1月20日(日)
風邪だと云うことでゴルフの誘いも断り何をするでもなく只ブラブラと
自分を甘えさせて怠惰な生活をしていたが
何時の間にか風邪は治っていた様だ。
そうなると持病の自律神経失調症が頭をもたげてくる。
いつも疲れている気分で無気力な日常を暮らすことになる。
この自律神経失調症への自己流の対策は病気を無視する事、忘れる事。
先ず手始めに近所の散歩 体調がグーンと良くなる。
陶芸教室で生徒の皆と笑談をする。お互いに褒めあったりで気持ちが明るくなる。
陶芸のロクロを廻して物事に神経を集中する。これ位で大体良くなる。
今日の段階でここまで来ている。
あとはゴルフとヨット 気の合う友人とレストランでワインでも楽しめば完璧だ。
ミセスマスダに誘われ彼女の友人の甥の陶芸展に自律神経失調症の
治療の一環として行ってみる事にした。
展示場は銀座松屋デパートの裏 の画廊。
途中JR有楽町駅前では福島の人達が「福島牛」のPRを行っている。
福島牛の試食テント
福島県のユルキャラ君とツーショット
試食の為の行列の最終尾
今日は寒い。
プランタンの横の「マロニエ通り」を吹き抜けるビル風は真冬状態。
八重の桜のポスターも寒そう
陶芸作家のお名前は 吉島 信広さん
有田の陶芸一家に育った31歳の白面の好青年。
作品は陶芸のフィギュア
陶器に多彩な釉薬を施釉 その上に金彩をあしらう。
今まで余り拝見した事の無い風変わりな作品である。
強いて言えばガウディに似ているかな。

値段はまだまだ安いし将来大化けする可能性は無い事はない。
これからの活動だが琳派の「風神・雷神」などに挑戦してみたらと思った。


ミセスマスダが予ねて下見をしていた「赤いコート」を買うという。
今日の外出の目的は散歩なので付き合って恵比寿まで。
恵比寿の駅前で「恵比寿様の銅像」を発見
こんな立派な銅像が駅前にあったんだ。

ミセスマスダは思惑通りのコートをゲット
ミスターマスダの体調もお散歩でまずまず
エブリボディ ハッピー。
風邪だと云うことでゴルフの誘いも断り何をするでもなく只ブラブラと
自分を甘えさせて怠惰な生活をしていたが
何時の間にか風邪は治っていた様だ。
そうなると持病の自律神経失調症が頭をもたげてくる。
いつも疲れている気分で無気力な日常を暮らすことになる。
この自律神経失調症への自己流の対策は病気を無視する事、忘れる事。
先ず手始めに近所の散歩 体調がグーンと良くなる。
陶芸教室で生徒の皆と笑談をする。お互いに褒めあったりで気持ちが明るくなる。
陶芸のロクロを廻して物事に神経を集中する。これ位で大体良くなる。
今日の段階でここまで来ている。
あとはゴルフとヨット 気の合う友人とレストランでワインでも楽しめば完璧だ。
ミセスマスダに誘われ彼女の友人の甥の陶芸展に自律神経失調症の
治療の一環として行ってみる事にした。
展示場は銀座松屋デパートの裏 の画廊。
途中JR有楽町駅前では福島の人達が「福島牛」のPRを行っている。



今日は寒い。
プランタンの横の「マロニエ通り」を吹き抜けるビル風は真冬状態。

陶芸作家のお名前は 吉島 信広さん
有田の陶芸一家に育った31歳の白面の好青年。
作品は陶芸のフィギュア
陶器に多彩な釉薬を施釉 その上に金彩をあしらう。
今まで余り拝見した事の無い風変わりな作品である。
強いて言えばガウディに似ているかな。

値段はまだまだ安いし将来大化けする可能性は無い事はない。
これからの活動だが琳派の「風神・雷神」などに挑戦してみたらと思った。


ミセスマスダが予ねて下見をしていた「赤いコート」を買うという。
今日の外出の目的は散歩なので付き合って恵比寿まで。
恵比寿の駅前で「恵比寿様の銅像」を発見
こんな立派な銅像が駅前にあったんだ。

ミセスマスダは思惑通りのコートをゲット
ミスターマスダの体調もお散歩でまずまず
エブリボディ ハッピー。
1月20日(日)
初釜と言う言葉はあるが「初窯」と言う言葉はあるのか?
今年の初めての陶芸窯から出て来た作品である。
結構気を入れて作陶したもので仕上がりが気になっていたが
作った抹茶茶碗3個 何とか思ったとおりの焼き上がりである。
土は黄鉄砂土 釉薬は卯の麩 何の飾り気も無い器である。
この三つ、もう嫁入り先が決まっているのでその前にこの器で一服お手前をして
餞(はなむけ)としてみた。
昨日、今日は、庭のあちらこちらに残っていた雪も殆ど溶けて、
穏やかな日差しに春の兆しが感じられる。
大学受験を控えて孫娘が、この週末はセンター試験に臨んでいるので、
何もして上げられるわけではないが、祖父母としても些か緊張気味に
過ごしている。
そんななか寛ぎの時間も大事と、ミセス・マスダがお茶の用意を。
お菓子はうぐいす餅。 庭からの蝋梅の一枝を添えてみる。
茶碗のうすい青緑、「水浅葱」色に思いもかけずお抹茶の緑が
映えて、早春の気分を味わう事が出来た。

初釜と言う言葉はあるが「初窯」と言う言葉はあるのか?
今年の初めての陶芸窯から出て来た作品である。
結構気を入れて作陶したもので仕上がりが気になっていたが
作った抹茶茶碗3個 何とか思ったとおりの焼き上がりである。
土は黄鉄砂土 釉薬は卯の麩 何の飾り気も無い器である。
この三つ、もう嫁入り先が決まっているのでその前にこの器で一服お手前をして
餞(はなむけ)としてみた。
昨日、今日は、庭のあちらこちらに残っていた雪も殆ど溶けて、
穏やかな日差しに春の兆しが感じられる。
大学受験を控えて孫娘が、この週末はセンター試験に臨んでいるので、
何もして上げられるわけではないが、祖父母としても些か緊張気味に
過ごしている。
そんななか寛ぎの時間も大事と、ミセス・マスダがお茶の用意を。
お菓子はうぐいす餅。 庭からの蝋梅の一枝を添えてみる。
茶碗のうすい青緑、「水浅葱」色に思いもかけずお抹茶の緑が
映えて、早春の気分を味わう事が出来た。

12月24日(月)
今日はクリスマスイブ。
3~4年前までは孫達が来てクリスマスツリーを飾ってくれたが
もうその孫達も受験戦争の真っ只中
ジジ・ババの家に遊びに来る時間的余裕は無い。
我が家のクリスマスは何も無い。
ツリーも無い。
ローストターキーも無い。
デコレーションケーキも無い。
今年次男家族が呉れたクリスマス・オーナメントとミスターマスダが
作った陶製のファーザークリスマスをテーブルに飾る。
この飾りの前での昼食が絶品だった。
昨日、遊びに来た次男
ー商社の食品部に勤務しているので、ユニークな食品に詳しいー
の土産、グラドーストというチーズをバゲットに載せトーストする。
ピクルスやアンチョビーをあしらって食べたが
色々な味が絡み合ってなかなかの出来上がり。
サラダも良かった。
オリーブオイルと年代物のバルサミコで作ったドレッシングが良かったのかな。
アプリコットのコンポートも貰ったので、これはスイーツに。
先日買ったイリイのコーヒーも我が家のテイストに合っている。
混み合った街での食事を敬遠しての
「お家クリスマス」は、我ら老人には最も相応しいと思う。
BGMにナットキングコールやビングクロスビーのクリスマスソングを聞きながら
過ごしているが、夕食には特別に厚く切って貰ったステーキでも食べようと・・・・。
スイーツは勿論青山・ピエール・エルメのマカロンとなる。
3人のエンジェル達 次男家族より
下に敷いているエンジェルのテーブルセンターは,
昔、昔、ミセス・マスダが作ったもの。
随分長い間我が家のクリスマスを賑わしてくれたが、何年振りかの登場。
ミスターマスダ作 サンタクロース



今日はクリスマスイブ。
3~4年前までは孫達が来てクリスマスツリーを飾ってくれたが
もうその孫達も受験戦争の真っ只中
ジジ・ババの家に遊びに来る時間的余裕は無い。
我が家のクリスマスは何も無い。
ツリーも無い。
ローストターキーも無い。
デコレーションケーキも無い。
今年次男家族が呉れたクリスマス・オーナメントとミスターマスダが
作った陶製のファーザークリスマスをテーブルに飾る。
この飾りの前での昼食が絶品だった。
昨日、遊びに来た次男
ー商社の食品部に勤務しているので、ユニークな食品に詳しいー
の土産、グラドーストというチーズをバゲットに載せトーストする。
ピクルスやアンチョビーをあしらって食べたが
色々な味が絡み合ってなかなかの出来上がり。
サラダも良かった。
オリーブオイルと年代物のバルサミコで作ったドレッシングが良かったのかな。
アプリコットのコンポートも貰ったので、これはスイーツに。
先日買ったイリイのコーヒーも我が家のテイストに合っている。
混み合った街での食事を敬遠しての
「お家クリスマス」は、我ら老人には最も相応しいと思う。
BGMにナットキングコールやビングクロスビーのクリスマスソングを聞きながら
過ごしているが、夕食には特別に厚く切って貰ったステーキでも食べようと・・・・。
スイーツは勿論青山・ピエール・エルメのマカロンとなる。


昔、昔、ミセス・マスダが作ったもの。
随分長い間我が家のクリスマスを賑わしてくれたが、何年振りかの登場。




11月25日(日)
上野公園のリニューアルの終わった「東京都美術館」に来ている。
東京都美術館で開催される公募展に応募し見事落選した
ミスターマスダの陶芸作品の引き取りの為だ。
公募展で何度か落選の憂き目にあっているが慣れる事はない、
何時でも落選作の引き取りは嫌なものだ。
落選作 2点
大きいだけでは矢張り駄目か
この花器は少し自信があったのだが・・・
東京都美術館に来たついでに開催中の「メトロポリタン美術館展」
を覗いてみた。
NYに住んでいる頃 雨の週末はよく美術館巡りをし
NYメトロポリタン美術館もお気に入りの展示作品がどこにあるか
大体は把握していたぐらい慣れ親しんでいた。
今回の東京都美術館の展示方法はNYのそれと異なりユニークであった。
第一章「理想化された自然」から第七章までテーマ別に分類して
展示している。
油彩・エッチング・彫刻・写真まで みな小品である。
この展覧会を観たらメトロポリタンが判ると云う展覧会ではないが
日本人好みの作品を万遍無く集めている。
意外に会場は空いていたし気分よく展示作品を鑑賞する事が出来た。
エジプト文明や宗教画の展示が無かったのが少し残念。
ミスターマスダ好みのメトロポリタン美術館の
油彩画を2・3紹介したい。
ミスターマスダはターナーの模写を持っている位 ターナーが好きだ
バルテュス 奥さんが日本人と云う事で親しみを持っていつも鑑賞している
「フローラ」 御存じレンブラント・ファン・レイン
「糸杉」 フィンセント・ファン・ゴッホ この画がこの展覧会の目玉だ
今夜の夕食のひと皿。
オイスタークリームスパゲッティ
ミセスマスダが20年ほどという長い間悩まされていた牡蠣と鯖の
アレルギー、この夏、自分の誕生日に勇気を出して食べたところ
見事解消、それ以後、この食材が使われることが多くなった。

ニンニクと玉葱の微塵切りに生クリーム、それに市販の”フュメ・ド・ポワソン”
(シーフードのスープストック)を加えクリームソースを作る。
ソースにアルデンテに茹でたスパゲッティを絡め
ほうれん草の茹でたものを入れる。
すかさず生牡蠣を投入 殆んど余熱で良いだろう。
オーバークックは禁物 牡蠣が硬くなる、小さくなる。
仕上げにパルミジャーノ・レジャーノ・チーズを振りかける。
これにサラダとアイスクリーム・ベルギーのチョコレートという
具合であった。 街なら2000円は頂ける。
上野公園のリニューアルの終わった「東京都美術館」に来ている。
東京都美術館で開催される公募展に応募し見事落選した
ミスターマスダの陶芸作品の引き取りの為だ。
公募展で何度か落選の憂き目にあっているが慣れる事はない、
何時でも落選作の引き取りは嫌なものだ。
落選作 2点


東京都美術館に来たついでに開催中の「メトロポリタン美術館展」
を覗いてみた。
NYに住んでいる頃 雨の週末はよく美術館巡りをし
NYメトロポリタン美術館もお気に入りの展示作品がどこにあるか
大体は把握していたぐらい慣れ親しんでいた。
今回の東京都美術館の展示方法はNYのそれと異なりユニークであった。
第一章「理想化された自然」から第七章までテーマ別に分類して
展示している。
油彩・エッチング・彫刻・写真まで みな小品である。
この展覧会を観たらメトロポリタンが判ると云う展覧会ではないが
日本人好みの作品を万遍無く集めている。
意外に会場は空いていたし気分よく展示作品を鑑賞する事が出来た。
エジプト文明や宗教画の展示が無かったのが少し残念。
ミスターマスダ好みのメトロポリタン美術館の
油彩画を2・3紹介したい。




今夜の夕食のひと皿。
オイスタークリームスパゲッティ
ミセスマスダが20年ほどという長い間悩まされていた牡蠣と鯖の
アレルギー、この夏、自分の誕生日に勇気を出して食べたところ
見事解消、それ以後、この食材が使われることが多くなった。

ニンニクと玉葱の微塵切りに生クリーム、それに市販の”フュメ・ド・ポワソン”
(シーフードのスープストック)を加えクリームソースを作る。
ソースにアルデンテに茹でたスパゲッティを絡め
ほうれん草の茹でたものを入れる。
すかさず生牡蠣を投入 殆んど余熱で良いだろう。
オーバークックは禁物 牡蠣が硬くなる、小さくなる。
仕上げにパルミジャーノ・レジャーノ・チーズを振りかける。
これにサラダとアイスクリーム・ベルギーのチョコレートという
具合であった。 街なら2000円は頂ける。
11月23日(火)
会津若松から一時間ぐらいのドライブで夕暮れの大内宿に到着。
夕暮れで小雨、既に観光客は大方帰りかけている。
7~8年前我々は大内宿にゴルフの帰りに立ち寄った事がある。
江戸時代、関東と会津を結ぶ下野街道の交通の要衝だった大内宿は、
宿場として、また荷駄運送の駅所として栄えていた。
会津藩主の参勤交代の際もこの街道は使われていた。
戊辰戦争の際には、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となった。
会津軍後退のときには、あわや焼きはらいに遭うところでしたが、
当時の名主による死を覚悟の抵抗によってまぬがれたといわれている。
時代は幕末から明治と代わり、新しい時代を迎えても大内宿は
江戸時代のままだったし人馬の往来にも大きな変化は無かった。
ところが明治17年、日光街道が大川沿いに開通すると、
人、物の流れが新しい道路に移り、大内宿は時代に取り残されていった。
新しく開通した日光街道は関東と会津の最短距離であったばかりでなく、
道幅も広く、到底、大内宿の下野街道が対抗できるものでは無かった。
大内宿は山間の僻村として以後の時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すこととなった。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定されてからは、
江戸時代の家並みや郷愁を望む観光客が訪れるようになった。
久し振りの大内宿 昔と全然変わっていない
夕暮れで小雨 甘酒を片手に散策。寒い時の甘酒はホッとする
大内宿の記念に棗の木で出来た「湯のみ」をゲット
手にした感じが軽く瀬戸物と違った使い良さがある
早々に大内宿を退出 一路横浜鶴見へ。
2日間で770キロメーターの安全運転であった。
会津若松から一時間ぐらいのドライブで夕暮れの大内宿に到着。
夕暮れで小雨、既に観光客は大方帰りかけている。
7~8年前我々は大内宿にゴルフの帰りに立ち寄った事がある。
江戸時代、関東と会津を結ぶ下野街道の交通の要衝だった大内宿は、
宿場として、また荷駄運送の駅所として栄えていた。
会津藩主の参勤交代の際もこの街道は使われていた。
戊辰戦争の際には、大内は会津軍と新政府軍の激戦の場となった。
会津軍後退のときには、あわや焼きはらいに遭うところでしたが、
当時の名主による死を覚悟の抵抗によってまぬがれたといわれている。
時代は幕末から明治と代わり、新しい時代を迎えても大内宿は
江戸時代のままだったし人馬の往来にも大きな変化は無かった。
ところが明治17年、日光街道が大川沿いに開通すると、
人、物の流れが新しい道路に移り、大内宿は時代に取り残されていった。
新しく開通した日光街道は関東と会津の最短距離であったばかりでなく、
道幅も広く、到底、大内宿の下野街道が対抗できるものでは無かった。
大内宿は山間の僻村として以後の時代の波に取り残されたことによって、
奇跡的に茅葺きの家並みを残すこととなった。
昭和56年4月、重要伝統的建造物群保存地区に選定されてからは、
江戸時代の家並みや郷愁を望む観光客が訪れるようになった。



手にした感じが軽く瀬戸物と違った使い良さがある
早々に大内宿を退出 一路横浜鶴見へ。
2日間で770キロメーターの安全運転であった。
10月23日(火)
会津七日町の昼食を終え2時の約束の会津本郷窯へ向かう。
会津は小雨だが紅葉の秋! 会津には沢山の観光名所がある。
♪ 鶴ヶ城や大内宿をはじめ飯盛山、東山温泉、芦ノ牧温泉、磐梯山、
喜多方ラーメン、 そして400年の歴史を持つ会津本郷焼である!
会津本郷焼は素敵な窯元が 10軒ほどある。
戦国時代に、会津若松の黒川城(若松城・鶴ヶ城の前身)の屋根に使う瓦を
焼いたことから焼き物作り が始まったと言われている。
江戸時代の初期には、会津藩の藩主が、焼き物作りを 保護、育成したため、
会津本郷焼は、会津藩の御用窯として栄えた。
その後、一般 の庶民の生活雑器として普及していった。
我々はここで一番歴史のある宗像窯を見学することにした。
1958年に宗像窯の六代目豊意がベルギーブリュッセル万国博覧会で
最高賞のグランプリを受賞したにしん鉢。

にしん鉢ができた背景には当時の会津の生活や風土がある。
山に囲まれた盆地の会津には新鮮な生魚が入りにくく、タンパク源として
乾燥させた身欠きにしんをサンショウと酢、しょうゆで漬け込む
「にしんのサンショウ漬け」を作る鉢が必要だった。
現在はサンショウの新芽が出る5月ごろに浅漬けして食べるのが主流となっている。
にしん鉢の形は長方形で、5枚の板による張り合わせで作られる。
釉薬は茶色の飴釉が主流。飴釉は焼き上がったあとに冷めるときにできるひび割れが
ほかの釉薬に比べて少ないので、油が染みにくく水漏れが少ない。
プラスチックやガラスと違い、器自体が呼吸していて、
気温や湿度を微妙に調整する力があるため、漬け汁が良い状態に保たれ、
にしんが美味しくなるという。
にしん鉢が世界で評価されたのは単純に色や形が優れているだけの表面的なものだけでなく、
作品の中に会津の風土がしっかりと刻みこまれている点である。
単純な構成の中に力強さと美が備わっているため、日本的なものとして認められた。
又現在は、花器やワインクーラーにも使われている。
早速宗像窯の見学をさせていただく。御案内は窯元の息子さん一子相伝である。
創業当初より地元白鳳山で採れる的場陶土を使いつづけているそうで
この土は粘土の中に砂と鉄分が微妙に混じりあっており
宗像窯独自の質感や味わいはこの土により生かされてきている。
蹴ロクロ 足で蹴ってロクロを回すのでロクロ目が微妙におもしろい
土練機
釉薬を作る為材料を細かくする機械

手ロクロ 手で回すロクロ
電動ロクロ
作品の乾燥棚
宗像窯の登り窯は江戸中期に築かれたと伝えられている。
現在、東北で使われている登り窯としては最古のものであり、
大きさは全長約20M、幅は約5Mあり、七つの窯が連なる日本有数の大窯。
昨年の3月11日の大震災でl窯の一部が崩れたがこのたび各界の援助により漸く復元した。
息子さんの説明を聞くミスターマスダ

見学はあっという間の2時間 至福の時であった。
暗くなる前に大内宿に着きたいのでお礼もそこそこに辞す。
会津七日町の昼食を終え2時の約束の会津本郷窯へ向かう。
会津は小雨だが紅葉の秋! 会津には沢山の観光名所がある。
♪ 鶴ヶ城や大内宿をはじめ飯盛山、東山温泉、芦ノ牧温泉、磐梯山、
喜多方ラーメン、 そして400年の歴史を持つ会津本郷焼である!
会津本郷焼は素敵な窯元が 10軒ほどある。
戦国時代に、会津若松の黒川城(若松城・鶴ヶ城の前身)の屋根に使う瓦を
焼いたことから焼き物作り が始まったと言われている。
江戸時代の初期には、会津藩の藩主が、焼き物作りを 保護、育成したため、
会津本郷焼は、会津藩の御用窯として栄えた。
その後、一般 の庶民の生活雑器として普及していった。
我々はここで一番歴史のある宗像窯を見学することにした。
1958年に宗像窯の六代目豊意がベルギーブリュッセル万国博覧会で
最高賞のグランプリを受賞したにしん鉢。

にしん鉢ができた背景には当時の会津の生活や風土がある。
山に囲まれた盆地の会津には新鮮な生魚が入りにくく、タンパク源として
乾燥させた身欠きにしんをサンショウと酢、しょうゆで漬け込む
「にしんのサンショウ漬け」を作る鉢が必要だった。
現在はサンショウの新芽が出る5月ごろに浅漬けして食べるのが主流となっている。
にしん鉢の形は長方形で、5枚の板による張り合わせで作られる。
釉薬は茶色の飴釉が主流。飴釉は焼き上がったあとに冷めるときにできるひび割れが
ほかの釉薬に比べて少ないので、油が染みにくく水漏れが少ない。
プラスチックやガラスと違い、器自体が呼吸していて、
気温や湿度を微妙に調整する力があるため、漬け汁が良い状態に保たれ、
にしんが美味しくなるという。
にしん鉢が世界で評価されたのは単純に色や形が優れているだけの表面的なものだけでなく、
作品の中に会津の風土がしっかりと刻みこまれている点である。
単純な構成の中に力強さと美が備わっているため、日本的なものとして認められた。
又現在は、花器やワインクーラーにも使われている。
早速宗像窯の見学をさせていただく。御案内は窯元の息子さん一子相伝である。
創業当初より地元白鳳山で採れる的場陶土を使いつづけているそうで
この土は粘土の中に砂と鉄分が微妙に混じりあっており
宗像窯独自の質感や味わいはこの土により生かされてきている。







宗像窯の登り窯は江戸中期に築かれたと伝えられている。
現在、東北で使われている登り窯としては最古のものであり、
大きさは全長約20M、幅は約5Mあり、七つの窯が連なる日本有数の大窯。
昨年の3月11日の大震災でl窯の一部が崩れたがこのたび各界の援助により漸く復元した。


見学はあっという間の2時間 至福の時であった。
暗くなる前に大内宿に着きたいのでお礼もそこそこに辞す。
10月23日(火)
鶴ヶ城の見学を終えて車で15分
会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」にやってきた。
ここ七日町は歴史がある。
今は取り壊されているが歴史の舞台「清水屋旅館」があった。
この旅館には多くの歴史的人物が宿泊した。

吉田松陰は二度にわたり会津を訪ずれこの七日町の清水屋旅館に
宿泊している。
松陰が会津を去ってから16年後に戊辰戦争は勃発した。
会津藩と運命を共にした土方歳三は戊辰戦争で負傷したのち
清水屋旅館に運び込まれ治療を受けている。
その後函館五稜郭まで転戦し西軍に徹底抗戦したのである。
同志社大学の創設者新島襄は会津出身の妻八重と
会津を訪ずれ清水屋旅館に一ヶ月逗留した。
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は新島襄夫妻の物語である。
木造三階建ての純日本旅館は幕末から明治・大正にわたって
会津を見つめ続け昭和初期惜しまれながら取り壊された。

ながい炭成館 炭のインテリア・オーナメントから日用品まで
長門屋 小さい和菓子がいっぱい 和風カフェも楽しそう
民芸小物 「もめん 縫」伝統の会津木綿の手造りの店
「やまでら茶屋」古民具・骨董が興味をひく
「はしばん絵ろうそく店」元祖会津ろうそく製造販売元
菓子司 「熊野屋」創業120年余の老舗 笹だんごも美味
民芸-古布 「笑笑(わらわら)」
会津の民芸品「赤べこ」の製造販売を行っている。

希望者には赤べこの絵付けを行わしてくれる
ミセスマスダは15センチほどのおおきさの「赤べこ」を旅の記念にゲット
昔は呉服店だったが今は「バンダイスポーツ店」となっている。
高校野球を専門に野球用品ならなんでも扱う。
グラブの修理もOK。

この町では明治・大正時代の建物も大事に使われている

鶴乃江酒造株式会社官制年創業の造り酒屋 試飲販売実施中
「小野屋夢蔵」 明治19年建築の蔵でお香や漆器の販売
「南蛮館」石工が造る石の小物と天然石アクセサリーの店
白木屋 会津漆器の展示販売
木履庵 下駄 特に会津桐が良い
昭和なつかし館 少し偏屈な店主がド~ンと座っている
店内はガラクタに近い骨董品
ここも漆器店


大変地味に見えるが「花屋さん」種も売っている
一時間ほど七日町を散策し町はずれの渋川問屋に
到着。ミセスマスダがインターネットで捜した今日の昼飯どころである。
明治時代の海産物問屋の大店をそっくり利用した郷土料理店
大正ロマンムード満点
中庭も手入れが良く行き届いている
中庭の奥は旅篭と云うか宿泊設備
囲炉裏の前で食前酒を楽しむミスターマスダ
店の歴史を感じさせるキリンビールの看板の前で
ランチ付きの会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」
の散策は2時間ぐらいで終了。
ここから少し山の方向にドライブ会津本郷窯の窯元を目指す。
鶴ヶ城の見学を終えて車で15分
会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」にやってきた。
ここ七日町は歴史がある。
今は取り壊されているが歴史の舞台「清水屋旅館」があった。
この旅館には多くの歴史的人物が宿泊した。

吉田松陰は二度にわたり会津を訪ずれこの七日町の清水屋旅館に
宿泊している。
松陰が会津を去ってから16年後に戊辰戦争は勃発した。
会津藩と運命を共にした土方歳三は戊辰戦争で負傷したのち
清水屋旅館に運び込まれ治療を受けている。
その後函館五稜郭まで転戦し西軍に徹底抗戦したのである。
同志社大学の創設者新島襄は会津出身の妻八重と
会津を訪ずれ清水屋旅館に一ヶ月逗留した。
来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」は新島襄夫妻の物語である。
木造三階建ての純日本旅館は幕末から明治・大正にわたって
会津を見つめ続け昭和初期惜しまれながら取り壊された。







民芸-古布 「笑笑(わらわら)」
会津の民芸品「赤べこ」の製造販売を行っている。



昔は呉服店だったが今は「バンダイスポーツ店」となっている。
高校野球を専門に野球用品ならなんでも扱う。
グラブの修理もOK。














一時間ほど七日町を散策し町はずれの渋川問屋に
到着。ミセスマスダがインターネットで捜した今日の昼飯どころである。

大正ロマンムード満点




ランチ付きの会津若松の大正ロマン調の繁華街「七日町」
の散策は2時間ぐらいで終了。
ここから少し山の方向にドライブ会津本郷窯の窯元を目指す。
10月23日(月)
裏磐梯小旅行 昨日は安達太良山・磐梯山の紅葉を満喫
裏磐梯高原ホテルは温泉もサービスも期待以上に満足するものだった。
本日は会津若松の街の観光と、今回の小旅行の一番の目的、
会津本郷焼の窯元・宗像窯訪問を予定している。
また時間があれば帰り道に大内宿に立ち寄ってもみたいと思っている。。
先ず鶴ヶ城へ行こう!
その昔 一度訪ねたことがあるがミセスマスダの友人が紅葉が綺麗だから
是非にと勧めてくれたので雨の鶴ヶ城も良かろうと出掛けて行った。
幕末の戊辰戦争では一ヶ月の及ぶ戦闘の中心になったのがこの鶴ヶ城。
天守閣は昭和40年に復元されたものだが
相当細部にわたり忠実に再現されているそうだ。

天守閣の天辺からの眺望は見事なものだ。
眺望に見とれている間にミセスマスダとはぐれてしまい
「迷子の呼び出し」をお願いしてミセスマスダと再会出来た次第。




天守閣内部には所々に市の役人が武士の装束を着て
観光客の質問に答えてくれている。

来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン山本八重は
会津の出身で後に京都の同志社大学の創設者新島襄と結婚した人である。
大河ドラマでは山本八重の時代から新島八重となり活躍した一生を描くようだ。
この鶴ヶ城もロケ地になっているのだそうだ。

そろそろ昼飯時。会津若松の大正ロマンの街並みが残る
「七日町」に気のきいた食事処をミセスマスダが捜している。
裏磐梯小旅行 昨日は安達太良山・磐梯山の紅葉を満喫
裏磐梯高原ホテルは温泉もサービスも期待以上に満足するものだった。
本日は会津若松の街の観光と、今回の小旅行の一番の目的、
会津本郷焼の窯元・宗像窯訪問を予定している。
また時間があれば帰り道に大内宿に立ち寄ってもみたいと思っている。。
先ず鶴ヶ城へ行こう!
その昔 一度訪ねたことがあるがミセスマスダの友人が紅葉が綺麗だから
是非にと勧めてくれたので雨の鶴ヶ城も良かろうと出掛けて行った。
幕末の戊辰戦争では一ヶ月の及ぶ戦闘の中心になったのがこの鶴ヶ城。
天守閣は昭和40年に復元されたものだが
相当細部にわたり忠実に再現されているそうだ。

天守閣の天辺からの眺望は見事なものだ。
眺望に見とれている間にミセスマスダとはぐれてしまい
「迷子の呼び出し」をお願いしてミセスマスダと再会出来た次第。




天守閣内部には所々に市の役人が武士の装束を着て
観光客の質問に答えてくれている。

来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン山本八重は
会津の出身で後に京都の同志社大学の創設者新島襄と結婚した人である。
大河ドラマでは山本八重の時代から新島八重となり活躍した一生を描くようだ。
この鶴ヶ城もロケ地になっているのだそうだ。

そろそろ昼飯時。会津若松の大正ロマンの街並みが残る
「七日町」に気のきいた食事処をミセスマスダが捜している。
10月22日(月)
東北道を走り磐梯吾妻スカイラインの紅葉狩りを堪能し
今夜の宿裏磐梯高原ホテルにやってきた。
ホテルの前庭では新婚さんの記念写真の撮影が行われている。
パリでもサクレクール寺院の前でこんな風景をみたことを思い出した。



ホテルにチェックイン。
こじんまりとしたホテルだ。
天皇・皇后や皇太子ご夫妻が御泊まりになった時の写真が飾ってある。
知らなかったがここはプレステージアスなホテルに違いない。


フロントに続くロビー

先ずホテルで一番にやることは温泉。
露天風呂も結構 風呂からの紅葉の眺めも結構。


木々を通して五色沼がすぐ近くにかいま見える


次に夕食までの時間 ホテル内の探索。
部屋からの紅葉も綺麗だし庭の芝生に降りると
本当に自然に抱かれている感じを強く持った。


ホテルの庭は五色沼の一部分が入り込んで風情を添えている

ホテルの部屋部屋に灯がはいった 少し寒くなってきた
そろそろ夕食の時間である
愈々夕食の時間。
食事は各部屋ではなくダイニングルームで取ることになっている。
和食と洋食のセットメニュー 我々は和食をチョイス。
ステンドグラスのあるダイニングルームの入り口
シャンペンのキャンペーン

座席80席ぐらいの小じんまりしたダイニングルーム
愈々夕食 吹き寄せ盛りの八寸
お酒は地元の「本醸造 辛口」
お椀は甘鯛蒸しと松茸
お造りは旬の三種盛り
煮物は会津長茄子と川俣軍鶏の治部煮
福島牛の豆乳しゃぶしゃぶ これは気にいった
松茸の炊き込みご飯
デザートは無花果のワイン煮
美味しかった。
意外に量は少なく目下ダイェット中のミスターマスダには丁度良かった。
このホテルには図書館と云うより図書コーナーがある。
新聞を読みながら本棚をそれとなく眺めていて珍しい本を発見。
ミスターマスダの弟の著書が沢山置いてある。
早朝5時半から夜10時まで、お茶のサーヴィスもあって
ゆっくりした時を過ごせた。

ホテルを建築した竹中工務店が本棚から蔵書まで手掛けたそうだ
弟の本
弟の本
この間フランスに行った時見学したコルビジェのロンシャン礼拝堂の写真集もあった
何か嬉しい驚きと云うか懐かしい気分だ

一夜明けもう一度温泉に入ってからチェックアウト。
今日は生憎の雨模様。
我々が泊まった和室からの眺め

これから紅葉のなか会津の方へ向かう
まず鶴ヶ城へ
東北道を走り磐梯吾妻スカイラインの紅葉狩りを堪能し
今夜の宿裏磐梯高原ホテルにやってきた。
ホテルの前庭では新婚さんの記念写真の撮影が行われている。
パリでもサクレクール寺院の前でこんな風景をみたことを思い出した。



ホテルにチェックイン。
こじんまりとしたホテルだ。
天皇・皇后や皇太子ご夫妻が御泊まりになった時の写真が飾ってある。
知らなかったがここはプレステージアスなホテルに違いない。




先ずホテルで一番にやることは温泉。
露天風呂も結構 風呂からの紅葉の眺めも結構。


木々を通して五色沼がすぐ近くにかいま見える


次に夕食までの時間 ホテル内の探索。
部屋からの紅葉も綺麗だし庭の芝生に降りると
本当に自然に抱かれている感じを強く持った。





そろそろ夕食の時間である
愈々夕食の時間。
食事は各部屋ではなくダイニングルームで取ることになっている。
和食と洋食のセットメニュー 我々は和食をチョイス。












美味しかった。
意外に量は少なく目下ダイェット中のミスターマスダには丁度良かった。
このホテルには図書館と云うより図書コーナーがある。
新聞を読みながら本棚をそれとなく眺めていて珍しい本を発見。
ミスターマスダの弟の著書が沢山置いてある。
早朝5時半から夜10時まで、お茶のサーヴィスもあって
ゆっくりした時を過ごせた。





何か嬉しい驚きと云うか懐かしい気分だ

一夜明けもう一度温泉に入ってからチェックアウト。
今日は生憎の雨模様。



まず鶴ヶ城へ
10月22日(月)
磐梯・吾妻スカイラインをドライブしている。
物凄い紅葉だ。
紅葉と云うより全体に黄色い。
新聞に磐梯朝日国立公園は紅葉の見頃との記事が載っていた。
福島出身の知り合いからも安達太良山の紅葉の写真が送られてきた。
気にかかっていた会津若松の会津本郷窯
の見学は今を置いてない。
裏磐梯高原ホテルに一泊の小旅行を敢行することにした。
磐梯・吾妻スカイラインは現在無料で開放されている



















浄土平に近づいてきた 硫黄のガスが立ち込め停車・下車は禁止
車は一気に走り抜けなければならない
浄土平のパーキングで一休み 「こんにゃく玉」が美味しかった



磐梯・吾妻スカイラインを離れ五色沼を縫って今晩の宿
裏磐梯高原ホテルに向かう。
温泉が楽しみだ。
磐梯・吾妻スカイラインをドライブしている。
物凄い紅葉だ。
紅葉と云うより全体に黄色い。
新聞に磐梯朝日国立公園は紅葉の見頃との記事が載っていた。
福島出身の知り合いからも安達太良山の紅葉の写真が送られてきた。
気にかかっていた会津若松の会津本郷窯
の見学は今を置いてない。
裏磐梯高原ホテルに一泊の小旅行を敢行することにした。





















車は一気に走り抜けなければならない




磐梯・吾妻スカイラインを離れ五色沼を縫って今晩の宿
裏磐梯高原ホテルに向かう。
温泉が楽しみだ。
8月30日(木)
日本橋高島屋の「バーナード・リーチ展」を覘いてみた。
併せて「民芸展」も開催されていた。
デパートのショーウインドーもリーチ・民芸展一色である。



デパートの入口にも案内があり力が入っているようだ。




リーチ展ではリーチの来日初期の作品から
濱田庄司と立ちあげたイギリス・セントアイビス窯 再来日して益子から
日本各地の窯場で制作された作品が展示されていた。
リーチの作品は日本民芸館・アサヒビールの大山崎山荘美術館
・汐留のパナソニックミュージアムと色々見てきたが
今回は一堂にこれだけ纏めたという事は一見に値すると思う。








リーチ展の会場の外ではイギリス・セントアイビスのリーチ窯で
現在も作陶を続けている日本人女性遠藤みどり氏の展示即売場があった。
ヨーロッパの伝統釉「ソーダ釉」を使ったユニークな平皿を2枚ゲット。
帰宅後あり合わせの最中 色だけ気を使って皿に盛って抹茶を楽しむ。

併設の民芸展では松本民芸家具など柳宗悦や河井寛次郎らが興した
民衆の美の発見の運動 民芸運動の流れをくむものであるが
最も印象的だったのは芹沢銈介の
昭和9年の現代日本民芸展覧会に出品された図案であった。






民芸家具の中に家にあるロッキングチェアと同じデザインの物があった。
あれは永遠のベストセラーと云うか定番なのであろう。
我が家の陶芸工房のロッキングチェアと寸分違わない。
大事に使ってあげなければ。
帰途東京駅への帰り道 いつも立ち寄る「桜通り」の長門で
先ほど購入した平皿にあう和菓子を探したが気持に合うものがなかった。

日本橋高島屋の「バーナード・リーチ展」を覘いてみた。
併せて「民芸展」も開催されていた。
デパートのショーウインドーもリーチ・民芸展一色である。



デパートの入口にも案内があり力が入っているようだ。




リーチ展ではリーチの来日初期の作品から
濱田庄司と立ちあげたイギリス・セントアイビス窯 再来日して益子から
日本各地の窯場で制作された作品が展示されていた。
リーチの作品は日本民芸館・アサヒビールの大山崎山荘美術館
・汐留のパナソニックミュージアムと色々見てきたが
今回は一堂にこれだけ纏めたという事は一見に値すると思う。








リーチ展の会場の外ではイギリス・セントアイビスのリーチ窯で
現在も作陶を続けている日本人女性遠藤みどり氏の展示即売場があった。
ヨーロッパの伝統釉「ソーダ釉」を使ったユニークな平皿を2枚ゲット。
帰宅後あり合わせの最中 色だけ気を使って皿に盛って抹茶を楽しむ。

併設の民芸展では松本民芸家具など柳宗悦や河井寛次郎らが興した
民衆の美の発見の運動 民芸運動の流れをくむものであるが
最も印象的だったのは芹沢銈介の
昭和9年の現代日本民芸展覧会に出品された図案であった。






民芸家具の中に家にあるロッキングチェアと同じデザインの物があった。
あれは永遠のベストセラーと云うか定番なのであろう。

大事に使ってあげなければ。
帰途東京駅への帰り道 いつも立ち寄る「桜通り」の長門で
先ほど購入した平皿にあう和菓子を探したが気持に合うものがなかった。
