50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

ド・ゴール時代への愛惜。

2008-02-29 02:39:18 | パリ
古き良き時代・・・いつの世になっても、あの時代は良かったと多くの人々が溜息とともに思い出す時代というものが常にあるのではないでしょうか。今日のフランス人にとって、それは・・・


やはり、この人とともに戦った時代、歩んだ時間になるようです。シャルル・ド・ゴール・・・凱旋門のある広場やパリの玄関口である空港にその名を残している、偉大な将軍にして大統領。現在のフランス第五共和制の創設者。この傑出した人物の一生を紹介する施設が、偉人に相応しく、アンヴァリッド(l'Hotel des Invalides)の地下に、23日オープンしました。サルコジ大統領が出席してのセレモニー・・・

それを記念するプレートも掲げられています(影の人物は私ではありません、悪しからず。念のため)。

展示施設は、中心に映画館のようなマルチスクリーンの上映施設があり、その周囲を、ド・ゴール将軍の人生を紹介するさまざまな映像や資料の展示スペースがぐる~っと取り囲んでいます。面積2,500㎡。さすが今日でも最も敬愛されている大統領、内容もしっかりしたものになっています。凱旋門に最近オープンした、がっかりの展示施設とは大違い。どう違うかというと・・・

まずは、マルチスクリーンの上映施設から。

正面に(当然ですが)5面のマルチスクリーン。それぞれが異なる映像を見せたり、2面x2プラス1面だったり、さまざまに変化しながら、ド・ゴール将軍の生涯、特に第二次大戦勃発以降の激動の人生を、紹介しています。客席数200。25分の映像が15分の休憩を挟んで開館時間中つねに上映されています。途中での入退場も自由。


さまざまな技術の進歩により、多くの映像資料が歴史の証人として残されるようになっていますが、ド・ゴール将軍は、その一挙手一投足が映像に記録された最初のフランス国家元首だったそうです。多くのビデオ、写真・・・ほとんどはモノクロですが、晩年にはカラーも。

ただ、この25分に上手にまとめられた映像は、ほとんどが周囲のスペースにも展示されているもの。最初に25分の映像で概略をつかんでから詳細に見るもよし、細かく見た後でまとめ・確認として25分映像を見るもよし。


周囲では、その偉大な指導者の誕生から死までを、年代順に辿ることができます。


Charles Andre Joseph Pierre-Marie de Gaulle(シャルル・アンドレ・ピエール・マリー・ド・ゴール)、1890年11月22日―1970年11月9日。祖父、父ともに歴史学者で、父はイエズス学院の校長を務めていました。ド・ゴール将軍も、歴史への造詣が深く、そこから「フランスの名誉と伝統」に異常なまでの誇りを抱くようになったと言われています。陸軍士官学校を経て、陸軍少尉に。その時の上官が、後のナチス傀儡政権であるヴィシー政権の指導者となるペタン元帥。第一次大戦中には大尉になるも、捕虜生活も経験。第一次大戦後はポーランドの軍事顧問になったり、陸軍士官学校の軍事史担当の教官になったり。そして、陸軍大学へ。しかし、勤勉で博学ではあったものの、性格的に人付き合いがよくなかった。そのせいか大尉から少佐になるまで10年もかかったそうです。それでも、「わが道を行く」を決して変えなかった。信念の人、あるいは、頑固者。


しかし、人付き合いよりも、軍事の専門家としての能力が評価されたのか、第二次大戦が始まると、フランス軍史上最年少で将軍に。大尉で足踏みしていた10年間に士官学校での同期には大きくリードされてしまったのでしょうが、「勝負は下駄を履くまで分からない」を地で行くような出世振りですね。1940年にはロンドンで「自由フランス国民委員会」を結成し、BBCを通して徹底抗戦を呼びかけ、多くのフランス人を奮い立たせました。


パリ解放は、1944年8月25日。戦後処理などを巡っては、チャーチル首相やルーズヴェルト大統領と対立する場面も。ド・ゴール将軍の毅然とした態度は、傲慢にも横柄にも見えたようで、ルーズヴェルト大統領はド・ゴール将軍を心底嫌ったようです。ド・ゴール将軍の毅然とした態度の源は、「フランスは偉大さなくしてフランスたりえない」という信条なのかもしれません。フランスは偉大である・・・根拠はともかく、とにかく偉大なのである・・・今でも、多くのフランス人の心の奥底にはこの信条がしっかり受け継がれているような気がします。


解放後、首相になるも、1946年には辞任。回顧録などの執筆に励んでいたところ、アルジェリアの独立戦争などで、国内外が騒然とし、この人なくしては国がまとまらないと、再び担ぎ出されて首相に。そして憲法を改正して、強力な大統領を元首とする第五共和制へ。もちろん、その初代大統領に就任。

アルジェリアの独立を承認するなど、難局を乗り切り、経済も高度成長へ。しかし、ここでも、フランスは偉大なり! 米ソ対立に埋もれることを恐れてか、第三の極を模索。1960年には核実験を強行、66年にはNATOを脱退。しかし、68年の五月革命を多くの国民の支持で何とか乗り切ると、ついに体力・気力ともに尽き果てたのか、引退を発表。1969年4月28日。


引退後は、コロンベ・レ・ドゥ・セグリーズという寒村に引きこもりましたが、約1年半後、この世に別れを告げます。国葬、勲章は一切辞退という遺言に従い(国葬にはなりました)、今も眠るのはコロンベ・レ・ドゥ・セグリーズの墓地。「フランスは偉大でなければならない」・・・しかし、自分は名誉を特に求めず、「わが道を行く」。フランスという国家に一生を捧げた人生だったのかもしれません。だからこそ、今でも敬愛されている・・・

死後、シャルル・ド・ゴールという名の薄い藤色のバラもフランスで生まれました。長身で、貴族的な顔立ちのド・ゴール将軍の面影を髣髴とさせる優雅なバラです。洗練されていて、しかし、頑固に、自尊心はどこまでも強く・・・「フランス」を体現したようなド・ゴール将軍には、今のフランス、どう見えているでしょうか。


“Historial Charles de Gaulle”
ナポレオンの眠るアンヴァリッドと共通チケット(8ユーロ)

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