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ルイ14世2 (フランス王・太陽王)

2020年12月15日 | 歴史上の人物
🌸ルイ14世2(フランス王・太陽王)

⛳ルイ14世親政の開始

 ☆マザランが死去するとルイ14世は親政を開始
 *宰相を置かないことを宣言する
 ☆フーケを断罪する
 *フーケはマザランの腹心の一人で有能な人物
 *フーケは、職権を利用し莫大な私財を蓄えていた
 *ルイ14世は激怒してフーケを逮捕し投獄した
 ☆ルイ14世が親政を始めた時期
 *財政は多年の戦費とフロンドの乱により破産状況

コルベールは、税制改革で債務を削減した
 ☆税の徴収と運用方法で改善改善をした
 *貴族と聖職者の免税特権の廃止まではしていない
 ☆コルベールには貿易を通じ、フランス経済を向上させた
 ☆ルイ14世は聖職者や大貴族を抑制で、ブルジョアを重用する
 ☆コルベールにより、ルーヴル宮の拡張がなされた
 *ヴェルサイユの地に宮殿の建設を開始した
 *14世の治世を象徴するヴェルサイユ宮殿となる

⛳治世前半の戦争と領土拡大

 ☆ピレネー条約でスペインの弱体化フランス優位の時代に
 ☆ルイ14世の「盟主政策」
 *フランス王権を中心としたヨーロッパ体制の構築を企図する
 ☆没落したスペインがルイ14世の最初の標的
 *スペイン帝国の分割を交渉する
 *オランダとも防御・通商同盟を結び対スペイン戦争に備えた
 *「王妃の権利論」を掲げて領土の割譲をスペインに要求した
 ☆帰属戦争(フランドル戦争)が勃発
 *ルイ14世は自ら軍を率いて戦った
 *フランス軍は、スペイン軍を後退させた
 *ルイ14世の目的はストラスブールの獲得
 (ルイ14世、ストラスブール、北イタリアのカサーレを軍事占領した)
 *スペインはフランスに既成事実を認めさせられた
 (リュクサンブールと他の併合地)
 ☆ルイ14世の強引な手法はドイツ人の反仏感情を煽る

⛳ルイ14世の絶頂期

 ☆1680年代始めにルイ14世の影響力は大いに高まった
 *この時期がルイ14世の絶頂期
 ☆ヴェルサイユ宮殿の造営事業
 *工事は困難を極め、数万の人夫が工事に従事し多数の人が死亡している
 *ルイ14世はこの新宮殿の造営に熱中した
 *第3期工事で「鏡の間」と「大使たちの階段」が造営された
 *ルイ14世は『ヴェルサイユの庭園概説』
 *国王自身の執筆によるものと考えられている
 ☆ルイ14世は貴族たちをヴェルサイユ宮殿内、周辺に住まわせる
 *宮殿内には、廷臣のほか官吏他、1万人もの人々がひしめく
 *ルイ14世はこの宮廷での序列や礼儀作法を厳格に定めた
 *それらの儀式を貴族たちに従わせた
 ☆ルイ14世自身はあまり信仰心がなかった
 ☆王権神授説に拠って立つ王の権威
 *ローマ教皇の仲介なしに直接神から委ねられた権威であるとした
 *宗教は、フランス教会自立主義を強化した
 *ルイ14世は、教会に対する支配の強化を図る
 *教皇との対立を引き起こしている
 ☆ルイ14世の最も重要な廷臣コルベールが死去した
 *フランスは、コルベールの努力で財政再建がすすめられていた
 (コルベールの施政により、フランスの歳入は3倍に増えている)
 ☆フランスの民衆はコルベールの政策の恩恵を受けることなかった
 *依然として貧しいままだった

⛳プロテスタント迫害とアウクスブルク同盟戦争

 ☆王妃マリー・テレーズが死去した
 *ルイ14世は、寵姫マントノン侯爵夫人と秘密結婚をする
 ☆ルイ14世、ハプスブルク家との戦争を繰り返す
 *ルイ14世、ガリカニスム擁護から「カトリック教会の守護者」へ
 *ローマ教皇との結びつきを強める
 ☆王は国内のカトリック信仰の強化で
 *ローマ教皇と連携してプロテスタントを弾圧した
 *ルイ14世はナント勅令を廃棄
 *プロテスタントの礼拝の禁止と改宗に応じない牧師国外追放した
 *改宗に応じないユグノーは国禁を犯して亡命、数は約20万人に昇る
 *多くの手工業者や商人が含まれていた
 ☆秘密結婚したマントノン侯爵夫人が敬虔なカトリック
 *彼女の影響とする主張が古来から存在する

アウクスブルク同盟戦争

 ☆イギリスでカトリック信仰復活を願うジェームズ2世が追放された
 *プロテスタントのオラニエ公ウィレムが迎えられ王位に就いていた
 ☆ルイ14世はオランダ議会に
 *オラニエ公のイギリス遠征を止めさせるよう警告した
 *受け入れられなかったためフランスはオランダに宣戦布告
 ☆神聖ローマ帝国は、フランスに宣戦布告
 ☆アウクスブルク同盟が成立する
 *イギリス、オランダ、スペイン、神聖ローマ帝国、バイエルン他
 ☆アウクスブルク同盟戦争が起こる
 *フランス軍が幾つかの会戦で勝利をおさめたもの
 *対仏大同盟に包囲され孤立した状態で、国家財政も底を突き始めた
 ☆フランスが戦術的優位を維持した状態で条約が結ばれて戦争は終結
 *講和は敵国に譲歩しすぎると国民から不評を受けた
                   (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『WIKIPEDIA』NHK『プロファイラー』










ルイ14世2 (フランス王・太陽王)
NHK『プロファイラー』テレビ画面より画像引用)

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