🌸徳川慶喜家、最後の当主が語る「家じまい」
☆「お宝も埋蔵金も、ありはしないのに…」
☆私のブログは、徳川慶喜さんを尊敬し『慶喜』にしています
⛳将軍・徳川慶喜の玄孫、第5代当主山岸さん語る
☆山岸さん、第5代当主として「絶家」することを発表した
☆120年以上続く名家の「墓じまい」
*谷中霊園に眠る慶喜家の墓所は300坪
☆4代目当主慶朝さんの遺言で、“家の問題”に取り組む山岸さん
☆慶朝さんの遺言で、山岸さんが徳川慶喜家の5代目に指名された
*徳川姓でなく、女性の山岸さんが家督を継ぐ
*慶喜家には存命中の親族が7人いるが、徳川姓の男子はいない
*慶朝叔父は、養子を取って継がせなかった
☆山岸さん、慶朝叔父とは、看病を通じての信頼関係があり
*山岸さんに、全部託すという遺言を遺した
⛳山岸さんに心ない言葉を投げかける人も
☆ご親族をはじめ周囲の理解を得られなかった
*徳川家と親藩松平家の一族の交流会である「葵交会(きこうかい)」
*旧幕臣のご子孫による「柳営会」もあり、交流を続けられている
☆叔父慶朝は、ご親族とのお付き合いを煩わしく感じていた
*自分の代で慶喜家を閉じる事も考えていたので、疎遠になっていた
☆山岸さんに対して
*山岸は当主という名前が欲しいんだろうとか
*遺産が欲しいからやってるんだろうなどと心ない言葉もあった
☆叔父慶朝さんの葬儀
*「山岸美喜が喪主になるのはおかしい」などとも言われた
*葬儀は質素なもので、参列者は10人ほどだった
*それも慶朝叔父の遺言に従った
*叔父の遺骨は、都営谷中霊園にある、慶喜家の墓所に埋葬した
⛳歴代将軍とは別の墓所
☆慶喜家の墓所は、歴代将軍とは別の理由
*15人の将軍のうち、家康公と慶喜だけが神道
*2代~14代の各将軍は寺院管理
(寛永寺、増上寺、輪王寺に分かれて埋葬されている)
☆慶喜は、家康公を大変尊敬し神道に改宗した
*皇室にならい神式で葬儀を行なうように遺言を遺した
☆谷中墓地の中にあって、これまでずっと慶喜家が管理してきた
⛳墓所は300坪! 墓じまいの手続き
☆墓所は300坪もあり、個人では管理できない
*墓所を囲む塀の修繕が必要、2000万円とも言われている
☆寛永寺とは、宗教が違うので難しい
☆墓じまいを決めたのは慶朝叔父
*しかるべき所に寄贈し現状維持で働きかけている最中
☆徳川慶喜の墓所
*叔父慶朝さんがご存命中ご自分のお金で管理されていた
⛳膨大な史料の行き先は?
☆慶喜家には、数千点の史料が残されている
*徳川家の御紋と、双葉葵の刺繍がついたアルバムもある
☆慶朝叔父が亡くなるまで
*千葉県松戸市の戸定歴史館に30年間預かって貰っていた
☆一昨年、預かっている慶喜家の史料
*慶喜家に返すべきだという判断をしてくださった
*まとめて研究などをしてくださる機関への寄贈を相談中
☆徳川姓でもない女性の私が電話で
*慶喜家に伝わる史料が数千点ございまして
*寄贈を検討しているのですがと、話を持ち掛けても
*私が考えた通りの対応とはならず、困惑する事もありました
⛳慶喜家の家じまいの解決の道筋
☆お墓に関しても史料に関しても、進めている最中
☆現在私が向き合っている慶喜家の家じまいの一連の作業
*「家の歴史を日本の歴史にする作業」と呼んでいる
☆6代目の当主は指名しない
*私が5代目当主として家を閉じることを決意した
*慶朝叔父から託された思いを叶えるべく
*徳川慶喜家の最後の当主を務めてゆくつもり
(敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
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☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『文春オンライン』
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徳川慶喜家「墓・家じまい」
(『文春オンライン』記事他より画像引用)
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