村上氏は自身について一般的には「死刑制度そのものに反対する立場」だとした上で、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビューをまとめた「アンダーグラウンド」(1995年)を執筆する過程において事件の被害者や遺族の苦しみに触れた体験から、「『私は死刑制度に反対です』とは、少なくともこの件に関しては、簡単に公言できないでいる」としている。

 その一方、村上氏は死刑執行によりオウム関連の事件が終わるわけではないと指摘し、今回の執行に「事件の幕引きにしよう」という意図や「死刑という制度をより恒常的なものにしよう」という思惑があったとすれば、「そのような戦略の存在は決して許されるべきではない」と断じている。【翻訳編集】AFPBB News

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村上春樹氏は死刑制度反対だそうです。

しかし、オウム真理教元幹部らの死刑執行について

「私は死刑制度に反対だ」とは簡単には公言出来ないと語っています。

それはサリン事件の被害者の苦しみ、遺族の苦しみ悲しみを知ったからだそうです。

 

つまり、死刑制度反対だと主張してきたのは遺族の気持ちを想像しなかったから。

死刑について深く考えてこなかったからと言えるのではないでしょうか。

他人事だから死刑反対と言えるのです。

 

死刑制度反対と主張していた弁護士が、自分の妻が殺害されてからは容認派になったと

聞いた事があります。

村上氏はその弁護士と同じだと思います。

自分の身に起こらなければ親身になって考えないということです。

同じ事が拉致問題にも言えます。

国会議員でも拉致問題に無関心の人がいますが、自分の親族が拉致されていたら

もっと必死になって問題解決の為にあらゆる手を尽くすでしょう。

でも国会議員はそんな事では困ります。

国民の命は、自分の家族の事と同じように考えてもらいたいです。

それが国会議員としての責務です。

 

今回のオウム事件の死刑執行に疑義を唱える人がいます。

これで真相がわからなくなったとか、

一度に13人も執行するのはおかしいとか。

こんな事を言う人は所詮この事件は他人事なのです。

親身になって考えていないからです。

 

村上氏はオウム事件の被害者や遺族の方に取材をして彼らの苦しみや悲しみを知った事でしょう。

その上で死刑反対とは言えないと。

しかしそれはオウム事件に限ってで、それでも一般的には死刑反対だと言い切れない様子です。

遺族の悲しみは同じです。

その大きさに違いがあっても、皆さん悲しんでいる事でしょう。

 

それならば、村上氏は他の殺人事件の犠牲者や家族の悲しみを想像し、

簡単には死刑制度反対とは言って欲しくないです。

オウム事件の死刑執行は容認するが、それ以外は反対とは欺瞞でしかありません。

折角、テロ事件の被害者の気持ちを理解したのですから、死刑制度についてもっと深く考え

死刑制度反対と言っていた事について、考え直してもらいたいです。