しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

能力

2006年05月23日 16時04分57秒 | こっち
 家業を継ぐとか、世襲とか、ものによって資格と能力が必要となる。

 筈なのだが、二世三世の国会議員とか、・・・・・。
 普通、親と同じ職業を選べば、大概は資格があれば後を継げるが、本来の資格は国家資格の其れではなく、能力の事なのである。
 私事で恐縮だが、自分も四代目なので世襲しているようなものだ。当然、国家資格は免許されているが、後を継ぐ資格としての能力も、自分の好むと好まざるとに係わらず、持っていたようである。
 「金儲けは下手だけれども、腕はいい。」「人柄は如何でも、仕事は確かだ。」
 と、よく言われるから。

 資格があるのと、能力が在るのはイコールではない。
 資格は、能力を測るスケールとはならないのである。
 能力の無い、無能者は、資格があっても、やるな!
 資格の有無は、能力を表してはおらず、能力を認める手立てとはならないのである。
 また、能力があっても、才能とは別物で、能力だけでは駄目なものも在るのである。

 勉強すればマスターできるものばかりではない。
 其の手のものは、教えても解るものではないし、教わってマスターに成れるものでもない。
 本来、教えてもらうものではないし、教えてくれる所も人も居ない。
 
 「観よ!この溢れる才能を!能力を!」

 だから、自分は、教えない。
 ヒントを与え、導く事はあっても、教え諭す様な傲慢な事はやらない。

         今日の箴言
<自分にとって自分は絶対である。故に、自分の真理を、其の導く所への道標とすることが出来るのである。>

 従って、箴言も全て、自分の言葉である。他からの引用は、by~の形で書いてある。尤も、既に自分の血肉と成っている物に関してはこの限りではない。