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磐余の池

2014年04月15日 | なごみ
「磐余の池」

万葉集をご存知の方なら、知らない人はいない程。「いわれのいけ」と読みます。

この磐余の池、近年発掘調査が更に進み、最近の発掘結果により磐余の池の推定地とされる全貌が次々と明らかにされています。

大学で文化財歴史学科という学問を学んだ結果得たもの。

それは、文献のみならず遺物や遺跡からもみえる古代を知って、相互に複雑に関係している歴史を学ぶということの大切さ。
どれが欠けても成立しません。

そして、実践。

近年、万葉歌への取り組みに実に生かされているように自身で感じています。

ですので、原文にあたり文献から得られた考察を得て、現地に赴き、歌詞や語りにしたたためる。
自分自身の創造は、必要ないのです。あくまでも基本は史実に忠実に。
万葉歌に加えるのは1滴のエッセンスのみ。
こうした活動に重きを置きつつあります。

そうはいっても、まだまだ風土を歩き足りない。
入会した全国万葉協会でも毎月さまざまな歩く会が催され、ズバリの万葉故地が企画されていると行ってみたいのですが、脊柱感狭窄症と椎間板ヘルニアの腰痛が容赦なく襲ってくるので、距離が歩けません。
ですので、自分のペースでしか歩けないのです。

自分で歩く時は、時間も忘れ休憩しながら歩くものの3キロが限度でしょうか。
これ以上、ついついやってしまった、、いや、歩いてしまった時は、翌日からしばらく痛みにこらえる生活でぐったりしております(苦笑)

閑話休題。

この磐余の池ですが、現代はもとより、1300年以上も前に生活していた人々にとって、どういった池の存在であったのか、どういった位置づけの池であったのか。

気になるところですし、今回歌のキーワードの1つとなっているようにも感じています。

その答えは5月2日に。
万葉歌の世界でも音も通じて明らかにしてみました。

万葉歌終了後には、ずばり奈良大教授、上野誠先生からそのお話が伺えますので、私も上野先生の講演会、すごく楽しみにしております。

さて、現在この磐余の池は、残念ながら水の張った池でなく田んぼになっています。
詳しいことを話しはじめるととまらなくなりそうですので今日はおいておいて、、、。

発掘調査結果によると、その池の周囲から堤の跡が確認されました。

そして、その堤の上には、池を観賞する為の建物だったのかはわからないが建物跡も確認されています。

もし、この堤が、万葉集題詞にある「大津皇子、死を被(たまわ)りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首」とある堤だとしたら、この堤跡からみた光景は、大津皇子がみた光景そのものということになるのです。

そこで、この田んぼを何とか大津皇子のみた景色に再現できないものか、、、、歌の風土をそのままに伝えられないものだろうか、、、色々と苦慮しました。。。。

現在の磐余の池推定地の様子。堤付近から。



こちらは三輪山方面を望む。車がみえる付近右手奥が堤跡。現在はガードレールで整備されてしまいました。。。。。かすかにその名残を残しています。

では、私の汗と涙の結晶、、、いえ、この続きは当日の映像をお楽しみ下さいませ。