風邪もすっかりよくなって 今日は予約していた 乳がん検診 に行ってきました。
私の身内に乳がんは、かつていなかったのですが3年前に叔母が進行の早い炎症性の乳がんに罹り亡くなりました。
2011年2月26日
ともすれば父や母の命日だって忘れがちなのに、歴史上の事件とともにこの日は忘れられない命日となりました。
その年のお正月明けに始まったその事件は、急務となっていた子どもの居ない2人の叔母の介護の問題に
3月始めまで何かに導かれたように私が関わることとなり
無事に叔母を送ったその後 あの大震災が起き・・・忘れられない出来事となったのです。
先に旅立った2番目の叔母は決して不幸ではなく残された叔母二人にその後の道筋をつけてくれ様々な問題が良い方向に・・・
あまりにもドラマチックで、私たち身内が集まると、いつもいつもその話で盛り上がるのです。
きのうも、姉と電話でその話になり 「tomi叔母さんは 皆に関わってもらい本当に幸せな最後だったよね・・・」と。
突然やってくる老いの介護の現場で起きた様々な出来事、何があったのか、何が出来たのか
いつかは訪れる我が身に重ねて 三婆たちから学ぶ”終活”
三年前の記録をあらためて振り返ってみました。
あの頃のことが鮮明に浮かび、その先どうなるのかわからないままドタバタ夢中に走り回っていた自分に
まだ少し若かったからの行動力だったと思いながら、ところどころに写っていた元気な三婆たちの姿に涙し笑いました。
私たちの間では ”伝説” となりそうな あの事件の物語を まとめておきたいと思います。
2011年1月25日 「遠距離ヘルパー」
1月28日 「危うい限界暮らし(その1)」
1月29日 「危うい限界暮らし(その2)」
1月30日 「危うい限界暮らし(その3)」
2月 3日 「ヘルプの加減」
2月 8日 「老老介護」
2月13日 「まごころホーム」
2月17日 「三婆その後」
2月26日 「安らかに」
3月 4日 「葬送のカタチ」
3月 5日 「お誕生会」
3月 6日 「お告げ・・?」
(クリックすると見られます)