☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

安らかに

2011年02月26日 | 三婆通信

Tm叔母(81歳) は 今朝 4時ごろ 息をひきとりました。

「わたしは ここに居たい・・・」と望んでいた

あたたかな ホームの方々に 見守られて 幸せな最後だったと思います。

病気が発覚してから、わずか2ヶ月足らずの間

病院の先生・看護師さん・ソーシャルワーカー・ケアマネージャー・ホームの方々・訪問看護の看護師さん

世の中にこんなに良い方がいるのだろうかと思うほど本当に優しく親切な方々に囲まれて

理想的な ターミナルケア を見た思いがしました。

 

  

 

意識があるうちに それぞれ会いたい人たちと お別れをして

「ありがとう・・・ ごめんね・・・」を繰り返し

迷惑をかけることを一番に気にしていた叔母らしく

土曜日の朝に亡くなり 日曜日のお葬式となりました。

 

明日は近親者のみで葬送します。

私は3日前 最後のお別れをしてきましたが

きょうまで頑張ってきた叔母を見送ってあげるべきと

やはり 明日の朝向かうことにしましたが

気が抜けてしまい 涙も出なく なにも手が付きません。

 

 

これまで叔母を支えてくれた皆さまに 心から感謝するとともに

ブログを通じて 見守り応援してくださった皆さま方 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 


三婆その後

2011年02月17日 | 三婆通信

2の叔母が、ほとんど食事を摂れなくなっているとの報告を受けて

月曜日に 姉夫婦がまた 叔母たちに会いに行ってくれました。

その日は、気分がよかったのか持って行った 桜餅を食べて 「おばさん、何か食べたいものある?」と訊いたら

梨がたべたい」と答えたそうです。「今の季節は無いかも?他には?」というと「メロンとカステラ」と。

「今度買ってくるからね」

きょう姉は デパートで梨を見つけて明日持っていって食べさせたいといっていました。

 

 

自宅に戻らず、1の叔母に付きっきりで1ヶ月以上お世話をしていた 3の叔母も来週は自分も1ヶ月に一度の通院の日。

疲れも出ているので、少しの間家でゆっくりしてきてもらいたいと思い1の叔母のショートステイをお願いすることにしました。

明日から初めて5日間のお泊りです。

案ずるより・・・なんとやらで本人は素直に了承してくれたそうです。

ちょうど姉が施設に訪問して本人に確認して申し込みました。

わたしは、ひとりじゃもうなにもできなくなっちゃたから・・・みなさんが、とても良くしてくださるし・・・よろしくお願いします」と手を合わせて拝んでいたそうです。

今、自分の置かれた状況で見ず知らずの人たちのお世話になってみて、親切やありがたさが身にしみてわかってきたのではないでしょうか?

2の叔母も 「病院よりも家よりも ここが一番いい 」と。

 

世間では 孤独死・無縁社会 などと騒がれている時代

病院の先生・ソーシャルワーカー・ケァマネージャー・施設長のみなさんが三婆のことはよく存じ上げてくださっていて

連絡をとりながらとても良くしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 

きょう夕方、ケアマネージャーの方から お電話をいただきました。

2の叔母の病状が思っていた以上に進行が早く、食事は固形食はもう食べれなくなり水分をキューブにして摂っているとのこと。

痛みはモルヒネに代わるパッチタイプのお薬が効いているそうです。

明日、私と姉が行くことになっているので 看取りのことも含めて 相談することにしました。

 

2月半ば・・・あたふたと 三婆の問題に関わってから 1ヶ月過ぎました。

こちらは、ここ数日の気温の上昇で雪がだいぶとけてきています。

 

 

 


病は気から

2011年02月16日 | 病気・健康

昨日は 大腸内視鏡検査の結果 を聞きに 今日は 乳がん検診

どちらも 異常なし     急に元気になりました   

たぶん大丈夫! とは思っても 一抹の不安はぬぐえませんでしたから。。

夫の病院通いも始まりましたが 

氷点下の日もワンコに誘われ お散歩に出かけ 

こんな吹雪の朝も 除雪をしてから元気に 通院しています。

すべて、体を鍛えるためにやっていると思えば苦にはならない と言います。

いかにも 病人らしいのは わたしの方 

昨年暮れから ずーっと 私の体調不良が続いていた原因は、もとをただせば

夫の 放射線治療 が始まる・・と聞いてからでした。

再発したわけでもなく予防のためときいていたので、それほど気にしていたつもりはないのですが

心の底にはドッカと、しこりのようなものが、つっかえてしまいました。

そういうことがあると睡眠障害が始まり、いろいろなことが重なって体調不良の連鎖へと繋がってしまいます。

ヘトヘトになっても、やらなければ・・・と頑張ってみたり

とうとう動けなくなって、なにも考えることもできなくなり、何もしないで数日間床に伏したり・・・

今は、そういう 勝手気ままな行動が許される環境 にあるのだということに幸せを感じています。

 

 

病気の叔母(2)は、日に日に体力も衰え食欲も落ちていっているようですが痛み止めが効いていて幸いです。

本人は病名や病気のことについては一切触れません。

本能的に、知ろうとか考えないようにしているようにも思えます。

二人の叔母(1&3)も、その病人の状態の深刻さをどの程度理解しているのか? 

自分の環境が変わって、それに適応することでいっぱいいっぱいなのかもしれません。

それで いいのだと思います。

悲観的なことばかり考えて暗い表情ばかりでは周りも辛いだけ。

涙もろくなった老婆たちは、会いに来てくれた人やお世話をしてくれる人に

ほんとに嬉しい!ありがたい!」という感謝の気持ちを表してくれる 

その気持ちに添ってあげたくて また会いに行きたくなるのです。

 

 

 


まごころホーム

2011年02月13日 | 三婆通信

2番叔母が退院し 施設(ホーム)にお世話になるようになって1週間過ぎました。

あの時点で 病院に入院させてもらえたこと、退院後に入所するところがあったことは本当にありがたく、神のお導きと感謝しました。

それだけ叔母が家に帰ることは、本人はもとより周りのものも心配なことばかり・・・

いつもの暮らし慣れた生活の場が、介護が必要になった老婆二人には危険きわまりない場となってしまったのです。

それでも、病院はともかく 行ったことのない施設に行くとなると、

とんでもない 収容所 にでも送られるかのような不安に襲われるようなのです。

それは二人の叔母だけではなく、私の両親がそうであり夫の両親の場合もそうでした。

認知症が進み そのこと自体がよく理解できないくらいになれば受け入れられるのでしょうが

「自分はまだ、あんな呆け老人と一緒にされたくない」という気持ちが強いのです。

抵抗をみせていた2番叔母も、入院前に一度初めてのディサービスを利用していました。

そして退院後も、そちらでお世話になることが決まり、まっすぐホームにむかいました。

「Tmさん 退院おめでとうございます」と 書かれたポスターと拍手で迎えられ本人はとても感激し涙を浮かべていたそうです。

そして、心のこもったお料理での退院祝いまでしていただいたようで送って行った姉夫婦も喜んでいました。

少人数のホームで、まごころのこもったお世話をしていただいているとのこと。

本当によかったと思っています。

 

 

そして問題の1番叔母も週に2度同じところに通うようになりました。

子供が幼稚園に行き始めたころと同じで、熱を出したり・・・連絡帳もあるのだそうです。

あんなに嫌がっていたのに、今はすっかり行くつもりでいるらしく今度 月・水・金の3日間お願いすることにしました。

まだ要介護認定がおりていませんが実費でも今はそのほうが安心です。

ずっと1番叔母のお世話係として付いている3番叔母も限界にきているようなので

老人ホームの入所も考えていかなければならない時期にきているようです。

そのためにも少しずつステップをふんで慣れてきていることは良い方向に進んできたといえましょう。

私は、この通りガンコだし そういうところには絶対行かないって言うと思うから、首に縄つけてでも連れて行ってちょうだいね!」

しっかりしていた頃の1番叔母は、以前そのように言っていたと。。

 

きょうは、仙台の弟夫婦が三婆の陣中見舞いに行ってくれました。

叔母たちは、とても喜んでいました。

 

2番叔母は長く椅子に座っているのも辛そうで食欲も落ちてきたそうです。

元気なうちに、もういちど会いたい。。

今週末 また行ってみようと思っています。

 

 

 


老老介護

2011年02月08日 | 三婆通信

ほぼ毎日報告がある 叔母(3)からの 電話 

 

姉(1)がきのうの夜、横浜のおじちゃんのところに電話したみたいなの。

なんでも「Tm(2)さんが お金がなくて困っている」って!

毎日 お金!おかね!ってうるさいから私聞こえないふりしていたからね。

いくら持たせても、出したり入れたりしているうちにどこにやったかわからなくなるのよ~!

それにきのうは、ゴミの日でもないのに古い絨毯をひきずっていって出していたの!

あの重いのどうやって出していったのかしら?!

火事場の馬鹿力みたいになるんだろうかね?!それを私がまたひきずって持ってきたわよ・・・

ま~ったく!「余計なことしないでっ?!」て怒ったら

「ゴメンナサイ・・・あたしだって何かやりたい・・・」って・・かわいそうだけどね・・・

そのうえガンコでどうしようもないの!

せっかく Rがお洋服買って持ってきてくれたのに 着慣れたほうがいいってきかないの。

ディサービスのお迎えが来るのに間に合わなくて、

また”着たきりすずめ”で出て行ったわ~

歳はとりたくないわね~   

と 78歳の叔母

 

入院中の叔母が退院する時も、姉夫婦が来てくれて本当に助かったと言っていた。

担当の先生からのおはなし、訪問看護の手続き、ホームに持って行く荷物の準備・・・

高齢の叔母ひとりでは絶対に無理だったと思う。

 

今は気を張って頑張っているけど、3番叔母も そうとうに疲れている。

早く逝く人はかわいそうだというけど、そんなこともないわね!

みんなやってもらえるし残っているものの方が大変だわ・・・」と言っていた。

1番叔母の、お世話だけでも大変なのに・・・2番叔母の部屋の片付けもやっている。

私も、早く楽したい」と書かれた2番叔母のメモがでてきたそうだ。

早く1番叔母から解放されたい・・という気持ちのことだと思う。

その叔母が、1番叔母より先に病気が進行してしまった。

ケアマネージャーの方にも

私は家に帰れば姉の世話をしなければいけないから家には帰りたくない」と言っていたそうだ。

今は、あたたかなホームでみんなに優しくしていただいている。

日曜日、T兄が息子を二人連れて面会に来てくれたそうだ。

三婆にとっては、かわいい孫のような存在。

久しぶりに会う、思いがけない訪問者にとても喜んで嬉しそうだったという。

みんなが、代わる代わる会いに来てくれたり 優しい言葉をかけてもらい

わたしは幸せ者だわ~」と電話口でも言っていた。

その幸せな時間は どのくらい残されているのだろう・・・

退院の時、肺と肝臓にも転移していると告げられた。

 

 

 

 


病院 月間

2011年02月04日 | 病気・健康

だいぶ 体の疲れもとれてきましたが まだ本調子ではありません。

埼玉に何度も足を運んだのは、2月に入ると予定がいろいろあってなかなか行けなくなるからだったのです。

毎年のごとく 2月・3月は 病院と ご縁のある月です。

今年は例年にも増して、予定外のことも加わり・・・

歳を重ねていく程に仕方のないことかもしれませんが。。

 

       

 

埼玉から帰ってきてまもなく 心電図と超音波の検査を申し込んでいたので近くの循環器の内科に早朝、診ていただきました。

大きな問題はないとのことでしたが、検査を終えて起き上がって体をひねった瞬間 ギクッ!

また腰を痛めてしまい歩けなくなってしまいました。

夫に迎えに来てもらいその後安静にしていたのでどうにか動けるようになったものの 要介護状態 

 

       

 

実は、1回目の埼玉行きから帰った後、前に受けていた大腸がん検診で 潜血陽性 と出たので精密検査を受けるようにとの報告が届いていました。

気になることを抱えたままにしておくのは嫌なので、すぐに 大腸内視鏡検査 の申し込みをしました。

運よく、その道のエキスパートである 著名な先生の予約が取れて、

その恐怖の検査を4日後に控えていましたが、なんとか 受けに行くことが出来ました。

わざわざ中央からお休みの日曜日に来県され、 故郷での検査にも尽力されている先生です。

ポリープが見つかり切除 していただきました。

2日間は安静にして1週間は過度の運動や仕事は控えることと注意を承ってきましたが

その翌々日、娘が眼科での手術のために入院。3日間の入院でしたが あわただしい毎日でした。

大腸内視鏡検査と 前日に受けた 肝臓の超音波や血液検査 の結果は2週間後に行くことになっています。

そして 乳がん検診も 申し込みました。

今回の検査の問診票で、身内にがんで亡くなった」方はいますか?という問いに初めて 叔母 乳がんと記しました。

これまで、うちの家系には居ませんでしたから・・・

長生きするようになって、さまざまな病気に罹患することも大きな要素となっているのでしょうが

近年、大腸がんの死亡率はとても高くなっているそうです。

転ばぬ先の杖、検査で摘みとれるものは早めに対処していきたいものです。

来週からは 夫の放射線治療 が始まります。

土日祭日を除いた 32回 病院に通うことになるそうですから、予定通りでも3月半ばまでかかるようです。

 

 

 

 


ヘルプの加減

2011年02月03日 | 三婆通信

病気の叔母は 強いお薬に替えて 痛みも軽減し明日 退院することになりました。

明日は、姉夫婦が病院に行ってくれることとなり、とりあえずホームに入所させてもらうことになっています。

1番叔母も、いやいやながらもディサービスを何度か利用し機嫌よく帰ってくるようです。

3番叔母が、お世話をしてくれていますが 認知症もすすみ

毎朝 通帳を広げては暗い顔で残高が減ったことに不満を言っているようですが。(苦笑)

ともあれ、これまで二人で頑張ってきた 老婆の限界暮らし にも介護の手が差し伸べられて 少しは安心しました。

三婆の ドキュメンタリーには 

サプライズあり!  ミステリーあり! はたまたサスペンス?あり・・・

ここに書けないことも含めて さいたま いろいろ アリーナ 

 

                  

 

遠隔地より愛をこめて 心配しながら みんなの協力を求め 指図している私と姉 

電話の話を小耳にはさむ、互いの連れから 的確なアドバイスを受けて軌道修正することが多々あった

ことに私は 頼まれもしないことまでやっている  超おせっかい であることは承知している。

自分がやれる範囲で ヘルプ してやる分には問題はないのだが 

他の人にまでも自分の考えで無理を強いてしまっていたのではなかったのかと少々反省している。

限界なのは お前のほうだよ!と みんなに心配をかけてしまったが、

ひとまず ここは3番叔母に お任せして 見守っていくことにした。

そして、ヘルプの要請があったら  すっ飛んで 手助けに行きたいと思っている。