能力、才能と来て、次は、それらが拠って立つ所の「地」である。
血も地も、読みは「ち」である。が、「ち」と書くと、意味が違うものに成ったりする。
「いのち」の「ち」、「おろち」の「ち」、「いかづち」の「ち」である。
敢て意味は言わない。
まあ一般的には、土地と言った方が解り易いかも知れない。大地である。
日本と言った場合、通常は、国家形態を備えた「日本国」を指す。が、日ノ本の国と言う場合の「日本」は、「ひのもと」であり、自分の分類上、別物である。
以下、日本と言った場合、自分の使用法として、大体が本州と周辺の島々を指すものと理解して欲しい。
(何のことは無い、自分が、実際に行った事の無い土地は含んでいないだけである。知らない所は解らないから。九州も北海道も行ってない。)
血の流れが才能を生み出すものならば、大地の力が才能を育む。と考える。
五行が木火土金水の其々の精霊の象徴とするならば、陰は月の陽は太陽の、そして、土ではなく、大地の精霊としての国魂なり大地母神なりが、地の力の源、地の象徴と考えられる。
気質ではないが、その土地の持つ力によって、影響が在るはずである。
ある種の才能、能力の発現に際して、与って力在る筈である。
其れを知って居ればこそ、其処を修行の場としたり、聖地としたり、祀ったり鎮めたりをしていたりする。
風水っぽく聞こえるかもしれない。が、日本においては、大陸と比べて、其の大地母神の持つ力は遥かに大きく寛大で、今現在も生きている。人様の姑息な考えで、大地の恵を掠め取るような事をせずとも、恩恵を受けられる地なのである。
身近な喩えをするならば、生きている神社などに入ると清涼感や、身体が軽くなるのを感じたりする、アレである。
と言う事は、逆に、気分が悪くなったり、イヤ~な感じがしたりする場所も在るということである。
人の身体に例えると解りやすいかも。大地には血管とも言うべき川がながれ、日々成長し老いて行く。生老病死が在るように、四季が在る。
身体に気脈が在るように、地脈があり、それぞれにツボがある。
今日の箴言
<知らない土地へ出かけるには、ある種の勇気を必要とする。なぜなら、その土地では、常に受けている大地からの庇護を受けられるとは限らないから。>
血も地も、読みは「ち」である。が、「ち」と書くと、意味が違うものに成ったりする。
「いのち」の「ち」、「おろち」の「ち」、「いかづち」の「ち」である。
敢て意味は言わない。
まあ一般的には、土地と言った方が解り易いかも知れない。大地である。
日本と言った場合、通常は、国家形態を備えた「日本国」を指す。が、日ノ本の国と言う場合の「日本」は、「ひのもと」であり、自分の分類上、別物である。
以下、日本と言った場合、自分の使用法として、大体が本州と周辺の島々を指すものと理解して欲しい。
(何のことは無い、自分が、実際に行った事の無い土地は含んでいないだけである。知らない所は解らないから。九州も北海道も行ってない。)
血の流れが才能を生み出すものならば、大地の力が才能を育む。と考える。
五行が木火土金水の其々の精霊の象徴とするならば、陰は月の陽は太陽の、そして、土ではなく、大地の精霊としての国魂なり大地母神なりが、地の力の源、地の象徴と考えられる。
気質ではないが、その土地の持つ力によって、影響が在るはずである。
ある種の才能、能力の発現に際して、与って力在る筈である。
其れを知って居ればこそ、其処を修行の場としたり、聖地としたり、祀ったり鎮めたりをしていたりする。
風水っぽく聞こえるかもしれない。が、日本においては、大陸と比べて、其の大地母神の持つ力は遥かに大きく寛大で、今現在も生きている。人様の姑息な考えで、大地の恵を掠め取るような事をせずとも、恩恵を受けられる地なのである。
身近な喩えをするならば、生きている神社などに入ると清涼感や、身体が軽くなるのを感じたりする、アレである。
と言う事は、逆に、気分が悪くなったり、イヤ~な感じがしたりする場所も在るということである。
人の身体に例えると解りやすいかも。大地には血管とも言うべき川がながれ、日々成長し老いて行く。生老病死が在るように、四季が在る。
身体に気脈が在るように、地脈があり、それぞれにツボがある。
今日の箴言
<知らない土地へ出かけるには、ある種の勇気を必要とする。なぜなら、その土地では、常に受けている大地からの庇護を受けられるとは限らないから。>