竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ

2019-03-10 | 今日の季語


深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ

沈丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。(清水哲男)






 
俳句             作者名

この沈丁に沈むべく足の裏は肉や 小川双々子
たまゆらの香を曳く闇の沈丁花 大西岩夫
別れとは明日咲くことよ沈丁花 野間口千賀
悦楽のたとへば沈丁の闇に近い 鈴木紀子
朝刊を手に取るまでの沈丁花 三木基史
沈丁の匂ひに馬が二匹ゐる 加藤郁乎
沈丁の蕾 百の問に百の答 溝口由紀子
沈丁の香の構造のなか通る 小川双々子
沈丁の香へ退院の車着く 服部伶子
沈丁の香を先取りの衢かな 望月英男
沈丁の香を月読の国に融く 望月英男
沈丁も馬酔木も白し法皇逝く 横山房子
沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
沈丁花ときめき量る砂時計 藤本清子
沈丁花はらえば見える赤ん坊 岩尾美義
沈丁花夢に匂ひのありとせば 神田ひろみ
沈丁花夢のあとさき匂ひける 望月英男
沈丁花嫂が口火をきりにけり 揚村節子
沈丁花男女の対話さりげなく 新川敏夫
沈丁花誰かわたしを呼んだかしら 望月富子
沈丁花隣の窓にも灯がともる 望月富子
玄関で沈丁の香に飛びつかる 尾﨑越子
疑いも無く沈丁の香でありし 鈴木弘次
白紙に沈丁をふみたまへりと書き 小川双々子
築地塀沈丁の香のただよへり 沖村花子
花まりは幾何学模様で沈丁花 勝村茂美
部屋部屋のうすくらがりや沈丁花 桂信子
黒牛の憩う夕刊沈丁花 塩野谷仁

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水に置く落花一片づつ白し  藤松遊子

2019-03-09 | 今日の季語


水に置く落花一片づつ白し  藤松遊子

今年も桜の季節が終わってゆく東京である。思わぬ寒波がやってきたり、開花予想が訂正されたり、あたふたしているのは人間。一年かけて育まれたその花は、日に風に存分に咲き、雨に散りながら、土に帰ってゆく。蕾をほどいた桜の花弁は、わずかな紅をにじませながら白く透き通っている。その花びらが水面に浮かび、流れるともなくたゆたっている様子を詠んだ一句である。珍しくない景なのだが、水に置く、という叙し方に、一歩踏み込んだ心のありようを感じる。「浮く」であれば、状態を述べることになるが、「置く」。置く、を辞書で調べると、あるがままその位置にとどめるの意。さらに、手をふれずにいる、葬るなどの意も。咲いていることが生きていることだとすれば、枝を離れた瞬間に、花はその生命を失う。水面に降り込む落花、そのひとひらひとひらの持つ命の余韻が、作者の澄んだ心にはっきりと見えたのだろう。今は水面に浮き、やがて流され朽ちて水底に沈む花片。自然の流れに逆らうことなくくり返される営みは続いてゆく。白し、という言い切りが景を際だたせると共に、無常観を与えている。遺句集『富嶽』(2004)所収。(今井肖子)

落花】 らっか(ラククワ)
◇「花散る」 ◇「散る花」 ◇「散る桜」 ◇「花吹雪」 ◇「桜吹雪」 ◇「飛花」(ひか) ◇「花屑」 ◇「花の塵」 ◇「花筏」
桜花が散り落ちること。桜は散り際が美しい。桜の咲く頃はとかく強い季節風の吹くことが多く、咲き誇った花も一陣の風に潔く散る。昔から桜は散り際を賞美されることが多かった。
例句 作者
四方より花咲き入れて鳰の海 芭蕉
母が呼ぶ声かも知れず散るさくら 野見山朱鳥
厨子の前千年の落下くりかへす 水原秋桜子
花散りし梅は暫く寡黙の木 大岳水一路
ちるさくら海あをければ海へちる 高屋窓秋
花散るや人問はばわれ弱法師 牧野寥々
ひとひちのあと全山の花吹雪 野中亮介
桜吹雪ぽつんと置かれ魔法瓶 いさ桜子
花吹雪旧予科練の鉄扉 岩田一止
はなちるや伽藍の柩おとし行 凡兆
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春寒や竹の中なるかぐや姫  日野草城

2019-03-08 | 今日の季語


春寒や竹の中なるかぐや姫  日野草城

季語は「春寒(はるさむ)」。暦の上では春になっても、まだ寒いこと。「余寒(よかん)」と同義ではあるが、余寒が寒さに力点を置くのに対し、春寒は春に気持ちを傾かせている。「通夜余寒火葬許可証ふところに」(田中鬼骨)と、余寒はいかにも侘しい。掲句は想像句だが、しかし作者は実際の竹を見ているうちに着想したと思われる。いまごろの竹林は「竹の秋」間近で、いちばん葉の繁っているときだから、奥の方は昼なお暗い。しかしどうかすると、繁った葉から洩れてくる日差しがあたって、そこだけが美しく光っていたりする。と、ここまで見えれば、あと「かぐや姫」までの連想はごく自然な成り行きだ。なんだか、自分が竹取の翁にでもなったような気分になってくる。あの光っている竹をそおっと伐ってみれば、背丈わずかに三寸の可愛らしい女の子が眠っているはずだという想像は、外気が冷たいだけに、春待つ心を誘い出す。こんなふうに自然を眺められたら、どんなに素敵なことか、気が安らぐことか。一読して、たえずギスギスしている私はそう思った。『竹取物語』は平安期に、相当に教養のあった男の書いた話とされている。子供にも面白い読み物だけれど、大人になって読み返してみると、全編が当時の権力者への批判風刺で貫かれていることがわかる。単なるわがまま美女の物語ではなくて、かぐや姫は庶民に潜在していた「一寸の虫にも五分の魂」という気概を象徴しているのだ。しかし、体制はいまとは大違い。女性の地位も、現代では考えられないほどに低かった。したがって帝(みかど)の求婚まで断わるとなった以上は、死をもって償わねばならない。心優しい物語作者は、姫を満月の夜に昇天させるという美しいイメージのなかに、姫の自死を悼んだのだった。『日野草城句集』(2001・角川書店)(清水哲男)

【春寒】 はるさむ
◇「春寒し」 ◇「寒き春」 ◇「春寒」(しゅんかん) ◇「料峭」(りょうしょう)
春になっても残る寒さ。「余寒」と同じであるが、「春寒」には「余寒」ほどの寒さの余韻はない。「料峭」は春の風(東風)により肌寒い様子をいう。

例句          作者

料峭や手燭のゆらぐ躙口 谷口みちる
春寒く虚空に燃やす化学の火 西岡正保
橋一つ越す間を春の寒さかな 成美
春寒やぶつかり歩く盲犬 村上鬼城
春寒し水田の上の根なし雲 河東碧梧桐
切支丹燈籠灯すことなき春の凍て 須藤省子
さびしさと春の寒さとあるばかり 上村占魚
春寒や鬼城の犬ののち知らず 菅原鬨也
廊下よく拭かれし春の寒さかな 赤尾冨美子
春寒し一朶の海苔は流れ行く 前田普羅
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夜のぶらんこ都がひとつ足の下  土肥あき

2019-03-07 | 今日の季語



夜のぶらんこ都がひとつ足の下  土肥あき子


季語は「ぶらんこ」で春、「鞦韆(しゅうせん)」に分類。平安期から長い間大人の遊具だったのが、江戸期あたりからは完全に子供たちに乗っ取られてしまった。春を待ちかねた子供たちが遊んだことから、早春の季語としたのだろう。一茶に「ぶらんこや桜の花を待ちながら」がある。掲句は「夜のぶらんこ」だから、大人としての作者が漕いでいる。小高い丘の上の公園が想像される。気まぐれに乗ったのだったが、ゆったりと漕いでいるうちに、だんだんとその気になってきて、思い切りスゥイングすることになった。ぶらんこには、人のそんな本気を誘い出すようなところがある。「足」を高く上げて漕いでいると、遠くに見える街の灯が束の間「足」に隠れてしまう。その様子を「都がひとつ足の下」と言い止めたところが、スケールが大きくて面白い。女性がひとり夜のぶらんこに乗るといえば、なんとなく曰くありげにも受け取られがちだが、そのような感傷のかけらがないのもユニークだ。だから読者もまた、春の宵の暖かさのなかにのびのびと解放された気持ちになれるのである。ぶらんこを漕ぐといえば、思い出すのはアニメ『アルプスの少女ハイジ』のオープニングだ。彼女は、異様に長いぶらんこに乗っていた。で、あるヒマ人が計算してみたところ、ハイジは上空100メートルくらいを時速68キロで振り子振動をしていたことになるのだそうだ。シートベルトもせずによくも平気な顔をしていられたものだと驚嘆させられるが、それでも彼女には遠い「都」はちらりとも見えなかった。それほどアルプスは雄大なのである(笑)。「読売新聞」(2005年2月12日付夕刊)所載。(清水哲男)

【鞦韆】 しゅうせん(シウセン)
◇「秋千」(しゅうせん) ◇「ぶらんこ」 ◇「ふらここ」 ◇「半仙戯」(はんせんぎ) ◇「ゆさはり」
古く中国から渡来した遊戯の具。「ぶらんこ」のことである。中国では、後宮の美女達の遊びとして、詩にもよく詠われている。現在では、学校、公園などに置かれ、子供の遊びとなっているが、婦人が腰掛けている様も不思議な情緒がある。「ふらここ」ともいう。

例句              作者

ぶらんこの泥が乾きて鳥曇 小島千架子
鞦韆やひとときレモンいろの空 石田小坡
ぶらんこを漕ぐ太陽の真ん中へ 山根仙花
鞦韆にしばし遊ぶや小商人 前田普羅
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女
ぶらんこの影を失ふ高さまで 藺草慶子
鞦韆に腰かけて読む手紙かな 星野立子
母が漕ぎくるるぶらんこなら乗らむ 中里麦外
ふらここを立つて座つて漕ぎにけり 大石ひろ女
鞦韆に夜も蒼き空ありにけり 安住 敦
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方形の空の整然田水張る たけし

2019-03-06 | 入選句


方形の空の整然田水張る たけし



本日の朝日新聞 栃木俳壇に石倉夏生先生の選をいただいた

入選者は見知った人の名が多い

元気に精進している同好者がおおいに刺激になる



掲句の句材は拙宅の二階窓からの毎年の景

同じ句材で毎年作句するが入選ははじめて



いままでの 田水張る の句は整理することにする

私の句づくりは往生際が悪い

句座右をひねくりまわして中七を推敲する

こんな繰り返しで

ときには今回の僥倖もある



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金貸してすこし日の経つ桃の花   長谷川双魚

2019-03-05 | 今日の季語


金貸してすこし日の経つ桃の花   長谷川双魚

季語は「桃の花」で春。借金をする句は散見するが、金を貸した側から詠まれた句は珍しい。いずれにしても、金の貸し借りは気持ちの良いものではない。とくに相手が親しい間柄であればあるほど、双方にしこりが残る。頼まれて、まとまった金を貸したのだろう。とりあえず当面の暮らしに支障はないが、いずれは返してもらわないと困るほどの金額だ。相手はすぐにも返せるようなことを言っていたけれど、「すこし日の経(た)つ」今日になっても、何の音沙汰もない。どうしたのだろうか、病気にでもなったのだろうか。それとも、すぐに返せるというのは苦し紛れの口から出まかせだったのか。いや、彼に限っては嘘をつくような人間ではない。そんなことを思ってはいけない。こちらへ出向いて来られないような、何かのっぴきならない事情ができたのだろう。まあ、もう少し待っていれば、ふらりと返しにくるさ。もう、考えないようにしよう。等々、貸した側も日が経つにつれ、あれこれと気苦労がたえなくなってくる。貸さなければ生まれなかった心労だから、自分で自分に腹立たしい思いもわいてくる。気がつけば「桃の花」の真っ盛り。こういうことがなかったら、いつもの春のようにとろりとした良い気分になれただろうに、この春はいまひとつ溶け込めない。浮世離れしたようなのどかな花であるがゆえに、いっそう貸した側の不快感がリアリティを伴って伝わってくる。『花の歳時記・春』(2004・講談社)所載。(清水哲男)

【桃の花】 もものはな
◇「白桃」 ◇「緋桃」(ひもも)
バラ科の落葉小高木。中国原産。4月頃、葉に先立って淡紅色または白色の五弁の、蘂が長く鄙びた愛らしい花を開く。桜や梅にくらべて花が大きい。果実は大形球形で美味。古くから日本に栽培、邪気を払う力があるとされた。雛祭には欠かせない花である。

例句              作者

桃花園へ降るふらんねるの太陽 伊藤敬子
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子
ゆるぎなく妻は肥りぬ桃の下 石田波郷
にはとりが鳴き牛が鳴き桃の村 杉 良介
イヴ居ずや砂地に桃の咲き満てり 大高弘達
傷舐めて母は全能桃の花 茨木和生
桃咲いて隣りに赤子生まれさう 山本洋子
箸墓のぼんやり見えて桃の花 名田西の鴉
海女とても陸こそよけれ桃の花 高浜虚子
桃の花家半ばまで陽が入りて 森 澄雄

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雨はじく傘過ぎゆけり草餅屋 桂 信子

2019-03-04 | 今日の季語


雨はじく傘過ぎゆけり草餅屋 桂 信子

草餅屋だから、そんなに大きな店ではない。店の土間と表の通りとが、そのまま地つづきになっているような小さな店を想像した。観光地に、よく見られる店だ。外は春雨。作者が店内で草餅を選んでいると、傘に雨粒を弾かせながら、草餅など見向きもせずに通り過ぎて行った人がいたというのである。雨を弾く傘ということは、コウモリ傘などではなくて、油紙を張った昔ながらの唐傘だろう。それもこの句の場合には、油紙の匂いがプンと鼻をつくような新しい唐傘が望ましい。草餅に春を感じ、通り過ぎて行った人の傘の音にも春を感じと、この句は春の賛歌に仕上がっている。外光的には暗いのだけれど、だからこそ、かえって春の気分が充実して感じられる。草餅は、大昔には春の七草の御行(母子草)を用いたとも聞くが、現在では茹でた蓬(よもぎ)を搗き込んで餅にする。子供のころに住んでいた田舎は蓬だらけだったから、草餅の材料には不自由しなかった。よく食べたものだが、草餅のために摘んだ程度で息絶えるようなヤワな植物ではない。こいつが大きくなると強力な根が張ってきて、引っこ抜こうにも簡単には抜けなくなる。農家の敵だった。草餅を見かけると、つい、そんなことも思い出される。『草樹』所収。(清水哲男)


【草餅】 くさもち
◇「草の餅」 ◇「蓬餅」
蓬の蒸した葉を入れて搗いた餅。これで餡を包んだのが蓬餅。昔は蓬の代りに母子草を用いた。

例句             作者

草餅や川ひとすぢを景として 鈴木真砂女
草餅を焼く天平の色に焼く 有馬朗人
草餅やもとより急ぐ旅ならず 角川春樹
草餅や足もとに著く渡し舟 富安風生
草餅や川に栄えて過ぎし町 川門清明
草餅の色濃きを食み雨ごもり 岡本 眸
助六のうはさあれこれ草の餅 久保田万太郎
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雛飾りつゝふと命惜しきかな    星野立子

2019-03-03 | 今日の季語



雛飾りつゝふと命惜しきかな    星野立子

五十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)

雛祭】 ひなまつり
◇「雛」 ◇「雛遊」 ◇「ひいな」 ◇「初雛」 ◇「内裏雛」(だいりびな) ◇「土雛」 ◇「紙雛」 ◇「雛飾る」 ◇「雛菓子」 ◇「雛の灯」 ◇「雛の客」 ◇「雛の宴」 ◇「雛の宿」
3月3日、桃の節句。女児のある家で幸福・成長を祈って雛壇を設けて雛人形を飾り、調度品を具え、菱餅・白酒・桃の花などを供える祭。雛遊び。雛人形。雛の燈。ひひな。

例句              作者

いにしへの色とぞ思ふ土雛 石川星水女
嫁せし子の雛が眠れる天袋 小岩井清三
厨房に貝があるくよ雛まつり 秋元不死男
雛の日の小さな宿に泊りけり 奥名春江
誰をおもひかくもやさしき雛の眉 加藤三七子
箱を出て初雛のまゝ照りたまふ 渡辺水巴
夜々おそくもどりて今宵雛あらぬ 大島民郎
雛を見て雛に見られて戻りけり 児玉喜代
天平のをとめぞ立てる雛かな 水原秋櫻子
雛の間をかくれんばうの鬼覗く 行方克己
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いつの間に昔話や春灯(はるともし) 塚田采花

2019-03-02 | 今日の季語


いつの間に昔話や春灯(はるともし) 塚田采花

春夏秋冬、灯りはそれぞれに明るいとはいえ、ニュアンスに微妙なちがいがある。とりわけ春の灯りは明るく暖かく感じられるはずである。作者は越後の人であるから、雪に閉じ込められていた永い冬からようやく抜け出しての春灯は、格別明るくうれしく感じられるのである。夜の団欒のひととき、尽きることのない語らいは、ある時いつの間にか昔話にかわっていたのであろう。家族ならお婆ちゃん、他での集まりなら長老が昔話をゆっくり語りだす。もう寒くもなく、みんな真剣になって耳傾けているなかで、灯りが寄り集まった人たちを、まろやかに照らし出している様子がうかがえる。雪国育ちの筆者も子どもの頃、親戚のお婆ちゃんにねだって、たくさんの昔話を聞いたものである。きまって「昔あったてんがな…」で始まり、「…いきがぽーんとさけた」で終わった。「もっと、もっと」とせがんだものである。采花の他の句に「一つの蝶三つとなりし四月馬鹿」がある。『独楽』(1999)所収。(八木忠栄)



【春燈】 しゅんとう
◇「春の燈」 ◇「春燈」(はるともし) ◇「春の燭」

春の夜のともしびで、殊に朧夜には一種の艶な感じがある。

例句  作者

若き尼御厨子に春の灯をささぐ 水原秋櫻子
人ひとりひとりびとりの春灯 五所平之助
春の燈やかきたつれどもまた暗し 村上鬼城
本売りて一盞さむし春燈下 加藤楸邨
春燈やはなのごとくに嬰のなみだ 飯田蛇笏
翳にさへ語りかけたく春灯 林 翔
爪染めて爪に春燈あそばせる 加藤雅伊
春の灯や女は持たぬ喉仏 日野草城
春の灯のむしろくらきをよろこべる 久保田万太郎
春燈や云ひてしまへば心晴れ 星野立子
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