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hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

父からの手紙:第20回(1993年12月10日)

2013-11-20 09:13:15 | 父からの手紙
 父からの手紙20回目をお届けします。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1993年12月10日 父81歳

 “義母からの歳暮の返礼”

 拝呈

 昨日は御心尽の品御送り戴き厚く御礼申上ます。

 本年は、冷害に依る御米の大不作で有り、押し迫った現在の米の問題、テレビ等で見て居て國民全体が
心配して居る事と想ひます。最全を尽して努力してくれる事を切に願ふ気持です。

 御母様、其の後御体如何ですか。向寒の折柄、折角御自愛下さいます様御願ひ申上ます。

 尚、現在の不況の深刻さも大変な様で、産業戦士で有るHE“私”さん達の御苦労も拝察出来る様に想われます。

 御蔭様で婆さん外家内一同○い今は元気に過し居りますので、御正月休みは十二分静養され体力をつけて
下さいます様御願ひ申上ます。

 尚、TA“次兄”、SI“三兄”達も変り無く居り様子です。

 後半ヶ月余りで新しい年を迎えます。御体大切にされ佳いお新年を迎えられます様。

 IE“義母”様                            SI“父”
 HE“私”                              外一同
 ME“妻”

 十二月十日

 敬具

父からの手紙:第19回(1993年8月2日)

2013-10-29 09:12:36 | 父からの手紙


 父からの手紙19回目をお届けします。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。


 1993年8月2日(葉書) 父80歳

 “義母宛のお中元の礼状”

 暑中御見舞申上ます。

 長い梅雨期も漸く終り、八月を迎えましたが、今年は台風も多く、不況の上に、
盛夏も短かいとも云われて忌ますが如何でしょうか。

 昨日は、梅園小学校でソフトボール大会が擧行され、KK“姪”達梅二は一回戦で
敗退致しました。次日曜日(八日)、七尾“義姉の実家”の恵美ちゃん(末娘)の
結婚式が有り、丁度夏休みですので、KKも連れて六日出発するとの話、TS“義姉”から聴きました。

 私も、盆の墓参にだけは行く予定にして居ります。

 先日は、海苔御送付戴き厚く御礼申上ます。

 校野球が始まるので楽しみにして居ります。

 八月二日

 取急ぎ御礼右まで “原文は縦書きです”

                                     敬具


∞∞∞ ∞∞∞ ∞∞∞ ∞∞∞ ∞∞∞ 

 冒頭の写真は、父が造ったカエルとカメです。
 それぞれ実際のモデルがいました。カエルは実家の縁の下の住人、カメは私が近くの
池で捕まえてきたものです。
 形見であるとともに、昔を懐かしく思い出させてくれます。





父からの手紙:第18回(1992年12月)

2013-10-02 10:20:45 | 父からの手紙
 父からの手紙18回目をお届けします。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1992年12月 父80歳

 “義母から贈答品に対する返礼”

 拝啓

 本年も愈々(?)残り少なく成って参りました。相変ず御無沙汰致し居り申訳有りません。

 此の度は、美味しい煎餅御送付戴き美味しく頂戴致しました。

 老人クラブ秋旅行が、長野の湯田中温泉行きが先月有りましたが、SI“三兄”達が、飛騨路の
高山と下呂の中程の小坂から東に二、三里入った湯屋温泉に(飛騨川支流小坂川沿い)連れて行って
くれるとの話、御好意にあまえて婆さんと二人で行って来ました。

 丁度、前に眞紅な紅葉が川に映えて正に美観、其れに部屋から其れを見ながら食べる食事も、
実に美味、団体旅行に無い家族旅行の楽しみ満喫させて貰ひました。

 帰り中央高速で恵那山トンネルぬけて、昼神温泉にマワりました。山々の紅葉が実に美しく、
雄大な自然の紅葉美に打たれました。

 先般、ラジオでしたか、予報に依れば、此の冬はやゝ寒い由(昨年が暖か過ぎた?・・・)、
元々冬は寒いが当然、私の子供の頃はもっともっと寒かった様に想える。
併し、私には風邪を引く事は入院と通じて居ると想ねば成らぬので、十分注意する心算ですが。

 皆々様も向寒の折、くれぐれも御体大切にされ、明るく佳い正月を迎えられます様。

 乱筆平に御許し下さい。

 IE“義母”様                             SK“父”
 HM“私”
 ME“妻”




父からの手紙:第17回(1992年10月10日)

2013-09-10 09:10:05 | 父からの手紙
 父からの手紙17回目をお届けします。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1992年10月10日 父79歳

 ‘義母からの贈答に対するお返しに添付された手紙’

 久しく御無沙汰申志居り申訳有りません。

 其の後、御体の様子如何ですか。御父様が居られませんので、何かと御苦労も多く、御心労と
推察申上げます。御体十二分御自愛下さいます様、切に御願申上げます。

 先般、結構な品頂戴致し、折返しの御?書親と入違いに御便り頂戴致し、一度御?書差上げねばと
想ひながら、延引致し誠に申訳御座いません。

 私も今年丁度八十才に成り‘翌月が誕生日で80歳’、自分ながらよく此れ迄生きれたと感謝致し居り、
婆さん共々よたよたですが、生有る間は出来るだけ迷惑をかけるのを少なくする様にと、心掛度いと想って
居ります。

 昨日は、老人クラブの慰霊祭が有り、相憎の雨天でしたが、東公園に世尊寺と云う寺行はれました。
(此の寺は、岡崎生まれの世界的な地理学者、志賀重昂が昭和初年頃、市依り土地の寄附を受け建立した寺です。)

 先日、SI‘三兄’達から話が有り、今月二十一日、二日岐阜県の湯屋温泉に(飛騨小坂?)連れて行ってくれる
と云ふ話が有り、婆さんは体がえらいからと余り進まぬ口振りでしたが、近いし車で行くので、無理はしないから
との話で、連て??つて貰ふ事に致しました。下呂温泉のすぐ上の辺で、飛騨川べりで大変渓谷の美しい処の様で、
私は楽しみに致し居ります。

 此の前の日曜日(十一日)梅園小学校の運動会が有り、御蔭て快晴に恵まれ、近いので半日遊んで来ました。
KO‘姪’は、親りで尻から二番でした。私はいつも尻から一番でしたので「じいさん」譲りかも知れません。

 (旧道で見付けました。御笑味下されば幸です。)
 御体、皆々様大切にして下さいます様
                                     SK‘父’
 皆々様

父からの手紙:第16回(1992年4月?日)

2013-08-14 08:55:18 | 父からの手紙
 父からの手紙16回目をお届けします。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1992年4月?日 父79歳

 ’特段のイベントもありませんでしたが、近況報告の手紙です’

 拝啓

 此の処寒さが一寸戻って来た様ですが、早や四月も半ば、此の寒さが過ぎれば、春本番の
暖かさが来るでは無いかと期待して居ります。

 皆様其の後御変り御座いませんか。御母様如何ですか。折角、御自愛下さる様御願ひ致します。

 此の冬は、当地では風邪が大変はやり、KO‘姪’が一番ひどくやられ、学級閉鎖とかで熱もく
回復がやゝ遅れ、私も腹をこわし心配しましたが、御蔭で入院迄ではゆかず有難く想って居ります。

 本宮山の裏に作手村と云う処が有り、四、五年前、明正大学(令者教室)の社会見学で一度
行った事が有り、寒狭川の上流でも有り、アマゴが釣れる由、私の釣りの友人で鈴木さん
(名鉄を退職された方)が、車でわらび採りと釣りを兼ねて、今月の終り頃に辦当持ちで一日
遊びに行こうと誘って戴いて居り、楽しみに志て居ります。
 わらび採りも箱柳や隆生寺の様な近くでは採る処も少なく、駄目に成ってしまひました。

 岡崎も昨年、プロの野球も出来る立賑な野球場が隆生寺に完成致しました。SI‘三兄’の処の
長女昨年成人式、当年は次女が短大に入りました。TA‘次兄’の長男は昨年校に入り、次男が来年、
校に入ると想ひます。
 KS‘母方の叔父’君宅には久しく御無沙汰志て居り、暖かく成ったので一度遊びに行く心算で居ります。
 KZ‘母方の伯父’の七カイ忌の法事が今年は有ると想ひますが、流れる年月の早さ志みジミと感じます。

 老人クラブの総会も終り、一寸暇に成り、想付くまゝに近況一筆致しました。

 (SI‘三兄’の奥さんの御父様が亡くなられ、先日葬儀に行って参りました)

 皆様のご健康切に御祈り申志居ります。

 皆々様                             SK‘父’