機は、ウイルスを生きたまま観察できる機能を持っているものです。
博士の技術

ライフ博士は抜群の拡大率を持つ顕微鏡を作るだけでは、無色のウイルスを見るには不十分であることに気付きました。既存のアニリン染料で無色のウイルスを着色することはうまくできなかったのです。ウイルスは染料のコロイド粒子を吸収するには小さすぎたのでした。


そこで、 ライフ博士は、まずスリット分光器を使って、辛抱強く様々な病原菌、細菌のひとつひとつの分光学的特徴を特定しました。その後、石英ブロックのプリズムをゆっくりと回転させ、研究対象の微生物に特定の波長の光を当てます。この特定の波長は、現在では立証されている「すべての分子は固有の周波数で振動している」という事実に基づいて、分光学的特徴である固有の周波数と共鳴するものを選択したのです。

すべての分子を形作る原子は、エネルギーの共有結合をした分子構造の中で、その分子固有の電磁波周波数 を出したり、吸収したりしています。そして、同じ電磁波振動やエネルギー特性を持つ分子は二つとしてありません。ちょうど海で二つの波が重なると激しさが増すのと同じように、ある分子とその分子固有の周波数と同じ波長の光が重なると共振現象によって光が増幅され、強まるのです。


共振する特定の色の波長の光を微生物に当ててやると、それまで通常の白い光のもとでは見えなかったその微生物が 、その色の光に共振してあざやかにその姿を現します。ライフ博士はこのようにして、通常の光では見ることのできない微生物を見て、それが活発に細胞組織を侵食していく様子を観察できたのです。

このユニバーサル・マイ クロスコープを使ってライフ博士が見ることのできた微生物のうち 75 %は、紫外線を使ってのみ観察できるものでした。そして、紫外線は可視光線の波長の範囲外の光なので人間の肉眼でみることができません。そこで、ライフ博士は初期のラジオ放送ではよく用いられていたヘテロダイン(周波数を変換する技術)を使い、この問題を解決しました。


それはどのようにするかというと、まずそ の微生物に共振する紫外線の波長のうち、二種類の異なる波長の光を当てます。紫外線であるこれらの光は、重なり合うとお互いの波長を妨害しあい、それぞれの振動数を弱めます。このように二つの光の波が干渉しあい、お互いの波を弱め合い、打ち消しあうことによって、より長い波長の光が新しく生まれます。これは、可視光線の範囲の波長の光であるため、肉眼で見ることができるのです。このようにして、ライフ博士は、現代の電子顕微鏡でもまねのできないウイルスを生きたまま観察する技術を完成させたのです。












1929年11月3日付のサンディエゴ・ユニオン紙。トップ見出しで「地元の科学者が病原菌の驚きの世界を解明」として、ライフ博士と博士が映像に収めた菌類の顕微鏡写真を数点を掲載しています。 上部の連続写真は、ストロンギロイデス属の鉤虫が活動する様子をフィルムに収めたもので、その左下写真は破傷風菌(胞子の状態)を217,000倍に拡大した世界記録の映像であると注釈があります。1929年11月3日付のサンディエゴ・ユニオン紙。トップ見出しで「地元の科学者が病原菌の驚きの世界を解明」として、ライフ博士と博士が映像に収めた菌類の顕微鏡写真を数点を掲載しています。 上部の連続写真は、ストロンギロイデス属の鉤虫が活動する様子をフィルムに収めたもので、その左下写真は破傷風菌(胞子の状態)を217,000倍に拡大した世界記録の映像であると注釈があります。
(クリックで拡大します)
認められなかった偉大な功績

特筆すべきことに 、ライフ博士は、 なんと 1920 年にはヒトにがんを作るウイルスをすでに発見していました。 正常な細胞をがん化させる研究を 2 万回以上試みたのです。さらにこの微生物の培養液から 400 種類もの腫瘍を作りだすことにも成功しました。そして、これらの過程をすべてフィルムや写真に収め、その詳細にいたるまで記録に残し、このがんウイルスを「クリプトサイズ・プリモーディアルズ」と命名したのです。


ライフ博士は、 1930 年代当時の科学者には信じられないほどに進んだ境地に達していたため、理解できる人がいませんでした。そのため、多くの科学者は、米・サンディエゴにある博士の研究所を実際に訪れて、自分の目でその事実を確認したのです。


バージニア・リビングストン博士は、ニュージャージ 州からライフ博士の研究所のあるサンディエゴに引っ越して、頻繁にライフ博士の研究所を訪れました。彼女は、がんを引き起こす様々な細菌を特定した研究書を 1948 年から出版し始め、今ではその功績が讃えられる有名な科学者です。彼女は、後に研究書の中で、がんウイルスを“プロジェニター・クリプトサイズ”と新しく名付けています。しかし、ライフ博士の名前は、彼女の研究書の中には、一切記されていません。実際、このようにライフ博士の研究による大発見のほとんどが、ライフ博士の功績としては認められていないのです。















バージニア・リビングストン博士 バージニア・リビングストン博士

彼女の功績は、がんを引き起こすウイルスを特定し、発見したことで医学界で認められていますが、ライフ博士と交流していた事実は医学史において認められていません。
激しい論争

また、当時ライフ博士の顕微鏡でウイルスが様々に形を変化する様子を目撃した科学 者とそれを見たことのない科学者との間では、激しい論争が起きていました。当時、影響力のあったトーマス・リバーズ博士などは、何の調査をすることもなく、ウイルスの形態変化を否定します。リバーズ博士の顕微鏡では、これらのウイルスの形態変化は観察できなかったため、彼は、「このウイルスの形態変化説というものには論理的根拠がない」と論破したのです。



現代においても正統派の科学者たちは 、代替医療に関して、まったく同様の観点から評価して結論付けています。前例がないのなら、すべて否定するのです。 1930 年代の空の旅は、危険をともなう大変なことであったので、彼らのほとんどは、ライフ博士の研究所があるサンディエゴまでわざわざ足を運んで自分の眼で確認することなどしませんでした。それゆえに、 ウイルスのライフサイクル(生涯過程)は、実際にそれを観察したこともない人たちの手によって結論づけられ、科学的事実として確立されてしまったのです。



多くの科学者や医者たちも、暗視野顕微鏡を用いたライフ博士のがんウイルス発見と 、がんウイルスの多様に変化する性質の発見については、その功績を認めるところです。また、ライフ博士は、当時の最先端をいく科学者たちとも仕事をしていました。



名前を挙げると、大手の非営利医療機関であるメイヨー・クリニック所長を長年務めたE.C.ローズナウ博士、ノースウェスタン・メディカル・スクール理事長アーサー・ケンダル博士、世界的に有名なジョージ・ドック博士、高名な病理学者であるアルビン・フード博士、南カリフォルニア大学学長のルーファス・クレイン・シュミット博士、パラダイスバレー療養所・監督責任者R.T.ヘイマー博士、米国医師会・南カリフォルニア支部長ミルバンク・ジョンソン博士など、その他にも大勢います。



そのような論争の中でライフ博士は、一切その騒ぎにかかわることなく、ただこの小さな殺人者・ウイルスを破壊する方法をより洗練されたものに仕上げていく研究に没頭し ました。ライフ博士は、その姿を視覚化させるのに用いた技術と同じ共振・共鳴の原理を用いてウイルスを破壊することに応用したのです。

アーサー・ケンダル博士 アーサー・ケンダル博士
彼は、微生物が生きたままその中で観察できる培養液( K-medium) を開発し、ライフ博士の研究に協力しました。

ミルバンク・ジョンソン博士
ミルバンク・ジョンソン博士
1929年のサンディエゴ・ユニオン紙を見て驚いた友人のアーサー・ケンダル博士から依頼されライフ博士の研究所を訪問、その後、ライフ博士の治療器をがん治療に用いる研究を共にしました。

1931年11月20日にミルバンク・ジョンソン博士が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の功績を讃えるために催した晩餐会。当時のアメリカのトップの医学博士44名が、「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」二人を讃えるために集まりました。一番奥に立っている白いスーツの人が、ジョンソン博士、右がケンダル博士、左がライフ博士。
1931年11月20日にミルバンク・ジョンソン博士が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の功績を讃えるために催した晩餐会。当時のアメリカのトップの医学博士44名が、「ウイルスを培養し、生きたまま観察できることに成功した」二人を讃えるために集まりました。一番奥に立っている白いスーツの人が、ジョンソン博士、右がケンダル博士、左がライフ博士。
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1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙。大見出しで「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」とあり、小見出しには「医学界への福音」とあります。またその右には、「ライフ博士、18年間の苦労の末のがん退治」とあります。
1938年5月6日付のイブニング・トリビューン紙。大見出しで「サンディエゴ在住の科学者、恐怖の病原菌は光で破壊できると宣言」とあり、小見出しには「医学界への福音」とあります。またその右には、「ライフ博士、18年間の苦労の末のがん退治」とあります。
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ウイルスを破壊する技術

ライフ博士は、 すべての物質と同様に、目には見えないレベルでウイルスもそれ独自の振動数で、振動していることに着目しました。そして、そのウイルスと共振する周波数の光を照射して、ウイルスをさらに振動させました。 微生物がその構造的な形を維持するのに耐えきれなくなるまで照射レベルをさらに上げてやると、ウイルスの形は歪み、崩壊してしまうのです。 ライフ博士は、この周波数を「致死反応振動数(MOR)」とよびました。そして、 この「致死反応振動数(MOR)」の光は、ウイルス以外の周りの正常な細胞には、いっさい害を与えないのです。


また、 電気を使用した治療法なので、実質的にわずかな電気代しかかからないため、治療費もたいへん安いものでした。脱毛などの副作用に苦しんだりすることもなく、患者は、すみやかに治療されて、無事に家族の元にもどれるのです。抗がん剤を用いた化学療法や放射線療法や外科手術のように命を危険にさらす必要もありません。


この治療法の仕組みは、ワイングラスをある特定の音波で、破壊できることに似ています。目には見えませんが、ワイングラスの分子は、すでにいつも特有の音(その音波のいくつかの高調波と同じ振動数)で振動しています。その音と共鳴しているのです。全てのものは、その物質個有の振動数で振動しているので、その音波で破壊されるのは、そのワイングラスだけです。まさにありとあらゆる全てものは、他とは異なるそれ固有の共鳴振動数を有しており、それこそありとあらゆる周波数が存在しているのです。


この技術を完成させるのにライフ博士は、ヘルペスや小児麻痺、脊髄膜炎、破傷風、インフルエンザなどを含む数多くの危険なウイルスなどの病原菌を破壊する特定の周波数を発見するために一度に丸二日( 48 時間)通しで働くという生活を長年行っていました。


著名な博士たちとの共同研究

1929 年、「ライフ博士が開発した顕微鏡でウイルスの生態の観察に成功した」という新聞記事が出ると、アーサー・ケンダル博士が友人のミルバンク・ジョンソン博士にライフ研究所を訪問して、本当か確認してくるよう依頼しました。依頼の通り研究所を訪問した、ミルバンク・ジョンソン博士は、ライフ博士の先進的な研究に興味を持ち、協力者となりました。また、アーサー・ケンダル博士も、ウイルスを培養して、生きたまま観察できる培養液(K- medium) を開発し、ライフ博士と共同研究をはじめました。


そして、 1931 年 11 月 20 日には、ミルバンク・ジョンソン博士による晩餐会が催され、米国内で最も尊敬される医学界の権威である 44 人が、ライフ博士とアーサー・ケンダル博士の共同研究の功績を祝いました。


1934 年、南カリフォルニア大学は、特別医療研究委員会を設立して、ミルバンク・ジョンソン博士のパサデナ郡立病院の末期がん患者を対象にライフ博士の研究所でがん治療実験を実施しました。その研究チームには医者や病理学者が加わり、患者の診察を行いました。 3 カ月の診療の後、委員会は 86.5 %の末期がん患者が完全に治癒したと報告したのです。さらに治療は継続され、残りの 13.5 %の患者も 4 週間後にはこの治療によって完治してしまいました。ライフ博士の技術による治癒率は何と 100 %だったのです。 現代の最先端治療でさえ、がんの平均治癒率は、 15 ~ 30 %と言われていますから、この数値が、どれほど驚くべきものかおわかりになるでしょう。


しかし、驚いたことに 1939 年までには、晩餐会にまつわる医者や科学者のすべてが、ライフ博士という人物に会ったことなど一度もないと証言する事態にいたります。ともに、研究をしたアーサー・ケンダル博士や、よき協力者であったミルバンク・ジョンソン博士も例外ではありませんでした。いったい何があったというのでしょう。


悲劇のはじまり

悲劇の兆候は、まずライフ博士を買収することから始まりました。 1934 年 には、米国医師会の株式をすべて所有していたモーリス・フィッシュベイン氏が、弁護士をよこして、ライフ博士の治療法の独占権を渡すよう要求しました。しかし、ライフ博士は、それを断ったのです。


フィッシュベイン氏は 、過去にも、がんの薬草治療を開発したハリー・ホークシー博士を押さえこむために、圧力をかけたことがあります。

フィッシュベイン氏は、強力な政治的影響力を行使して、 16 カ月の間にホークシー博士を 125 回も逮捕させたのです。

全ての罪状は、無免許での医療行為であり、裁判では訴追を免れ ましたが、この度重なる嫌がらせのおかげで、ホークシーは精神的に追い詰められました。フィッシュベイン氏は、アメリカ医学協会の会長であり、アメリカ医学協会誌の主任編集員でもありながら、生涯一度も患者を診たことがありませんでした。彼は命を救うことよりも、金銭と権力への飽くなき欲望に意欲をもやす人物でした。


フィッシュベイン氏は、ライフ博士に対して同様の作戦を用いることは裏目に出ると考えたため、ライフ博士は、ホークシー博士のように無免許での医療行為と称して逮捕されませんでした。というのは、もしそのように疑惑をねつ造して、逮捕させてから裁判に持ち込んでも、ライフ博士と研究をともにしていた著名な医療関係者たちが博士を弁護する証言台に立つことになります。そうなると、当然、弁護側は、 1934 年のパサデナ郡立病院での臨床試験を持ち出してきます。 医薬品業界が一番恐れているのは、この痛みも費用もかからずに末期がんを 100 %完治させてしまう治療法の存在が明るみに出てしまうことなのです。


それに付け加え、ライフ博士は長年の研究内容の全てを詳細にいたり、フィルムや写真に収めています。これ以上の明確な証拠はありません。


だから、まったく別の方法 で潰されたのです。まず、ライフ博士の研究所からフィルムや写真や研究書類の多くが盗まれました。しかし、容疑者が逮捕されることはありませんでした。そして、ライフ博士の研究を立証するため、何億円もかけて設立されたニュージャージー州のバーネット研究所が放火されたのです。


これによって 、ライフ博士も窮地に立たされました。というのは、コンピューターがなかった時代にこれらのデータを復元することは大変なことだからです。さらに、ライフ博士の貴重な顕微鏡は何者かによって、破壊され、 5682 もの部品が盗まれました。そして、最後にとどめを刺したのは、警察による令状なしの捜索と違法な没収です。これにより、 50 年に渡るライフ博士の研究の残骸もすべて処分されてしまったのです。

モーリス・フィッシュベイン
モーリス・フィッシュベイン氏
AMA(米国医師会)の理事長である彼は、医療業界にとって不利益になる数々の治療法を弾圧してきました。
徹底的な圧力と破滅

1939 年には、製薬産業を牛耳る一族の代理人は、元ビームレイ・コーポレーション社員の、フィリップ・ホイランド氏を援助して、ビームレイ・コーポレーション社のライフ博士のパートナーを相手取って根拠のない訴訟を起こさせました。このビームレイ・コーポレーション社が博士の治療器を製造していた唯一の会社でした。ホイランド氏は、敗訴しましたが、この訴訟を起こすことによって、ビームレイ・コーポレーション社に莫大な訴訟費用の負担をかけ、倒産に追い込みました。


当時、世界恐慌の時代 のさなか、この会社が倒産することは、ライフ博士の治
療器が商業的に生産される道が、完全に閉ざされてしまうことを意味していたの
です。


同時に、ライフ博士を擁護した医者たちもすべて、研究費の支給が打ち切られ、職場を追われることになりました。

一方、ライフ博士の治療法について知りながらも、そ れについて口を固く閉ざした者には、多大な資金的援助があてがわれました。博士の研究を抹殺するには、いっさいお金に糸目をつけなかったのです。なぜかといえば、日本を例にすると、がんの先進医療に対し、一人当たり平均して、約 300 万円(自己負担金額)も費用がかかります。つまり、膨大な利益を生む一大産業なのです。


このような事情から、当時、ライフ博士とがんウイルスの研究を共にしたノースウェスタン・メディカル・スクール理事長のアーサー・ケンダル博士などは、当時では破格の 2500 万円もの恩給を受け取り、さっさと引退してメキシコに引っ越してしまったし、また別の高名な医学博士で、ライフ博士と共同研究したにもかかわらず、固く口を閉ざしたジョージ・ドック博士なども莫大な恩給を受け取り、米国医師会から最高の栄誉ある地位を授与されています。


関係者のすべてが、アメとムチで釣られていく中で、クーチェ博士とミルバンク・ジョンソン博士だけは、ライフ博士の研究を続行することを断念し、もとの処方薬を用いた医療の世界に戻っていきました。


また、製薬企業からの資金で出版され、米国医師会によって牛耳られている医学雑誌は、 ライフ博士の治療について、どんな形であれ掲載することを禁じています。そのため、医学生は大学で勉強中も就職後も、ライフ博士の医学上の大発見について全く知る機会もないのです。


ライフ博士の生きた時代は、まさに文明が急 速に進化していった時です。馬から自動車、そして、飛行機へと。ライフ博士は、 1905 年にアメリカ人の 24 人に 1 人が、がんにかかっていた時代から、亡くなる 1971 年には、それが 3 人に 1 人の割合まで急速に増えていく様をみつめていたのでした。


ライフ博士はまた、 米国がん協会やソーク・ファウンデーションなどその他の多くの医療組織が、彼がサンディエゴの研究所でとうの昔にすでに解決してしまった病気の治療のために、数百億円もの資金を調達し、その後急速に大成長を遂げていった様子もすべて知っていました。 ある時期には、 176,500 種類ものがん治療薬が医薬品として認可されるために検査を受けていたこともあります。これらの中には、わずか 0.17 %でも好ましい結果が得られただけで医薬品として認可されたものもあります。また、致死率が 14 ~ 17 %もあるもので認可されたものもあるのです。


この結果、がんでなく医薬品によって死亡した ケースにおいても、診断書には「完了」とか「部分的緩和」と書かれます。なぜなら、患者は実際がんによって死んではいないからです。事実、 医学界におけるがん治療において重要とされているのは、患者ががんで亡くなる前に薬の作用で殺して、それでがんに勝ったことにしてしまうことなのです。

結論として、ライフ博士の生涯をかけた研究と大発見は無視され、潰されただけでなく、おそらくは、ライフ博士とともに埋もれてしまったものと思われます。ライフ博士の最後の 3 分の 1 の人生は、アルコールに溺れたものでありました。無駄になった 50 年の研究生活からくる精神的な痛み、またすべてを鋭敏に知覚できる意識は、膨大な利益を手にする少数の既得権益者たちの傍らで、無為に苦しむ何百万もの人々を、酒の力なしで、忘れることはできなかったのでしょう。


1971 年、ライフ博士は、バリウム(精神安定剤)とアルコールの過剰摂取により帰らぬ人となりました。 83 歳でした。ライフ博士は、自身の発明した治療器の特殊な光の照射を浴び続けていたため、アルコールの乱用にもかかわらず、これほど長生きできたといわれています。

ビームレイ社の周波数治療器
ビームレイ社の周波数治療器
左がライフ博士、右側で共振周波数を発するアルゴンガス管を指さしているのは、ホイランド氏。ホイランド氏は同社において、周波数治療器の製造と改良を担当しました。後にAMA(米国医師会)の支援を受け、同社を相手取って長引く訴訟を起こし、ライフ博士を疲弊させました。

The Cure That Worked
バリー・ラインズ著の「The Cure That Worked」(成功したがん治療)

この本には、ライフ博士が発明したがん治療とそれを製薬業界・医学界が抹殺し、50年に渡り隠蔽してきた歴史が詳細に書かれてあります。
現在のライフ治療器

幸いにも、彼の死とともに彼の電子工学的治療が完全に終わりを告げたのではなく、少数ではありますが、良心的な人道主義の医師や技術者が、ライフ博士の治療器を再現させています。また、 1986 年には、バリー・ラインズが記した「 The Cancer Cure That Worked (成功したがん治療)」によって、世に知られることになりました。


そして、現在では様々なデザ インや価格でライフ博士の周波数治療器と称する機器が出回っていますが、それがすべてライフ博士の治療と同じ効果を示すかは、わかりません。というのは、ライフ博士の名前を出している治療器のほとんどが、オリジナルのものと、まったく別の構造をしているからです。あの驚異の治癒率とは、ユニバーサル・マイクロスコープと、ライフ博士の日々の研究の賜物で、はじめて成せる技なのです。単なる商用目的で、ライフ博士の名前が使用されているため、一般の誤解を生むことにもなっています。


もちろん、このように革新的治療法がはたして実際に存在するのか否かを最終的に判断するには、自分で試してみるしかありません。なぜなら医薬品やもろもろの医療行為の研究結果が載せてある公的な医療関係の資料の多くは、すべて粉飾された「二重盲検法」によるものばかりで、その研究は、あらかじめ出資企業の望む結果を出すように仕組まれているのです。それは、 THINKER 内の健康・医療に関する他のトピックスをご一読いただければ、よくわかると思います。


ただひとついえることは、徹底的に圧力をかけてきた歴史、事実があるということです。何の役にもたたない発明には、そんな仕打ちをする必要はないのです。


ライフ博士の周波数治療 は、現在においても、正式な医療としては、禁止されています。その背景には、もしかすると、助かるかもしれない多くの命があることを忘れてはいけません。ライフ博士を抹殺することで、医療業界の既得権益者にとっては、安泰の日々かもしれませんが、人類が失ったものは、あまりにも大きいのです。



参考資料:引用文献


RENSE.COM

http://www.rense.com/


RIFE RESONATORS

http://www.riferesonator.com/main.html?src=%2F


RIFE VIDEOS.COM

http://www.rifevideos.com.


Educate-Yourself

http://educate-yourself.org/cancer/rifelinks.shtml



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ケムトレイルの日本の現状と対策について

2022-12-31 20:10:25 | Weblog


https://ipip.awakening-wave.info/chemtrail-japan/

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ケムトレイルの日本の現状と対策について
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2019.05.06 2018.08.23
この記事の目次 [hide]

1 なぜケムトレイルが散布されるのか
1.1 利権とお金の流れ
2 日本の状況と対策について
2.1 日本の状況
2.2 どうやって対策するのか
3 まとめ
3.1 調査方法
世界中で問題となっているケムトレイル(chemtrail)ですが、既に海外ではテレビ番組までもが取り上げていて、一般の人も存在や言葉も理解し始めている状況ですが日本ではあまりまだ知られていません。

有害な化学物質や細菌(ウイルス)などを散布しているとの情報があるわけなので、海外では一般市民が止めさせようと運動を起こすのは当然です。

ただ日本では情報統制と情報規制でケムトレイル(chemtrail)の言葉自体が表に出にくい状況です。

日本ではしっかりと情報をまとめて共有して対策していく必要があります。

根が深い問題でなぜこんな事が行なわれているのかなども理解する必要があります。

なぜケムトレイルが散布されるのか
ケムトレイルについて最初に提言しはじめたのはエイミー・ワージントンさんという方で、ケムトレイルにはアスベスト、バリウム塩、アルミニウム、放射性トリウムなどを含む有毒金属が含まれていると公表されています。(日本語wikiを参照)ケムトレイルは気象操作にも関係しているので、いくつかの視点を持って考える必要があります。

エイミー・ワージントンさんの提言は下記サイトで確認できます。


https://archives.globalresearch.ca/articles/WOR406A.html

archives.globalresearch.ca
その後、世界中で調査が進み、内部告発なども含めて表にもある程度の情報が出てきています。

一番根本にあるのは人類削減計画(人口削減計画)です。

イルミナティという組織が計画して実行しているのですが、既に海外でもその組織名が内部告発者や調査した人によって明るみに出ています。

支配者層の人間は一定の管理しやすい人数まで人口を減らしたいようです。

そして残すべき人種についてもある程度決めているようです。

生まれながらの既得権益がそういう思想を生み出すのか、組織を作った家系の血筋の教育思想が成すのかは不明ですが非常に危険な組織に世界が支配されているといえるわけです。


そして戦争利権、金融利権、医療利権、石油利権など様々な利権が絡んできます。海外の政府の上層部とマスコミは既にその支配下にあるわけです。

日本のマスコミも同様で、日本政府は腐敗した政治家と汚染官僚が自分達の利権を確保するために国民の命と財産を叩き売っている売国奴なわけです。

明治維新あたりから既に日本はロスチャイルド家やロックフェラー家のお金によって動かされてきたともいえるわけです。

ケムトレイルはその後、有毒金属の他にも細菌(ウイルス)なども含まれているとの情報が海外では出てきています。

製薬会社のワクチンを開発して売るために細菌(ウイルス)を散布しているようです。

ちなみに少し業界が変わりますが、ベンジャミン・フルフォードさんが記者をやっている時にパソコンのウイルス対策会社がウイルスを作れる人にウイルス作成を依頼していたというのが取材した結果わかったという事で、警察と反社会勢力の繋がりと同じような感じの事はどこにでもあるという事です。


ウイルス対策会社がウイルスを作れる人にウイルス作成を依頼していた事件の報道はもみ消されて世の中には出なかったらしいですが、今も昔も世の中は本当に無茶苦茶ですね。

利権とお金の流れ
エイミー・ワージントンさんの提言ではケムトレイルには有毒金属が含まれていると公表されたわけです。

これは増えすぎた世界人口を減らしたいとするイルミナティの人類削減計画(人口削減計画)にぴったりとあてはまります。

危険な発がん性物質も含まれているので、医療利権にもつながります。

日本で医療費が増え続けている理由であったり、リスクしかないともいわれている抗がん剤が日本でのみ多く使われ続けているのも、癌(ガン)による死亡者数が欧米と比べて日本のみ増え続けているのも全て一つに繋がっているという事です。

癌(ガン)の治療に関してはロイヤル・レイモンド・ライフ博士という素晴らしい研究者が末期ガンすら治せる治療法を確立していたのにも関わらず医療利権を失いたくない連中に悪質な方法で研究を潰されました。

小保方晴子さんのSTAP細胞捏造疑惑であれだけマスコミが騒いでいたのや、笹井芳樹さんが不審死で命を奪われたのは歴史が未だに繰り返している証明です。

マスコミが支配されている例は顕著に現れます。

2018年8月10日に米カリフォルニア州在住で末期がんと診断されている男性が、がんになったのは農薬大手モンサント(Monsanto)の除草剤「ラウンドアップ(Roundup)」のせいだと同社を提訴した裁判で、陪審は10日、モンサントに約2億9000万ドル(約320億円)の支払いを命じる評決がでているので海外メディアはそれを報道しています。

陪審は全員一致でモンサントの行動には「悪意があり」、除草剤「ラウンドアップ」とその業務用製品「レンジャープロ(RangerPro)」が、原告のドウェイン・ジョンソン(Dewayne Johnson)さんの末期がんの「実質的」な原因だったと結論付けています。

これを日本のメディアは全く報じません。

除草剤が海外で売れなくなったら、海外で使えなくなった抗がん剤同様に、日本で売って在庫を処理させようとしているのかもしれません。

これが日本で行なわれている事で、腐敗した政治家と汚染官僚は見てみぬフリです。マスコミは情報統制と情報規制で支配されているので当然ですがだんまりです。

ケムトレイルに関してもこういった流れの一部であると考察すると今までよくわからなかった事や、おかしいと疑問に感じる事が全て一つにつながってくるはずです。

日本の状況と対策について
世界中でケムトレイルについて一般市民が立ち上がって理解を深め対策を始めています。

日本でケムトレイルが散布されているのかというと、ネットで報告している人の情報を集める限りでは日本でもあからさまに散布されているようです。

ケムトレイルは日本では情報統制と情報規制されているとはいえ、海外では既に一般市民に必要な情報はかなり出てきているわけです。

ここで日本人が英語が出来ない問題が致命的となるわけです。

私も英語はダメで必要な時にはネットの翻訳ソフトを使うわけですが、これでは効率も悪いですし、正しい情報が得れているかの保障がかなり低くなります。

ネイティブ並みの英語力がやはり必要になり、海外に知り合いがいるレベルの人が調査や対策に加わる必要性があるわけです。

まずは日本のケムトレイル(chemtrail)の状況を調べてまとめて対策を考えていく必要があります。

ワールドフォーラムでジェイ・エピセンターさんがケムトレイルについて講義をされています。


日本の状況
日本でもケムトレイル(chemtrail)が散布されているのは目撃情報などから間違いない事だと思います。

アメリカのトランプ大統領が改装されたボーイング767を視察してケムトレイルを止めさせる署名をしたネットニュースが流れていたのが2017年の6月です。

これ以降アメリカでケムトレイルがどうなったかを情報収集する必要があります。

そして日本の状況がどうなっているのかというのも確認が必要となります。

もう日本で無くなっていれば問題ないですが、私は関西方面に住んでいますが2018年8月にケムトレイルを調べだして空を見たら怪しい飛行機雲を見かけました。

このあたりの事を全国で写真を撮りながら調査して現状を把握していく必要があります。

どうやって対策するのか
2018年8月の今現在も日本でケムトレイルが散布され続けている場合は日本国民として対策する必要があります。

まずはいつ誰が散布しているのかを突き止める必要があるわけです。

一般市民の方が航空局などに飛行記録などを問い合わせたりされている勇気のあって行動力のある人などもいて、ネットの情報を見る限り怪しげな不明機から散布されているようです。

ケムトレイル散布機が飛び立つ空港と着陸する空港を突き止める必要があります。

例えば上空を飛んでいる飛行機の写真を超望遠で撮影できる機材も全国各地で必要になってくるわけです。

有志のカンパを集める方法もありますし、誰かが音頭をとってクラウドファウンディングで集める方法もあります。

杞憂に終わるなんて事はありえないと思いますが、杞憂なら例え時間とお金が無駄になろうともこの問題に取り組んだ人達の気持ちとして問題はないと思います。

調査時間帯の事を考えると、専業主婦や学生、自営業の人の時間を少しずつ捻出してもらえればとは思うわけです。

もちろんサラリーマンの人も休日と昼休みだけは空を見上げる事は可能です。

学生の人は英語の勉強が必要だと思う人も出てくるはずです。

人が覚醒し変わるのは一瞬の人もいるわけです。英語が必要とわかれば放棄していた授業を必死に学びだす学生の人も心を持った本物の日本人であれば絶対に出てくると私は信じています。

若ければ時間的なアドバンテージ、学ぶ事に対する吸収力などいろいろと有利な事はあるわけです。

日本ではジェイ・エピセンターさんという方がケムトレイルについて詳しそうですが、誰かがリーダーシップを発揮してまとめてもらう必要があります。

SNSのコミュニティなどから始めるのも1つの方法です。

私個人としてはケムトレイルの問題はIプランとIプロジェクトの先にあるJプラントとJプロジェクトの内容なので、少し優先度が低くなります。

それでもなぜこの記事を北朝鮮の拉致問題に関係する記事より先に時間を使って作ったかというと、この問題がかなり重い問題でいち早く解決させる必要があると思ったからです。

今のところ私も問題提起の部分までしか出来てませんが、行動できる人は行動を始めてください。

それと注意しないといけないのが、ケムトレイルが日本でも実際に深刻な問題である場合は隠蔽しようとする工作員や調査を妨害しようとする工作員が必ず出てくるという事です。

まとめ
今の日本は実は八方塞がりな状況で国民の財産と命が奪われ続けています。

格差社会が広がる事によって売国奴の腐敗した政治家や汚染官僚、経済界の上層部、政治家や官僚とつるんでいる下部組織の反社会勢力だけは潤っています。

もちろん世界の闇の権力、すなわちディープ・ステート(フリーメイソンやイルミティ)の支配下にあり手先でもあるなんちゃって日本人(なりすまし日本人)が支配し、本物の日本人をおとしめる洗脳集金ビジネスの芸能界もウハウハ状態は続いています。

芸能界は薬物汚染され反社会勢力と深い関係のあるおぞましい業界です。

利用されて甘い汁を吸っている人間もケムトレイルでは死んでいくでしょう。

売国奴の日本人やなんちゃって日本人(なりすまし日本人や外国人)の工作員たちはそれが本望でやっているので別にいいのでしょうが、何も知らずに病気にされて効果のない医療を受けさせられてお金を奪い取られている人達を助けたいと思うのがまっとうに生きている人のあり方かと思います。

女性は強いので抗がん剤にも必死に耐えて病気を治そうとするらしいですが、そんな話は聞くに耐えれないわけです。

知らないのは罪だというもっともな理論というか理屈もあるわけですが、やはりそうはいってられない部分もあるわけです。

ケムトレイルに関しては現状の日本でどうなっているのかというのを調べるのが先決です。

空を見て今の日本各地がどうなっているのかを確認するところから始める必要があるので、大学生や中高生であっても協力できる人には協力してもらった方がいいのかもしれません。

私が学生の頃は無知だったので無駄な時間を過ごし何もしてなかったので申し訳ない気持ちもあるわけですが、この状況が続くと日本の未来はないかと思います。

ケムトレイルは環境にも影響を与えている可能性を私は考え出しています。

⇒ ナラ枯れの原因や発生メカニズムはケムトレイルではないのか?

調査方法
日本の制空権は在日米軍が握っているエリアがあって、闇に包まれたエリアに関してはやりたい放題です。

日航機墜落事故で日本航空123便が墜落した原因が撃墜だったという説があるのもこういった事が関係している可能性もあります。

在日米軍や自衛隊が軍用機でケムトレイルを散布していると調査は難しいわけですが、民間機の場合は調べる手がかりがある事がわかりました。

既に有志の人が民間機の特定を始めてくれているようです。

Flightradar24(フライトレーダー24)というウェブサイトならびにスマートフォン・タブレット向けアプリケーションがあります。

日本語のwikiを参考にしてください。アプリは英語なので使い方を理解するまで少し試行錯誤がいるかもしれません。


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【宇宙誕生】ビッグバンの前に何が起こったのか?

2022-12-28 22:23:23 | Weblog
【宇宙誕生】ビッグバンの前に何が起こったのか?
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愛遥かに

2022-12-28 22:15:49 | Weblog
愛遥かに
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江沢民 反日 理由

2022-12-18 18:05:44 | Weblog
江沢民
江沢民
1989年から2002年の中国共産党書記長
引用
スピーチ
実績
経歴
中国の言い分では、反日教育ではなく愛国主義教育を施した、ということになる。 が、日本を敵国として青少年に反日を植え付け、愛国者に育てようとしているわけで、中身は同じことだ。 この方針を決定したのが江沢民主席で、1994年9月に「愛国主義教育実施綱要」を発表した。 これにより、幼稚園から大学まで全教育課程で徹底した反日教育が始まり、「日本の軍国主義による犠牲者3500万人」や「南京大虐殺30万人」といった嘘を刷り込んだ。


https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693



「江沢民こそ生きた歴史の証言者」なんです。少なくとも、日本軍による「南京大虐殺」があったのなら、江沢民の父が日本軍に協力するのは不自然。おまけに、「南京大虐殺」があったのなら、江沢民が、「南京中央大学日本語専攻」に入学するのもありえないんです。中国共産党や中国政府は江沢民に聞けばいいんです。彼こそが「歴史の目撃者」なんですから。


https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693

https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693

引用しました

 私が お願いしたいのは、私のような一介のブロガーではなく、それこそ学識と権威のある日本人が「日本人の名誉を守る」立場で「中国のウソ」をあばくことなんです。一般の戦闘行為が「大虐殺」ならば、それこそ全ての戦闘行為は大虐殺になります。日本軍が中国にいたことをもって「中国侵略」というのなら、当時の中国には西洋列強の租借地は数多くあったという事実にも目を向けるべきでしょう。歴史は一面で判断すべきではありません。私はそう思っています。 By なでしこりん

 今、日本の名誉を守らなければ、罪をかぶるのは日本の子供たちです。
 心ある日本人は、どうか日本の子供たちの未来のために戦ってください!

https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693

https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693






日本が支那に行ったODAおよび民間の膨大な経済援助は、

まったく忘れているらしい。



また戦前の支那の死者の過半は、

国民党政府の無策や清野作戦などによる餓死者や水死者などであることは、

ちょっと調べればわかることではないか!



満州事変も、国際連盟のリットン調査団報告書によると、

「当時の満州が支那の領土であることを認めつつも、

実際には、支那政府の勢力の及ばない地方軍閥が跋扈する土地であり、

日本もたくさんの利権を持っているので、

その意味で、日本政府が、間接的に支配すること」

は認めている。

また国際的にも満州国は当時、20カ国に承認されている








江沢民、中国に「反日教育」深く浸透させた男 - JBpress





2022/12/5 -中国の江沢民元国家主席が11月30日に死去した。96歳だった。 江沢民は揮毫好きで知られた。中国本土を回れば、至るところで「江澤民」の名前の入った ...


https://www.yomiuri.co.jp>ニュース>政治
江沢民氏が「反日デモに大きな影響」「関係悪化招いた側面 ...

2022/12/1 -江氏は反日教育を推進し、反日宣伝政策もとり続けた。日本政府内からは、「反日教育は、中国での反日デモに大きな影響を与えた。江氏が両国関係の悪化 ...



2022/12/2 -江氏は中国の国内でも反日教育を進め、各地に日本軍の残虐行為を宣伝する展示を建設した。 私はその江沢民氏が国家主席を務めて、反日政策を推進した1998 ...


https://shinshomap.info>book
中国はなぜ「反日」になったか - 新書マップ

中国が「反日」姿勢を鮮明にしたのは、たかだか十数年、江沢民が実権を握ってからに過ぎない—。 一九七二年の国交回復以来、親愛と憎悪の間を大きく揺れ動いてきた日本 ...


https://www.amazon.co.jp>「反日」で生きのびる中国-江沢民の戦争-鳥居...
「反日」で生きのびる中国 -江沢民の戦争 | 鳥居 民 |本 - アマゾン

評価:4.6
-
11件のレビュー

さて、本書では中国がなぜこれほどまでに日本を憎み、敵視するのか、その理由が検証されている。これまで漠然と、

「国内問題から目をそらさせるために、日本を敵視している ...

「国内問題から目をそらさせるために、日本を敵視している ...


https://www.chinawork.co.jp>e-sasaki>sasaki-20
その20 なぜ中国に反日デモが起きたのか

江沢民元主席の非 江沢民は立派な政治家だと思う。 資本主義経済を運営する共産党の地位を守るため、 「3つの代表」論を説き、共産党を「全民党」に変えている。


https://www.nikkei.com>国際>中国・台湾
江沢民氏、反日・愛国主義に傾斜 国民感情悪化招く
2022/11/30 -【北京=羽田野主】江沢民(ジアン・ズォーミン)氏は対日政策で歴史認識をからめて強硬姿勢を崩さなかった。1991年のソ連崩壊に危機感を感じた江氏 ...

未指定:理由


https://ja.wikipedia.org>wiki>江沢民
江沢民 - Wikipedia

江 沢民(こう たくみん、簡体字: 江泽民、繁体字: 江澤民、拼音: Jiāng Zémín、チャン・ツェーミン、1926年8月17日 - 2022年11月30日)は、中華人民共和国の政治家。


https://agora-web.jp>科学・文化>歴史
江沢民は親日派の出自がゆえに反日に走った? - アゴラ

2022/12/7 -中国の江沢民元国家主席が亡くなった。 ... これは、先に書いた出自がゆえに親日派と批判されることを避けたかったのも理由かもしれない。


https://www.kinokuniya.co.jp>dsg-01-9784166603190
文春新書 中国はなぜ「反日」になったか - 紀伊國屋書店

中国が「反日」姿勢を鮮明にしたのは、たかだか十数年、江沢民が実権を握ってからに過ぎない―。一九七二年の国交回復以来、親愛と憎悪の間を大きく揺れ動いてきた日本 ...


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江沢民 反日 理由に関するQ&A(16件)
Q.江沢民が筋金入りの超反日な理由はなぜですか?
A.江沢民自身は革命世代ではなく、いわゆるテクノクラートでした。つまり、政治的な思想などはあまり重要視していなかったのではないかと思えます。 出自が漢奸の息子である事や、汪兆銘政府の南京中央大だった事

解決済み-回答:3件-2011/10/25

Q.天安門事件と反日と江沢民 江沢民から反日教育及び政策を始めたと言われてますが この理由って天安門事件で共産党の一党独裁が脅かされ始めたから一党独裁 を維持する為に行われたんでしょうか? ちなみに...
A.貴方の意見にほぼ賛同します。 共産党員8000万人解放軍250万人 これら以外の中国人は 共産党の奴隷みたいなもんでしょう。

解決済み-回答:1件-2017/2/13

Q.中国が反日になった理由は、やはり江沢民の影響が大きいですか??
A.そうですね。中国国内の権力闘争のネタとして始まったんだと思います。

解決済み-回答:2件-2012/11/12

http://nadesikorin0719.blogspot.jp/2015/10/blog-post_45.html

驚愕の事実!江世俊・江沢民親子は実は大の「日本信奉者」だった?
   日本政府は官民で総力をあげて「中国のウソ」を論破すべきです!

 なでしこりんです。教育の力とは恐ろしいもので、ただの売春婦を「かわいそうなおばあさん」という「ウソ」に変えることも可能です。韓国における歴史教科書の再国定化は、この流れを強化し、韓国人の中にすでにある日本人憎悪をさらに拡大させることになるでしょう。憎悪殺人の予備軍が、日本の近くに5000万人もいることにあなたは気づいていますか?

 中国の反日教育 の元祖は、実は「江沢民」。 おもしろいことに、中国では国父扱いされている毛沢東は、周恩来の補佐もあり、それほど露骨な反日政策は執っていません。「中国の現在の反日教育の出発点が江沢民時代」ということは間違いないでしょう。そして、それが「江沢民の個人的憎悪」に基づくことを知る人はまだ多くありません。

     

 少し歴史の話 をします。私たちは歴史の授業で「汪兆明の南京政権」という用語を聞きますが、実はその実態については深く学習することはありません。あっても、「汪兆明の南京政権は日本軍の傀儡であった」ぐらいでしょう。でも実際には、この時代のことを詳しく調べると、当時の日本と中国の関係がわかり、当時の日本軍と汪兆明政権が中国国民の生命を守ろうとしていたことも見えてきます。このことについては、ぜひ、専門家の方による「事実説明」があってほしいです。

 実は、汪兆明の南京政権ができたのが1940年。日本軍の南京入城が1937年12月13日。驚くべきことに、「南京大虐殺」があったとされる、わずか4ヵ月後の1938年3月28日に北洋軍閥系の要人であった「梁鴻志」によって、「中華民国維新政府」が南京で樹立されます。中国政府発表による「南京で30万人もの中国人が日本軍に虐殺された」、あの南京で! この維新政府は、南京を首都にするんですが、ここで大事なのは「南京は江蘇省にある」こと。

    

 「江蘇省」 という地名でピンと来た人は勘がよろしい!ww そう、江沢民です。江沢民は1926年江蘇省の揚州市で生まれます。日本軍の南京入城が1937年ですから江沢民は,当時彼は11歳。おまけに、江沢民の父、江世俊は「日本軍の協力者」でありましから江沢民は、その後、「南京中央大学日本語専攻」に入学しています。

 もう おわかりですよね! 「江沢民こそ生きた歴史の証言者」なんです。少なくとも、日本軍による「南京大虐殺」があったのなら、江沢民の父が日本軍に協力するのは不自然。おまけに、「南京大虐殺」があったのなら、江沢民が、「南京中央大学日本語専攻」に入学するのもありえないんです。中国共産党や中国政府は江沢民に聞けばいいんです。彼こそが「歴史の目撃者」なんですから。

 もちろん、江沢民がすんなり「南京大虐殺は中国共産党による虚構だったアル」と証言しないかもしれません。なぜなら、江沢民は「日本のスパイ」と言われた江世俊ではなく、すでに故人であり、中国共産党員であった「江世侯」の戸籍に入ることによって「戸籍ロンダリング」をおこない、人一倍「反日姿勢」を示すことでその生命と地位を守ってきた人物ですからね。死ぬまでウソを突き通す可能性はあります。

https://blog.goo.ne.jp/azuma-kurabu/e/fd6b2320671caa4a436810a3d744d693


https://jbpress.ismedia.jp>articles
江沢民、中国に「反日教育」深く浸透させた男 - JBpress

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https://japan-indepth.jp>ホーム>江沢民氏はなぜ日本を嫌ったのか
江沢民氏はなぜ日本を嫌ったのか - Japan In-depth

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その20 なぜ中国に反日デモが起きたのか

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Q.江沢民が筋金入りの超反日な理由はなぜですか?
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Q.天安門事件と反日と江沢民 江沢民から反日教育及び政策を始めたと言われてますが この理由って天安門事件で共産党の一党独裁が脅かされ始めたから一党独裁 を維持する為に行われたんでしょうか? ちなみに...
A.貴方の意見にほぼ賛同します。 共産党員8000万人解放軍250万人 これら以外の中国人は 共産党の奴隷みたいなもんでしょう。

解決済み-回答:1件-2017/2/13

Q.中国が反日になった理由は、やはり江沢民の影響が大きいですか??
A.そうですね。中国国内の権力闘争のネタとして始まったんだと思います。

解決済み-回答:2件-2012/11/12

https://jp.minghui.org/2021/09/11/77584.html

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左翼が知られたくないソーラーパネルの真実 The truth about Solar that leftists don't want you to know!

2022-12-18 14:52:40 | Weblog
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迫害の元凶・江沢民が歩んできた路

2022-12-18 14:18:55 | Weblog
https://jp.minghui.org/2021/09/11/77584.html

https://jp.minghui.org/2021/09/11/77584.html

引用しました

【明慧日本2021年9月11日】多くの人が法輪功を迫害した元凶は江沢民(中国の元国家主席)であることを知っている。しかし、彼がなぜ法輪功を迫害し、この22年間にわたって法輪功に対して何をしてきたのだろうか?

 中国では「羨望・嫉妬・恨」という言葉が流行っている。この5文字は江沢民の法輪功に対する態度の変化を如実に表している。1992年5月に、法輪功が長春市から伝え出された後、その病気治療と健康保持の奇跡的な効果、および「真・善・忍」に基づく道徳向上の魅力により、瞬く間に中国全土に広まった。学習者数が急増する法輪功は、人々に「真・善・忍」に従い善良な人になることを教え、中国社会の安定と精神文明の構築に多くのよい影響を与えた。

 『江沢民その人』という書物によると、当初、江沢民は法輪功を羨望し、法輪功創始者の手ぶりを真似たこともあったという。時間が経つにつれて、法輪功を学ぶ人はますます増え、退職した多くの幹部(上級幹部も含む)や党員たちも法輪功を修煉し始めた。1999年までに、法輪功の中国における学習者数は7千万人から1億人に達し、当時の中国共産党(以下、中共)の党員数の6千万人を上回った。その時から、江沢民の法輪功への羨望が嫉妬に変わった。人々が法輪功を修煉すれば、総書記である自分に従わなくなるのではないか? との嫉妬心からさらに恨みが生まれた彼は、法輪功を撲滅しなければならないと思うようになった。

 (一)1994年~1997年 知られていない嫌がらせ

 中共の内部闘争は江沢民が始めたものではなく、彼は、「六四天安門事件」直後の中共の内部闘争を機に、上り詰めることに成功した者に過ぎない。法輪功は「真・善・忍」を重んじ、中共の意識形態とは完全に異なる。しかも、法輪功を修煉後、人々は幸せで自由になり、恐怖心もなくなった。そのため、中共は1994年から法輪功を秘密裏に調査し始めた。

 1994年に行われた覆面調査では、結論は出なかった。

 1997年初め、当時の政法委員会書記・羅幹は、法輪功を取り締まるための罪状を捏造したいと考えた。

 羅幹は職権で公安当局に法輪功に対する調査を指示したが、各地支局は「問題は見つかっていない」との結論に至った。

 1998年7月、羅幹は公安部第一局を通じて通達を出し、法輪功を「邪教」と断定した上で、公安当局に組織的な証拠収集を求めた。

 公安当局による数回に亘る調査では問題が見つからなかったにもかかわらず、調査は新疆、黒竜江省、河北省、福建省、江蘇省、遼寧省、そして山東省などでの公安当局による一般市民への嫌がらせをもたらした。公安警察は「違法な集会」という名目で屋外の煉功者たちを強制的に追い散らし、法輪功学習者(以下、学習者)に対する私有財産の押収、身柄拘束、監禁、殴る、罵るなどの行為を行った。

 (二)1998年 喬石氏を嫉妬し、羅幹と何祚庥を支持する

 このような状況に直面して、1998年後半、喬石氏を中心とした退職した元上級幹部たちは法輪功に関する全面調査を行い、「法輪功は国と国民にとって百利ありて一害なし」との結論に至り、江沢民をトップとする政治局に調査報告書を提出した。

 喬石氏への嫉妬で報告書を大いに不愉快に思った江沢民は、法輪功を弾圧すべきとしてきた羅幹に報告書を渡し、処理を命じた。

 羅幹は自分の親戚でもある何祚庥を使った。後者は科学者の帽子をかぶっているが、実際は中共の情勢に追随する政治家で「科学分野のごろつき」と呼ばれている。

 1999年4月11日、彼は天津教育学院の「青少年科学技術博覧」誌に、法輪功が精神病を引き起こすと中傷し、法輪功が義和団のように国を滅ぼすとほのめかす記事を掲載した。天津の学習者の一部は真実を明らかにする必要があると考え、雑誌編集部との交渉で記事がもたらした悪影響を取り除くことを期待していた。しかし、4月23日~24日、天津市公安局は機動隊を動員した。

 300人以上の機動隊警察は陳情しに来た学習者を殴打し、45人を逮捕した。これはすでに、取り締まりがエスカレートしていることを示す明確な兆候である。

 政府が投書・陳情事務所を設置した意図は、そもそも陳情者をなだめ、法律の範囲外で民事関係の紛争を解決することにあるはずだ。しかし、学習者の平和的な陳情に対して、江沢民と羅幹一味は機動隊を投入しただけでなく、もう一つの陰謀を企てた。それは、天津市政府の官吏を通じて陳情しに来た学習者に「この問題は天津市政府の管轄外であるため、上層部である北京の中央政府に行って状況説明をしなければならない」と伝えたことである。

 学習者が他の学習者の釈放を求めたところ、公安部が事件に介入しており、北京の許可がなければ逮捕された学習者は釈放されないと知らされた。

 天津市公安局は学習者に対して「北京に行きなさい。北京に行って初めて問題を解決できる」と提案した。

 彼らの目論見はこうであろう。修煉者は真理のためなら個人的な損得を顧みないであろう。それに、法輪功を修煉している人は多く、さほど時間がかからないうちに情報が広く伝わるので、多くの人が陳情しに行けば「政府を包囲している」と表現するというものだ。

 (三)1999年 嫉妬と深い恨みの大爆発

 1999年4月25日、1万人以上の学習者が陳情のため、自発的に北京の中南海近くにある国家投書・陳情事務所に集まった。当時の朱鎔基総理は学習者への応対に現れ、陳情事務所の責任者に学習者の代表と対話するように命じた。国務院の職員と学習者の代表は、丸一日対話を行い、その間、学習者たちは外で静かに待っていた。

 午後9時、天津で逮捕された学習者たちが釈放されたと知り、陳情する学習者たちは紙切れ一枚も残さずに静かに去っていった。事件は平和的に終結し、後に「4.25陳情」と呼ばれるようになった。

 「4.25陳情」の平和的解決は国際社会で広く注目された。国際的な観察者やメディアは、法輪功と朱鎔基氏を高く評価すると共に、これが社会問題の解決における官民交渉の前例であり、文明社会に向けた歩みの一里塚であると見ていた。

 これと対比して、4月25日の陳情日に、江沢民が午後3時頃に遮光ガラス付きの防弾車で中南海を乗り回し、陳情者たちを観察していたことが明らかになった。江沢民は車から降りることなく、学習者と話すこともしなかった。彼が耐えられなかったのは、軍事委員会の主席である自分に従わず、法輪功に従っている階級を持つ数十人もの軍人を目にしたことだった。

 万人に及ぶ陳情が、理性の下で平和的に解決されたことが国際社会で高く評価されたこと、あまりにも多くの人が法輪功を修煉し、特に多くの軍人も法輪功を修煉していることが、狭量な江沢民を完全に狂わせ、その嫉妬心を爆発させてしまった。

 (四)法を無視し、権力任せの法輪功への弾圧命令を下す

 1999年4月25日の夜、江沢民は中共政治局に手紙を出し、「共産党が法輪功に勝てないとは思えない」と述べ、自らを党そのもの、党の代表者に仕立てた。

 5月8日、江沢民は中央政治局、中央書記処、および軍事委員会のメンバーたちに指示を出した。後に、この指示は中共中央弁公庁から「中弁発[1999]第19号文書」として発され、全国各地に送られた。その内容は、法輪功への弾圧に向けた準備に関するものであった。江沢民は法輪功を迫害するための準備と計画を密かに始めていた。

 6月7日、江沢民は中央政治局の会議で「『法輪功』問題の緊急処理および解決」に関する演説を行った。この演説もまた、中共中央弁公庁により文書の形で出され、勉強および実施が求められた。その結果、3日後に「中国共産党中央委員会法輪功問題対策指導グループ」およびその弁公室が設立され、後者はその設立時期から「610弁公室」と略称された。

 ここで、江沢民は早急に共産党指導層での法輪功弾圧に向けた思想的、組織的準備を完了させた。

 7月19日夜、中央委員会は各省の党委員会の主要幹部を集めて会議を開き、江沢民自らが動員のための演説を行った。

 7月20日、中共は全国各地での法輪功協調人に対する大規模な逮捕を開始し、「7.20」が迫害のスタートとなった。

 7月22日に、中共は法輪功の修煉を禁止する文書を発表した。

 (五)江沢民自らが強力に迫害を推し進める

 当時、7人の中共政治局常務委員のうち、6人が江沢民の法輪功弾圧に異を唱えていた。また、迫害が始まった直後、全国の多くの学習者が北京や地方政府に出向いて平和的に陳情したり、法輪功の真実を陳述したりしていたこともあり、迫害は当初から多くの抵抗を受けていた。江沢民は迫害の元凶として自ら出陣し、法輪功への迫害を強力に推進した。このことは、以下の事例から伺える。

 1、国際社会の舞台でショーを演じ 法輪功に超法規的な位置づけを行う

 1999年9月にニュージーランドで開催されたAPEC会議で、中共の江沢民国家主席は身分に相応しくない挙動を取った。彼はアメリカのビル・クリントン大統領に、おぞましい写真で埋め尽くされた150ページにも及ぶ英文の法輪功を貶め中傷するプロパガンダ本を自ら手渡し、出席した各国の首脳を驚かせた。

 フランスを国賓訪問する前夜の1999年10月25日、フランスの日刊紙『ル・フィガロ』のインタビューに応じた江沢民は初めて、法輪功を「邪教」として公に中傷した。

 翌日、中共機関紙の『人民日報』は江氏のインタビューをもとに、法輪功を中傷する評論記事を掲載した。それ以来、中共は江沢民のこの根拠なき誹謗中傷を使い続けている。

 多くの人が知らないのは、中共自身が公表した14種の邪教のうち、法輪功が入っていないということだ。現在に至り、中共が法輪功を迫害する法的根拠はなく、中国で法輪功を修煉することは常に合法である。

 2、「名誉を汚し、経済的に破綻させ、身体を消滅させる」という政策の策定

 「3カ月で法輪功を消滅させる」といくら喚き立てても実現できなかったため、江沢民は迫害をエスカレートさせ、自ら迫害政策を秘密裏に指示した。

 当時の北京市計画委員会調査設計管理部の李百根部長(現米国在住)によると、1999年11月30日、「610弁公室」の3人の責任者は人民大会堂で3000人の政府関係者を招集し、法輪功弾圧について話し合った。弾圧から数カ月、経過したにもかかわらず、進捗状況は非常に悪く、学習者は陳情を続けていた。

 この会議で「中国共産党中央委員会法輪功問題対策指導グループ」の責任者・李嵐清は、江沢民の法輪功に対する新政策を口頭で伝えた。それは「名誉を汚し、経済的に破綻させ、身体を消滅させる」というものであった。江沢民のこの密命は、中共の法輪功迫害の方針となった。

 3、迫害を押し進めるための「天安門焼身自殺」を捏造

 2000年9月、江はCBSの「60ミニッツ」の司会者ウォレス氏とのインタビューで、法輪功の創始者は自らが菩薩やイエスの生まれ変わりだと自称していると捏造し、法輪功によって数千人もの学習者が自殺したとデマを流した。これは、1999年に中共の代弁メディアが捏造した「1400例」の死亡者数より何倍も多くなっている。

 文化大革命を経験した中国人は、またしても文革色にじむ理不尽なキャンペーンにうんざりして多くの地方の役人たちは消極的に対応していた。2000年後半時点で、迫害は持続できなくなりそうになった。

 このような情勢の下で、江沢民、羅幹をはじめとする政治的ならず者集団は迫害の口実を作るために、衝撃的なペテンを企てた。それがほかでもなく、2001年1月23日の大晦日のいわゆる「天安門焼身自殺事件」であった。

 2001年1月30日、CCTVの「焦点訪談」は焼身自殺事件を放映し、さらなる憎しみを煽った。真実を知らない多くの人々が騙されて法輪功を憎むようになり、迫害がエスカレートされていった。

 4、自ら臓器狩りの命令を下す

 2006年3月、学習者の臓器を生きたまま摘出しているという中共の犯罪が初めて国際社会で暴露された。「臓器狩り」は江沢民の「身体を消滅させる」という絶滅政策による具体的な結果である。その残忍さと血腥さは善良な人々の想像を超えていて「地球上における嘗てない邪悪」と表現されている。

 調査の結果、学習者からの臓器狩りを最初に命じたのは江沢民であることが判明した。

 (六)米国、スペイン、中国大陸で起訴された

 江沢民は私欲を満たすため、執拗に法輪功への迫害を続けてきた。この長期にわたる迫害は中国の憲法に違反し、すべての中国人の人権を踏みにじり、人命や財産に計り知れないほどの損失を与えた。

 1、江沢民が米国のシカゴで起訴される

 2002年10月22日、江沢民はアメリカのシカゴを個人訪問していた際、学習者から「酷刑罪」、「人道に反する罪」、「大量虐殺罪」の罪で訴えられた。これが、学習者が海外で江沢民を訴えた初のケースとなった。

 現役の中共党首、国家元首が海外で裁判にかけられるのは初めてのことだったので、国内外、特に共産党の上層部に衝撃が走った。その後、各国の学習者は相次いで江沢民とその共犯者らを訴えた。

 2、江沢民、羅幹、薄熙來、賈慶林、呉官正がスペインで起訴される

 2003年、スペインの学習者は江沢民と羅幹を訴え、その後、薄熙来、賈慶林、呉官正を加えた。2009年11月、案件には突破的な進展がみられた。スペイン国家裁判所は江沢民らを「酷刑罪」、「人道に反する罪」、「大量虐殺罪」の罪で起訴し、2013年に江沢民ら5人の逮捕状を発行した。江沢民をはじめとする5人は、スペインと犯罪人引渡し条約を結んでいる国に入国すると逮捕されることになるのだ。

 3、中国では20万人以上が実名で江沢民を刑事告訴している

 明慧ネットの記載によると、2015年5月以降、中国の学習者は江沢民に対する訴訟を相次いで開始し、現在、20万人以上の学習者とその家族が、犯人である江沢民に対する刑事告訴状を中国の最高検察院に郵送し、最高検察院が江沢民を最高裁判所に公訴して、この首魁を法によって裁くことを求めているという。

 法輪功の22年間にわたる迫害への抵抗活動の歴史は、江沢民の「3カ月で法輪功を消滅させる」、「共産党が法輪功に勝てないとは思えない」という主張が完全に失敗したことを裏付けている。同時に、明慧ネットに掲載されている22年間にも及ぶ迫害事例の報道と統計は、江沢民、羅幹、劉京、周永康らの一味が打ち立てた絶滅政策が今も実行されていることを裏付けている。

 近い将来、江沢民が迫害の元凶として犯した罪が徹底的に清算されることは、歴史が証明するだろう。


(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/20/428315.html)

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655回 地上波では言い足りない!防衛増税問題。まさか!生本番中に有力議員から直電?

2022-12-17 19:20:31 | Weblog
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本編-2【2022年3月3日いわんかな#57】渡辺惣樹,馬渕睦夫,高山正之,福島香織/ロシア、プーチン大統領、アメリカ /未来ネット/いわんかな/切り抜き

2022-12-10 19:02:55 | Weblog
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西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓  スペイン古文書から見た日本とフィリピン

2022-12-10 18:42:06 | Weblog
https://japanhistory.jp/kjburn07/adw/lp01/?cap=pmax&gclid=CjwKCAiA-dCcBhBQEiwAeWidtd3iSXs0WJe2g5Ux297M1UnNBUHYvbWonT4tZe1OM-PbNdsr_h8j5RoCL20QAvD_BwE

https://japanhistory.jp/kjburn07/adw/lp01/?cap=pmax&gclid=CjwKCAiA-dCcBhBQEiwAeWidtd3iSXs0WJe2g5Ux297M1UnNBUHYvbWonT4tZe1OM-PbNdsr_h8j5RoCL20QAvD_BwE

引用しました

(P25)

一五七一年、レガスピはルソン島を平定し、同年その本拠をマニラに移して、比島植民の準備を整えた。彼は比島平定の余勢をかって日本及び琉球をも征服しようとした。当時のフィリピンを征服したように容易に日本をも征服できるものと考えていたらしい。(中略)



当時スペインは旭日昇天の勢を示し、日本など取るに足らない、との意気であった。



日本が戦国時代を迎えた当時…世界は大航海時代。冒険家として知られるコロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼランを代表とした白人たちは富と領土を求めて世界に進出した。



『新大陸の発見』と言えば、聞こえはいいが、実際には、自分たちが知らない他国に軍隊を送り込んで、殺戮と掠奪による侵略行為の他にならなかった。



実際にスペイン、ポルトガルの二カ国は、アステカ帝国やインカ帝国を滅し、アメリカ大陸、アフリカ大陸、オーストラリア、そしてアジアへと、もはや世界を飲み込む勢いで植民地を増やしていった。



そんな彼らの最後の矛先は、フィリピンと日本…しかし、この二カ国には共通する秘密があり、ついに白人たちはアジア侵略を諦めるに至ったのだ。その秘密は本書に次のように記されている。その一部をご紹介すると、、、

日本を甘く見たスペイン人の末路...

(P30)

ペナロサからフェリペ二世への報告によると、日本人はサント・ジュセブ号を十八隻の船をもって攻撃した。



しかるにこの時スペイン方では、船員を除けば船に乗っている兵士はわずか六十人に過ぎず、しかもその中には比島人も交じっていたのに、日本側は一千人にも達する兵力であったから、スペイン方はいかんともする事が出来なかったと言っている。



日本側の数は大分誇張されているように思われるが、とにかく非常に多くの日本人が来ていたに違いない。ペナロサはまたこの報告の中で、日本人は数が多いばかりでなく、「勇敢にして戦闘に巧みなる人種」であると、日本人の武勇に驚嘆している。



(P31)

日本人と接触する事によって、日本人というものが決して征服し得る人種でない事を知り、日本までも一気に征服しようとする初めの意気込みはどこへやら、むしろ日本人にフィリピンを略取されぬように備えを固くすることになった。



白人たちがフィリピンにやってくるずっと前から、マニラには日本人がいた。スペイン人は、初めて日本人と対峙して、戦国武士たちの軍事力を思い知った。日本の征服どころか、奪ったフィリピンを乗っ取られるかもしれないと恐怖していた。

宗教で日本侵略を試みるが...

(P169)

船長ランデチョが大阪滞在中、サン・フェリペ号の航海長フランシスコ・デ・サンダという者が増田にスペイン王の偉大なことについて話した。



増田はスペイン王がどうしてそんなに多くの国々を征服し得たかについて尋ねると、まず征服せんと欲する国に宗教伝道者を送り、国民がキリスト教に傾いた頃を見計らって今度は軍隊を送り、新しいキリスト教徒達に援助させるから容易なのだと答えたという。



増田はこれを聞いて、実に恐るべきことだと思って秀吉に報告した。



(P172)

死刑の宣告はバプチスタほか六名のスペイン司祭及び十八名の日本人キリスト教徒に対して下され、大阪、伏見、堺の町を引き回された上、長崎に送られて、一五九七年、十字架上の露と消えた。



スペイン人は武力でねじ伏せれなくとも、キリスト教によって他国を侵略するという手を持ち合わせていた。しかし、それに気づいた秀吉がキリシタンを一掃して、スペイン人のアジア侵略の計画は暗礁に乗り上げた。

態度を一変したスペイン人...

(P66)

太守は秀吉の態度をすこぶる傲慢なものとして怒ったけれども、フィリピンの防備が完成するまでは秀吉の御機嫌を取り、彼の喜びそうな返事をしておくがよいという結論にいたった。



当時それほどフィリピンは無防備ではなかったのであるが、秀吉の攻撃を防ぐ自信はなかった。



(P72)

ダスマリナスの日本人防御計画の概要であるが、もし読者がその全文を読んだならば、いかに日本人が彼らに恐れられていたかに驚くであろう。



(P178)

秀吉に対していかにして報復すべきかについては色々の意見が闘わされたが、とにかくサン・フェリペ号及び司祭処刑の件に関して、秀吉に抗議を申し込むために第三回の使節を送ることに決し、太守はその使節としてドン・ルイス・ナバレッツという者を選んだ。



秀吉に抗議を申し込みに行くとはいえ、その威力を大いに恐れていたスペイン人は、正面から堂々抗議を申し込むだけの勇気はなく、使節は秀吉への贈り物として、金銀作りの武器、刀、布類、象一頭及び象使いを用意した。



(P263)

スペイン人は、日本との貿易続行を念願していた。



スペインはとにかく日本人を恐れていた。当初は日本の侵略は簡単と意気込んでいたが、最終的にはフィリピンの支配も広がらず、侵略予定だった日本に、金品を送り、ご機嫌をとっていた。



さらに、日本との貿易続行を念願として掲げるようになった。

アジアの平和は武士が作った?

これまで国内の事件ばかりが取り沙汰される戦国日本ですが、その時代の武士たちは、その武威を持って、白人列強のアジア侵略計画に終始を打ったのです。



これらの事実は、スペインのフィリピン領有以来のスペイン官憲、司祭、探検家、航海者等の本国への報告や記録によって実証されたものですが、、、



なぜ、著者:奈良静馬は1942年にこのような実証を集めてこの本を出版したのか、、、?



それは、大正十年、奈良静馬が米国に遊学中の頃、米国ではワシントン会議が開かれていました。そのワシントン会議ではアメリカは日本にフィリピン侵略の野望があると濡れ衣を着させて、日本の発展を徹頭徹尾、阻止しようとする日本いじめの会議でした。このことについて奈良静馬はこう記しています。



(P4)

アメリカ人は海洋民族たる日本人の古来からの活動を知らない。まして広遠雄大なる天皇の統治についてはなおさらのことで、彼らの大部分は、我が国民を狭小なる本土にのみ満足する仙人隠者か、さもなければ、他から不当なる圧迫を受けても何ら反発する気力のない国民と考えていたのである。



かかるアメリカ人の日本民族に対する無知と、自らの国力に対する過信とが、ついにかくのごとき威嚇、恫喝なる態度に出て、さらに、現在の日本に対すると同様、過去の日本民族の活動発展をも無視し、抹殺せんとするにいたらしめたのである。



されば、当時、現地にあった私は、この際、彼らの日本に対する間違った考えを痛感し、これがためにはアメリカ人自身の読み得る資料をもって、古来日本人の海上活動の功績と、日本人の実際の活動を知らしめる必要があると考えた。



つまり、アメリカは日本のことを何も知らないから、日本を好き勝手に侵略国扱いして、下に見てきているということです。



そうして、反論として日本の功績をアメリカに知らしめるために出版された書籍が、『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』でした。

GHQにより抹消された記録

しかし、そのような経緯で出された本書はGHQに没収されました。



なぜなら敗戦した日本にやってきて占領政策をおこなったGHQにとって、白人による侵略の歴史、、、強くアジアを守っていた日本人の記憶は日本を弱体化させる上で不都合だったからです。



戦国日本の海外活動を記録したこの本をGHQが没収したのもそのためです….。これを焚書(ふんしょ)と呼びます。全部で七千数冊に及びます。これらは、GHQが知られたくなかったことのほんの一部にすぎません。



今は戦後75年です。



白人が戦国時代からアジア侵略を企てていたこと、、、

日本が戦国時代から軍事大国だったこと、、、

日本が世界情勢の掌握に長けていたこと、、、

日本が侵略の危機にあったのにもかかわらず、植民地にならなかった本当の理由、、、

キリスト教追放や朝鮮出兵の真意、、、



今では、ほとんどの人が戦国時代のこのような事情を知りません。



このような書籍が流通していない今、奈良静馬がワシントン会議の時代に危惧していたことと同じように、また他国から言われない侵略扱いや不当な評価を受けるかもしれません、、、



それこそがアメリカ、GHQが意図していたことでした。

GHQが戦後の日本人に知られたくなかったことをあなたも知ってみませんか?



そこでぜひ多くの人に真実を知っていただきたいと思い、この『西班牙古文書を通じて見たる日本と比律賓』の復刻に取り掛かりました。



そしてこの度、これを見てくれているあなたに復刻版をお届けしようと思いご案内いたします。



本書の詳細は以下の通りです…

目次







第1章 ・・・P21

フィリピンにおける日本人とスペイン人との初めての接触



・マゼランのフィリピン発見 ・・・22
・日本人、スペイン船を襲撃す ・・・23
・スペイン人、琉球攻略を企てる ・・・24
・日本人とスペイン人との激闘 ・・・26
・日本船十八隻一千人をもってスペイン船を攻撃す ・・・28
・比島太守ペナロサ、日本人の勇敢を説く ・・・30
・フェリペ二世、日本使節厚遇の理由 ・・・32


第2章 ・・・P33

フィリピンにおける日本人傭兵



・日本人六千人を傭兵せんとす ・・・34
・松浦氏の使者とフェリペ二世 ・・・39


第3章 ・・・P47

日本人、フィリピン人と共にスペイン人征討を計画す



・日本人と島人との誓約 ・・・48
・日本、海外発展期に入る ・・・51
・島人の反乱と日本船抑留 ・・・52
・新太守ダスマリナスと日本 ・・・53


第4章 ・・・P55

秀吉、フィリピン人の入貢を促す



・日本とフィリピンとの外交関係始まる ・・・56
・秀吉とヴァリニアーニ ・・・57
・秀吉、フィリピン太守に降服勧告状を送る ・・・60
・浅野長吉の降服勧告状 ・・・62
・フィリピン太守と対日本人攻略防備 ・・・67


第5章 ・・・P73

秀吉とダスマリナス



・コボス、秀吉に面謁す ・・・74・コボスと原田喜右衛門 ・・・81
・第二回使者は喜右衛門か孫七郎か ・・・85
・喜右衛門、比島に着す ・・・89


第6章 ・・・P101

太守、布令を発してコボスを探す



・秀吉の真意探求に苦慮す ・・・102
・フアン・デ・ソリスの陳述 ・・・104
・アントニオ・ロペスの陳述 ・・・112
・支那人フアン・サミの陳述 ・・・126
・フランシスコ・デ・ローディ・デ・オナトの陳述書 ・・・129
・支那人ミゲル・オンテの陳述書 ・・・131
・アデュアーテ、コポスの最期を語る ・・・134


第7章 ・・・P137

秀吉が太守に与えた第二回降服勧告状



・秀吉よりルソン太守への手紙 ・・・138
・太守の使節、再び日本へ ・・・139

 

第8章 ・・・P143

秀吉、三度降服勧告状を送る



・ゴンサレズ、秀吉の降服勧告状を携えて帰る ・・・144
・新太守、秀吉の手紙に驚倒す ・・・146
・新太守より秀吉への返答 ・・・147
・会議を開いて返答の内容を和ぐ ・・・153
・スペイン王への対秀吉策報告書 ・・・157
・バブチスタ、秀吉を偽りて教会堂を建つ ・・・160


第9章 ・・・P167

サン・フェリペ号事件と秀吉のキリスト教弾圧



・サン・フェリペ号、土佐に漂着す ・・・168
・秀吉激怒、フランシスカン派僧侶を処刑 ・・・170
・関白の宣告文 ・・・172


第10章 ・・・P177

在比日本人に対する警戒



・秀吉へ第三回の使節を送る ・・・178
・副太守モルガの喜右衛門評 ・・・180
・日本人追放を策して成らず ・・・182
・秀吉とフェリペ二世の死 ・・・185
・秀吉没後の海の勇士の自由活動 ・・・187
・太守ロンクイロ、日本に海の勇者の処罰を要請す ・・・188


第11章 ・・・P191

日本人の優越を説く



・最初の日本人植民地 ・・・192


第12章 ・・・P195

家康とフェリペ三世



・フェリペ三世の勅諭 ・・・196
・家康とヘロニモ ・・・199
・家康、フィリピン太守に修交条約を提案す ・・・201
・Chinquiroの船、難破す ・・・204
・家康のフィリピン太守への書簡 ・・・205
・カンボジアの内乱と日本人 ・・・206
・支那人討伐に日本人を雇う ・・・208


第13章 ・・・P213

家康とその商業政策



・比島を対支貿易の仲介地たらしめんとす ・・・214
・ロザリオ号事件 ・・・215
・家康、スペイン人の征服慾旺んなるを警戒す ・・・216
・比島使節、キリスト教宣伝の方便として入貢 ・・・218


第14章 ・・・221P

サン・フランシスコ号事件



・比島太守ビベロの乗船、房州海岸に漂着 ・・・222
・ビベロと島津義弘 ・・・223
・スペイン、一旦徳川幕府の要求を呑む ・・・226


第15章 ・・・P231

支倉及びソテロの動静とフィリピン



・支倉の返事を得られなかった理由 ・・・232
・支倉とソテロ、ルソンに着す ・・・234
・スペイン軍用船、日本に漂着 ・・・235


第16章 ・・・P237

日本のキリスト教とフィリピン



・比島より司祭、日本に密航す ・・・238
・家康のドン・ベドロへの手紙 ・・・240
・家康が比島太守アキュナに送った手紙 ・・・241
・キリスト教徒百余名、ルソンに送られる ・・・244


第17章 ・・・P247

秀忠のキリスト教厳禁とフィリピン



・在マニラキリスト教司祭、日本渡航を企てる ・・・248
・伊達政宗のキリスト教禁圧とフィリピン ・・・249
・イギリス人、オランダ人、マニラ及びマカオ破壞を進言 ・・・250
・司祭、商人に扮してマニラより日本へ密航 ・・・251


第18章 ・・・P253

家光とフィリピン



・マニラのキリスト教徒、激昂す ・・・254
・日本への司祭派遣苦肉策 ・・・256
・松倉重政、比島征討を策す ・・・257
・島原の乱と比島のスペイン人 ・・・259


第19章 ・・・P261

日本とフィリピンの貿易



・日本、フィリピンを通じて支那と貿易す ・・・262
・スペイン人、日本に貿易根拠地を求む ・・・263
・日本と貿易の必要を説く ・・・264
・フィリピンより日本への輸入品 ・・・266
・日本よりフィリピンへの輸出品 ・・・268
・日本品に関税を課せず ・・・269
・対日貿易を奨励 ・・・270
・日比貿易反対論 ・・・271
・スペイン人、日本貿易独占論 ・・・272


第20章 ・・・P275

在比スペイン人の苦悶



・オランダ人と対日貿易競争 ・・・276
・日本人に航海術を教えるべからず ・・・278


第21章 ・・・P283

日本船の徴発と造船の注文



・オランダ船攻撃のため日本船を買入る ・・・284
・オランダ船へ日本船の物資供給の停止要求 ・・・286
・日本人を退去せしめんとして腐心す ・・・288
・太守ファジャルド、日本人追放を策す ・・・289
・ファジャルド、使節を日本に派遣す ・・・292
・日本人のための学校設立を企つ ・・・293


第22章 ・・・P295

在比スペイン人、台湾占領を企つ



・ヨーロッパ人、相次いで台湾に来る ・・・296
・ヴァルデス、台湾占領に向かう ・・・298


第23章 ・・・P303

タイ国における日比人の衝突



・タイ王、日本人にスペイン人討伐を頼む ・・・304
・スペインの報復、日本船燒払い事件 ・・・306
・太守、日本人への賠償を拒絶す ・・・309
・太守ニノ、日本との修交に努力す ・・・311

 

第24章 ・・・P313

フィリピン・スペイン人の対日警戒



・スペイン、日本のオランダ人追放を望む ・・・314
・らい病患者をフィリピンに送る ・・・315
・フェリペ四世、日本との親善を要望す ・・・317
・日比間の貿易関係全く止む ・・・319
・はしがき 米国フィリピン強取の顛末 ・・・320
・参考書 ・・・366



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『岸田政権の正体』
〜自民党派閥を辿るとみえる戦後政治の呪縛

*本講義はもともと、上島嘉郎さんの「ライズ・アップ・ジャパン」という会員制の時事解説サービスとして、有料会員様限定に制作したものです。会員様は月に1,980円の会費をお支払いいただいており、さまざまな会員サービスを受講して日々情報収集されています。*本講義は5点満点中4.8の好評価をいた
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陰謀団のメンバー!?松方一族の流れから学ぶ!松方三郎とは!?【CGS 林千勝 大東亜戦争の真実 第63回】

2022-12-10 16:30:54 | Weblog
陰謀団のメンバー!?松方一族の流れから学ぶ!松方三郎とは!?【CGS 林千勝 大東亜戦争の真実 第63回】
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649回 中国のハニトラに気を付けろ!引っかかった議員は数知れず?

2022-12-10 16:21:24 | Weblog
649回 中国のハニトラに気を付けろ!引っかかった議員は数知れず?
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【参政党】史上最悪!トンデモないアプリが出現した!最悪刑務所送りとなります!2022年12月3日茨城県鹿嶋市 神谷宗幣魂の街頭演説!

2022-12-04 19:52:53 | Weblog
【参政党】史上最悪!トンデモないアプリが出現した!最悪刑務所送りとなります!2022年12月3日茨城県鹿嶋市 神谷宗幣魂の街頭演説!
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水道民営化の仕掛け人は竹中平蔵氏か…国民が知らない水道資産120兆円のゆくえ  2019.12.08 08:00 連載 藤野光太郎「平成検証」改正水道法の急所

2022-12-04 18:17:00 | Weblog
https://biz-journal.jp/2019/12/post_130797_4.html

https://biz-journal.jp/2019/12/post_130797_4.html

ビジネスジャーナル ? Business Journal
Business Journal > 連載ニュース > 藤野光太郎「平成検証」ニュース > 水道民営化の仕掛け人は竹中平蔵氏か  > 4ページ目
2019.12.08 08:00
連載
藤野光太郎「平成検証」改正水道法の急所(7)
水道民営化の仕掛け人は竹中平蔵氏か…国民が知らない水道資産120兆円のゆくえ
文=藤野光太郎/ジャーナリスト
【この記事のキーワード】竹中平蔵, 安倍政権, 水道, 民営化, 改正水道法




 東日本大震災が勃発する約1カ月前の話だ。「インフラファンドはインフレとリンクしており、インフレに最適の投資資産が公共料金」「水道会社への投資額は1兆8000億円」――日本で、その原資はどこから調達されるか。改定水道法の行方を透視するためには、日銀・メガバンク等の動向を横目に官民インフラファンドと水道インフラファンドの動きを注視する必要がある。金融・証券のプロが政府の施策に影響を及ぼせば、巨額の公的資金が裏で流れ始めるからである。

水道のインフラファンド経由で公的資金が民間企業へと流し込まれる
 閑話休題。既述の通り、2017年10月下旬に「新PFI法の施行」「2大水メジャーのシンポ参加」「福田氏の接待疑惑文書」の3つの動きが重なっている。水道法改定に対して国民が不安を抱いているにもかかわらず、水面下では巨額「水道マネー」をめぐる利害関係者の暗闘がすでに始まっていたようだ。民間企業の事業目的は「果てしない営利」である。平成の世に日本にも上陸したPPP/PFIによる官民連携「水道コンセッション」と「インフラファンド」は、間違いなく莫大な「水道利権」を生み散らかす。

 平成に準備されて令和に本格始動する改定水道法には、「自治体がこれまで及び腰だった料金値上げを、法制度間の整合性で容易にする仕掛けがあったこと」、そして「巨額水道マネーを担保に、インフラファンド経由で公的資金を民間企業へと流し込む仕掛け」があること、などを本連載で検証した。

 既存のマスメディアに期待できないからには、今後、住民/国民自らが「PPP/PFIに踊り狂う自治体と政官財のカネの動き」を厳しく監視するしかない。多くの若者が手にしたネットは、そのためにも有効だ。黙認したり監視を怠ったりすれば、国民の水道資産120兆円は、そのうち利権まみれで真っ黒に濁ってしまうだろう。

(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)



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