木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼、河童に濁流の水飲まされるー8

2007年03月14日 | 一九じいさんのつぶやき
 「深川ってぇのは、武家屋敷と木場の多いところだ。それでも深川の西っ側、富岡八幡宮のあるあたりは町人も多く住んでいた。一橋だとか、細川越中守だとかばかでけぇ屋敷を通りすぎて更に西に歩くと、平野橋という橋があった。さらに行くと洲崎弁天があり、その辺は潮干狩りの名所だった。ただ少し中に入るとわっちが江戸に出てくる前の年に高波が起きて多くの人が死んだところがある。この辺りは人家を建てることも禁止され、わっちが行った頃は葦のしげった昼でも薄暗い雰囲気のあんまり愉快じゃねえ場所だった。それでも、うなぎやコイが捕れるっていうんで、子供はしょっちゅう行ってたような場所だ。あれはひどい雨が降った翌日のことだった」
 そういうとじいさんは、新たに煙草を詰め直したキセルをまた喫い始めた。
 「うなぎを捕りに行った子供が土左衛門を見つけた。それだけじゃ、水難事故の多かった江戸では、そんなに珍しいことじゃあなかったが、その男の肩や腰には緑色の手形がついていた」 
 「手形、ですか?」
 「ああ。これは河童のしわざじゃねえか、ということで結構な騒ぎになった」
 「まさか、本当に河童のしわざだったわけじゃないでしょう?」
 「慌てるな。現代人はそんなに急いでどうしようってんだ? 確かに男が河童に引きずり込まれる現場を見た者はいねえ。だが、その妙にねばねばする緑色の手形は河童のしわざとしか言いようがなかった。見聞に来た町廻りも困っていた。江戸時代には河童も幽霊もいた、と先ほど言ったが、実際に見た者となると、ほとんどいなかったからだ。ただ、酒に酔ってふらふらしていたその男をゆんべ見た者はいる。酔いのせいであやまって川に落ちたもんだろうが、緑の手形の処置には町方も困った。結局、その件には触れずに男は誤って溺死した、という事実だけで処理された」
 「それは当然でしょう」
 じいさんは俺の方をギロリと睨んだが、何も言わなかった。
 「事故処理はそれで済んだが、済まなかったのは噂好きの江戸っ子の口だ。それ以来、平野橋のたもとには河童が出るという風評が立った。ところで、おめえ、酒は持ってねえか」
 じいさんは、にやっと笑った。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鬼、河童に濁流の水飲まされ... | トップ | 鬼、河童に濁流の水飲まされ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

一九じいさんのつぶやき」カテゴリの最新記事