『パリは燃えているか』という映画がありました。1966年、監督ルネ・クレマン、共同脚本の一人にフランシス・フォード・コッポラ、出演は有名俳優が綺羅星のごとく。“Paris, brûle-t-il ?”・・・今、そのパリで燃えているのは、高校生たちです。
11日のメトロ紙の第一面です。前日の10日、警察発表で35,000人、主催者発表で80,000人の高校生が全国で街頭に繰り出しました。以前もイギリス・メディアに、「フランス人は今もフランス革命を引きずっていて、何か不満があるとすぐに街頭へ繰り出すが、イギリスは議員を選んで、議会で討議する」と揶揄されていましたが、他国に何と言われようと、フランス式を貫くのがフランス人。ここ2週間で5日目の高校生による街頭デモです。
9日付のフィガロ紙ですが、高校生のデモの背景は、教師数の削減。政府の説明は、中等教育での生徒数が減少している(2000年の561万人から2006年には542万人へ)。一方、教師の数もその傾向に合わせて若干減ってはいるが(2000年の37万人から2006年の36万8,000人へ)、生徒数の減少ほどには減っていない。また、政府の中等教育予算は逆に増え続けている(2000年の479億ユーロから2005年の525億ユーロへ)。財政の健全化、公務員削減の一環として、来年度(今年の秋の新学期)から教員数の削減を行ないたい・・・教師の数が減るとどうなるか。一クラス32人の生徒数だったのが、政府曰くは33人、生徒側曰くは34人に増える。これでは、今までのようなきめ細かな教育が行いにくくなり、また教員の負担が増大する。しかも、選択科目も減らされる(例えば彫刻など)。これでは、教育の質を保つことが出来ない・・・
(10日のパリ、サン・ミシェルでのデモの様子)
というわけで、政府案への反対の意思表示として街頭へ繰り出しているわけです。もちろん、高校生だけで行なっているのではなく、教員組合も一緒に参加しており、正直な生徒曰くは、教員がかなり手助けしてくれているデモだそうです。しかし、それにしても数千人から数万人の高校生が街頭でデモを行い、意思表示をしている。その内容への賛成反対は措いておいても、その行動力、あるいは「参加」(アンガージュマン)への意識にはやはりフランス人のDNAを見る思いがします。社会、政治への関心の高さにも感心させられます。
10日のメトロ紙です。みんなが参加するからついてきた、といった感じではなく、しっかり自分の主張として教員削減に反対している、そんな表情が写真からも読み取れます。高校生の全国組織もきちんとあり(Union nationale lyceenne:高校生全国連合)、また社会主義者や共産主義者の高校生もそれなりに多いそうです。思い込みや独断専行もあるかもしれませんが、それでも少しでもきちんと世の中を理解し、自分なりの意見を持とうとしている姿勢は、さすがだと思います。日本では・・・野暮なことを言うのは止めましょう。
もちろん、フランスといえども高校生はいわゆる勉強をおろそかにしていいわけではなく、大学入学検定試験(Baccalauréat:バカロレア)の合格めざして、しっかり勉強をしています。
3日のフィガロ紙ですが、バカロレアの高校別合格率のトップ・テンとワースト・テンが発表になっています。全体の傾向としては、私立高校の合格率が良くなっているとか。このへんは、日本と同じような傾向なのでしょうか。Louis Le Grand(ルイ・ル・グラン校)とかHenri IV(アンリ4世校)といったパリの名門校はさすがにトップ・テンに名を連ねています。反対にワースト・テンにも、パリ市内や郊外の高校が数多く並んでおり、パリやその郊外では学校間格差が非常に大きくなっているようです。また、木骨組みの家屋で有名なTroyes(トロワ)の街の学校が上位にいるのは教師の質、地域の取組みといった特別な状況があるのかもしれませんね。
受験勉強、社会勉強、そして自我の確立・・・フランスで成人になるのは18歳と日本より2歳早いのですが、高校生たちを見ていると、さらに引き下げても大丈夫なような気さえしてきます。教育事情によるのか、社会を反映させているのか・・・野暮と知りつつ、やはり、思いは日本の高校生へ。
11日のメトロ紙の第一面です。前日の10日、警察発表で35,000人、主催者発表で80,000人の高校生が全国で街頭に繰り出しました。以前もイギリス・メディアに、「フランス人は今もフランス革命を引きずっていて、何か不満があるとすぐに街頭へ繰り出すが、イギリスは議員を選んで、議会で討議する」と揶揄されていましたが、他国に何と言われようと、フランス式を貫くのがフランス人。ここ2週間で5日目の高校生による街頭デモです。
9日付のフィガロ紙ですが、高校生のデモの背景は、教師数の削減。政府の説明は、中等教育での生徒数が減少している(2000年の561万人から2006年には542万人へ)。一方、教師の数もその傾向に合わせて若干減ってはいるが(2000年の37万人から2006年の36万8,000人へ)、生徒数の減少ほどには減っていない。また、政府の中等教育予算は逆に増え続けている(2000年の479億ユーロから2005年の525億ユーロへ)。財政の健全化、公務員削減の一環として、来年度(今年の秋の新学期)から教員数の削減を行ないたい・・・教師の数が減るとどうなるか。一クラス32人の生徒数だったのが、政府曰くは33人、生徒側曰くは34人に増える。これでは、今までのようなきめ細かな教育が行いにくくなり、また教員の負担が増大する。しかも、選択科目も減らされる(例えば彫刻など)。これでは、教育の質を保つことが出来ない・・・
(10日のパリ、サン・ミシェルでのデモの様子)
というわけで、政府案への反対の意思表示として街頭へ繰り出しているわけです。もちろん、高校生だけで行なっているのではなく、教員組合も一緒に参加しており、正直な生徒曰くは、教員がかなり手助けしてくれているデモだそうです。しかし、それにしても数千人から数万人の高校生が街頭でデモを行い、意思表示をしている。その内容への賛成反対は措いておいても、その行動力、あるいは「参加」(アンガージュマン)への意識にはやはりフランス人のDNAを見る思いがします。社会、政治への関心の高さにも感心させられます。
10日のメトロ紙です。みんなが参加するからついてきた、といった感じではなく、しっかり自分の主張として教員削減に反対している、そんな表情が写真からも読み取れます。高校生の全国組織もきちんとあり(Union nationale lyceenne:高校生全国連合)、また社会主義者や共産主義者の高校生もそれなりに多いそうです。思い込みや独断専行もあるかもしれませんが、それでも少しでもきちんと世の中を理解し、自分なりの意見を持とうとしている姿勢は、さすがだと思います。日本では・・・野暮なことを言うのは止めましょう。
もちろん、フランスといえども高校生はいわゆる勉強をおろそかにしていいわけではなく、大学入学検定試験(Baccalauréat:バカロレア)の合格めざして、しっかり勉強をしています。
3日のフィガロ紙ですが、バカロレアの高校別合格率のトップ・テンとワースト・テンが発表になっています。全体の傾向としては、私立高校の合格率が良くなっているとか。このへんは、日本と同じような傾向なのでしょうか。Louis Le Grand(ルイ・ル・グラン校)とかHenri IV(アンリ4世校)といったパリの名門校はさすがにトップ・テンに名を連ねています。反対にワースト・テンにも、パリ市内や郊外の高校が数多く並んでおり、パリやその郊外では学校間格差が非常に大きくなっているようです。また、木骨組みの家屋で有名なTroyes(トロワ)の街の学校が上位にいるのは教師の質、地域の取組みといった特別な状況があるのかもしれませんね。
受験勉強、社会勉強、そして自我の確立・・・フランスで成人になるのは18歳と日本より2歳早いのですが、高校生たちを見ていると、さらに引き下げても大丈夫なような気さえしてきます。教育事情によるのか、社会を反映させているのか・・・野暮と知りつつ、やはり、思いは日本の高校生へ。
文字通り老婆心ながら。
日本では、高校生どころか、大学生も、ちょっと心配になりますよね。大学の入学式に親が一緒に行く・・・もしかすると、心配なのは高校生や大学生ではなく、子離れできない親?
日本でも、18歳から選挙権を持たせようーという案が出ていました。
(今はその案はどうなっているのやら?)
正直、わが子を見て、「コイツが?」と疑問を抱くような状況です。
フランスの高校生の様ならまだ納得も出来ますが、
毎日、ゲームと携帯に明け暮れるわが子では、
「・・・・・。」
教育の違いなのか、やっぱり親が甘いのか?
でもその親自身が、政治について無関心な事が一番の問題なのでは?とも思います。
自分が知らない事は、子供に教える事も出来ません・・・
わたしは外国のことをよく知らないのですが、他国と比較するまでも無く、心配になってきます。
子ども、その親、さらにその親・・・戦後数世代にわたって営んできた社会が今の子どもたちの姿になっているのでしょうね。戦前の古い日本を全否定してしまった際に、背骨までなくしてしまったことが、今の日本に繋がっているのではないかと思ってます。友達親子、真面目はダサい、難しい話は止めよう・・・軽く、明るく、楽しく・・・その結果が今の社会であり、今の子どもたちなのではないでしょうか。軽チャー社会のなれのはて?
ご心配、よく分かります。本当に、心配になりますよね。「軽チャー」と言って難しい、乗り越えるべきものを排除してしまった社会。「ゆとり」と言って自由放任にしてしまった教育。どうなるのでしょうか。「ゆとり」のほうは少し改革されそうですが、「軽チャー」のほうはどうなのでしょう。いろいろな本の復刻版が出るようですが、その読者は青春時代に読んだ中高年だけなのでしょうか。今の子どもたちは・・・?
それとも、ご子息はいらっしゃらないのでしょうか。
最近の、貴殿の文章には、同じ蛙が井の中の蛙を嘲笑うが如く
日本人を馬鹿にしておられますね。
自分は、他の日本人とは違うぞという文章。
高見の見物とでも、洒落ておられるのでしょう。
早期退職でパリ、気楽なものです。
私は退職後、青少年育成のための団体にて、お手伝いする予定です。
貴殿も、能書きばかり垂れておらず、行動すべし。
何が、日本の学生に足りないのでしょう?
「ハングリィ精神」と一言で片付けれる問題では無いですよね?
独立心は養われず、楽な道を探すことに長けてきている。学生だけでなく、もっと上の世代にも「楽で楽しく仲間と一緒に過ごす」という風潮があるように思います。仲間の中に居て、他の人と同じようにしていれば安心。昔の村社会の現代版でしょうか?
海外に住んでいると、特にそれを感じます。
もし今でも日本に住んでいたら、私も仲間の中で、実体の無い安心感を抱いていたかもしれませんが。
わたしは、他者の目を恐れ、細心の注意を払って人と違うことをしない、異分子・単独行動はバッシング、そしてパッシング(無視)の対象になる、諸悪の根源はこんなところにあるのではないかと思っています。
能力よりも意地の悪さに勝るものがその場を支配することもある(みんな自分が苛められるのが怖いですからね)。それでは、独自の意見を述べたり、自分の能力の限界を知ろうと努力するなんてこと出来ません。そんな社会に変化は起き難い。
この問題語りたいことがある方、沢山いらっしゃると思います。takeさん、よくぞこの話題とり上げてくださいました。
(先の投稿で確かめずにupし、おかしな助詞の遣い方をしていました、mmmいけません。 では! lily)
アメリカの反社会的なデモを見慣れてた僕には、このパリ学生のデモはビックリ。新鮮な発見でした。
教育の場を守るために、10代がデモをするとは。。。デモとは体制を破壊するだけじゃなく、構築するものでもある、世の中をよくしようとする純真さが核にあるものなんだなと感じ取りました。
皆さん、日本の学生と比較してますが、確かにこんなデモのあるパリは、僕にはまったくSF映画の世界。
日本の若者に政治意識がないのは、知性や向上心がないからではないと思います。
それはひとえに心の不自由さ。自分の社会的立場を超えて、物事を考えたり、人と触れ合ったりしようとしないこと。そういう好奇心や遊び心の無さが、日本社会全体をキュークツな縦割り社会にしてると感じます。
と、書けば書くほど暗くなるので、この辺で。