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信長の伯母の墓に出会う

2010年11月18日 | いにしえから学ぶ

014_2  紅葉を楽しんで歩いた平和公園。手すりにもたれかけ、下をみる。変った墓石に掘られた文字をみてビックリ。「織田信長公伯母君也」とある。そこは「梅屋寺」の墓地でした。五輪の塔が、L字型の別の墓石に乗っている。戒名は「梅屋慶香大姉」とある。天文二十一年任子三月二十四日。五輪の塔には文字はなく、文字はすべてL字型の石に彫ってある。「当寺造建」と戒名の頭に明記されていた。

 天文二十一年は1552年です。その前年に信長の父、信秀が没して家督を17歳の彼が継いでいる。その翌年に伯母はなくなっている。梅屋寺はもと清洲にあったらしく、そこに葬られたということは、遠方に嫁いだのではないと推測。寺は現在清洲越えで?名古屋の東桜にある。

 この時代の家系図は男子にっいてははっきりと書かれているが、女性はアバウトです。この伯母の実名はわからない。

 同じ叔母でも岩村城の女城主といわれる「おつや」の方は有名です。武田側についた信長の叔母であるが、彼の怒りをかい、1575年に逆さ磔刑となった。これは梅屋寺の伯母が亡くなってから23年後のことです。

 この二人の姉妹(信長の父、信秀の姉と妹)、姉の生き様はわからねど戦国の世はすざましい。013