暑い暑い日でした。
杉木立の青い抜けるような空に
高い煙突からもくもくと煙がでていきました。
ロッキーは天に昇っていってしまった。。
涙を流しながら、その現実を受け止めるための儀式をしていた私たち。
12年間 一緒に過ごした私たち夫婦にとっては最愛の息子であり 娘にとっては最愛の弟。
「親のことは思い出しても涙が出ることはないのに、ロッキーのことは5年経った今でも思い出すと涙が出る・・一日として忘れたことはない・・」
そういって今も朝晩ロッキーの写真の前のお水を供え、写真をなでまわしている夫。
あれから、もう5年もの歳月が流れたということでしょうか・・
あの日も月曜日でした。
10日ぐらい前から、もう歩くことも食べることもままならず土曜日に最後の病院に行きました。入院を勧められましたが、連れて帰りました。
いつもだれかがそばに居ないと不安そうにヒィーヒィーないて目で訴えていましたし、あの子を、絶対ひとりにはさせない。そのことだけは、3人で決めていました。
交替で、お布団の上に寝かせたロッキーのそばに付き添ってあげました。
お水を飲ませたあげたり、さすってやったり、おトイレはお外でないとやらないので、そのたびに、おとーさんは抱いて庭に連れて行ってあげました。
前の晩、庭に連れて行ったまま何時間も帰って来ません。
芝生の上で、ロッキーのぐったりした重い体をを抱え排便させてあげることに必死の夫は時間を忘れていたそうです。
みんなが疲れていました。精神的にも肉体的にも。。
月曜の朝、「早く帰ってくるからね・・」と声をかけた時、もううつろな焦点が合っていないよう目をしていましたが、それから何時間もしないうちに息をひきとることは誰もが思ってもいないことでした。
夫が仕事場に連れて行き、お布団を敷いてお水を準備していたら様子がおかしいことに気がついたそうです。唇の色が変わり、おもらしを・・・
最後の時間は、いつも頼りにしていた、大好きな、おとーさんと一緒でした。
「最後はこの胸で抱いていてあげたかった。。」私は、いつもそう思っていましたが「土曜・日曜とずっとおかーさんと一緒にいたし、ロッキーはもういちど、いつもいたあの場所に行きたかったんじゃないの?」と昨日娘に言われ、そうだったのかもしれない・・と、ふーっと気持ちが軽くなりました。
(ロッキーの眠る庭)
いつかは、そう言う日が来ることはわかっていても、その後のことは何も決めていませんでした。
冷たくなったロッキーを前に、放心状態で泣いてばかりいる娘と私。
夫は男として家長として、このままにはして置かれないと電話をかけたり段取りを手際良くやっていたように思います。
しかし、お骨になって家に戻ってからというもの・・・
正直、夫があれほど落胆し意気消沈の日々を迎えようとは思ってもいないことでした。
食卓について、突然 嗚咽・・・
夜になると外に出て、最後の晩、長い時間一緒に過ごした場所にたたずみ・・・
「ロッキーは強い子だった!苦しいのにじっと耐えて・・おとーさんは弱い人間だ・・」
あの子の存在感に打ちのめされる日々。。
そのぽっかりと空いた心の隙間を埋めてくれるものは・・・
でも、この苦しみを二度と味わいたくはない!もう二度と犬は飼わない!
虹の橋からロッキーはどんな気持ちでながめていたのでしょう
その後、さまざま不思議な出来事があり・・・
さまざまなドラマがあって、こんな子が我が家にやって来ました。
(ロッキーのお墓の前で)
そして、黒いアゲハ蝶が舞っていた夏の翌年には、こんな子までやってきました。
(2006・7・28 のブログに書いてあります)こちら
「おれの後半の人生にこんなシナリオがあったなんて!!理想の男の子三にん(匹)に恵まれて最高だ~!!」と笑顔の日々
「おかーさんが、いつも言うようにロッキーからのプレゼントなのかもしれないな~
ロッキーありがとう~~!!おとーさんは しあわせだよ!」
杉木立の青い抜けるような空に
高い煙突からもくもくと煙がでていきました。
ロッキーは天に昇っていってしまった。。
涙を流しながら、その現実を受け止めるための儀式をしていた私たち。
12年間 一緒に過ごした私たち夫婦にとっては最愛の息子であり 娘にとっては最愛の弟。
「親のことは思い出しても涙が出ることはないのに、ロッキーのことは5年経った今でも思い出すと涙が出る・・一日として忘れたことはない・・」
そういって今も朝晩ロッキーの写真の前のお水を供え、写真をなでまわしている夫。
あれから、もう5年もの歳月が流れたということでしょうか・・
あの日も月曜日でした。
10日ぐらい前から、もう歩くことも食べることもままならず土曜日に最後の病院に行きました。入院を勧められましたが、連れて帰りました。
いつもだれかがそばに居ないと不安そうにヒィーヒィーないて目で訴えていましたし、あの子を、絶対ひとりにはさせない。そのことだけは、3人で決めていました。
交替で、お布団の上に寝かせたロッキーのそばに付き添ってあげました。
お水を飲ませたあげたり、さすってやったり、おトイレはお外でないとやらないので、そのたびに、おとーさんは抱いて庭に連れて行ってあげました。
前の晩、庭に連れて行ったまま何時間も帰って来ません。
芝生の上で、ロッキーのぐったりした重い体をを抱え排便させてあげることに必死の夫は時間を忘れていたそうです。
みんなが疲れていました。精神的にも肉体的にも。。
月曜の朝、「早く帰ってくるからね・・」と声をかけた時、もううつろな焦点が合っていないよう目をしていましたが、それから何時間もしないうちに息をひきとることは誰もが思ってもいないことでした。
夫が仕事場に連れて行き、お布団を敷いてお水を準備していたら様子がおかしいことに気がついたそうです。唇の色が変わり、おもらしを・・・
最後の時間は、いつも頼りにしていた、大好きな、おとーさんと一緒でした。
「最後はこの胸で抱いていてあげたかった。。」私は、いつもそう思っていましたが「土曜・日曜とずっとおかーさんと一緒にいたし、ロッキーはもういちど、いつもいたあの場所に行きたかったんじゃないの?」と昨日娘に言われ、そうだったのかもしれない・・と、ふーっと気持ちが軽くなりました。
(ロッキーの眠る庭)
いつかは、そう言う日が来ることはわかっていても、その後のことは何も決めていませんでした。
冷たくなったロッキーを前に、放心状態で泣いてばかりいる娘と私。
夫は男として家長として、このままにはして置かれないと電話をかけたり段取りを手際良くやっていたように思います。
しかし、お骨になって家に戻ってからというもの・・・
正直、夫があれほど落胆し意気消沈の日々を迎えようとは思ってもいないことでした。
食卓について、突然 嗚咽・・・
夜になると外に出て、最後の晩、長い時間一緒に過ごした場所にたたずみ・・・
「ロッキーは強い子だった!苦しいのにじっと耐えて・・おとーさんは弱い人間だ・・」
あの子の存在感に打ちのめされる日々。。
そのぽっかりと空いた心の隙間を埋めてくれるものは・・・
でも、この苦しみを二度と味わいたくはない!もう二度と犬は飼わない!
虹の橋からロッキーはどんな気持ちでながめていたのでしょう
その後、さまざま不思議な出来事があり・・・
さまざまなドラマがあって、こんな子が我が家にやって来ました。
(ロッキーのお墓の前で)
そして、黒いアゲハ蝶が舞っていた夏の翌年には、こんな子までやってきました。
(2006・7・28 のブログに書いてあります)こちら
「おれの後半の人生にこんなシナリオがあったなんて!!理想の男の子三にん(匹)に恵まれて最高だ~!!」と笑顔の日々
「おかーさんが、いつも言うようにロッキーからのプレゼントなのかもしれないな~
ロッキーありがとう~~!!おとーさんは しあわせだよ!」