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第1回 万葉歌で綴る万葉の旅 ~山の辺の道から忍阪へ~ 後編(忍阪)

2009年11月15日 | 万葉歌で綴る万葉の旅
仏教伝来の地を後にした私たちは次の目的地、粟原寺跡へと移動。
粟原の集落へ入ったところで車を止めて徒歩にて粟原寺跡へと向かう。
集落を貫く小川のせせらぎの水は清くとても澄んでいる。
家並みも昭和の香りが残った集落が多く何とも歩いているだけで懐かしい気持ちにさせてくれる場所だ。
色づいた木々の木洩れ日の差込む坂道を登りきった小高い丘上にそれはあった。
礎石が無造作に置いてあり、伽藍配置を確認することは難しいが寺の創建は次のようである。
中臣大嶋(なかとみのおおしま)が草壁皇子(天武天皇と持統天皇の息子)の冥福を祈って寺院の建立を発願。その後、大嶋の遺志を継いだ比売朝臣額田(ひめのあそんぬかた)が持続天皇8年(694年)から造営を始め、和銅8年(715)までに伽藍と金堂を造り、釈迦丈六尊像を完成。その後三重塔も建立されたようだ。
この比売朝臣額田こそ額田王ではないかという一説もあり、その由縁で額田王の終焉の地ではないかとも言われている。
いずれにせよこの場所は天武・持統朝抜きでは語れないことは事実のようだ。
この場所に万葉歌碑が1基。

古に恋ふる鳥かも弓絃葉の 御井の上より鳴き渡り行く 巻2-111 弓削皇子

古に恋ふらむ鳥はほととぎす けだしや鳴きし吾が思へる如 巻2-112 額田王

意訳:弓削皇子  昔を懐かしがってあのゆずるはの茂る井戸の上を鳴いていくあの鳥の名は何というのでしょうか。
   額田王   昔を懐かしがって鳴いているあの鳥の名はほととぎす。まるで私の心の内のように何度も何度も鳴いているわ。

この歌は弓削皇子、額田王ともに中国 蜀王の伝説に基づいた歌であるとも言われており、互いがほととぎすということを知っていて歌詠みをしたといわれている。
額田王の晩年の句といわれているので、この場所にこの句の歌碑があるというのはしっくりくる。

礎石には秋山からこぼれ落ちた色づいた葉がしっとりと降り注ぎ、礎石をあたかも隠しているようにも思え、思わず手で払ってみた。
礎石にこめられた思い。1350年前に一機にタイムスリップした瞬間でもあった。
粟原寺跡は想像以上に美しく、そして次の目的地である忍阪へいくにはここ抜きでは考えられない場所であったことがわかり、ご案内いただいたT氏にただただ感謝する私だった。
昼食は柿の葉寿しを準備して下さっていた。
いつも飛鳥から愛知へ帰る際、桜井にある「ヤマトの柿の葉寿し」で購入するものと同じ場所、同じもの。
そしてまたこのヤマトの柿の葉寿しに、とあるご縁があったことがわかり更に感動。
柿の葉寿しのお味はいつものようにとっても優しかった。
大和には不思議なご縁がたくさんある。
普段の柿の葉寿し以上にさまざまな思いを感じながら頂いた昼食は格別であった。

昼食を済ませた私たちはまず石位寺へ向かう。
予約時間に併せ更なるお仲間との合流の13時を過ぎていた私たちは足早に。
それが何だか嬉しかった。
万葉集に歌われている忍阪を今、自分が歩いている。
Tさんの背中を追いながらそんなことを考えていた。
石位寺に到着するとすでに今回ご案内頂ける地元の役員の方と、合流する予定のお仲間たちが待っていて下さった。
早速拝観へ。
石位寺にある石仏は元栗原寺にあり、栗原川氾濫で流されてここにたどりついた、白鳳時代の薬師三尊であると伝えられている。我が国に現存する最古の石仏で国の重要文化財の指定を受けている。
天蓋を持つ丸みを帯びた顔立ちである石仏は、朱がかすかに残る部分も裸眼で確認できる。
地元の方々によって現存する最古の石仏として守られるいるというところにも忍阪の思いを感じることができた。
次に向かったのは舒明天皇陵。
上八角下方墳で3段築成の方形壇の上に2段築成のわが国初の八角墳が築かれているという墳丘からなる。
古墳の専門家とご一緒だったため説明を受けその八角墳の痕跡を確認できた。
(これは自分だけの訪問ならただ手を合わせて帰っていくだけだった)
天智、天武、そして間人皇女の父である舒明天皇。
何だか日本書紀のページを開いているような気がしたのは私だけではなかったかもしれない。
その舒明天皇陵を右手にあがっていくと今回の最大の目的地、鏡王女の万葉歌碑が秋山の樹の下をひっそり静かに流れているところにあった。

「秋山の樹の下隠り逝く水の 吾こそ益さめ御思ひよりは」 巻1-92 鏡王女

意訳:秋山の樹の下を静かに深く流れる山清水の如く、あなたが思っている以上に私は深くあなたのことを思っています。この山清水は私の心そのものなのです。

今回訪れたのが11月5日。37年前のこの日、ここに犬養孝先生が立っておられた。
この万葉歌碑が建立された日である。
同じ場所に立っている。もうそう思っただけで感無量だった。
そこで「秋山の樹の下隠り」の万葉歌を同行した方から促されてアカペラで歌わせて頂いた。
この曲を作ってからずっとずっと思い描いていた日であった。
でも鏡王女は代弁ともいえるこの歌を望んでいたのだろうか。
この内容で納得していただけたんだろうか。
そんなことを帰宅してから更に自問自答しているが、いまだ答えは見つからない・・・。

そしてその左前方にみえる鏡王女墓へ。
そこはすでに松の木は立ち枯れ愛読書に掲載されていた写真のおもかげすらなかったが、この下に眠る鏡王女と会えた気がしてならなかった。
見上げてみると常緑樹から木洩れ日が差し込みひっそりとそして静かな場所であった。
万葉歌碑、鏡王女墓ともにそこはまさに鏡王女そのものであった。

こうして終わりを向えた今回の万葉の旅。
ここで終わることなく、2回、3回つなげていきたいと思っている。

今回ご一緒できたみなさまに感謝申し上げます。






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