一族郎党が沈んでゐる柚子湯かな 八木忠栄
季語は「柚子湯(ゆずゆ)」で冬。冬至の日に柚子湯に入ると、無病息災でいられるという。句は、古い田舎家の風呂場を思い起こさせる。作者は、ひさしぶりに帰省した実家で入浴しているのだろう。台所などと同じように、昔からの家の風呂場はいちように薄暗い。そんな風呂に身を沈めていると、この同じ風呂の同じ柚子湯に、毎年こうやって何人もの血縁者が同じように入っていたはずであることに思いが至った。息災を願う気持ちも、みな同じだったろう。薄暗さゆえ、いまもここに「一族郎党が沈んでゐる」ような幻想に誘われたと言うのである。都会で暮らしていると、もはや「一族郎党」という言葉すらも忘れている始末だが、田舎に帰ればかくのごとくに実感として想起される。そのあたりの人情の機微を、見事に骨太に描き出した腕の冴え。すらりと読み下せないリズムへの工夫も、よく本意を伝えていて効果的だ。なお蛇足ながら、「一族郎党」の読み方は、昔は「いちぞくろうとう」ではなく「いちぞくろうどう」であった。ならばこの句でも「いちぞくろうどう」と読むほうが、本意的にはふさわしいのかもしれない。『雪やまず』(2001)所収。(清水哲男)
柚子風呂の柚子が赤子に蹴られけり 神原栄二
柚子湯出て夫の遺影の前通る 岡本 眸
柚子湯して妻とあそべるおもひかな 石川桂郎
小柚子手をつなぎ寄り来る冬至風呂 細川洋子
匂ひ艶よき柚子姫と混浴す 能村登四郎
柚子風呂に妻をりて音小止みなし 飴山 實
子の臀を掌に受け沈む冬至の湯 田川飛旅子
燈台に波あがる見て冬至の湯 針 呆介
柚子湯出て慈母観音のごとく立つ 上田五千石
白々と女沈める柚子湯かな 日野草城
両の手に何度も掬う柚子湯かな たけし
天井の染み見ぬふりの柚子湯かな たけし
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