今夜、三尺玉(30号)が上がるということで有名な蒲郡まつりの花火がありました。
さすがに迫力がありますが、写真に撮ると大したことないのでスターマインの写真です。
大きさの比較をすると次のようになります。
30号玉(三尺玉) 開いた直径 650m
10号玉(尺玉) 開いた直径 320m
8号玉 開いた直径 280m
さて、花火の前の腹ごしらえは、明治36年創業の手打ちうどん・やをよし。
基本的にそば好きの私ですが、先日弟からうどんのうまい店を聞かれ、岡崎の「がんこ親父」へ連れて行きました。
今日ふと、この「やをよし」を思い出し始めて入りました。
老舗だけあり美味しい。
次回は弟をここに連れて行くことにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/de/6cdff78900a22de5aceaa65f44e4b35e.jpg)
さすがに迫力がありますが、写真に撮ると大したことないのでスターマインの写真です。
大きさの比較をすると次のようになります。
30号玉(三尺玉) 開いた直径 650m
10号玉(尺玉) 開いた直径 320m
8号玉 開いた直径 280m
さて、花火の前の腹ごしらえは、明治36年創業の手打ちうどん・やをよし。
基本的にそば好きの私ですが、先日弟からうどんのうまい店を聞かれ、岡崎の「がんこ親父」へ連れて行きました。
今日ふと、この「やをよし」を思い出し始めて入りました。
老舗だけあり美味しい。
次回は弟をここに連れて行くことにします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/de/6cdff78900a22de5aceaa65f44e4b35e.jpg)
本日参加のさわやかウォーキングは夕方開催という珍しいパターン。
朝から大雨でどうなるか心配でしたが、天気も回復し、夕涼みとはいかない汗の出るウォーキングとなりました。
舞阪駅→松並木→見付石垣→一里塚跡→本陣跡→舞坂宿脇本陣→本雁木→北雁木→原田濱人句碑→魚籃観音像→浮見堂→弁天島駅
コース 約5km 所要時間 約2時間
さて、最終目的地の浮見堂から駅へ向かう途中、お腹も空いたので国1沿いのレストランに入りました。
以前豊川インターから豊橋に向かう途中にあったレストランを連想させる、「高い・遅い・まずい」と三拍子そろった最悪の店でした。
一番安い刺身定食1890円也。
店を出て、妻と二人でその豊川の店名を思い出そうと競いましたが負けました。
さわやかウォーキング参加記録
朝から大雨でどうなるか心配でしたが、天気も回復し、夕涼みとはいかない汗の出るウォーキングとなりました。
舞阪駅→松並木→見付石垣→一里塚跡→本陣跡→舞坂宿脇本陣→本雁木→北雁木→原田濱人句碑→魚籃観音像→浮見堂→弁天島駅
コース 約5km 所要時間 約2時間
さて、最終目的地の浮見堂から駅へ向かう途中、お腹も空いたので国1沿いのレストランに入りました。
以前豊川インターから豊橋に向かう途中にあったレストランを連想させる、「高い・遅い・まずい」と三拍子そろった最悪の店でした。
一番安い刺身定食1890円也。
店を出て、妻と二人でその豊川の店名を思い出そうと競いましたが負けました。
さわやかウォーキング参加記録
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/93/84df02c5ca5d21d86db404c2bd80f8e9.jpg)
何人かに昨日見たか聞きました。
豊橋では、雲が薄くなった瞬間があり、そのとき見えたようです。
その時デジカメで撮影した人もおり、私ほでではないけど、結構関心が高かったのだと感じました。
写真は、私が太陽を直接撮影した1枚です。
雲がかかっているときシャッターを切りました。
カメラDATAは11時4分となっており、京都の食の最大が11時5分ということなので、食の最大に近い頃だと思います。
この頃からだんだん雲が厚くなり、見えづらくなりましたので観測を終了しました。
昼食は今庄まで車を進めおろしそばを食し、帰りながら高月の渡岸寺観音堂(向源寺)の国宝十一面観世音菩薩の拝観、長浜見物と充実した1日となりました。
しかし、平日だと高速料金が馬鹿になりません。
行きは通勤割引を使っても土日の3.6倍の3600円。
まあ、これが普通なんですけどね。
土日1000円を使うのが常識となってしまった現状、後が怖い。
豊橋では、雲が薄くなった瞬間があり、そのとき見えたようです。
その時デジカメで撮影した人もおり、私ほでではないけど、結構関心が高かったのだと感じました。
写真は、私が太陽を直接撮影した1枚です。
雲がかかっているときシャッターを切りました。
カメラDATAは11時4分となっており、京都の食の最大が11時5分ということなので、食の最大に近い頃だと思います。
この頃からだんだん雲が厚くなり、見えづらくなりましたので観測を終了しました。
昼食は今庄まで車を進めおろしそばを食し、帰りながら高月の渡岸寺観音堂(向源寺)の国宝十一面観世音菩薩の拝観、長浜見物と充実した1日となりました。
しかし、平日だと高速料金が馬鹿になりません。
行きは通勤割引を使っても土日の3.6倍の3600円。
まあ、これが普通なんですけどね。
土日1000円を使うのが常識となってしまった現状、後が怖い。
明日はいよいよ日食が見られます。
皆既となるのは国内ではトカラ列島、屋久島など、国外だと上海、杭州付近です。
まとまった休暇が取れず皆既観測は断念しましたが、明日の休みは取れました。
しかし、ここらあたりは天候が悪く太陽が出ないような予報です。
さあ、どうしよう。
日食望遠鏡は使わないにしても、日食めがねはぜひ試したい。
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まとまった休暇が取れず皆既観測は断念しましたが、明日の休みは取れました。
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さあ、どうしよう。
日食望遠鏡は使わないにしても、日食めがねはぜひ試したい。
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岡崎の法蔵寺に新撰組隊長近藤勇の首塚があります。
当地方にあまり縁があるとは思えないので不思議ですが、嘘ではありません。
墓の近くに由来が書いてありその内容を要約すると次のとおりです。
新撰組隊長近藤勇は慶応4年(明治元年)、35才で東京都板橋の刑場で処刑された。
勇の首は処刑後、塩漬にして京都に送られ三条大橋の西にさらされた。
それを同士が3晩目に持出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の和尚に、埋葬依頼することにした。
しかし、和尚は、三河国法蔵寺に転任となっており、この地に運ばれた。
当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして沓華していた。
昭和33年総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになった。
石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにした。
当地方にあまり縁があるとは思えないので不思議ですが、嘘ではありません。
墓の近くに由来が書いてありその内容を要約すると次のとおりです。
新撰組隊長近藤勇は慶応4年(明治元年)、35才で東京都板橋の刑場で処刑された。
勇の首は処刑後、塩漬にして京都に送られ三条大橋の西にさらされた。
それを同士が3晩目に持出し、勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の和尚に、埋葬依頼することにした。
しかし、和尚は、三河国法蔵寺に転任となっており、この地に運ばれた。
当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい、無縁仏の様にして沓華していた。
昭和33年総本山の記録等に基づいて調査した結果埋葬の由来が明らかになった。
石碑をおおっていた土砂を取り除き、勇の胸像をたてて供養することにした。
このところ週1ペースで登っている本宮山、山頂の三角点には絵馬になぞっていろいろな願掛け石が置いてあります。
お宮で願掛けすると絵馬代がいりますが、ここへ石にマジックで願い事を書いて置いてくれば無料です。
その中に「愛」1文字の石を発見しました。
大河ドラマの影響か最近「愛」という字が流行のようです。
本宮山登山今年16回目 前回の登山
お宮で願掛けすると絵馬代がいりますが、ここへ石にマジックで願い事を書いて置いてくれば無料です。
その中に「愛」1文字の石を発見しました。
大河ドラマの影響か最近「愛」という字が流行のようです。
本宮山登山今年16回目 前回の登山
明日、豊橋吉田神社の祭礼があり、御輿の渡御で笹踊りが登場します。
豊川進雄神社の花火を見に行ったら笹踊りが行われていました。
もちろん明日が本番なので予行演習みたいなものですが、明日は見られないのでとりあえずカメラに収めました。
毎年、祭礼の日が重なりますのでどちらか一方しか見られません。
両方見ない年の方が多いのですが、今年は豊橋。
豊川進雄神社の花火を見に行ったら笹踊りが行われていました。
もちろん明日が本番なので予行演習みたいなものですが、明日は見られないのでとりあえずカメラに収めました。
毎年、祭礼の日が重なりますのでどちらか一方しか見られません。
両方見ない年の方が多いのですが、今年は豊橋。
豊川市役所へ行ったところ、1階ロビーで「豊川いなり寿司大集合」という販売会が開かれていました。
回転寿し源・喜楽・寿し源・すし丸・千石寿し・ちくわの里・松屋・松屋支店・門前そば山彦・やまと寿し豊川本店・来恩の11店が集合したとのこと。
「いなり寿司」の由来
豊川市観光協会によれば、19世紀初めごろ、稲荷にお供えしてあった油揚げの中にご飯を詰めてお寿司にしたものが起源とのこと。
諸説がいろいろとあるが、江戸や名古屋と並んで豊川稲荷の門前町も、発祥の地のひとつとして伝えられている。
いなり寿司で豊川市をもりあげ隊
回転寿し源・喜楽・寿し源・すし丸・千石寿し・ちくわの里・松屋・松屋支店・門前そば山彦・やまと寿し豊川本店・来恩の11店が集合したとのこと。
「いなり寿司」の由来
豊川市観光協会によれば、19世紀初めごろ、稲荷にお供えしてあった油揚げの中にご飯を詰めてお寿司にしたものが起源とのこと。
諸説がいろいろとあるが、江戸や名古屋と並んで豊川稲荷の門前町も、発祥の地のひとつとして伝えられている。
いなり寿司で豊川市をもりあげ隊