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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

三越薫風寄席

2012年05月11日 15時04分02秒 | 老後
5月6日(日)

ゴールデンウイークの最終日
日本橋三越の三越薫風寄席にOK夫人に誘われミセスマスダと出掛けて行った。

午後1時開演となっていたが少し早めに三越劇場に入場。
時間前だったがプログラムにない前座の人の落語の熱演が始まっていた。




一時となり愈々菊六師匠の登場である。
常設の寄席と違い独演会とか特別寄席は出演者が少なく
持ち時間が長いのでみっちり語ってくれるので聴きごたえがある。



お目当ての「紺屋高尾の歌丸」は風邪を引いていたのか
お座成りで精彩にかける話し方で残念。




取りを務めた「たい平」は「笑点」の仲間を話の中に鏤めて
聴衆をひきつけての熱演であった。
まだ若いので話が一本調子であり
陰影・抑揚をつければこの名作「井戸の茶碗」
もっとしみじみ聴かせるのではないか。
それともドタバタ調に仕上げたのは「たい平」の芸風か。







早めの夕食となった。
ミスターマスダは何か一週間ぐらい前から「鰻」を食いたい気分だった。

紆余曲折はあったが日本橋高島屋の特別食堂の
「野田岩」に行くことになった。
休日にも関わらず時間が早いためか意外に席は空いている。

OK夫人とミセスマスダは躊躇うことも無く「うな重」を注文
ミスターマスダはメニューを見て心変わり。
この食堂には帝国ホテルも出店しているが
ステーキがうな重と値段が殆んど変らない。
昨夜の我が家の夕食は「ローストビーフ」だった。
ここの肉の味わいはどんなものか比べてみたくなり
「ミディアムレア」を注文した。

結論 我が家のローストビーフが少し上。
帝国ホテルのステーキを「ミディアム」に焼いてもらえば良かった。
勿論これはミスターマスダの好みの問題である。

5時に席に付きビールを飲みながら食事をして
コーヒーはおかわり自由 気がつけばオーダーストップの7時半
御婦人方も十分お喋りしたしこれでお開きとなった。



大学いも

2012年05月01日 15時38分09秒 | 老後
4月26日(木)


年に2回ほど開催しているMSさん、FSさん達昔勤めていた会社の
同僚の「男子会」毎回楽しみにしているが
今回はTSさんが飛び入り参加するという。
TSさんとは台湾の子会社を一緒に経営した台湾つながりで懐かしい。
台湾のプロゴルファーの謝敏男と3人でゴルフを週末に
台湾のシンスイや静岡の新沼津で良くやったものだ。

神田の蕎麦屋「砂場」で男子会と云うか清談会をする予定だったが
TSさんのたっての希望で駒形の「どぜう」となった。

席はあるかい?

席を確保してホットしているMSさん


取り敢えずビール3本

皆 上着は脱ごう 匂いが付いてしまう

どじょう鍋には牛蒡や薬味を一杯掛けねば

記念写真を撮っていると向かいの「芋屋」が目に留まる



芋屋の名前は「大江戸浅草 おいもやさん 興伸」 。
いつもどじょうを食べに来た時この店は見ているが
入ったことも大学いもがうまそうだが買ったことも無い。
TSさんが店に入りしばらくすると4袋持って出てきた。
自宅だけでなく我々にも御土産の芋羊羹と大学いもを買ってきてくれた。
御馳走さま。恐縮 恐縮。


浅草界隈は江戸情緒と云うか日本趣味の物が多い。
「折り紙屋」である。

辰の折り紙 今年の干支である

これはリースとかハートとか色々なマーク

散歩がてら駒形橋まで歩いてきた。
今日は天皇皇后両陛下が東京スカイツリーにの登って見学されているそうだ。
我々は下から仰ぎ見る事にした。





駒形橋のたもとの八重桜は今が満開




浅草に来たら観音様の参詣は欠かせない

帰りは仲見世の「梅園」で「クリーム蜜豆」
アイスクリームとあんこの調和は絶品である  
いつ行っても店は満員 中年以上の女性客が90%

仲見世からも東京スカイツリーが見えるとMS さんが喜んでいる
MSさんは本当に東京スカイツリーが好きだ

我々4人の中に誰かのん兵衛がいる 
男子会の最後をデンキブランで決めたいとのこと

神谷バーの前で散会 
MSさんは東京スカイツリーが見えて終始ご機嫌ではあった

帰宅後ミセスマスダと御土産の大学いもを頂く


BLT

2012年01月28日 12時02分05秒 | 老後
1月25日(水)


心筋梗塞のアフターケアで4カ月に一度 虎の門病院に通っている。
午前10時ごろ病院に入り先ず血液検査の為の採血 
続いて心電図 ベッドに寝て第一回目の心電図
次は3分間階段を上り下りした直後の心電図
それから3分6分9分後の心電図
最後は心臓部分のレントゲン
すべてが終わったのが11時
これらのデーターは2時間後の13時からの循環器科の
O医師面談診察に使用される。

診察まで2時間ある。
今朝は採血があったので朝食抜きである。
近くのホテル・オークラででも朝食をゆっくり摂ろう。
一階のガーデンレストランが良かろう。
時間が時間なので既に朝食メニューは終わっている。
エッグベネディクトは駄目と云うことだ。






BLTを注文 お飲み物はと聞かれたのでビールにした。
ビールを飲みながら待つことしばし
「フィンガーボウル」付きの大変上品なBLT が出てきた。
ベーコンもレタスもトマトもみじん切りに刻んである。
ホテルともなるとBLTもこうなるのだろう。
アメリカのパブリックのゴルフ場の野趣に溢れたBLTとはだいぶ違う。




ガーデンレストランの庭は
昨日の雪が溶けきれておらず残雪が良き風情を出している。



滝のせせらぎの音が聞こえて来る様だ


坂道を下りながら虎の門病院に帰るのだが坂道の途中に
ミスターマスダのお気に入りの「菊池寛実記念 智美術館」がある。
備前焼きの金重有邦氏の個展が開催されていた。
あまり魅力的ではなかったが診察の13時まで時間があるので
時間つぶしを兼ねて見学。
日光の手前-・・・今市・・・・イマイチ。





虎の門病院での診察の結果は「問題なし」。
次回は5月の診察となる。


喜寿

2012年01月10日 10時27分19秒 | 老後
1月9日(月)


暫らくぶりに家族10人全員が鶴見の家に集まった。
ミセスマスダの音頭取りでミスターマスダの「喜寿の祝い」をやってくれるという。
お祝いも嬉しいが一人も欠けず全員10人が集まってくれるというのは嬉しいことだ。

ミスターマスダの誕生日は1935年1月4日で
先年、メンフィスのプレスリーの住居だったグレイスランドを訪ねた時、偶然知った事だが
彼の誕生日が1935年1月8日でミスターマスダは4日年上だ。
生きていればプレスリーも喜寿である。

勤めていた会社の友の会よりお祝いの金一封
会社の年金からもお祝いの3万円が振り込まれた。
陶芸教室の校長先生の御母さんもわざわざ大きな花束と
アイスクリームケーキを持参して祝ってくれた。

最近は子供達家族との食事も家人の負担を考えると
レストランが多く、家での全員集合での食事会はもうこれが最後かも?
ミセス・マスダが食事の用意を2~3日前から始めたので、ミスターマスダも
買出しドライバーとして多少は貢献した。
当日は長男次男が色々ホスト役で家族サーヴィスに努めており
少しはミセスマスダの負担も軽減されたであろう。



11時30分 さあパーティの始まりだ。

頂いた立派な百合 

食事会はまず和菓子とお茶でスタート。



次男の取引先の「シャチョウ」から差し入れのチーズプレート


孫のYチャンの好物のアラスカンキングクラブも忘れずに


孫達には好物の海老フライや鶏の唐揚げが、
そして大人にはアンチョビー添えのベルギーチコリのサラダや
ウォルドルフ・アストリア・サラダ。

メインディッシュはボルシチ サワークリームでひと味変わる
勿論、お赤飯はたっぷり炊きあがっている。




子供たちが用意してくれたショートケーキのバースディケーキ

子供達からはチーズケーキとチュコレートケーキも.他に頂いたアイスクリームケーキを含め4個のケーキ

長いローソクが7本 短いローソクが7本 77歳と云う意味







ローソクの灯をフウーと吹き消すのは初めての様な気がする



楽しい午後のひと時ではあったが「喜寿」のランチはどうも。
何か年寄りを労わるような雰囲気が感じられる。
まだまだ子供や孫達とグランパとして付き合っていきたい。


喜寿

2012年01月06日 12時45分51秒 | 老後
1月4日(水)



御正月の4日はミスターマスダの誕生日。今回は77回目の特別な誕生日。
いよいよ「喜寿」である。

朝食が済むと、ミセス・マスダからバースデイ・プレゼント。
サプライズド・プレゼントである。
正式な長男・次男家族も全員そろった喜寿の食事は9日に我が家で盛大にするらしい。
昨日は長男が来て喜寿を祝って軽い夕食。
次男たちはスキーに行っているのでバースデー・カードを贈ってくれた。









ミセスマスダからのプレゼントは白いバスローブでガウンにも使える 
早速 試着。 ピッタリだ 。ホットマン製、なかなかのクオリティとお見受けした。




午後から近くの川崎大師へ「初詣」 川崎大師への参詣は40数年ぶり。
正月も4日なのに仲見世を入ると大変な混みよう。



B級グルメと云うのか屋台がいっぱい並んでいる。



川崎大師は弘法大師・空海 クウカイ (何か)食うかい!







達磨屋さん 
今年の干支のに因んでお顔は龍







大変な混雑だったが
川崎大師の境内が近づいてきた。











入場規制と云うか歩行規制をやっている





大変な混雑である











これが本当の「仲見世」
一方交通になっており帰り道のみ通れる。







とんとこ飴屋の店先

とんとこ飴を機械で練っている

川崎大師様にも今お願いしてきたが家内安全
息災に穏やかな日々が過ごせるよう。
今日から77歳 喜寿を超えました。
無理とストレスは禁物。




クレー

2011年07月04日 15時57分50秒 | 老後
6月29日(水)




気に掛かっていた展覧会  AM御夫妻に誘われて行ってきた。
スイス生まれの画家パウル・クレーの展覧会である。
竹橋の東京国立近代美術館で7月末までの開催。









170点の作品の展示
クレーは一つの作品から「写し」たり「切断」して「回転」させてリして
「再構成」し自ら生み出した技法を用いて多くの作品を創作した。




各時代のアトリエに飾られた作品には
売らずに生涯手元に置いたものもあった。




作品はどれもこれも興味深く鑑賞出来たが
想像していたより作品の寸法が小ぶりであった。









東京国立近代美術館に行くと時間が許す限り
2~4階で開催されている「収蔵作品展」を観ることにしている。
会場の正面には萬鉄五郎の重文とか大観の大作が
何時もと変わらず展示されている。
今日は「オンザロード」という特別企画展も行われていた。

岸田劉生の[道路と土手と塀](重文)

東山魁夷の[道]

ラウシェンバーグの[ポテト・バッズ](ジャガイモの芽?)
なんでジャガイモのダンボールが「オンザロード」なのだろう?



食事は毎日新聞の地下の鰻屋
アーケードでは時節柄 七夕の短冊を通行人に書かせていた。
ミセスマスダは孫たちの幸福を祈念。



ここまでくれば午後のお喋りは近くの如水会館
SMさんの母校の施設である。





御濠の景色を見ながら結構御酒を飲んだが
我々の最後はいつもマルガリータ。
所が残念ながらマルガリータは出来ないそうだ。
しょうがないドライ・マーティーニにしておこう。
午後5時頃 解散となる。


寿命

2011年06月03日 13時05分22秒 | 老後
有料老人ホームの説明会に出席してみた。
これはその時 説明を受けた資料・データの一部である。


まず平均余命
あと何年生きられるか?
ゼロ歳の人は平均寿命と平均余命は同じである。
75歳の男性はこれから12年ほど女性は15年ほど生きられるということ。
あくまでも平均だが これからの暮らしの何らかの参考にはなろう。






要介護の可能性は誰にでもある。
年代別・性別 要介護認定率となると
老年になるに従い女性のほうが要介護認定率が高くなっている。
女性は平均寿命が長いと云われているので大変である。
85歳以上になると62%の女性が要介護認定となる。







その原因疾患は何だろう。
まず男性 脳血管疾患が多い。




女性の場合は 脳血管疾患は云うに及ばず
高齢による衰弱 関節疾患 認知症 骨折転倒が目白押しだ。







65歳以上の要介護 寝たっきり期間
約半分以上の人は3年以上の要介護認定であり 寝たっきりである。
外国に比べると植物人間化した患者も多いそうだ。
長期化する介護をどうする。



最後に平均寿命だが年々伸びているが女性のほうが長生きだ。
健康寿命が意外に低いのには驚きだ。
男性の健康寿命は72歳 ミスターマスダは76歳でまだ何とかサバイブしている。
平均寿命と健康寿命の差は7~8年 
7~8年グズグズ病気をして死ぬのだろうか。
この7~8年の期間を少しでも短縮し対ものだ。



理想はPPK(ピンピンコロリ)であろう。
高齢で病んだ場合 回復も目途が立たぬ場合は
躊躇いなく尊厳死を選びたい。







シルク・ド・ソレイユ

2011年05月12日 15時59分32秒 | 老後
5月5日(木)



ゴールデンウイークとなった。
特に特別な計画は無い。
最初の2~3日はおとなしくしていたが
2日に街の様子が気になり横浜のベイクオーター
昼食がてら散歩に出掛けた。
街は結構賑わっている。
4日は長男家族と横浜中華街
チャイニーズを食べに出掛けた。
前日テレヴィで横浜・鎌倉特集をやった為か
中華街は大変な混雑。
何とか夕食にあり付くことが出来て良かった。

中2の孫娘Yちゃんは、最近、お茶を点てる事に興味を持っている。
我が家に来るといつも美しい御点前を見せてくれる。
丁寧に点てた御茶が美味しい。
そこで食事が済んだところで、ミセス・マスダが
最も簡単な茶道具をプレゼント。
ずっと前に奈良・浄瑠璃寺で求めた茶碗・ミスター・マスダ手捻りの
伊羅保の茶碗、棗や茶筅・茶杓などである。
こんな事がきっかけになって様々な事を学んでいって欲しい。


5日は友人のO夫人に誘われシルク・ド・ソレイユの[クーザ」見物。
シルク・ド・ソレイユは一年前にラスベガスで「カア」を見たので
あの時の興奮をもう一度味わいたい。

O夫人とは原宿駅で落ち合う。シルク・ド・ソレイユ開演まで
時間があるので御茶でも飲もう。
お気に入りのカフェは「ジャルダン・ド・ルセール」
竹下通りを少し入った処 「ブラームスの小径」にその店はある。



竹下通りは将に芋の子を洗うような混みよう





竹下通りとは対照的に静かなブラームスの小径

ブラームスさんに御挨拶

シャンペンでも飲みましょう





ピアノの生演奏もある。
まずプッチーニのオペラ「ジャンニ・スキッキ」から「私の御父さん」。
ミスター・マスダのお気に入りのアリアである。
さい先がいいぞ!



年寄り向けのヒーリングクラシックが続く。これも楽しい。

店内は西洋アンティークだらけ これはドームのランプ



O夫人が派手なハンドバッグを買いたいという。
今、若い女性の間で話題になっている「SAVOY]が好いという。
インターネットでの購入を試みたが在庫無し。
原宿の旗艦店で現物を見て買うことになった。
ミスターマスダは店のベンチで少し待たされたが
何とか御希望のバッグをゲット。




時間が来たのでシルク・ド・ソレイユの会場 
代々木競技場の一角にあるテント「BIG・TOP」を目指す。

会場前の広場の屋台

スポンサー・ダイハツ 「クーザ」 シルク・ド・ソレイユ



会場はテント。ラスベガスM・G・M・ホテルのシルク・ド・ソレイユの舞台とは大違い













エントランス・テントの中、様々なグッズを売っている。
O夫人とミセス・マスダは早速ブラウスをゲット。





光の階段を上ると会場だ






シルク・ド・ソレイユとはフランス語で「太陽のサーカス」という意味。
サーカスというかアクロバットにストーリーをつけたエンターテイメントだ。

骸骨の踊り

自転車の綱渡り

本日のハイライト  廻るリングの上でジャンプ

テント小屋のサーカスなので舞台装置は貧弱。
その分 サーカス・アクロバット芸にコンセントレートしている。
これはこれでなかなか良い。結構な見ものである。
洗練された「木下サーカス」の様だ。
一方ラスベガスのシルク・ド・ソレイユは舞台装置が素晴らしく
舞台が垂直に立ちあがったり宙に浮いたり水が出てきたりデズニーランド風。
サーカスを見ているというよりハラハラするショーを見ている感じ。
ミスターマスダとしてはラスベガスを期待していったので少し落胆。
ロスに在住中、何度もシルク・ド・ソレイユを見ている次男に
そのことを話したら「かけている金が違う」と。




日々好日

2011年04月04日 18時40分56秒 | 老後
タイ旅行はここでちょっと一休みさせて頂いて
この冬、2月の諸事を
大雑把ではあるが纏めてみた。

 
ようやく六本木の公募展も終わり昨日2月16日
虎の門病院へ検査入院
心筋梗塞の手術で一年前に装着した「ステント」が
安定して収まっているか 手首の血管からカテーテルを挿入して
確認することが この手術のルーティンになっている。

検査手術も前回経験済みだし執刀医も前回と同じだし
今回の検査入院は余りストレスを感じていない。



手術直前のリラックスしたミスターマスダ





蕎麦粉のクレープ
ロスで食べて病みつきになっている。
一緒に飲むよく冷えたシードルもなかなかよい。

近くに大変良い店を見つけたので、このところ
折々、楽しんでいる。



インテリアも凝っているが うちにある絵皿のほうがよいと思う










気になっていた「横浜そごう」の三代徳田八十吉展に行ってきた。
グラディーションが素晴らしい。
新しい形の「九谷焼」である。













勿論 九谷の伝統的な作品の展示もある。

初代徳田八十吉作

三代目徳田八十吉作




次男のところの長男 孫息子がやってきた。
親と妹がノロ・ウイルス。
遊び相手を求めて鶴見にやってきた。
ゴルフの練習に行きたい。
ロスで一緒にプレーしたことがあるが中々スイングが確りしている。







寿司を食べたり本屋を覘いたりゲームをやったり
親の監視を離れ目いっぱいジジ・ババの家で楽しんでいたが
残念ながら夜遅くにノロ・ウイルスを発症
真夜中に母親が車でお迎えに来てヴィニール袋を携えて帰って行った。





親しくお付き合いしているO夫人の今日は誕生日
古希だそうだ。
O夫人の娘さんのS子チャンにも参加してもらい
大奮発の「アピシウス」でランチ。



昔よく通った店で当時は月に2回は行っていた。
本当に久し振りの「アピシウズ」だった。
昔馴染みのソムリエやキャップ・テンウエーターが寄ってきて
話に花が咲き楽しいひと時を過ごすことができた。






出光美術館で酒井抱一生誕250年を記念し
「琳派芸術」展を開催している。
「アピシウス」からはほんの5分ほどの所なので
立ち寄った。
抱一の馴染みの絵もあるが俵屋宗達の
「月に秋草図」屏風が圧巻であった。







一週間ほど経ってからの事、出光美術館が良かったので
白金の畠山記念館の
「生誕250年 酒井抱一・・・・琳派の華」
にも行ってみることにした。
この会場は空いていて良い。
また展示作品も少ないので作品をコンセントレートして観賞できる。



御庭が綺麗だ

お茶室もある

本阿弥光悦の扇子 「月と兎」派中々良かった。


スカイツリー

2011年01月31日 10時51分17秒 | 老後
1月26日(水)




少し遅めのの「新年会」である。
勤め人時代の仲間MさんFさんと折々集まっているが今年は初めて。
評判の「東京スカイツリー」を見に行こうと云うことになっていた。
午後1時 浅草の「神谷バー」に集合だ。



神谷バーと云えばデンキブランとなるが先行きを考え
軽く黒ビールとビールのハーフ&ハーフで皆の集合を待つ。


浅草の街からも東京スカイツリーはよく見える。
でも折角ここまで来たのだから予定どうり近くまで行ってみよう。








スカイツリーの建築現場に来てみると流石にでっかく高い。
見上げていると首が痛くなりそう。



近くのすし屋さんは壁に鏡を張って見上げなくてもタワーが見れる様にしてくれている




建築現場の近くには「東京スカイツリー・インフォ・プラザ」
という施設がある。



完成時の此のあたりのジオラマ



マスコットの人形らしい



逆さ富士と云うのがあるがここでは「逆さスカイツリー」
撮影条件が悪く写り具合はイマイチ。



我々も記念写真 左の人は何をしているのだろう

観光人力車に乗ったお嬢さんも携帯でスカイツリーをパチリ

あれ~ 船の形をした幼稚園だ 園児は喜ぶだろうなあ

腹が減った そろそろ浅草へ帰ろう

駒形橋に差し掛かると大勢のカメラマン スカイツリーの撮影スポットらしい



我々の遅めの昼食は蕎麦屋で一杯である。
雷門の正面の並木通りにある「並木 藪 蕎麦」
時間が過ぎているのに結構御客が入っている。


ここは墨東奇談の永井荷風がよく通ってきた蕎麦屋
蕎麦と酒(菊正宗)がうまい。














腹ごしらえが出来たらそろそろ浅草寺に参詣せねば。
仲見世を通って行くのだが土産物屋でストップ・
Fさんの慶応の時の同級生が経営している店だそうだ。
友人は町内会の用事で外出中 マスクうをした奥さんに御挨拶。



もう夕方平日でもあるし仲見世の人出は少ない







仲見世の飾りは1月なので「迎春」「賀正」となっているが
もうしばらくで2月になりどういう風に変わるのだろう。













近代的なスカイツリーと山門の大きな草鞋が面白い



御線香の煙を体の悪い所に掛ける風習があるがそれをやっているのは中国からの観光客




浅草寺の参詣も終わり我々の遅めの新年会もそろそろ終わりに近ずく。
浅草土産は何と言っても「人形焼き」だろう。
人形焼きはここが一番。





MさんFさん 御土産の人形焼きをゲットしてニコニコ


最後の締めはいつものことだが「梅園」の御汁粉。
酔いざめにはこの甘味に勝るものはない。




これで新年会は「御開き」
街に出ると東京スカイツリーは夕焼けに包まれていた。



次回の我々の集いは桜どきだろう。







ドガ

2010年12月27日 09時53分54秒 | 老後
横浜美術館で「ドガ展」が12月末まで開催されている。
横浜美術館は横浜の「みなとみらい21」の中心的な施設である。
どういう訳だろう 都心の美術館はいつも芋の子を洗うような混雑なのに
ちょっと中心から外れると横浜でも見学者は少なくなる。
そう云えば砧の世田谷美術館も人出が少なく
ゆっくり見学出来た覚えがある。
今日もゆっくり美術観賞をすることができた。
年末の大掃除がすんだら散歩にはお薦めの場所である。

エントランスホールは「彫刻の森」状態 ここだけでも見ごたえがあり楽しい

ドガ展のポスターは代表作「エトワール」 左の黒い服のパトロンがその時代の風俗を現している

このバレー教師の絵の中の一人ひとりの踊り子の表情しぐさに興味がある。








クリスマス

2010年12月24日 08時53分12秒 | 老後
ヨーロッパのクリスマス気分満喫の 「マーケット」が人気 らしい。
11月下旬からクリスマスまでフランスやドイツなど
ヨーロッパの各地で開かれる「クリスマス・マーケット」が、
日本に次々やってきている。
我々もクリスマス気分を楽しむべく
東京国際フォーラム・日比谷パティオ・六本木ヒルズへ出かけてゆく。

まず東京国際フォーラムへ。
東京・有楽町の東京国際フォーラムで開かれた
「ストラスブールのマルシェ・ド・ノエル」は、昨年は58万人を動員。
今年も11時30分、まだオープンしたばかりだが、かなりの人出である。 ...
フランス・アルザス地方の都市・ストラスブールは
「モミの木のクリスマスツリー」発祥の地だそうだ。
ストラスブールで行われるクリスマス・マーケットは
フランスで最も長い歴史を誇っている。









市内のオランゲリー公園に棲むコウノトリは「市の鳥」らしい

ミセスマスダが記念に縫いぐるみを一羽購入

屋台は帝国ホテルの経営












日比谷シャンテの前の日比谷パティオは
ウイーンのクリスマス・マーケットの会場である。

















六本木ヒルズでは本場とされる独・シュトゥットガルトの
クリスマス・マーケットを再現し、今年で3年目となる。
ソーセージと温かいワインを勧められたが遠慮した。



















昼食は丁度マルシェの正面にあったロブションの店で。
キッシュとブリュレが気に入った。
ワインはアルザスの赤
ミデアム・ボディでエンジョーイアブル。






イルミネーtション

2010年12月17日 12時26分35秒 | 老後
12月は忘年会のシーズン
ミスターマスダも世間並みに忘年会のお付き合いに忙しい。
今日は友人のF夫妻とランチ。
表参道のポール・スチュアートの角を曲がったところにある
BAMBOOというレストラン。





ワインのセレクションが中々良い。
シャンパンで始まりボルドーの赤がエンジョーイアブルであった。
この店のキッシュはお勧めである。


食後は散歩がてら紀伊国屋を覗いたり
骨董道りをぶらつき
最後は原宿駅まで表参道をイルミネーション見物でした。



洋服の青山が経営している「アニバサリエ」



ルイ・ヴィトン




散歩の途中でタレントの三船敏郎の娘さんに
偶然バッタリお会い致しました。
テレビのロケのようでした。



最後はラフォーレのクリスマスツリーを見学
竹下通を通ってJR原宿駅。



クリスマス気分と云うより年末気分を味わう事ができました。









武相荘

2010年11月14日 20時03分52秒 | 老後
11月10日(水)




若い時にオーストラリア・シドニーに暮らした3家族が
日本に帰ってきてから年に一度定期的に集まっている。
「シドニー会」と名付けて今回で24回目の集まりとなる。

毎年どの様な集まりにするか考えるのが楽しい。
今回は前々より気になっていたが行く機会がなかった
白洲ji次郎の「旧白洲邸・武相荘」の見学となった。





この門は東京から移築したらしい

門の所に置いてある「臼」は新聞受け






門の先は母屋。
茅葺き屋根の田舎家を買取。
内部は田の字になっており入口が「たたき」
「馬小屋」囲炉裏の居間」「寝室」をラウンジとか客間に
リフォームされている。
戦争が始まったので食料を自給自足しようという白洲次郎の先見の明も
あったのだろうがイギリス生活で学んだイギリス貴族の真似ごとをして
カントリーに住んでみたかったのかもしれない。

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我々6人 シドニー会の面々
小春日和のなか 取り留めのないおしゃべりが延々と続く。






母屋の裏は小さな散歩道になっている。
次郎は松茸が好物だったようだがここではタケノコが採れそうだ










今は門の前のミュージアムショップとなっている建物は納屋だったそうだ。
御百姓道具から芝刈り機 掻き氷機まである。
当時としては随分ハイカラな御百姓さんだ。





















白洲正子は青山二郎に骨董の手ほどきを受け
文化人の仲間入りをしたのだろう。
家族が住んでいた時は増築したこの建物の一階が食堂 二階が子供部屋。
その後 子供部屋は正子の書斎となり平成7年正子が亡くなるまで
執筆活動の場として使っていたそうだ。




この建物は空襲で焼け出された河上徹太郎が2年間
転がり込んで住んでいたところ。




これでシドニー会の第一部は終わり。
第二部は小田急鶴川駅の近くの蕎麦屋に会場を移す。
何でも有りそうな飲み屋の様な蕎麦屋だが
不思議な事に天婦羅がない。
従って「天婦羅そば」はできない。
天婦羅そばのない蕎麦屋なんて存在するのだろうか?

蕎麦屋の女将は御愛想が大変よろしい。
しかし夫婦二人で切り盛りしているので中々注文の皿が出てこない。
そんなことはあまり気にせず我々6人は御話の続きで盛り上がる。
不思議な事に蕎麦屋の客席の片隅で「絵手紙」のレッスンをやっている。
1200円で絵手紙を上手に指導して描き上げさせてくれる。
絵手紙の先生・生徒さんともお話をしたり
ちょっと筆の使い方を教えてもらったり面白い蕎麦屋だった。
最後はスタバでコーヒー。
これで今年のシドニー会は無事終了。




ミューザ川崎

2010年11月06日 17時52分33秒 | 老後
11月1日(月)




今年はショパン生誕200年だそうである。
昔人気のあった「ブーニン」のショパンを聴きに
2~3年前にJR川崎駅前に出来た本格音楽ホールに
行ってみようと云う事になった。
ホールの名前は「ミューザ川崎シンフォニーホール」








切符はインターネットでミセスマスダが簡単にゲット。
才能である・大したものである。
インターネットの使い方にはミスターマスダも一目置いている。







まず腹ごしらえ ラゾーナのお気に入りの「千房」高級お好み焼きである。
とりあえず「パリパリ餃子」とよく冷えた白のハウスワインがお勧め。




銘柄ものではなくお好み焼きには若いハウスワインがよく似合う。






建物の内部に入るとホールへの入口まで
廊下が印象的。








ロビーは広々としており地元川崎市出身の岡本太郎画伯の
タイルのモザイク画「空の散歩」が飾ってある。



サンドウイッチやシャンパンのカウンターもあり
インターミッションの時の一杯が楽しみだ。





聴衆の7割は女性
音響効果の良さそうなホールである。
正面に大層立派なパイプオルガン。
ステージを聴衆がぐるりと取り囲むレイアウトとなっている。









ショパンの生演奏を聴くのは「マジョルカ島」以来である。
ブーニンの演奏は軍隊ポロネーズから始まった。
インターミッション後は
ノクターンヘ長調
ピアノソナタ(葬送行進曲つき)

アンコール曲はワルツ(7番)





我々の座席は一階正面 前から5列目ですこし左より
ブーニンの手の動きもよく見えるベストポジション。
久し振りのコンサートを堪能した。

ミューザ川崎シンフォニーホールの前からは
鶴見駅前行きのバスが出ている。
家の近くを通るのでこれは便利だ。
これからも良い演奏会があったらまた来ようと云う事になった。