☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

ワンコの夏休み

2010年07月30日 | ワンコ
毎日 あついけど ボクたちは元気です! 

   


   



ボクたちの 夏休みは 宿題も なんにもありません。

海にも山にも行きません。


    

   
 

おうちで ゴロゴロ  

おとーさんと一緒の 朝のおさんぽと

食べることがイチバンの たのしみ~~~




   




おかーさんが、畑からトマトやきゅうりを持ってきました。



  おいしいよ~ ♪




  ちょうだい! ちょうだい!



きのうから雨が降って きょうはお散歩に行けません 

でも少し涼しくなりました。





暑中見舞い

2010年07月23日 | 日々の暮らし
暑中お見舞い 申し上げます。



    



全国的に 大変な酷暑が続いているようですが
          皆さまいかがお過ごしでしょうか? 
    

     夏バテに気をつけて どうぞご自愛くださいますように。



しばらく、ご無沙汰しておりますが

こちらは 今日の最高気温 28℃  
風もあり比較的 しのぎやすい暑さです。

イタリア旅行から帰ってきて、旅行記を書きながら
まだ 旅行気分がとれないままに・・・ 

このところ、なにもする気になれず放っておいた庭の手入れをしていました。





ラベンダーが風にそよぎ 白いガウラが揺れて   





姉のところに マダムから 達筆な暑中見舞いのお手紙と ワインが届いたそうです 

  ワイン通の ご夫妻のお気に入りのイタリアのワインだそうです。

ご夫妻には旅行中もワインをよくご馳走になりました。

「お礼に、秋田の地酒を送りますね」と言っていた姉は、ご住所を聞いてよいものかどうか迷いながら帰ってきてしまい気にかけていました。

どこかで つながっていたいという気持ちもあり、
私は別れ際にマダムにブログの URL をメモして「よかったらご覧になってください」と手渡してきました。



書きながら私もなんだか懐かしくなりブログを見ていた姉もマダムと連絡をとりたいというので、ブログから声を掛けさせてもらいました。

そしてマダムから嬉しいメールが届いたのです!

マダム~! とてもうれしかったです!ありがとうございました。 
 


「8日間のイタリア旅行」から、様々な余韻が今も続いています  


旅を終えて

2010年07月14日 | イタリア旅行
最終日 ローマの観光を終えてからの夜の帰国便は、
さすがに疲れて ひたすら眠って帰ってきました。 




駅まで迎えに来てくれた姉の旦那様

「どんなに、くたびれた顔をしているかと思ったら二人ともこれから旅行に行く人みたいだなぁ~!」 

「すご~く楽しかったの♪ お天気はいいし!最高だったわ~!」


帰国一番に食べた お刺身定食の美味しかったこと!




姉の旦那様も、“きびしい家庭内上司”が留守の間、好きな食べ物を好きなだけ食べてのんびりしていたらしく太ってしまった とか! 


「また二人で行くといいよ!」と言ってくれました。

昔は海外への出張もあり旅慣れている人なのに、今は7時間以上の空の旅は行かなくていいし、せいぜい行けるのもいいとこ65歳までだなという。
もう67歳になったときいてビックリ!

あっというまに年月は過ぎていくから 行けるうちに行きたい所に行って 人生楽しんだ方がいいよという話をしながら。
姉も、そのタイムリミットまであと少しだから スペインに行ってみたいと。

そんな夢を持って生きていくことがこれからの糧になってくれるのかも。

人生も終着駅が見えてきた今日この頃・・・
でも私は 今が一番幸せな日々を過ごしているような気がします。


   


あれから 1カ月・・・

紀行文を書きながら私は、ずっと旅を続けていたような気分でした。

たいした予備知識も無いままに訪れた イタリア

ただ、あのまま終わっていれば

すご~い! きれ~い! よかった~♪ で、終わっていたかもしれません。


ブログを書くために、たくさんの写真を整理し、行程表を見ながらガイドブックと照らし合わせ、耳慣れなかったイタリア語の多くの教会や名所旧跡を何度もひも解いているうちに足跡が確かなものになってきました。


これまで何気に見ていたヨーロッパの風景や美術・旅の番組も
奥深く興味を持って見るようになり感動もより深いものになって 


   


イタリアの旅行中 私はバスの中で、ガイドブックと地図をよく広げていました。
バスがどこをどう通ってどんな景色だったのか カメラを向けながらまわっていたので記憶をたどることができました。


夜な夜な、パソコンに向かい・・昼寝して・・
なにかにとりつかれたように 書かなくちゃ!と

そんな 『私のイタリア旅ものがたり』 も最終回

ご一緒に楽しんでいただけましたでしょうか?

また折に触れ こぼれ話など書き留めていきたいと思います。

長い間、お付き合いいただきありがとうございました。






旅の仲間たち

2010年07月13日 | イタリア旅行
帰りのローマの空港で免税手続きをしていた時、
隣に並んでいた“玉置さん”の奥さんが「本当に楽しかったですね~!」と
笑顔で話しかけてきてくれた。

それまで、ほとんど言葉を交わしていなかったがツアーの中で一番若い感じがした方。
帰りになって今更ながら、もっと皆さんとお話したかったと思った。

8日間の間、行動を共にしてきた 20人のツアー仲間たち
その仲間意識は日数が経つにつれ強く楽しいものなってきていた。





付かず離れず、ほどよい距離感でサポートしてくれた添乗員さん

だれひとり自分勝手な人もいなく、これまでなんどもツアーを経験してきた姉も
今回の旅が一番メンバーにも恵まれ楽しかったと言っていた。


   



“最後の晩餐”で、私たちのテーブルを盛り上げていたのは 
兄弟組と「かしまし娘」の3人のお友達グループ 「森三中」とも呼ばれていたみたい。

呼ばれていた当人は「テレビは NHKとWOWOW しか見ないから知らない」と言っていたけど、とっても明るくていつも彼女のまわりは笑いが絶えなかった。

ご夫婦連れが多い中で、やはり夫や妻から離れた単身仲間は、はじけていた 

あのとき、私の隣にはだれが座っていたっけ・・・?
あっ、そうそう・・・いつもニコニコもの静かにみんなのお話を聞いている横浜の叔父さんに似ていた方と奥さまだった。


「おひとりさま」と呼んでいたお一人参加の方は、
お部屋はひとりでも、食事のテーブルとかどうしても3人組とセットになることが多くやはりお話しする機会が少なかったが帰りの飛行機の席が隣合わせとなったので少しお話しできた。

ご主人は仕事があるしお友達も1週間以上家を空けるとなるとなかなか一緒にいける人がいないので・・と。フランスにも一人で行って来られたとのこと。
行く先々で無事を知らせる写メールを息子さんに送っていた。



    



マダムご夫妻・教授ご夫妻・巨漢の旦那様ご夫妻・チイさんご夫妻・・・

オールキャストのお顔が次々に浮かんでくる。

住所も聞かないでお別れしてしまったから
もう2度とお目にかかることはないかもしれないけれど
この楽しかった旅の思い出とともにいつまでも記憶に残しておきたいと思う。

本当に楽しかった! 

ツアーの仲間に グラッツェ!!  (ありがとう)




 マダム ご連絡ありがとうございました~! 






ローマ 編

2010年07月11日 | イタリア旅行
思わぬアクシデントがあったものの幸い大事に至らず 
昼食の後もローマの観光は続いた。


古代の栄華を物語る 歴史の宝庫 ローマ


その中でも、圧倒的 存在感のある遺跡 コロッセオ





5万人を収容したという古代ローマの大きな闘技場は
長い歴史を刻んだまま巨大な形で迫ってくる。



中に入って見学している人たちが見える。

紀元80年の頃に完成したというこの建物が、
様々な歴史や地震にも耐え補修されながらも壊れた部分はそのままのリアルさが 
当時の建設技術の確かさと市民が熱狂したであろう闘技場の“夢のあと”を残していた。





古代ローマの遺跡が多いその近くでは、今なお発掘作業が続き新たな発見もあるという。


パラティーノの丘の下に広がるフォロ・ロマーノ は
ローマ帝国の政治経済の中心であった場所

 (車窓から)



歴史遺産がいたるところにあるイタリアは高層ビルがない。
古い建物を大切にアパートとして使い、車は道路にびっしりと停められていた。

バイクも多く見かける。

街の景観も古いものに調和する色使いだったりする。

イタリアは想像以上に すばらしい歴史ある国だった。


イタリアの食事は日本人にも馴染みがあり、旅の間提供されるお食事をきちんと摂って
間食は、たまにジェラートを食べた以外ほとんどなしで過ごした。





ツアーはハードスケジュールではあるが、
せっかくの機会に見ていきたい必見ポイントを効率よく回って見せてくれる。

最後は ローマ三越 でのショッピング

その後ローマ市内をバスの車窓から眺めながら空港へと向かった。

そして夜8時過ぎ 私たちは機上の人となり 

感動の イタリアに 別れを告げ 帰国の途に就いた。



グラッツィエ イタリー  




ローマの出来事

2010年07月11日 | イタリア旅行
イタリア旅行 最後は ローマ郊外のホテルに2連泊

それぞれに違った趣のホテルに泊まり、
それまでのホテルの中では一番大きく設備も整っていた。
しかし夜のお食事のときレストランに大きな蚊が何匹も飛んできたのには閉口したが、
それすら笑いの種にしてしまうツアーの仲間たち。

お天気にも恵まれ、なんのトラブルも無く最終日を迎えたことに安堵感が広がっていた。

広い サンピエトロ大聖堂 を出てから

自由時間が過ぎても、集合場所にひとり まだトイレから帰って来ない!
さあ~大変!
私はヒゲ殿下と言っていたが姉は 玉置浩二さん(今の)に似ているのでそう呼んでいた。

定年退職して会社を辞めた後にお髭を伸ばす方が多いらしいし、年齢的にもそんな感じ。
奥さまが心配そうにして待っていた。
暫くして運よく見つかったが今度は探しに行った奥さまが戻って来なかったりと
あの人混みで迷子になったら大変なことになるところだった。





無事にバチカン市国を出て、ローマの観光名所に向かう。


映画『ローマの休日』で有名な トレビの泉







中央付近は人ごみが多くスリも多いからと左側からコインを投げて写真撮影

そのあと、スペイン広場 へ 



階段の日陰の場所に 多くの観光客が座って広場や通りを眺めていた。

集合場所は階段の上にある教会の前。

暑いのと、疲れてきたのと、、、ぐったりしながら階段を上って行った。

(偶然マダムが写っていた)

その階段の最上階付近で  

事件が起きた!!! マダムが狙われた!!!


なにか 一瞬 ゴタゴタしていたようだった。

姉が マダムに 「お財布取られてない?!」と聞いた!

バッグに手を入れたマダムがサングラスとスカーフを取りだして

「ない!!!お財布がない!」  「えーーーっ?!!!!」 

「だれに 盗られたの?!!!」

周りを見渡すと露店の前で黒っぽい服を着た子どもが3人背を向けていたのが目に入った!
みんなで騒いでいたら、その中の10歳位のひとりの女の子が手のひらにお財布をのせてさしだした!

一瞬あっけにとられて見ていたがご主人が受け取って中を確認した。
最終日でお金もあまり入ってなかったと言っていたがカードは残っていたらしい。

それにしてもなぜ返したのか?
すぐに気が付きみんなで騒いだためか? 今もってわからない。

思い起こして見れば
あの時、私より少し前を姉とマダムが歩いていた。

私の少し後ろをマダムのご主人・・・
その間を白い布をまとった赤ちゃんを抱っこした色の浅黒い女の人が歩いていた。
今思えば、あれがまぎれもないジプシーだったのだ。

私の目の前に赤ちゃんの白い帽子が不自然に落ちて私はそれを拾い手渡そうとしていたその時、母親は振り返って受け取ったが、マダムは女の子たちに囲まれ盗られたようだ。
段ボールのような紙が押しつけられたと言っていた。

ほんと数秒の間の出来事 
一番底にあった財布だけが抜き盗られていた。

あとで見つけたのだがガイドブックにも
その手口通りの少女のスリ集団がいると書かれてあった。
赤ちゃんを抱っこしているように見せかけてひもで吊るし、その手を使う場合もあるらしい。あの時、帽子もわざと落として周囲の気をそらしたのだと思う。
母親が指示していたのだろうか?貧しさゆえの生活の知恵だとしたらあまりにも悲しい。
あの女の子の輝いていた大きな目が忘れられない。

朝からガイドさんにも、スリに気をつけるように言われていて、その時はそう思っていたのだが、あの場面では赤ちゃんに目が行っていたから疑いは持っていなかった。
やはり旅も終りに近づいてみんな気が緩んでいたと思う。

ともかく無事にお財布が返され何事も無かったからよかったものの
すぐに目の前で起きた 一瞬のスリ事件 


なぜマダムのバッグが狙われたか?

 狙われたバッグとお財布(マダムの了承済み)

狙われなかった私と比較してみよう。

 真実の口 の前で

軽くて機能性重視のチャックがいっぱいついたバッグを、
いつもお腹の前に抱えるように持てと姉からうるさく言われていた。
身なりも、おしゃれよりは動きやすさを重視した服装 

どちらを狙うかは 言わずもがな。


世の中の怖さを知らないマダムを心配そうにサポートして歩くご主人が
「ローマの休日」のアン王女役のヘプバーンとグリゴリーペックの姿に重なった。

イタリアはスリが多いと聞いてはいたが、まさかの体験であった。

その時はマダムにとって、どんなにかショックな出来事であったかと思うが、
のちのちどんなイタリアのお話よりも、
誰しもが 「え~~~っ!!」 と 耳を傾ける一番の“おみやげ話”となったのである。




バチカン市国 編

2010年07月09日 | イタリア旅行
行く先々で、新たな感動が続いていた イタリアの旅も最終日となった。

最後のイタリア観光は ローマ
古代ローマの遺跡が、いたる所に残る見所いっぱいのローマの街を、夜の帰国便まで7時間の観光が予定されていた。

最初に訪れたのは カトリックの総本山 バチカン市国

世界で一番小さな国 
教皇がお住まいになる宮殿や博物館があり法王庁で働く聖職者たちが住む。
ローマの街の中にあり境界には塀がはりめぐらされている。

その中にあるバチカン博物館は、
イタリア美術の膨大なコレクションが収められている世界屈指の博物館。

  その中庭 


館内には、古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻もたくさん展示されていて、
長い廊下の天井画がすばらしい!!




その両側は16世紀後半の地図やタペストリーのギャラリーとなっている。

ラファエロの間 もあった。


階段を下りて行った先にある システィーナ礼拝堂 
その中にある
ミケランジェロ が描いた天井画 『天地創造』と 祭壇側の 『最後の審判』

大勢の人が首を上にあげたまま・・・・・・・・圧巻!!!
そのすばらしさに言葉も無く 見とれていた。

イタリアに来て、多く目にしてきた聖書の世界をテーマにした宗教画。

 (内部の絵の説明)

ガイドから受けていた説明だけでも多くの感動が伝わってくる。
その世界を知るためにも聖書を読んでみたいという気持ちにさせられた。

ため息をつきながら、隣の建物に移動
そこは世界中の信者が訪れる世界最大のカトリック大聖堂

サンピエトロ大聖堂


バチカン市国のシンボル 

 

内部はバロックの巨匠が手掛けた多くの芸術作品で飾られ荘厳な雰囲気

中でも、死せるキリストを抱いた聖母マリアの像 「ピエタ」の前には多くの人が集まっていた。
ミケランジェロが25歳で完成させたという傑作。

 慈愛に満ちた聖母もキリストも若く、
彫刻とは思えない繊細な表現に圧倒される。


大聖堂の前は ベルニーニ が設計した サンピエトロ広場

 

多くの柱の意図するものなど、旅行に出かける前に、ちょうどテレビで見ていたので興味深く見ることができた。
(その日は、何か行事があるのか、たくさんの椅子が並べられていた)


古代ギリシャ・ローマ時代からのイタリア芸術の傑作を一同に観られるすごい場所に立っていた。

もっと勉強していったら感慨深さもひとしおであったたろうと今更ながら思う。
それにしてもじっくりと鑑賞するには時間がいくらあっても足りない場所でもあった。




カプリ島 編

2010年07月07日 | イタリア旅行
旅も終盤 残すところ あと2日

長くつの形をしたイタリアの北 ミラノ から フィレンチェ と徐々に南に下がって
ローマ 入りし、6日目は 南イタリアの ナポリ へと向かう。
早朝6時のモーニングコールで 食事を済ませ また 235キロの往復のバスの旅。
高速船でカプリ島に渡り「青の洞窟」の観光 その後また ローマ に戻る予定である。

先に旅した従妹の Rちゃんは「青の洞窟」の観光には同行せずローマに残って、自由行動としローマの街歩きをしたと言っていたが、私と姉は残ったところで路頭に迷うだけなのでもちろんツアーに参加!

何より「青の洞窟」が見たい!! 芸術よりも自然派だ!

ナポリを見て死ね」という言葉がある。

燦然と輝く太陽・青い空・青い海・歴史ある街並みが見える小高い丘・・・
これぞイタリアというナポリの港からカプリ島に向かった。






風光明媚なリゾートの島 カプリ島 が見えてきた。


マリーナから、20人ほどが乗れるボートに乗って洞窟に向かう。

この海の碧さ 

洞窟の近くに行くと、たくさんの手こぎボートが待っていて4人ずつ乗り移る。



船のへさきに、ちょこんと座った姉に日本語のできる現地ガイドが叫んだ!

オカサン!オカサン!スワッテ!!アシ ノバシテ!!!

そう 洞窟の入り口は小さく、船頭さんが鎖につかまって入って行くので頭を出してはいけないのだ。

洞窟に入ったら首だけを出して振り返って入口の方を見るようにと言われていた。

狭い入口を入って見えてきた光景!     



「 きれ~~い!!! すご~~~い!! 

あちらこちらから感嘆の声が聞こえてきた。

船頭さんの サンタルチア~~♪ の声が洞窟の中に響き渡った。

何艘かの小さな船がひしめき合いながら1周している間、夢中でシャッターを切っていた私はじっくりとは見る間もなく気がつけば船は洞窟から出ていた 

でも、しっかりとあの鮮やかな神秘色の青い色は脳裏に刻まれ写真も残すことができた。
向かい側に寝そべっていた姉は、身動きがとれずとうとう実際の青さを肉眼では見ないでしまったというから大笑い!
姉のカメラには、目線にある船頭さんの足だけの写真が残っていた(笑)

しかし手を伸ばして写した動画にしっかりと、あの青の洞窟と船頭さんの歌声が見事に残っていたのである

青の洞窟は3回行っても見られなかったという人もいる確率の低い中で皆さんはラッキーですよと添乗員さん。暗い洞窟に、あの狭い入口に横から射す太陽光が反射してあの神秘的な美しさになるのだとのこと。晴れて風のない午前中という条件が重なった。

洞窟の観光の後は、あの断崖絶壁の上に向かって狭い道路を車で上り アナカプリ へ。

車からのすばらしい眺望



お昼は カラマリとボンゴレのスパゲティ
カプリ島はレモンの産地 レモンのフレッシュジュースとキリストの涙というワイン

     


4時間ほどのカプリ島観光を終え 再びナポリへ戻り 
車窓からナポリの街を眺めながら ローマへと戻るバスの旅が続いた。

疲れもピークに達していたツアーのみんなも、徐々に指定席から後部の空席に移りリラックスしての帰り道となった。
それでも最後まで指定席にご夫婦で座っておられたのは、あの巨漢の旦那様ご夫妻だった。

私のうしろに座っていた “新潟のお兄さん”は、途中のおみやげやで奥さまに買った カメオ をみせてくれた。
 
 「キャディさんに選んでもらった」
 「キャディさん?・・あ~添乗員さんね?!」

旅も終りに近づき、おみやげの心配が出てきた。
行く先々で、たくさんおみやげを買っていた お兄さんと弟さんは 帰りのバッグの重さも気になる様子で、その夜ホテルで機内持ち込みのできるバッグを“キャディさん”に相談しながら購入していた。



その夜はツアーのみんなの ホテルでの 『最後の晩餐』 

青の洞窟では、水が怖いと言っていた巨漢の旦那さまは
ご兄弟と同じボートだったらしく「“なんとか三兄弟”のよしみで・・!」 と杯を交わしていた。

さまざまな話で大いに盛り上がり ワッハハハハハ~~!!! の声がレストラン中に 響き渡った  








フィレンツェ 編

2010年07月04日 | イタリア旅行
ルネッサンス芸術の中心地 花の都 フィレンツェ





アルノ川のほとりに広がる美しい風景を眺めながら
早朝、私たちはホテルから歩いて橋を渡って行った。

最初に向かったのは ウフィツィ美術館 

ルネッサンスの三大巨匠と呼ばれるレオナルド・ダ・ビンチ ラファエロ・ミケランジェロといった偉大な作家の作品が展示されている有名な美術館で多くの人が並んでいる。
私たちはツアーで予約済みなのでスムーズに入場することができた。

古い建物の3階まで階段を上ると、広い画廊には多くの彫刻が並び、各部屋にたくさんの名画が展示されている。

限られた所要時間の中でガイドの人が必見ポイントをおさえて案内してくれた。
美術ファンならずとも ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェーラ)』など 有名な絵画を間近にみることができたことは貴重な体験!

「あの絵 Rちゃんが鳥肌モノだったって言ってたよね・・!どうだった?!」
「うん・・・・・・・?・・そこまでは・・???」

私と姉の会話
偉大すぎる “ゲージュツ“の奥の深さには入り込めない二人なのであった。





美術館の外に出ると、すぐ近くにはシニョ-リア広場があり
そこにも有名なダビデの像や多くの彫刻が並んでいた。

そして街を歩いてフィレンツェの中心にある歴史遺産 
「花の聖母の大聖堂」と呼ばれるドゥオモ サン・ジョバンニ礼拝堂 ジョットの鐘楼の3つの大きな建物




これまで見てきたドゥオモとはまた違った、色大理石を使った鮮やかな幾何学模様が目を引く。




内部の壁面のフレスコ画も素晴らしく荘厳な印象!

クーポラの天井画 


最後にフィレンツェの街を一望できる高台の ミケランジェロ広場へ




そこにも イケメンのダビデ像が
本物は美術館にあって他の2体はレプリカらしい。


フィレンツェの観光を終え ランチと免税店でのショッピングのあと

バスは南へ 約280キロ ローマへと向かい

美しい トスカーナの田園風景に さよなら をつげた 




早朝からの歩いての観光 旅も5日目で疲れもピークにきていた。

バスの長距離移動は格好の おひるねタイム 

毎日、添乗員さんから一応、席順が張り出されるが
大型バスの半分は幸いにも空席なので、
私と姉は後方に移動してゆっくりと体を休めることができた。

ご夫婦連れが仲良く席をキープしている中、私たち姉妹と兄弟グループは
後部座席を指定席にしてくつろいだ。

弟さんは気持ち良さそうに最後部に大の字になって爆睡していた 


途中サービスエリアに寄って休憩 

出口と入口が違うので間違わないようにと添乗員さんから注意があった。
おトイレなど日本とは色々と違いがあり戸惑うことが多い。
飲み物一つ買うにも、慣れないとちょっと勇気がいる。

その何もかもが旅の経験となり想い出となっている。




すべての道はローマへ通ず・・・

古代ローマの街道にはパラソルのような松並木が植えられていた。

夜まだ明るい ローマ に到着!

その夜は、カンツォーネ・ディナー 

  



迫力ある歌声で“オー・ソレ・ミオ”など、おなじみの曲も 


美味しいワインとお食事をしながら楽しいローマの夜は更けていった。






ピサ 編

2010年07月03日 | イタリア旅行
早朝に フィレンツェ を出て サンジミニャーノの観光  
その後ファームハウスで、ゆったりと昼食をとった私たちは 
斜塔で有名なピサの街に向かった。


糸杉といわれる まっすぐに天に向かってのびる杉の木が点在する、
なだらかな丘の美しい景色の トスカーナ地方
その西の海に面する街 ピサ。

ピサの斜塔は、イタリアを知らない人でも知っている有名な建物

私の頭の中には、ぽつんと斜塔だけが建っているというイメージでいたのだが・・

これまでとは違った黒人が多い土産物を売るお店がたくさん並んでいる。
その先の門をくぐると、緑の広場に立派な建物がたくさんあり、その奥の方に、あきらかに傾いた建物が目に入ってきた!


  



その斜塔を支えるポーズをとって記念写真を撮っている大勢の観光客がいた。






斜塔の周りには、ドゥオモや 洗礼堂 墓所などがあり
鐘楼として建てられた斜塔の他の建物も地盤沈下の影響で少し傾いているのだとガイドさんから説明があった。

海に面して川に囲まれ軟弱な地盤に、長い年月をかけて建てた建物が建築途中から修復されながら維持されてきたというからすごい!


 それにしても、鐘楼として建てられたこの建物が、傾いていればこそ有名になり観光客がこれだけ集まっているというのだから倒れてしまったら大変な痛手だろうなと思う。
一時修復のため中止になっていたが今は登ることができるようだ。


      抜けるような青空

緑の広場にそびえる大理石の建物がまばゆく とても美しかった!



駐車場までは、少し歩いたあと電車みたいなシャトルバスに乗って行く。
駐車場にはたくさんのバスが並んでいて、おトイレに行く人などちょっとバラバラになってしまった。

「あらっ! お兄さんが別の車の方に向かっている!」と誰かが言った。
みんなで一斉に「 おにぃさ~~~ん!!! こっち~!」(笑)
あわてて、お兄さんが戻ってきた。

きのうは「俺の愚弟はどこいった?!」と言っていたのに 

そう!兄弟で参加したお二人を、みんなでお兄さん・弟さんと呼んでいた。
ツアーの中の最年長さんのお兄さんは新潟から千葉に住む弟さんのところに前泊してきたというから私と同じ。

昨夜は、お兄さん お名刺を配っていて ○○会社の顧問 ・・・なるほどね 

私はお名前覚えてなっかたけど チイさんの奥様が覚えてらして「△△さ~ん!て呼んだら振り向いたのよ」と、おっしゃっていたから、お名刺効果があったのだ。

お食事タイムで、みんなが少しずつ情報交換して和気合いあいの雰囲気ができていた♪

夜はフィレンツェの街の中にあるレストランで食事。
狭いテーブルと椅子のレストランが多く、みんな肩寄せ合っての食事が多かった。
その夜はラザニア 

お向かいに座った巨漢の旦那様が、ベネチアのゴンドラに乗った時の話になり
小学生のころプールに落とされて以来、水が怖いのだとおっしゃった。
体は大きくても気は優しくて小さいらしい。
バスに乗っても、いつも奥さまの隣に寄り添って汗をかきながら座っておられた。

食事の後は駅の中を通ったり街の中を歩いてホテルに戻ってきたのは、かなり遅い時間だったと思う。


フィレンツェのホテルはヨーロピアンなクラシカルな建物だった。