慶喜

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徳川慶喜家「墓・家じまい」

2023年10月19日 | 歴史上の人物
🌸徳川慶喜家、最後の当主が語る「家じまい」
 
 ☆「お宝も埋蔵金も、ありはしないのに…」
 ☆私のブログは、徳川慶喜さんを尊敬し『慶喜』にしています

将軍・徳川慶喜の玄孫、第5代当主山岸さん語る
 ☆山岸さん、第5代当主として「絶家」することを発表した
 ☆120年以上続く名家の「墓じまい」
 *谷中霊園に眠る慶喜家の墓所は300坪
 ☆4代目当主慶朝さんの遺言で、“家の問題”に取り組む山岸さん
 ☆慶朝さんの遺言で、山岸さんが徳川慶喜家の5代目に指名された
 *徳川姓でなく、女性の山岸さんが家督を継ぐ
 *慶喜家には存命中の親族が7人いるが、徳川姓の男子はいない
 *慶朝叔父は、養子を取って継がせなかった
 ☆山岸さん、慶朝叔父とは、看病を通じての信頼関係があり
 *山岸さんに、全部託すという遺言を遺した

山岸さんに心ない言葉を投げかける人も
 ☆ご親族をはじめ周囲の理解を得られなかった
 *徳川家と親藩松平家の一族の交流会である「葵交会(きこうかい)」
 *旧幕臣のご子孫による「柳営会」もあり、交流を続けられている
 ☆叔父慶朝は、ご親族とのお付き合いを煩わしく感じていた
 *自分の代で慶喜家を閉じる事も考えていたので、疎遠になっていた
 ☆山岸さんに対して
 *山岸は当主という名前が欲しいんだろうとか
 *遺産が欲しいからやってるんだろうなどと心ない言葉もあった
 ☆叔父慶朝さんの葬儀
 *「山岸美喜が喪主になるのはおかしい」などとも言われた
 *葬儀は質素なもので、参列者は10人ほどだった
 *それも慶朝叔父の遺言に従った
 *叔父の遺骨は、都営谷中霊園にある、慶喜家の墓所に埋葬した

歴代将軍とは別の墓所
 ☆慶喜家の墓所は、歴代将軍とは別の理由
 *15人の将軍のうち、家康公と慶喜だけが神道
 *2代~14代の各将軍は寺院管理
 (寛永寺、増上寺、輪王寺に分かれて埋葬されている)
 ☆慶喜は、家康公を大変尊敬し神道に改宗した
 *皇室にならい神式で葬儀を行なうように遺言を遺した
 ☆谷中墓地の中にあって、これまでずっと慶喜家が管理してきた

墓所は300坪! 墓じまいの手続き
 ☆墓所は300坪もあり、個人では管理できない
 *墓所を囲む塀の修繕が必要、2000万円とも言われている
 ☆寛永寺とは、宗教が違うので難しい
 ☆墓じまいを決めたのは慶朝叔父
 *しかるべき所に寄贈し現状維持で働きかけている最中
 ☆徳川慶喜の墓所
 *叔父慶朝さんがご存命中ご自分のお金で管理されていた

膨大な史料の行き先は?
 ☆慶喜家には、数千点の史料が残されている
 *徳川家の御紋と、双葉葵の刺繍がついたアルバムもある
 ☆慶朝叔父が亡くなるまで
 *千葉県松戸市の戸定歴史館に30年間預かって貰っていた
 ☆一昨年、預かっている慶喜家の史料
 *慶喜家に返すべきだという判断をしてくださった
 *まとめて研究などをしてくださる機関への寄贈を相談中
 ☆徳川姓でもない女性の私が電話で
 *慶喜家に伝わる史料が数千点ございまして
 *寄贈を検討しているのですがと、話を持ち掛けても
 *私が考えた通りの対応とはならず、困惑する事もありました

慶喜家の家じまいの解決の道筋
 ☆お墓に関しても史料に関しても、進めている最中
 ☆現在私が向き合っている慶喜家の家じまいの一連の作業
 *「家の歴史を日本の歴史にする作業」と呼んでいる
 ☆6代目の当主は指名しない
 *私が5代目当主として家を閉じることを決意した
 *慶朝叔父から託された思いを叶えるべく
 *徳川慶喜家の最後の当主を務めてゆくつもり
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『文春オンライン』






徳川慶喜家「墓・家じまい」
(『文春オンライン』記事他より画像引用)

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