活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

大西洋漂流76日間

2009-08-23 02:42:46 | 活字の海(読了編)
著者:スティーヴン キャラハン 訳者:長辻 象平
ハヤカワ文庫NF230
価格:903円(税別) ※ 但し、入手版は720円(税別)
初版刊行:1999年5月31日(入手版)



先日、タンカーの乗務員が鹿児島沖で誤って海に転落。
一緒に落ちた空の2Lペットボトル二つを浮き輪代わりに漂流し、
2時間後に別の船に発見。無事救助されたというニュースを目にした。

その凄まじいばかりの幸運を知ったときに思い起こしたのが、
このドキュメンタリー。

もう読了したのは相当前になることと、まあ夏らしくていいかという
こともあり、久しぶりに書庫から引っ張り出して読んでみた。



筆者スティーブン・キャラバンは、30歳のアメリカ人。
1981年。
彼は、自ら設計、建造した全長21フィート強(約7m弱)のヨット
「ナポレオン・ソロ」号により、大西洋横断の単独航海に出る。
といっても、無謀な冒険行という訳ではない。

12歳でセーリングを始め、それから様々な艇を乗り継いで来た。
しかも、往路は友人と二人でアメリカからイギリスまでの航海を
行っているのだ。

その後、復路を単独航海としたことも、周到な準備と計算の上での
ことであった。


ただ。
人生においては、どこまで準備を備えていてもそれで万全という
ことがある訳も無い。

それでも、準備を怠らなかったものにこそ、幸運の女神はその微笑を
手向ける栄誉を授ける。

この本の著者は、上記をその身を以って体験することとなる。

この辺りの機知については、僕の大好きなスティーブン・キングが
「刑務所のリタ・ヘイワース」の中でとてもクールに表現している。

以下、主人公アンディの台詞を、少し引用する。

 「災難がやってきたとき、つきつめたところ、この世界には
  二種類の人間しかいない。(中略)
  
  二種類の人間のうちの片方は、ひたすら幸運を願うだけだ。
  (中略)

  第二の種類の人間は、最悪の事態に備えているかぎり、幸運を
  願っても害はないと知っているんだ。
  (中略)

  わたしは最善を願い、最悪を予想していた-ただそれだけだ。」

           スティーブン・キング著
           「刑務所のリタ・ヘイワース」P114~
             新潮文庫刊「ゴールデンボーイ」収録


なんとも痺れる台詞である。
苦境に陥った時。
途方に暮れるしかない状況において、こんな台詞をさり気なく言い放って
みたいものだと、切に願う。
(いや、勿論願うだけではなく、実践しないといけないんだけどね)


ともあれ。
カナリア諸島のイエロ島を、1月24日に出立したキャラハン氏は、
700Kmほど遠洋に出た2月4日に、恐らくは鯨との衝突によって
「ソロ」号を失い、3300Kmにも及ぶ大西洋横断漂流の途に就く
こととなる。

だが。
くしくもキングと同じ名前を持つスティーブン・キャラハン氏は、
18年間の海洋航海の経験を活かして、「ソロ」号には入念に
自家製の緊急バックを準備していた。

救命イカダに標準装備されている緊急パックにも、それなりの備品は
準備されている。

それでも。
自家製の緊急バックがもし無ければ、氏の生還は有り得なかった。
そこに準備されていた様々な品々が、氏の生命を文字通り救ったと
言えるだろう。

その意味で、氏は正しく第二の種類の人間だったという訳だ。


それでも。
76日間、一人きりでしょっちゅう空気が漏れていく頼りない救命
イカダに乗って漂流することの過酷さは、余人の想像を遥かに凌駕
したものであることは、弁を待たない。

手元にある食料は、僅か4Lの水と2キロにも満たない豆類のみ。

しかも現在地点は、大西洋航路からも大陸からも、遥かに離れている。

通信手段は、何発かの信号弾とEPIRB(緊急位置指示無線標識)のみ。
但し、EPIRBはバッテリー製なので、無闇に電源を入れてはすぐに
干上がってしまう。
その出力の乏しさをも考えると、近隣に船か飛行機が通りかかった
最適のタイミングでの作動しか出来ない。

こうして、無いもの尽くしの漂流(ADRIFT)が始まった…。


キャラハンは過酷な漂流生活を、装備と知恵と精神力の三位一体で
切り抜けていく。
時に、絶望に打ちひしがれても、泣く自由さえ無い状況。
(涙を流して水分を浪費するなどという贅沢は許されない!)

準備した道具類も、蒸留器が壊れ、モリの部品が壊れ、緊急イカダにも
穴が開きと、満身創痍となっていく。
(イカダ装備の緊急バックには、穴が開いた場合の補修キットも付いて
 いたが、使用に際しては補修部分をよく乾かしてから行うように!
 との注意書きが。もっとも必要とする状況を考慮すれば、キャラハンも
 言うとおり、最高のブラックジョークである)

その都度。
手持ちの用具と創意とで切り抜けていく、キャラハンの意思の力と発想の
柔軟性は素晴らしいの一言。


漂流を続ける中で。
イカダの底部には、エボシガイが付着し始める。
それを狙って小魚やモンガラが。更にはシイラやサメまでもが現れるように
なる。

それらを食料源にすると言っても、手元にあるのはモリとナイフ。それに
釣竿のみ。

モンガラは殆ど食べられる身が乏しく、シイラは大き過ぎて仕留めるにも
一苦労。

あるときなどは、モリで突き刺したシイラをイカダの上に運び上げたものの、
シイラが暴れたことによって、モリの切っ先でイカダが傷ついてしまう。

その時。
どれほど、肝が冷えたことか。
どれほど、自分の迂闊さを責めたことか。

キャラハンは、当時詳細に書き起こした漂流日誌から、丹念に様々なシーン
での自分の気持ちを書き起こしていく。

何度も船を発見しては雀躍し、生還をほぼ確信までした後にスルーされる
絶望感。それは、なまじその前の喜びのテンションが高いために、どれ程
キャラハンの心を削りとっていったことだろう。

だが。
その後。
貨物船の高い舷窓から、海面に浮かぶちっぽけな緊急イカダがどれほど
目視しにくいかを冷静に判断。
過去の漂流事例を思い起こして、最初に目撃した船に救出されるような
僥倖など、ある訳も無いことをしっかりと認知出来るだけの知識と分析力が。

キャラハンをして、生への闘いへと引き続き向かわせる。

それでも。
ある時は、絶望が。
ある時は、希望が。
際限無くリフレインしてキャラハンを襲い、その精神を痛めつける。
体に出来た傷や潰瘍等が、それに追い討ちを掛ける。


それにしても、漂流67日目あたりの、自制心を喪いかけた脳内の対話の
模様は圧巻だ。

乾きに苦しみ、水を飲ませろと主張するのは紛れもなくキャラハン自身
なのだから。

その自我を否定し、押さえ込むために、キャラハンは文字通りなけなしの
理性を総動員し、勝利する。

だが、そこに勝利の快感等は露ほどもなく、苦い肉体と精神の乾きが
待っているだけなのだ。


この記録を読む限り、キャラハンが生き延びることが出来たのは、奇跡に
等しい。

だが、その奇跡は天から降り下りてきたものではなく、キャラハン自身が
手繰り寄せたものだ。

本書のエピローグは、以下の言葉で締めくくられている。

 「今回の遭難によって、わたしは敗北感と、たえまない恐怖というものを
  味わった。

  だが、機器にただ圧倒されるのではなく、そこからなにかを学びとって
  いくという姿勢を身につけた。

  もし、わたしたちの誰もが生涯で重大な危機に一度、直面しなければ
  ならないとすれば、それは幸運と考えるのがよいだろう。」


誰も、この言葉を結果論だからと言い捨てることは出来ない。
なぜなら、キャラハン以上の試練に耐え抜いたもののみしか、そう言う
権利を有していないからである。


この事件の後。
キャラハンは、再び海に出た。

その勇気に、敬服を。
そして。
僕自身も、キャラハンの経験から学びを得たことへの、感謝を。


(この稿、了)


(付記)
漂流中。キャラハンは一日に飲む水の量を500mlに制限していた。
ちょうどその記述部分を読んでいたとき。
僕は郊外のとある駅で、駅弁を食べ、ペットボトルの冷たいお茶を
飲んでいた。

あっという間に飲み干してしまった500mlのペットボトル。

そして。
その僅かな水で、一日を過ごさざるを得なかった彼の苛烈なる漂流へと
思いを馳せた。



大西洋漂流76日間 (ハヤカワ文庫NF)
スティーヴン キャラハン
早川書房

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こちらは、日本版。
書評は、こちらをどうぞ。

たった一人の生還―「たか号」漂流二十七日間の闘い (新潮文庫)
佐野 三治
新潮社

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