正月だなんて、今ごろ何を寝ぼけたことを・・・と、ここまでで勘の良い方はお気付きですよね、そう、旧正月、春節です。今年は2月7日が元旦。その新年最初の週末、パリの中華街をいくつか歩いてみました。
パリに一般の中国人が現れたのは、1876年とか。この年に今の浙江省にある温州が開港になってからだそうで、その年には中国人行商人がパリでも見られたとか。1911年の国勢調査では、283人の中国人がフランス国内に住んでいたそうです。その後、第一次大戦の際に、フランスは中国人兵士135,000人を雇ったそうですが、その内2~3,000人が戦後もフランスにとどまったとか。1920年前後には多くの留学生がパリにやってきたそうで、その中の一人が小平。当時は、マドレーヌ界隈、リヨン駅周辺で、家具・食器・絹製品などの商人として居を構える中国人が多くいたそうです。
そして、今日。フランス国籍を取った二世・三世も多く、また華僑として東南アジアへ出てからフランスに渡ってきた人も多く(例えば、流通ビジネスで大成功しているTang(陳)兄弟)、とても何人いるか確定できないそうです。フランス在留日本人は28,000人程度とか言われていますが、中国人はその程度ではなさそうですね桁が違いそうです。しかも、経済成長に伴い、留学生、観光客が一気に増え、パリのそこかしこで、元気な中国語が聞こえています。
さて、さて、前置きが長くなりましたが、肝心の旧正月風景。まずは、1970年代から中国人移民が多く住み付いたという10区・19区・20区にまたがるBelleville(ベルヴィル)界隈から。
店の名前、運送トラックにも中国語表記がしっかりなされています。いかにも、中華街ですね。
ドラや太鼓の音とともに、獅子舞の一団が・・・
パリの街並みに、中国の伝統が不思議とマッチしています。
しかし、ベルヴィルは、中国系だけでなく、多くの地域からの移民の街。
マネキンにもさまざまな民族の特徴が出ています。
次は、ベルヴィル以前から中国移民が住んでいたという3区、ポンピドゥ・センターの北側のエリア。
赤い提灯に「福」の文字。いかにも、ですね。
中国人経営の日本食屋さんでは、「SUSHI」の文字と爆竹をかたどった旧正月の装飾が仲良く並んでいます。
街灯から吊るされた提灯。いかにも、パリの旧正月といったところですね。
この提灯が下げられているモンモランシー通り(rue de Montmorency)には、パリ最古の住宅用建物が残っています(大きなパネルが取り付けられた建物)。以前にもご紹介しましたが、ニコラ・フラメルの家(Maison de Nicolas FLAMEL)。1407年の建造物。このフラメルさん、裕福な商人で貧窮者を助けたりしたそうですが、錬金術に凝り、映画『ハリー・ポッター』にも「賢者の石」を作った人物として名前が出てくるほどの有名人だそうです。
以前ご紹介したときには、今にも崩れそうだったのですが、その後改修されたようで、今では1階がレストランになっています。ランチは18.5ユーロだそうです。パリで最も古い家で食べる味は、格別かもしれませんね・・・
最後は、13区、いわゆるチャイナ・タウン。ただし、このエリア、名前は中華街ですが、中国から直接来た人たちは少数派で、多いのはベトナム人、カンボジア人、ラオス人など。ただ、華僑の多い東南アジア出身の人たちも同じように旧正月を祝いますので、やはり春節のお祝い一色です。しかもここでは、確か中国本土では禁止されている爆竹がにぎやかに弾けていました。
ずらっと並んだ提灯と中国語のバナー・・・春節らしさでいっぱいですね。
Tang(陳)兄弟のビジネスの拠点だけに、その会社が寄贈したのでしょうか、バナーの下部にその名前が出ています。
何組かの獅子舞チームが、いろいろな店をまわっていました。
獅子舞のあとには、爆竹が。舗道に散った赤い紙が爆竹の名残りです。あまりの大音響に、思わず後ずさりするフランス人もいたほどです。
獅子舞チームに西洋人の顔立ちの人たちも加わっていました。中国人との付き合いが深いのか、あるいは中国系なのでしょうか。日仏ならぬ中仏カップルがとても多く目に付きました。しかも、男性が中国系というカップルも結構いました。
店々のショー・ウィンドーには、正月らしいスティッカーが。
ねずみ年といえば、やはりミッキーとミニー。でも、著作権侵害にはなっていないでしょうか・・・思わず心配になってしまいます。9日の夜のニュースでも、中国のねずみ人気が紹介されていました。
この中華街の入り口にあるのが、このマンガ屋さん。漫画という漢字が旧書体ですから、香港や台湾の資本でしょうか。中国人経営の日本の店は、日本食だけではなく、漫画の店にもあるようですね。
ということで、最後に日本に戻ったところで、お後がよろしいようで。といいつつ、一言。これで三度目のパリの春節ですが、今回がいちばん賑やかなような気がします。中国のプレゼンスがそれだけ高まっているということか、中国の景気が良いということなのか、いずれにせよ、大国への道を歩む中国人の自信の現れのような気がします・・・中国パワーをひしひしと感じる、パリの旧正月模様でした。
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パリに一般の中国人が現れたのは、1876年とか。この年に今の浙江省にある温州が開港になってからだそうで、その年には中国人行商人がパリでも見られたとか。1911年の国勢調査では、283人の中国人がフランス国内に住んでいたそうです。その後、第一次大戦の際に、フランスは中国人兵士135,000人を雇ったそうですが、その内2~3,000人が戦後もフランスにとどまったとか。1920年前後には多くの留学生がパリにやってきたそうで、その中の一人が小平。当時は、マドレーヌ界隈、リヨン駅周辺で、家具・食器・絹製品などの商人として居を構える中国人が多くいたそうです。
そして、今日。フランス国籍を取った二世・三世も多く、また華僑として東南アジアへ出てからフランスに渡ってきた人も多く(例えば、流通ビジネスで大成功しているTang(陳)兄弟)、とても何人いるか確定できないそうです。フランス在留日本人は28,000人程度とか言われていますが、中国人はその程度ではなさそうですね桁が違いそうです。しかも、経済成長に伴い、留学生、観光客が一気に増え、パリのそこかしこで、元気な中国語が聞こえています。
さて、さて、前置きが長くなりましたが、肝心の旧正月風景。まずは、1970年代から中国人移民が多く住み付いたという10区・19区・20区にまたがるBelleville(ベルヴィル)界隈から。
店の名前、運送トラックにも中国語表記がしっかりなされています。いかにも、中華街ですね。
ドラや太鼓の音とともに、獅子舞の一団が・・・
パリの街並みに、中国の伝統が不思議とマッチしています。
しかし、ベルヴィルは、中国系だけでなく、多くの地域からの移民の街。
マネキンにもさまざまな民族の特徴が出ています。
次は、ベルヴィル以前から中国移民が住んでいたという3区、ポンピドゥ・センターの北側のエリア。
赤い提灯に「福」の文字。いかにも、ですね。
中国人経営の日本食屋さんでは、「SUSHI」の文字と爆竹をかたどった旧正月の装飾が仲良く並んでいます。
街灯から吊るされた提灯。いかにも、パリの旧正月といったところですね。
この提灯が下げられているモンモランシー通り(rue de Montmorency)には、パリ最古の住宅用建物が残っています(大きなパネルが取り付けられた建物)。以前にもご紹介しましたが、ニコラ・フラメルの家(Maison de Nicolas FLAMEL)。1407年の建造物。このフラメルさん、裕福な商人で貧窮者を助けたりしたそうですが、錬金術に凝り、映画『ハリー・ポッター』にも「賢者の石」を作った人物として名前が出てくるほどの有名人だそうです。
以前ご紹介したときには、今にも崩れそうだったのですが、その後改修されたようで、今では1階がレストランになっています。ランチは18.5ユーロだそうです。パリで最も古い家で食べる味は、格別かもしれませんね・・・
最後は、13区、いわゆるチャイナ・タウン。ただし、このエリア、名前は中華街ですが、中国から直接来た人たちは少数派で、多いのはベトナム人、カンボジア人、ラオス人など。ただ、華僑の多い東南アジア出身の人たちも同じように旧正月を祝いますので、やはり春節のお祝い一色です。しかもここでは、確か中国本土では禁止されている爆竹がにぎやかに弾けていました。
ずらっと並んだ提灯と中国語のバナー・・・春節らしさでいっぱいですね。
Tang(陳)兄弟のビジネスの拠点だけに、その会社が寄贈したのでしょうか、バナーの下部にその名前が出ています。
何組かの獅子舞チームが、いろいろな店をまわっていました。
獅子舞のあとには、爆竹が。舗道に散った赤い紙が爆竹の名残りです。あまりの大音響に、思わず後ずさりするフランス人もいたほどです。
獅子舞チームに西洋人の顔立ちの人たちも加わっていました。中国人との付き合いが深いのか、あるいは中国系なのでしょうか。日仏ならぬ中仏カップルがとても多く目に付きました。しかも、男性が中国系というカップルも結構いました。
店々のショー・ウィンドーには、正月らしいスティッカーが。
ねずみ年といえば、やはりミッキーとミニー。でも、著作権侵害にはなっていないでしょうか・・・思わず心配になってしまいます。9日の夜のニュースでも、中国のねずみ人気が紹介されていました。
この中華街の入り口にあるのが、このマンガ屋さん。漫画という漢字が旧書体ですから、香港や台湾の資本でしょうか。中国人経営の日本の店は、日本食だけではなく、漫画の店にもあるようですね。
ということで、最後に日本に戻ったところで、お後がよろしいようで。といいつつ、一言。これで三度目のパリの春節ですが、今回がいちばん賑やかなような気がします。中国のプレゼンスがそれだけ高まっているということか、中国の景気が良いということなのか、いずれにせよ、大国への道を歩む中国人の自信の現れのような気がします・・・中国パワーをひしひしと感じる、パリの旧正月模様でした。
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いつも純度の高いパリ情報、楽しませていただいています。
今日は、特に、素敵なプロムナードでした。
日本人が行かないパリをリズミカルにグル~ッと廻っていただいて、何故か、ほんとにご一緒にお散歩している気分に・・・
20枚ものフォトとtakeさんのトークが入れ替わりうまくマッチしていて、ついつい引き込まれてしまいました。
初コメントありがとうございます。
中国には7年半も駐在していたので、郷愁というか、関心があるのかもしれないですね。確かに、日本人は少ないですね。でも、いちばん古い家のレストランは、日本人の間でも結構有名なようです。
今後とも、ご訪問・コメント、よろしくお願いします。