二年壬寅(みづのえとら)に、太上天皇、参河国に幸(いでま)す時の歌
引馬野(ひくまの)に にほふ榛原(はりはら)入り乱れ 衣(ころも)にほはせ 旅のしるしに(万1-57)
いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ 安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻み行きし 棚なし小舟(をぶね)(万1-58)
引馬野に色づいている榛(ハンの木)の原、その中に入り乱れて衣を染めていきましょう、旅のしるしに。。。
今頃、どこに舟泊まりしているのでしょうか、、安礼の崎を漕ぎ進めて行ったあの横板もない小さな舟は。
大宝2年(702年)に、持統天皇、三河国行幸の歌で万葉集に残され、引馬野、安礼の崎ともに、愛知県宝飯郡御津町御馬のあたりとされています。
愛知県の万葉故地は数える程しか知りませんが、この行幸の時に持統天皇が植えたと伝承の残る桜の古木があるというので、友人たちに誘われていってきました!
奈良の万葉故地は何カ所か訪ねていますが、なんと愛知県は初!
場所は岡崎市奥山田町。
持統桜といわれるこの桜は、1300年前、第41代持統天皇が「三河富士」の異名をとる村積山を行幸された際に植えたと地元では伝承が残っているようです。桜はエドヒガンの仲間で樹高17メートル、枝張りは東西15メートル、南北17メートル。
想像以上の迫力に圧倒。
伝承の域は脱し得ないものの、地域で守り続けてみえる真心と歴史の重みを感じた古木に心動かされた時間となりました。
来年は満開のしだれ桜の時期に是非!そう誓った3人でした!
欲張りな女3人旅ですので、楽しみは1つだけでは満足できないっ!ということで彼女おすすめのコーヒー店「豆蔵」へも花見前に立寄り。
ラテアート日本一のお店だそうで、最近はまっているカプチーノをオーダー。
コーヒーのお味は全く鈍感な私ですが、今迄飲んだコーヒーの中で一番美味しかった!
コクはあるんだけど、後味が残らないっ!
こちらはモーニングについたクロワッサンとコーヒーゼリー、そしてフレッシュオレンジ。
モーニングは愛知県では当たり前なんです。飲み物のお値段でこんなについちゃう!
花見を堪能した私たちは、お昼に予約していた和食やさん「匠ya」さんで和食ランチを頂き、帰路につきました。
お膝元、愛知(あゆち)と万葉集。
紐解けば、奥深いものなんだろうなあ、、、。
でも、奈良が私を呼んでいる、、、気がしてなりません(笑)
引馬野(ひくまの)に にほふ榛原(はりはら)入り乱れ 衣(ころも)にほはせ 旅のしるしに(万1-57)
いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ 安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻み行きし 棚なし小舟(をぶね)(万1-58)
引馬野に色づいている榛(ハンの木)の原、その中に入り乱れて衣を染めていきましょう、旅のしるしに。。。
今頃、どこに舟泊まりしているのでしょうか、、安礼の崎を漕ぎ進めて行ったあの横板もない小さな舟は。
大宝2年(702年)に、持統天皇、三河国行幸の歌で万葉集に残され、引馬野、安礼の崎ともに、愛知県宝飯郡御津町御馬のあたりとされています。
愛知県の万葉故地は数える程しか知りませんが、この行幸の時に持統天皇が植えたと伝承の残る桜の古木があるというので、友人たちに誘われていってきました!
奈良の万葉故地は何カ所か訪ねていますが、なんと愛知県は初!
場所は岡崎市奥山田町。
持統桜といわれるこの桜は、1300年前、第41代持統天皇が「三河富士」の異名をとる村積山を行幸された際に植えたと地元では伝承が残っているようです。桜はエドヒガンの仲間で樹高17メートル、枝張りは東西15メートル、南北17メートル。
想像以上の迫力に圧倒。
伝承の域は脱し得ないものの、地域で守り続けてみえる真心と歴史の重みを感じた古木に心動かされた時間となりました。
来年は満開のしだれ桜の時期に是非!そう誓った3人でした!
欲張りな女3人旅ですので、楽しみは1つだけでは満足できないっ!ということで彼女おすすめのコーヒー店「豆蔵」へも花見前に立寄り。
ラテアート日本一のお店だそうで、最近はまっているカプチーノをオーダー。
コーヒーのお味は全く鈍感な私ですが、今迄飲んだコーヒーの中で一番美味しかった!
コクはあるんだけど、後味が残らないっ!
こちらはモーニングについたクロワッサンとコーヒーゼリー、そしてフレッシュオレンジ。
モーニングは愛知県では当たり前なんです。飲み物のお値段でこんなについちゃう!
花見を堪能した私たちは、お昼に予約していた和食やさん「匠ya」さんで和食ランチを頂き、帰路につきました。
お膝元、愛知(あゆち)と万葉集。
紐解けば、奥深いものなんだろうなあ、、、。
でも、奈良が私を呼んでいる、、、気がしてなりません(笑)
ところで薬師寺に、この「持統桜」の若木を数年前に植樹してるそうですね。
古事記・日本書紀編纂1300年を迎えて、伝承地など日の目を見る昨今です。
1300年の古桜・・・枝ぶりは、まだまだお若く元気のある樹とお見受けしました。
満開の姿も見たいものです。
富士山と三保松原が世界遺産登録になったとか・・・。
わが国でも「記紀万葉故地伝承地登録」を呼びかけましょうか?
万葉集、日本書紀、続日本紀ともに三河行幸を知る事ができます。
薬師寺の持統桜は、記念樹として植えられたそうで、三河との交流に持統天皇を目を細めてみえるのかもしれません。しかしあくまで伝承ということで、史料から読みとることは難しいようです。
大宝二年(702年)10月13日三河に出立、11月13日尾張、17日美濃(岐阜県)、22日伊勢、24日伊賀、翌日帰京しています。
702年というと、都は藤原京。もしかしたら忍坂街道を上っていかれたのではと思うだけでワクワクしてしまいます。
次回忍阪訪問は徒歩で(笑)、、、三重県境辺りで早くもダウンしそうです(笑)やはりここは手漕ぎの舟旅がいいかしら、、、乗り継いで泊瀬川を下るコースです(笑)
まさかこんな所で繋がるとは思いませんでしたo(^▽^)o
この桜は愛知県在住のきくち寛さんが「いにしえ桜」と題して歌ってますo(^▽^)o
その桜を知りたくて訪れた記憶が蘇りました(^-^)/
どういった内容の歌詞かはわかりませんが、「いにしえ」とつくところから、きっとこの桜の由縁をご存知で歌を作られたのでしょうね。
風土を知ることは、万葉集に限らず現代の歌謡においてもとても大切なことなのですよね。
想いの馳せかたはそれぞれですが、想いの深さは共通なのかもしれませんね。