50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

女性の地位は、向上しましたか。問題はないですか。

2008-03-08 02:44:07 | パリ
3月8日は、国連の定める「国際婦人デー」。日本での取り組み、あるいは、メディアでの取り上げ方はどうですか。日本にいた時には、あまり気がつきませんでした。日本では、女性の地位は十分に改善されているということでしょうか。それとも、諦めなのか、今以上のことを望まないということなのか・・・フランスでは、まだまだ大きな課題になっているようです。


5日から、「国際婦人デー」を記念して、偉人を祭るパンテオンの正面に9人の女性の肖像画が掲げられています。いずれも、女性の解放、地位向上に貢献した人たちです。どんな女性たちでしょうか・・・9人を生まれた年代順に簡単にご紹介しましょう。

・Olympe de Gouges(1748-1793)政治家。フランス最初のフェミニストの一人。『女性と市民の権利宣言』などを著すも、断頭台の露と消える。

・Solitude(1772-1802)フランス領グアドループでの奴隷解放運動のヒロイン。1794年にいったん廃止された奴隷制度がナポレオン1世によって1802年に復活。それに反対して立ち上がった人々を代表する女性。出産の翌日、処刑される。

・George Sand(1804-1876)作家。離婚の自由と男女平等を主張し、自らも実践。ミュッセやショパンとの恋愛が有名。

・Maria Deraismes(1828-1894)政治家。フェミニズムのパイオニアで象徴的存在。女性の権利、子どもの権利、民主主義、男女の別のない「人権」を主張。

・Louise Michel(1830-1905)政治家。パリ・コミューンに参加した、戦う女性活動家。



・Marie Curie(1867-1934)科学者。ノーベル賞を二度受賞。物理学賞を1903年に、化学賞を1911年に。

・Colette(1873-1954)作家。社会的制約を拒否した自由な精神の持ち主。性の解放も主張。レジオン・ドヌール勲章を受賞。国葬に。

・Simone de Beauvoir(1908-1986)作家、哲学者。『第二の性』などを著し、女性解放の先頭に。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」はあまりに有名。

・Charlotte Beldo(1913-1985)レジスタンス。抵抗運動に加わるも、捕まりアウシュビッツへ。そこを生き延びた49人の女性の一人。戦後は執筆活動も。

・・・信じる道に命を捧げた女性たちといってもよさそうですね。女性解放、そして何よりも人間としての尊厳を求めて立ち上がった女性たち・・・そして、今日の社会がある。

ところで、フランス男性は、女性に優しい・・・表面的にはそう見えますが、制度的には男性中心が根強く残っている社会のようです。女性に参政権が認められたのも、ようやく第二次大戦後。女性に門戸を開放したのが、やっと1972年という名門校まであります。その名門校とは、エコール・ポリテクニク。日本では「理工科大学校」とも訳されている、グランゼコールの一つで、文字どおり理科系の最高学府。1794年、フランス革命の混乱時に誕生したこの学校は、ずっと男子だけを入学させ、女子禁制でした。1972年(昭和47年)にはじめて8名の女子学生の入学を認めたそうです。

その翌年に入学した女性が、このたび、この男性中心の伝統を持つ名門校の理事長(日本風に言えば、たぶん学長でしょう)に女性としてはじめて就任することになったそうです。


7日付のフィガロ紙です。たまたまとはいえ、「国際婦人デー」を前に、重要なポストが女性に解放されたと伝えています。その女性は、Marion Guillou、53歳。エコール・ポリテクニク卒業後、農産加工品の安全性を中心とした専門家として、政府内で、研究機関で手腕を発揮するとともに、狂牛病発生時には駐英フランス大使館に出向しその対策に尽力したそうです。役人当時は、社会党政権になろうと保守政権になろうと担当大臣とうまく協調して、専門分野の行政をしっかり行なったそうですし、また、国立農業研究機構の理事長のときには、組織内の対立を時間をかけて解決し、研究機構が持続的に発展できるような体制作りに成功したとか。こうした経験が、フランス国内の大学だけで育ったほかの研究者にない強みなっているそうです。何しろ、学際、産学協働、国際競争の時代ですから。本人は、たまたま世代交代の時期にうまく当たっただけと謙遜しているそうです。

もうひとつ、「国際婦人デー」関連の話題が、7日のディレクト・マタン・プリュス紙に出ています。


「沈黙との戦い」・・・フランスの大都市郊外には多くの移民が暮らしています。中心は旧植民地から移り住んだ人々。そこでは、出身地の風習、しきたりが今でも生きていて、女性にとってはいっそう生き難い環境になっているそうです。そうしたエリアでの女性の地位向上、問題解決に取り組む団体も多くありますが、そのひとつ“Ni putes ni soumises”(娼婦でもなく服従でもなく)の代表を長年務めて、現在フィヨン内閣の都市政策担当閣外相になっているのが、本人もアルジェリア移民二世のファデラ・アマラ女史(写真中央)。親が決める結婚の強制、男性からの暴力、例えば、態度が気に入らないというだけで交際相手に殺された女性、結婚を断ったところ相手の男性にガソリンをかけられ火をつけられた女性・・・これらが21世紀のフランスで実際に起きている事件です。女性を取り巻く環境の改善を! アマラ閣外相の取組みが続きます。


「国際婦人デー」の8日、300ものカフェ・レストランでは女性客にバラの花をプレゼントするそうです。やっぱりフランスはおしゃれですね。でも、女性を巡る問題は、上記をはじめまだ解決していないものが多くあるようです。どちらを見るかで、フランスにおける女性の立場も、羨ましくなったり、気の毒に思えたり・・・くどくて恐縮ですが、良いところもあれば、嫌なところもある。さて、日本ではどうでしょうか。女性の日は、3月3日のお雛様でおしまいでしょうか。子ども中心の社会。でも、大人の女性にとって、生きやすい社会ですか。生きがいの持てる社会ですか。幸せを実感できる社会ですか・・・

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
国際婦人デー (pinky)
2008-03-08 21:29:30
Takeさんのおっしゃる通り日本では、「国際婦人デー」について殆ど話題になっていないように思います。
著しく、女性の地位が十分に改善されたようには思えません。しかし、家に帰ればどの家庭も奥さんが権力を握っているようなので、これ以上女性が強くなっては困るというささやきも聞こえてきそうです。
最近、日本では妻による夫へのDVが増えているのだそうです。女性の地位が上がったというより、男性が弱くなっているような気がします。
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男子 豹変すも有りですが (神戸のオバハン)
2008-03-08 22:00:20
未だ 賃金に如実に男女差があるのも フランス。
日本の方が 少しばかり進んでいるのでしょうか?
それに 家計を預かるのが 主婦が多い点も フランスとは違っていますか?
女性に取って生き易い社会になって来ている、法的に差別される事は少なくなって来ているように思います、勿論個人差はありますが。
幸せを実感出来る社会・・・目指す所です。
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バラですか。 (yoko)
2008-03-09 01:01:41
 7日のニュースでは、8日は「国際婦人ディー」の為、女性にミモザを送りましょうと言っていました。

 そちらではレストランでバラをプレゼントしてくれるのですね・・・。

 日本ではイマイチ浸透してないことを残念に思います。
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尻に敷かれて・・・ (take)
2008-03-09 02:39:32
pinkyさん

妻による夫へのDV、そして財布を握る妻たち・・・なるほど、家庭内ではすでに女性優位。これでは、婦人の日の取組みも盛んにならないはずですね。日本に必要なのは、「国際夫デー」!?
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財布 (take)
2008-03-09 02:45:19
神戸のオバハンさん

財布を握るのは、夫か、あるいは支出を項目ごとに、あるいは割合を決めて負担しあう。結婚にしろ、PACSにしろ、契約ではっきり決めているようですね。そのイニシアティヴを握るのは、倹約家の男たち、ということも多いのかもしれません。女性も働かないと、自由に使えるお金がない・・・財布を握る日本の女性の方が恵まれているかもしれないですね。
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ミモザ (take)
2008-03-09 02:49:19
yokoさん

資料によると、イタリアでは、この日、女性同士がミモザの花をプレゼントし合うそうです。その影響でミモザを、と言っているのかもしれないですね。あるいは、どこかで決まっているのでしょうか・・・
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