深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ
沈丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。(清水哲男)
俳句 作者名
この沈丁に沈むべく足の裏は肉や 小川双々子
たまゆらの香を曳く闇の沈丁花 大西岩夫
別れとは明日咲くことよ沈丁花 野間口千賀
悦楽のたとへば沈丁の闇に近い 鈴木紀子
朝刊を手に取るまでの沈丁花 三木基史
沈丁の匂ひに馬が二匹ゐる 加藤郁乎
沈丁の蕾 百の問に百の答 溝口由紀子
沈丁の香の構造のなか通る 小川双々子
沈丁の香へ退院の車着く 服部伶子
沈丁の香を先取りの衢かな 望月英男
沈丁の香を月読の国に融く 望月英男
沈丁も馬酔木も白し法皇逝く 横山房子
沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
沈丁花ときめき量る砂時計 藤本清子
沈丁花はらえば見える赤ん坊 岩尾美義
沈丁花夢に匂ひのありとせば 神田ひろみ
沈丁花夢のあとさき匂ひける 望月英男
沈丁花嫂が口火をきりにけり 揚村節子
沈丁花男女の対話さりげなく 新川敏夫
沈丁花誰かわたしを呼んだかしら 望月富子
沈丁花隣の窓にも灯がともる 望月富子
玄関で沈丁の香に飛びつかる 尾﨑越子
疑いも無く沈丁の香でありし 鈴木弘次
白紙に沈丁をふみたまへりと書き 小川双々子
築地塀沈丁の香のただよへり 沖村花子
花まりは幾何学模様で沈丁花 勝村茂美
部屋部屋のうすくらがりや沈丁花 桂信子
黒牛の憩う夕刊沈丁花 塩野谷仁
この沈丁に沈むべく足の裏は肉や 小川双々子
たまゆらの香を曳く闇の沈丁花 大西岩夫
別れとは明日咲くことよ沈丁花 野間口千賀
悦楽のたとへば沈丁の闇に近い 鈴木紀子
朝刊を手に取るまでの沈丁花 三木基史
沈丁の匂ひに馬が二匹ゐる 加藤郁乎
沈丁の蕾 百の問に百の答 溝口由紀子
沈丁の香の構造のなか通る 小川双々子
沈丁の香へ退院の車着く 服部伶子
沈丁の香を先取りの衢かな 望月英男
沈丁の香を月読の国に融く 望月英男
沈丁も馬酔木も白し法皇逝く 横山房子
沈丁や夜でなければ逢へぬひと 五所平之助
沈丁花ときめき量る砂時計 藤本清子
沈丁花はらえば見える赤ん坊 岩尾美義
沈丁花夢に匂ひのありとせば 神田ひろみ
沈丁花夢のあとさき匂ひける 望月英男
沈丁花嫂が口火をきりにけり 揚村節子
沈丁花男女の対話さりげなく 新川敏夫
沈丁花誰かわたしを呼んだかしら 望月富子
沈丁花隣の窓にも灯がともる 望月富子
玄関で沈丁の香に飛びつかる 尾﨑越子
疑いも無く沈丁の香でありし 鈴木弘次
白紙に沈丁をふみたまへりと書き 小川双々子
築地塀沈丁の香のただよへり 沖村花子
花まりは幾何学模様で沈丁花 勝村茂美
部屋部屋のうすくらがりや沈丁花 桂信子
黒牛の憩う夕刊沈丁花 塩野谷仁