科学者ら、火星への宇宙飛行士派遣は死ぬほど危険
これまでは火星に行く飛行士はおよそ1年の飛行が可能とされてき た。ところが米国の科学者らの研究で、 女性宇宙飛行士がこうした火星旅行を行った場合、 浴びる放射線量は250日で危機的な値に達し、 男性飛行士では350日だということが明らかになった。
放射線量のリスクが高いため、 火星およびその小惑星への宇宙飛行士派遣は実現不可能。
地球は磁場があるため、 人類はこうした放射線のリスクから守られている。 国際宇宙ステーションも磁場の防御の恩恵を受けている。
太陽に数年来の巨大黒点が発見
ネイチャー・ワールド・ニュース誌に掲載された天文学者らの弁では、黒点の大きさは地球の10倍。このため天体望遠鏡を用いなくても観測が可能。
だが今回の巨大黒点は実は観測史上最大のものではない。1947年にはこれより3倍も大きな黒点が現れている。現在観測されている黒点にはAR 12192という名称がつけられた。これは2008年以降、もしくは1990年以降最大級。
Gazeta.ru
なぜ太陽の黒点が増えると活動が活発になったと言えるのですか?
黒点は周囲より温度の低い所ですよね。温度の低い所が増えるということは核融合反応が活発でないということではないですか?
- etikiさん
2010/11/1100:06:12
ご質問者様の仰る『太陽の活動』ですが、『太陽が地球に及ぼす影響』とお考え下さい。
太陽黒点の発生の原因を簡単に説明しますと、次のように考えられています。(注1)
①太陽の磁力は太陽系全体に放出されている。いわゆる『太陽風(の一種)』です。
②その磁場は常に波打っている。
③時折、強烈な磁場(大波のような)が発生する。
④太陽系に放出される磁力も増大するが、多くは再び太陽に吸収される。
⑤その時、核融合している表面に穴が開き、黒点となる。
従って、仰る通り黒点の温度は低いです。
しかし、黒点が多いほど放出される磁力も多く、地球への影響も大になります。
注1:『考えられています』と書きました。未解明なんです。
よく、太陽黒点の数はオーロラの発生に関係があるなんて言われます。
いかにもそう思うのですが、実際のデータでは黒点周期とオーロラの出現数は数年ズレています。
突き詰めれば『謎』に行き当たる。それが残念ながら今の科学のようです。
御嶽山の噴火 原因はUFO?(ビデオ)
研究者たちは、御嶽山の火口にUFOの地下基地があり、そこからUFOが飛び立ったことで噴火が起こったとの説を提唱している。
UFO研究者たちによると、UFOは地球の地質学的プロセスを調査するために火山上空を飛行した可能性があるという。
なお研究者たちは、死者を出した御嶽山の噴火の原因はUFOであり、これは宇宙人が非友好的であることを証明しているとの見方を表している。
御嶽山上空を飛行していたUFOは、噴火を止めたり、地球人を助けようとはせず、「基地」に戻らずに雲の中に消えたという。
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福島第一原発の地下水 過去最高濃度のセシウム
東京電力によると、セシウム134とセシウム137が、1リットルあたり26万7000ベクレル検出された。
先週、同じ井戸から採取した地下水から、2011年春の福島第一原発事故後最も高い1リットルあたり25万1000ベクレルの放射性セシウムが検出されていた。
東京電力は、最近日本を襲った台風18号と19号による大雨の影響で、地中の放射性物質が流れ出したとの見方を表している。
- プーチン大統領との交際を噂される女性が、報道職に就任するという
- 国家報道グループの会長に就任するため、15日に議員辞退を申請した
- ロシアのネットでは、内外で知名度を持っているため最適との声もある
プーチン大統領のうわさの彼女は報道大手のトップに
ロシア議員、元体操選手のアリーナ・カバエワ氏は国家報道グループの会長に就任するため、15日に議員辞退を申請した。カバエワ氏とプーチン大統領が交際しているといううわさが数回出た。この情報はすぐにロシアを騒がせた。
ロシア・リアノーボスチ通信の16日付の情報によると、国家報道グループの現役会長はプーチン大統領の腹心のおいである。実際にカバエワ氏は過去6年間、このグループの要職を務めている。
1983年にウズベキスタンで生まれたカバエワ氏は欧州体操大会と世界体操大会でそれぞれ5回と3回のチャンピオンを獲得、2000年シドニー五輪で銅メダル、2004年アテネ五輪で金メダルを獲得した。2004年に引退しモデルになった。2007年にプーチン大統領の統一ロシア党に入党した。同年12月の議会選挙で、カバエワ氏や元五輪チャンピオンのホルキナ氏、ジュロワ氏など美女5人は当選した。この5人は西側メディアに「プーチン・ベビー」と呼ばれた。
ロシアのネットユーザーによると、内外で知名度を持っているカバエワ氏は報道グループの会長に最適である。しかし、ロシア「コムソモリスカヤ・プラウダ」の16日付の報道によると、プーチン大統領にとって、メディアは国の代弁者としてたいへん重要で、トップに腹心を指定するのは必要である。ただ、ネットユーザーは「体操選手だったカバエワ氏は報道産業で多様な課題に直面する」と語った。
(翻訳 李継東)
NASA:今後20年で宇宙人とのコンタクトが行われる
元宇宙飛行士で、NASAの現責任者の一人であり、宇宙プログラムの元参加者のチャールズ·ボールデン氏と、マサチューセッツ工科大学のサラ·シーガー教授が、14日にワシントンで開かれた公聴会で発表した。
両氏は、近いうちにも、地球の学者たちによる宇宙研究は、天文学者たちが星の近くに地球のような惑星が存在することを確信できるようなレベルになるとの考えを表した。
カナダのヘリヤー元国防相も最近、宇宙人が地球を訪れている証拠を持っていると発表した。
ロシアの各マスコミ
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/news/2014_07_24/275071944/
独F1レーサー、シューマッハ氏、完全回復には3年
スキー滑走中に事故に遭遇した独のF1レーサー、ミハエル・シューマッハ氏の担当医は、完全な回復までには3年はかかるとの見通しを明らかにした。北米のマスコミが報じた。
続きを読む: http://japanese.ruvr.ru/news/2014_10_23/schumacher/
26歳の日本人イスラム戦士が告白「僕らはなぜ“聖戦”に惹かれたのか?」
週プレNEWS 10月14日(火)11時0分配信
■周囲の生き方と温度差を感じた
「イスラム国」への参加を企てた北海道大学を休学中の26歳に警視庁公安部が事情聴取ーー。このニュースが日本中を駆け巡るより1年半も前、実はひとりの日本人が人知れず“戦闘員”としてシリアへ渡っていた。
昨年4月、「ジューシィムハマード」という過激派組織に参加したのは、現在26歳の鵜澤佳史(うざわ・よしふみ)氏だ。鵜澤氏は同年5月、戦闘中に大ケガを負い、現地でしばらく療養した後に治療のため帰国している。
平和な日本で育ちながら、なぜわざわざ激戦地へ向かった? 戦闘に参加し、何を感じた? 鵜澤氏に話を聞いた。
***
―そもそも、なぜシリアに行こうと思ったんですか?
鵜澤 きっかけは、小学校6年のときにいじめを受け、自殺願望が芽生えたことです。「生きる」「死ぬ」ということをひたすら考えた末、極限状態に身を投じたら、人はなぜ生きるのかわかるんじゃないかと思ったんです。当時の僕の知識では、極限状態イコール戦争。いずれ海外の傭兵(ようへい)になるために、まずは自衛隊に入って訓練を受けようと思い、中学卒業後、陸上自衛隊少年工科学校(現・高等工科学校)に入学しました。
でも、そこで本気で頑張っているうちに愛国心が生まれ、自殺願望も、戦いたいという気持ちも、いったんはなくなった。それで、卒業後は広い意味で国に貢献できる農業に関わろうと東京農業大学に進みました。在学中に農産物の販売をするため起業し、3年で当初の売り上げ目標を達成しました。
じゃあ、次の目標は何か。明日死ぬなら何がしたいか。自問自答したら、やはり戦士として戦いたい。命、知性、状況判断力など、トータルの全力を出し切って戦いたい。そこそこ満足な人生を送るより、いくら世の中から非難されても、自分を出し尽くしたといえる生き方がしたかった。それでシリアへ行く決断をしたんです。
―そんな張り詰めた生き方で、周りと温度差は?
鵜澤 正直、高校時代はクラスで浮いてました。自衛隊の学校なのに、「戦争になったら逃げる」という人も多かったですし。
―なぜ「シリア」なんですか?
鵜澤 シリアには英語で発信するジャーナリストが多く入っていて、情報が取りやすかった。それに、当時はまだイスラム国がそれほど強い勢力ではなく、今と違って「政府対反政府」という構図がはっきりしていたので、うまく中に入れれば戦いやすいと思ったんです。
―シリアには隣国のトルコから入ったんですよね。
鵜澤 ええ。国境のシリア側のゲートを越えたすぐ先、反政府軍が運営しているプレスセンターに行きました。そこにたまたま日本語を話せるシリア人がいて、「一緒に戦うなら、イスラム教に改宗しないとダメだ」と言われました。
僕は思想には興味がなく、ただ戦いたいだけ。でも、ここで引き返したくなかったので改宗しました。そこで、「おまえはまず、イスラム法をきちんと守る組織で勉強したほうがいい」と言われ、規律の厳格なジューシィムハーマドに引き渡されたんです。この組織はよけいな人殺しを一切せず、現地の人たちから慕われている部隊でしたね。
―ほかに日本人や、他国出身でもイスラム教徒以外の参加者はいたんですか?
鵜澤 戦うためだけに来て改宗した人なんて当時は皆無(笑)。「なぜ日本人が?」と不思議がられました。最初は、現地の10代の子がイスラム教を学ぶ施設に入れられて、コーランの勉強、礼拝の作法など、細かい決まりを10日間ほど習いました。
―その後、日々の生活はどんな感じでしたか?
鵜澤 日々、何時間もお茶会です(笑)。常に戦闘があるわけじゃないので。ほかにも自由時間には買い物に行ったりとか。
―最近はイスラム国が、戦闘員に高い給料を払っているそうですが、鵜澤さんの組織は?
鵜澤 月に3万円から5万円ほどもらっていましたが、傭兵を雇っているという感覚ではないですね。あくまでも生活の面倒を見る感じ。戦士たちも、お金目当てではありませんでした。
鵜澤氏が大ケガをした昨年5月の刑務所襲撃作戦とは? そして例の北大生をどう見るのか? この続きは、発売中の「週刊プレイボーイ43号」にてお読みいただけます。
(撮影・取材協力/本多治季 取材協力/世良光弘)
■週刊プレイボーイ43号「僕らはなぜ“聖戦”に惹かれたか?」より
最終更新:10月14日(火)11時0分
ノーベル賞 中村修二さんが語る
何年かすれば海外に押され、日本のメーカーの製品が無くなってしまうかもしれない」と危機感を口にし、「背景には、日本人が英語に弱いということばの問題がある」と分析していました。
研究者を志す人には若い頃に5年以上海外に住んでほしい。英語の習得は出来るし、日本を外から見ることで物事の見え方ががらりと変わる
青色LEDの開発に成功し、ノーベル物理学賞を受けることになったカリフォルニア大学教授の中村修二さんが、受賞が決まってから初めて帰国し、17日夜、NHKの単独インタビューに答えました。
中村さんは、みずからの力で道を切り開いてきた研究者人生を振り返るとともに、独創的な成果を出す人材が育ちにくい現在の日本の研究環境に苦言を呈しました。
日本時間の今月7日、ノーベル物理学賞の受賞が決まった中村修二さんは、住んでいるアメリカから今月15日に帰国し、17日夜、東京都内で、NHKの単独インタビューに応じました。
中村さんは、研究者として生きてきた人生を振り返り、「子どもの頃、算数が苦手だったが、父が教えてくれる『父ちゃん算数』で好きになり、理科系の勉強が好きになった。本を読むのは嫌いだったが、物心が付いたころから、1人で物事を深く考えることは好きだった。大人になって研究で行き詰まって、どん底まで落ち込んでも、深く考えれば、いいアイデアが出て解決すると信じて頑張ってきた」と明かしました。
地方の大学や企業の出身であることについては、「地方大学では、すべてを自分でしなければならないので、独立心が芽生えることが強みになると思う。会社に就職してからも初めの10年間は、さまざまなことを自分の力でしなければならず、そのとき苦労して習得した技術がその後の青色LEDの開発に生かされた」と振り返りました。
一方で、日本の研究者を取り巻く環境については、苦言を呈しました。
社員の開発した特許の権利を初めから「企業のもの」とする特許制度の見直し案については、「アメリカのように研究者が簡単にベンチャー企業を立ち上げられる環境なら見直しもよいと思うが、現状では反対だ。日本では企業に所属する研究者の待遇が悪く、プロスポーツ選手のように、研究者にも成果に見合った報酬を出すべきだ」と批判しました。
また、すぐには実用に結びつかない基礎研究の支援態勢について、「民間では、時間がかかる基礎研究にお金を投じることは難しいので、国が主導して、長期的な基礎研究にお金を出すようにする必要がある」と指摘しました。
さらに、中村さんは、生まれた科学技術を生かすべき立場にある日本のメーカーの弱点も指摘しました。
携帯電話や液晶テレビ、半導体チップを例に挙げ、「日本はすぐれた発明をして、よい製品を送り出してきたが、市場は国内ばかりで世界に製品を売る力が弱く、世界標準に至らないのが問題だ」と述べました。
そして、みずから開発に携わった青色LEDについても、「何年かすれば海外に押され、日本のメーカーの製品が無くなってしまうかもしれない」と危機感を口にし、「背景には、日本人が英語に弱いということばの問題がある」と分析していました。
今後の目標について中村さんは、「今、市販されている発光ダイオードは使用した電力の60%程度が光になり、残りは熱となって消えてしまう。これを100%に近づけることが研究開発の次の目標だ。ノーベル賞の受賞はうれしいが、あくまでも有名な賞をもらったというだけで、研究はこれまでどおり続けていきたい」と話しています。
中村さんは若い研究者に向けて、「一番大切なのは、自分が何を得意として何をやりたいのかを見つけ、基礎的な勉強をきちんとやることだ。好きなことであれば勉強は苦にはならない」とエールを送りました。
そのうえで「日本の研究者が世界を相手に勝負をするには、まず、ことばの問題がある。そこで、研究者を志す人には若い頃に5年以上海外に住んでほしい。英語の習得は出来るし、日本を外から見ることで物事の見え方ががらりと変わる。日本の若者の夢は大企業に就職することになりがちだが、アメリカに行くとベンチャー事業を始めることが夢になる。私は米国での生活を45歳で初めて経験したが、それを是非、若いうちに経験したうえで、将来を考えてほしい」と訴えました。
韓国経済界は、これ以上中国に身を寄せることは危険だと考えてリポートを通じて朴外交を暗に批判し、日韓関係を元に戻そうと布石を打っている」
朴政権には財界の悲鳴が耳に入っているのか。