河の上の ゆつ磐群(いはむら)に 草生(む)さず 常にもがもな とこおとめにて
万葉集巻1-22 吹黄刀自
この歌は、伊勢神宮へと向かう十市皇女、阿閉皇女、そして皇女たちに従った吹黄刀自が、途中波多横山の巌(いわお)をみて、十市を思い詠んだのではとされている歌です。
最初のユニット名の「とこおとめ」は、この歌からつけた程に、歌への思い入れは相当なものをもっており、今回イベントにからめていよいよこの曲にも取り組むことに。
歌詞の部分でどうしてもこの目で確認したくなり、先日名張から波多の横山を歩いてきました。
まずは名古屋から一路名張へ。
今回は2回目の再訪となる夏見廃寺へ。
(馬酔木の花のつぼみがふくらみはじめていました。万葉集にある如く2月初旬開花でしょうか。思いが募ります)
夏見廃寺では、夏見廃寺展示館が併設されており今回はこの中の展示遺物と復元金堂を前に思いを馳せてきました。
母がデーサービスから帰ってくる前に自宅に戻らねばならない為、後ろ髪を引かれるもいそいそと次の目的地、波多の横山へ移動。
波多の横山は、現三重県津市一志町八太と言われています。
最寄り駅は、JRでもいいのですが、やはり乗りなれている近鉄電車で移動し、川合高岡で下車。
伊勢中川駅の次の駅です。
駅で降りたのは、私1人。嬉しくなります(笑)
いきなり、運命の分かれ道!?
左は国道。これをいけば近道は間違いないのですが、、、あえて右の道、初瀬街道へと歩む事を決めてきました。
目的地の波多神社は国道の更に左側の為、大廻りです。
泊瀬にご縁を頂いた私が、今、八太で初瀬街道を歩いている。
なんだかいにしえ人になった気分でした。
しばらくすると初瀬街道の右手に山の山容を捉えました。
ピン!ときました!
これだな、波多の横山は。
「横山」と万葉集題詞に残されている通り、低い山が横に連なっているまさに「波多の横山」
さらに歩くと、今度は川が見えてきました。
橋にはなんと「波瀬川」はせがわって読むのかしら!これにもびっくり。
奈良県桜井市を流れるのは、泊瀬川(はつせがわ。現 はせがわ)
町並みの雰囲気もどこか似ています。
八太の七曲がりを遊んで歩き楽しんだ後に小学校を過ぎると、ようやく元の国道(近鉄も沿っています)にでました。
そして、横切るとこんもりした森が波多神社。
この付近には白鳳時代の寺院があったようで、私の下調べ不足。次回再訪の折の課題となりました。
(石灯籠には、元禄の文字が。もう1つは稲垣八兵衛と献灯者の名前が刻んであった)
(波多神社付近から見る波多の横山)
歌の風土を十分感じる事ができ、大満足の旅となったのは嬉しいが、波多の横山を歩いて知ったことで更に知りたくなってしまったのは、もしかしたら私は万葉びとの生き残りなのかもしれないと自分に笑って帰路についた私です。
万葉は青春のいのち。
犬養先生の言葉を胸に。
万葉集巻1-22 吹黄刀自
この歌は、伊勢神宮へと向かう十市皇女、阿閉皇女、そして皇女たちに従った吹黄刀自が、途中波多横山の巌(いわお)をみて、十市を思い詠んだのではとされている歌です。
最初のユニット名の「とこおとめ」は、この歌からつけた程に、歌への思い入れは相当なものをもっており、今回イベントにからめていよいよこの曲にも取り組むことに。
歌詞の部分でどうしてもこの目で確認したくなり、先日名張から波多の横山を歩いてきました。
まずは名古屋から一路名張へ。
今回は2回目の再訪となる夏見廃寺へ。
(馬酔木の花のつぼみがふくらみはじめていました。万葉集にある如く2月初旬開花でしょうか。思いが募ります)
夏見廃寺では、夏見廃寺展示館が併設されており今回はこの中の展示遺物と復元金堂を前に思いを馳せてきました。
母がデーサービスから帰ってくる前に自宅に戻らねばならない為、後ろ髪を引かれるもいそいそと次の目的地、波多の横山へ移動。
波多の横山は、現三重県津市一志町八太と言われています。
最寄り駅は、JRでもいいのですが、やはり乗りなれている近鉄電車で移動し、川合高岡で下車。
伊勢中川駅の次の駅です。
駅で降りたのは、私1人。嬉しくなります(笑)
いきなり、運命の分かれ道!?
左は国道。これをいけば近道は間違いないのですが、、、あえて右の道、初瀬街道へと歩む事を決めてきました。
目的地の波多神社は国道の更に左側の為、大廻りです。
泊瀬にご縁を頂いた私が、今、八太で初瀬街道を歩いている。
なんだかいにしえ人になった気分でした。
しばらくすると初瀬街道の右手に山の山容を捉えました。
ピン!ときました!
これだな、波多の横山は。
「横山」と万葉集題詞に残されている通り、低い山が横に連なっているまさに「波多の横山」
さらに歩くと、今度は川が見えてきました。
橋にはなんと「波瀬川」はせがわって読むのかしら!これにもびっくり。
奈良県桜井市を流れるのは、泊瀬川(はつせがわ。現 はせがわ)
町並みの雰囲気もどこか似ています。
八太の七曲がりを遊んで歩き楽しんだ後に小学校を過ぎると、ようやく元の国道(近鉄も沿っています)にでました。
そして、横切るとこんもりした森が波多神社。
この付近には白鳳時代の寺院があったようで、私の下調べ不足。次回再訪の折の課題となりました。
(石灯籠には、元禄の文字が。もう1つは稲垣八兵衛と献灯者の名前が刻んであった)
(波多神社付近から見る波多の横山)
歌の風土を十分感じる事ができ、大満足の旅となったのは嬉しいが、波多の横山を歩いて知ったことで更に知りたくなってしまったのは、もしかしたら私は万葉びとの生き残りなのかもしれないと自分に笑って帰路についた私です。
万葉は青春のいのち。
犬養先生の言葉を胸に。
いつも若々しい少女。また、永久に年をとらない少女。
やはり風香さんにピッタリですね。
川の中の岩に苔や草が生えないように、不変であればいいのに・・・そうすれば永遠に若々しいままでいられるのに・・・。
吹黄刀自の願望だったのでしょうか?
波瀬川・・・と・・初瀬川。泊瀬の宮を懐かしく想い、名付けられたのでしょうか?
一気に親近感を覚えますね。
ユニット名の命名の由来は、確かに願望です(笑)
この歌は、吹黄刀自が十市皇女の立場に立って歌った歌と考えられています。広義に捉えれば、十市だけでなく、阿閉もそして、当時斎王として仕えていた大伯皇女をも思っての歌だったのかもしれません。ですので、どちらかというと祈りめいた歌、とでもいうのでしょうか。吹黄刀自は御言持ち(みこともち)的な存在でもあったとも考えられています。今回の旅はこの「河の上(へ)」を確かめるべく行ってきた次第です。相変わらずの私は一人草をかき分けて、、、今思い出してもかなり怪しいおばさんだったに違いありません(笑)
伊勢にと通じるここ八太は、名張越えをした道中にある万葉故地です。是非機会があれば訪ねてみて下さいね。
5月2日にその名張で上野先生の講演会がありますよ。私もちょこっと出させて頂きます。夏見廃寺創建1320年祭です。