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FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊へ

自分にとっての「引きこもる」とは

2015-11-27 18:31:45 | 日記
昔の日本には山川が沢山ありました。

自然に溢れていました。

いや、私は昭和42年生まれ。

もう開発という高度成長がどんどん進んでおり、あちらの山もこちらの山も住宅街、ビル街になっていました。

懐かしいです。

昭和の人間です。

山にこもるという言葉があります。

山籠もりの描いたもので私が最初に接した物語が「空手バカ一代」でした。

山籠もりという言葉と自分のルールの中で厳しい修行を貫徹するが合致したのがこの漫画を読んだときです。

だから、どこそこに籠るという言葉には必ず出口があります。

悩みがあり苦悩があり迷いがある。

内に籠ってもヨシ。

山に籠ってヨシ。でもこれだけ開発が進んで自然破壊が顕著になれば引きこもりたい山も今は無いです。

部屋に籠ってもヨシ。

でも、そこには自分のルールを敷いて出口を必ず用意しておく。

社会でイッパシの顔をして働いている私でも全てを放り出して「籠り」たくなることがあります。

これだけのストレスフルを感じながら皆が生きている。

何で俺だけが!と言いたくなるような突発的な事件も起きたりします。

打ちのめされます。人が信用できなくなります。消えたくなります。

だから「籠る」ことは別に悪いことじゃない。

しかし、必ず山を下りる時がくる。

それを自分で決めておきそれまでは籠って修行すればいい、自身と向き合えばいい。

孤独と背中合わせで生きていけばいい。

でも必ず出口を決めておくこと、下山の日を決めておくこと。

……なんの話をしているんだっけ?

あ、そうです。毎日書いていたと思ってこのブログを開いたら所々抜けた日があるんですよね。

それ何でかなと、考えていたらこんなことを書きたくなりました。

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