hiroべの気まま部屋

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楡家の人びと

2013-07-07 10:06:33 | 読書
 3月から読んでいた、北杜夫の「楡家の人びと」三部作を読み終えました。

 北杜夫といえば、自身、お医者さんの作家として有名ですが、父が斎藤茂吉、兄が精神科医の
斎藤茂太ということで、さらに有名ということでしょうか。

 楡家の人びとは、一昨年北さんが残念ながら亡くなられて、以前読んだことがあったのですが、
もう一度読もうと思っていたものです。

 近くの図書館で、新規購入図書に見つけたので読み始めていました。

 明治末期・大正・昭和(終戦直後まで)の楡脳病院の家族、それを取り巻く人々それぞれの
生きざまを描いた長編小説(三部作)になっています。

 小説の特徴は、淡々と個々人の生活ぶりや心持を、かなり克明に描いているところでしょうか。

 作者が意図したかどうかは別として、太平洋戦争(開戦から敗戦まで)が時代背景となっており、
戦争の悲惨さを描くことにもなっています。

 難しい心理描写もなく、まさに物語として楽しむことが出来ました。裏表紙の要約に「一大叙事詩」と
ありましたが、ちと大げさですが、そういったイメージの小説です。


 実は、北さんは私とは無縁な人ではありません。もちろん、親戚とかでもないし、知り合いでもありませんが
新旧の違いはありますが、大学の先輩にあたります。

 北さんが旧制松本高校で、私は新制信州大学人文学部(文理学部が改組され、私の当時は人文学部でした)で、
現在は「あがたの森公園」となっていますが、同じ松本高校時代の校舎で勉強しました。
 我々が旧制松本高校の校舎で勉強した最後の卒業生となりました。現在は松本市内ですが、別のキャンパスに
統合されています。

 私は入っていませんでしたが、校庭の隅には「思誠寮」という学生寮が当時もあって、そこには北さんの
落書きがあると、有名な話でした。
(その落書きは、あがたの森の記念館に今もあると聞いています。一度も見ていないですが)

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (かぜこ)
2013-07-08 10:22:56
釉さんのブログでお見かけし、実は日々拝読させていただいておりました。
釉さんとは数年前、私のブログにコメントいただいてからのお付き合いです。
ブログから垣間見える釉さんの素直なお人柄やきらきら輝く知性に惹かれ今日に至ります。
楡毛の人びと、私もずいぶん前に読みました。
私も以前読んだ本を読み返しています。
当時とはまた違うところに視点を向けることができたり、深く感じたり、新鮮さを感じたりします。

これからもどうぞよろしくお願いいたします(^-^)

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楡家の人びと ()
2013-07-08 20:27:43
その昔、就職したばかりの頃、
勤務先で研究図書費が支給され、購入しました。
あの大著が一冊になっていたせいか、忙しかったせいか、
途中で挫折しています……
茂吉夫人の齋藤輝子、北杜夫の娘の齋藤由香さんのエッセイを面白く読んだので
またチャレンジしてみたいなと思っていたのです。
もう少し落ち着いたら、読んでみます♪

あがたの森、松本で一番好きな場所の一つです。
でも落書きは記憶がなくて……

あ、かぜこさんがいらしていますね♪
勿体ないお言葉を頂戴しておりますが、
お仲間が広がるのは嬉しいですね~
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かぜこさん (hiroべ)
2013-07-08 21:09:49
はじめまして。
訪問、カキコありがとうございます。
日々訪問頂いていたということで、恐縮です。

釉さんは、今では貴重な日本女性の良さを備えた方だと
思っています。
私の方は、団塊世代で、いわゆる企業戦士世代ですが、早々と引退し、主夫も今一といったところで、現役で頑張る
皆さまには、いささか後ろめたさを感じている次第です。

北さんの作品は、大学卒業後にしばらくして、2,3作品読んだ記憶があります。
楡家の人びとも内容は全く憶えていませんでした。
これを機会に多くの作品を読むつもりでいます。

拙いブログですが、よろしければ今後もご訪問頂ければ
幸いです。よろしくお願い致します。
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釉さん (hiroべ)
2013-07-08 21:20:19
楡家の人びと、本当に久しぶりに読みました。
こんな内容だったんだ、と思いながらの再読でした。
今度は、概要ぐらいは忘れないで済みそうな気がします。
それと、卒業後北作品読もうと思っていて、ほとんど読んでいなかったので、
今度は多くの作品をじっくり読もうと思っています。

あがたの森、お好きとはうれしいですね。
あのヒマヤラ杉を見ると、帰ってきたなーー、と思いますね。
私には特別な場所です。
落書きが記念館に残っていると聞いたのは、30年ほど前です。
もうないのかもしれませんね。

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