FREAKY 13 DEAKY

酔いどれの誇りと踊る熊たちへ愛を込めて

昔は良かった?(S・キングは文章から教えてくれる)

2016-06-24 18:43:41 | 日記
ネットで昭和50年代のCMを見ていると当時の自分が現れる。

小学生。

中学生。その時住んでいたうちの空気や色、外から聞こえてくる人の声。

あ~、昔は良かったな…一瞬でもイイから戻ってみたいなァ。

なんて動画を見ながら懐古する自分の姿が、「シャイニング」のジャック・トランスだよね。そのまんまだ。

ジャックも化け物屋敷の屋根裏部屋で見つけた昔のアルバムを開きながら昔を懐かしむ、いや懐かしさに耽溺していく。

オヤジになるとこういうことが起こるのだ。

だから「スタンド・バイミー」なんかたまにやってると見入ってしまい自分と照らし合わせて思い出に浸っているつもりになる。

今の苦しさから逃げたい。目を逸らしたい。現在の状況に満足できない…

まあ理由は色々だ。

でも目が覚める。

過去に埋没しようとする自分に未来は来ない。

付き合う人間も環境も状況も20年前30年前40年前とまったく違う。

でも人間の本質って変わらない。

とまどう。

ついていけない。

もがく。

逃げたくなる。

人に頼りたくなる。

そこに落とし穴がある。

ぽっかりと大きな口を開いて待っている。

よそ見しないで地に足をつけて一歩また一歩進めていく。

周りの声に惑わされない。振り回されない。

自分と対話する。

ほんとはどうしたいのか?どうなりたいのか?

内側の声はとても小さい。聴き取りにくい。

だから静かに耳をすます。

それこそ微かな「輝き」みたいなものだから見逃してしまうかもしれない。

とても小さくても無いのではない。


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CREEPY 「クリーピー偽りの隣人」 (ネタバレ多々あり)+しかも長文だから読まなくてもヨシ!

2016-06-23 12:20:00 | 日記
黒沢清だから期待値がいやが上でも高くなる。

それが可哀相…って思われたら負けだ。

劇場で観るのは初めてだ。

「回路」の衝撃は今でも覚えている。

伊丹十三監督に見出されて「スウィート・ホーム」を撮ったのも懐かしい。

トップランナーでやってるんだから力量は無くはない。



期待させるがゆえに…厳しい目がそそがれる。

でもこれって監督冥利につきることだ。

よし時間と手間をかけてもこの監督の撮った作品は封切で、館で観てみるんだといち映画ファンに想ってもらえるんだからね。

まずは褒めたい↓

香川照之扮する殺人鬼の棲家にある倉庫から風に靡いている屋外用のビニールカーテン。不気味で良かった!

東出昌大(←読めないよっ!)がカッコイイ良かった♥…さすが杏を射止めた男だけあるなと。

食べるシーンがよくあったが、美味そうで良かった。

それからドアチェーン越しから覗いた殺人鬼の見つめる香川の目。良かった。

…しかし、


しかし監督の意図したところなのかは微妙なのだが、

主人公含めて警察が間抜けだ。あまりにも酷い。

オープニングで主人公高倉が人質を助けようと勇み足で交渉しにいったら背中向けてフォークでブスッと刺されるなんて…間抜けだ。

このオープニングである意味不吉な予感が漂ってきた。こんなので最後まで観とおせるだろうかと。

殺人鬼から妻を救出する最後の方のシーンも酷い。

俺が全力で君を守る!と言って妻を取り戻してから吐くセリフ。

モンスターを目の前にしてそんな歯の浮いたセリフを吐けるのだからオメデタイ。

その直後その妻に薬物注射を打たれて気絶しちゃうんだから、ズッコケる。

あと主人公が普段から怒鳴りすぎる!ウルサイっていうの。

お蔵入りした事件の生存者に無謀な聴き込みをするとこも酷すぎる。だから生存者の女性にあんたは人の心ってもんがないの?!

って言われる始末。

この主人公の利己主義身勝手さはおそらく監督の意図したところでわざと観客を不愉快にさせているのだろう。ならば狙い通りということにもなるんだろう。

でも…主人公に共感できないまま最後までいくのは辛いよね。

ラストシーンで愛犬を撃って始末させようとするところもダメだ。

殺人鬼が銃を高倉に手渡して、自分の後頭部を指で指してここを狙うんだよ。というシーンでも

手渡された時にその後頭部を撃つでしょ?問答無用で。

なのにまたまた能書きがはじまってこれがお前の落とし穴だ!とか言ってバンバン!って…

だから「ンなわけねえだろう!」ってつぶやきながら見届けた。

最後の最後のシーンで竹内結子が洗脳と緊張から一瞬解放されるところで「ウギャーーーー!」と泣き叫ぶところも

観ていてシンドかった。

この映画の教訓は間違いなくある。

これはデビッド・フィンチャー監督の映画でも教えてくれたことだ。

ひとは波風をなるべくたてないようにするため人間関係を崩さないようにするほうを最優先するのだ。その隙を悪魔的に

ついてくるのがサイコパスだ。

会話が噛み合わないなと思ったら、そいつからなるべく距離を取る。

危ないなと思ったら近寄らない。

世間常識に囚われて手作りチョコなんか持って「地獄の家」にのこのこ引越挨しに行かない。


あと唯一主人公に共感が持てた行動として…

殺人鬼の棲家に奥さんを助けに行くとき靴を脱がないで侵入したところは、素直にそれでイイ!と思えた。

後輩刑事もベテラン刑事もみんな靴脱いで一人で侵入するんだもの…やっぱ皆殺しにされてるし。

この映画の流れるテーマの一つとして…

日本人は日本人を怖がり過ぎている。

向こう三軒両隣は、殺人鬼とストーカーとサイコパスばかりだ。という空気が漂っている。

だからがガス爆発で殺されちゃたお隣のお隣の田中さんみたいに

ご近所づきあいとかはいたしませんっ!みたいに変人さんあつかいされるくらいの人じゃないと

サイコパスに接して洗脳監禁されちゃいますよ、が底辺で流れている。

これが村上春樹の言うところの「世界には大きな穴がぽっかりと口を開けている。そこにハマらないようにすることは誰も

できない。ハマったら…残念だけどもそうなるしかない。」まあまあこんな感じのはなしだ。

だからって部屋から一歩も出ず生きていくわけにはいかない。

そう。生きていくこと自体がリスクなんだよな。

生まれてきた瞬間に危険と死が隣り合わせになって目の前に屹立している。

その中でどうやって生き抜くか、喜びを見い出していくのか、生きがいを見つけるか。

そして、一家消滅した現場からグオーンと画面が飛び立ってノーカットで空撮するところがあったが

あれはドローンじゃないかなと気になった。

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とにかく歌う!

2016-06-22 18:22:15 | 日記
咽喉風邪の病み上がりではあったのだが、

行ってきました後輩と。

ビッグエコーフリータイム。

といっても3時間だけだけどね。

でも、歌った。

歌い倒した。

いや倒された。

咽喉が痛い。

咳もまたぶり返している。

でも、でも歌うんだよ!

定番ってやつがある。

それは歳相応ってあったり、世代であったり。


でも人前関係なく歌うんだから相応なんて言葉は2万光年へすっ飛ばしたらいい。

オレはE-girlsのユニットFLOWERだね。

先日もその歌詞をちょっと載せたけども…

やさしさに溢れた…そうあれです。


いや、難しいよ。

だから咽喉オカシクしちゃったんだけども。

イイ歌。

JYUJYUよりもイイ。

可愛いから。歌もうまい。踊りもいい。

でもやはり…いきものがかり。

ありがとうって伝えたくて。

これ3回練習したら完全に声出なくなった。


でもイイのだ。これでいいのだ。

相方は聖鬼魔Ⅱ!のマニアックなやつばっかり…これものど壊していたな。

二人とも酒をがぶ飲みしながら歌ってるから咽喉潰すために歌ってた感じ。

二人とも体育会系だからここでの特訓を生かしてスナックで堂々と歌うつもりでいるのさ。

昨日は夕方3時から飲み始めて夜10時まで…まあ短い方かな。いつもよりは。

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原作本と映画作品の関係

2016-06-22 16:29:33 | 日記
よくよくある話しが、ある本を映画化したということになった時。

原作と映画どっちが良いか?なんてことになった時。

これ今日歩いていてふと分かったこと。

「レヴェナント甦りし者」のことで考えてみる。

心に響いたことや面白かった感じからみると映画の方が良かったと思う。

でもこれって比べること違うなと…

原作本あっての映画化だった。

ディカプリオ主演、トム・ハーディ助演、イニャリトゥ監督あっての…

ということになってくるんだよね。

映画は総合芸術だ。

映画は全てを呑み込んでいる。

原作本も一流の作品に繋がっていくための一つのプロセス。

それは俳優や監督や撮影監督や脚本家やそのた政策に関わる諸々…と同じこと。


そうなると原作本と映画作品の比較や優劣を決めることができなくなる。

原作はあくまで映画作品が完成するまでの一つの過程だから。

この文の最初に小説と映画、どっちが面白かったかということであえて書いたが

あんまり意味のあることじゃないなと気付いた。

物語展開にしても人物描写にしても元々文法が違うのだから比較自体ナンセンスなのかもしれない。

でも人情として比較しがちなんだけどもね。

最近はアメリカでも日本でも漫画の原作から映画化やドラマ化が流行ってピークに差し掛かっているけども…

でもまあ好きなように観るってことが大事なんだよな。

こんな理屈こねても、まあね…

それくらい「レヴェナント」はハマったんだよねきっと。


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雨に打たれても、風に吹かれても…

2016-06-21 00:37:04 | 日記
あなたを包む全てが、やさしさで溢れるように。


そんなこと言える人がいれば素晴らしいし、

言われることだってそれは素敵だよね。



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