歌川(安藤)広重は東海道五拾三次の版画で有名です。
各宿場の版画もいくつかの種類があり、吉田(豊橋)はお城から見た豊川、左隅に豊川橋(吉田橋)が写っている風景の版画をよく見ます-保永堂版。
他に豊川橋から豊川と吉田城を描いた行書版、そして天王祭(祇園祭)を描いた隷書版があります。
隷書版を見ると、構図といい、人物の描き方といい、東海道名所図会とそっくりです。
東海道名所図会は1797年、この隷書版は1849年発表とあります。
つまり、広重は東海道名所図会を参考にこの隷書版を作成したに違いありません。
また、この二つの画の笹踊りの太鼓の一つが上から叩くように描かれています。
当地方で伝承されている十数か所笹踊りの太鼓は、すべて横叩きの太鼓です。
東海道名所図会が間違って描き、それを広重が書き写したとも考えられます。
各宿場の版画もいくつかの種類があり、吉田(豊橋)はお城から見た豊川、左隅に豊川橋(吉田橋)が写っている風景の版画をよく見ます-保永堂版。
他に豊川橋から豊川と吉田城を描いた行書版、そして天王祭(祇園祭)を描いた隷書版があります。
隷書版を見ると、構図といい、人物の描き方といい、東海道名所図会とそっくりです。
東海道名所図会は1797年、この隷書版は1849年発表とあります。
つまり、広重は東海道名所図会を参考にこの隷書版を作成したに違いありません。
また、この二つの画の笹踊りの太鼓の一つが上から叩くように描かれています。
当地方で伝承されている十数か所笹踊りの太鼓は、すべて横叩きの太鼓です。
東海道名所図会が間違って描き、それを広重が書き写したとも考えられます。