すずきせいこの「日々雑感」

政治や暮らし、孫のことから平和・原発問題まで“本音でしなやかに”・・・

長崎平和式典と福島原発汚染水

2016年08月10日 | 地震・原発

昨9日の長崎平和式典、被爆者代表の井原東洋一(いはらとよかず)さんの「幼い頃、神の国日本、欲しがりません勝つまではなどと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息を潜め・・・」で始まる「平和への誓い」に耳を傾けました。

井原さんは9歳の時に被爆し戦後71年間、核兵器廃絶の実現を訴えてきたお一人で、「広島に歓迎されたオバマ大統領は、空から死が降ってきた、と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して、長崎にはプルトニューム型原爆が投下されたことから、私には、二種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります」・・・。さらに「非核三原則を法制化し、近隣諸国との友好交流を発展させ、北東アジアの非核兵器地帯を創設することにより、はじめて平和への未来が開けるでしょう」と・・・。

そして式典に参列したアベ首相を前に「国会および政府に対しては、日本国憲法に反する、安全保障関連法制を廃止し、アメリカの核の傘に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に核兵器の“先制不使用宣言”を働きかけるなど、核兵器禁止の為に名誉ある地位を確立されることを願っています」と、一昨年の被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん共々、力強い訴えが心に響きました。

写真はwikiから借用)

米国による2種類の原子爆弾の投下で発生したキノコ雲、左が広島で右が長崎です。当時、長崎市の人口約24万人のうち、原子爆弾「ファットマン(Fat Man)」で約7万4千人が死亡し、広島と合わせて21万人以上の尊いいのちが失われました。この“絶対悪”を風化させることなく、せめて8月だけでも次世代へ語り伝えてゆかなければと思います。

ところで福島第一原発事故による汚染水は、未だにコントロールされるどころかトンでもないことになっています。汚染水処理の現状で、トリチウムという放射性物質については全くなすすべがないまま、いずれは海へ流すということになるそうで寒気がしてきます。

また放射性物質を原子力発電所まるごと石棺で封じ込める方法について、チェルノブイリの場合には地下の構造物はまだ壊れずに維持されていたので地上だけに石棺を作れば済んだが、福島の場合にはもう地下がボロボロに壊れているので石棺で封じ込めができないようです。

元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生は「これだけ酷いことをやっても、誰も責任を取ろうともしないし、処罰もされないという、こんなことが起こり得るんだろうかと思うようなことが今起きている」と、金儲けのための原発再稼働への警鐘です。今、日本人は戦争への道と同じく原発事故も、もう一度痛い目に合わなければ分からないところまできているのではと痛感するこの頃です。

小出裕章ジャーナル http://www.rafjp.org/koidejournal/no155/ 


沖縄からの声と天皇の“お気持ち”と

2016年08月08日 | 日々思うこと

ジリジリと焼け付く太陽に原爆投下時の熱さを重ねる8月です。県内の各自治体では今「平和展」が開催されていますが、糸魚川市では中学生の広島派遣事業は別として、昨年の戦後70年目の節目ともこの類の催しは何も見当たらないようです。近隣の上越市・妙高市では毎年行われていることで、市民から糸魚川市はどうしたのかとの声が聞こえてきます。

「平和都市宣言」といえば、2007年(H19年)6月28日、議会定例会最終日に米田市長から突然のトップダウン「宣言」であったことを思い出します。ただ、毎年夏に民間レベルでの「平和パネル展」や「はだしのゲン」などの上映会、原爆投下の6日と9日に合わせた市内の真宗大谷派のお寺での平和の鐘付きが行われていることで救われます。

夕方まだ暑さが残る中、能生生涯学習センターへと急ぎました。沖縄県読谷村在住で僧侶の<label for="%D1%C1">兪(ゆ)よんじゃさんが毎年夏、能生小泊の安専寺へ来ていることで、6時半から『沖縄からの声を聞く会』計画されました。<label for="%D1%C1"><label for="%D1%C1">よんじゃさんは先ず、沖縄の</label></label>問題は人類の課題であると、1972年に日本に返還されてからの今日に至るまでを話されました。</label>

<label for="%D1%C1">アベ政権が強行しようとしている辺野古への米軍基地移設のことや参院選でのことなど、特に高江地区のヘリパット建設問題では、本土のマスコミが報じない現地の惨い実情が伝わり、沖縄を身近に感じるひと時です。</label>

<label for="%D1%C1"><label for="%D1%C1">兪(ゆ)よんじゃさんのお話しは1時間余りで、最後に「どんな活動でも体力の限界まで闘ったらダメ・・・、明日への力を残しておくこと」、「無知は罪ではない、知っていて動かないことが罪・・・」と、心に残る言葉でした。また</label></label><label for="%D1%C1">上越市からも知り合いの多くが参加し、今年沖縄へ行ってきたというKさんとNさんのフロアー発言もありました。</label>

<label for="%D1%C1">一夜明けて月曜日も暑いスタートで、いつものパターンで孫たちが日曜日に「お化けの館 inまちなか」<label for="%D1%C1">へ行って来たことに耳を傾けたり、下の</label>孫を水泳教室へ送ったりとあっという間に昼食時です。午後から上の孫の友だちが遊びに来て、あまりの猛暑で家の中で3人のカルタ取りの読み手をしたりと少々バテ気味です。</label>

<label for="%D1%C1">少し</label><label for="%D1%C1">落ち着いて夕方、天皇の“お気持ち”中継に耳を傾け、「全身全霊をもって務めを果たしていくことが難しくなる・・・」との生前退位の意向が伝わります。“象徴天皇”としてご高齢の激務もお元気であってこそですから、体力の限界までを求める現状はいかがなものかと考えるひと時です。</label>

<label for="%D1%C1"></label>の写真は、須沢臨海公園の多目的広場から隣接するドームなぎさへと通じる道が、ほんの少し土手を切り取って出来上がりました。これまでは動線が不便で人は土手を上がったり、ぐるっとまわって通っていましたのでストレートになりました。天皇の生前退位も、伝統に固執せず政府をはじめとする関係者の速やかな対応を一国民として切に願う終日です。(暑さのためかパソコンが不調です。)


“絶対悪”の核エネルギーと原発再稼働

2016年08月06日 | 地震・原発

71年前のヒロシマも暑い朝を向かえ、米軍により投下された原子力爆弾「リトル・ボーイ」で、一瞬にして罪のない大勢の人たちが命を失いました。その年の暮れまでに14万人もの尊い命を奪い、そのうち約9,000人が子どもだったと推計されています。

(写真はグリーンピース・ジャパンから借用)

今日の平和記念公園での平和記念式典で、松井市長は「かつて人類が経験したことのない“絶対悪”が広島に放たれ、一瞬のうちに街を焼き尽くしました。」、さらに「非人道性の極みである“絶対悪”をこの世から消し去る行動を起こすべき・・・」と、“絶対悪”という言葉を3回繰り返す平和宣言でした。

続く子ども代表の二人は、“語り部”たちが次々と亡くなる中で「私たちが語り伝える」と、力強く心に響く言葉です。その後に続くアベ首相、「核兵器のない世界の実現・・・」と言いながら、この人は核と人類は共存できないことを心底分かっているのか、国のトップとして世界唯一の被爆国である日本で核は何をもたらしたのか理解しているのかと、憤りさえ感じる軽い挨拶でした。

そして今夜9時からのNHKスペシャルは「決断なき原爆投下~米大統領 71年目の真実~」です。トルーマン大統領が「多くの命を救うため」に決断したとされる原爆投下でしたが、大統領の明確な決断はなかった可能性が軍や政権の極秘資料から明らかになりました。アメリカを代表する歴史家の多くがいま語り始めた新事実、原爆投下71年目の知られざる真実に迫る番組でした。

ところで任期満了に伴う10月の新潟県知事選は、県市長会と泉田知事との不協和音が続いている中で、全国市長会長を務める長岡市の森民夫市長(67)が立候補する意向というニュースが流れてきました。森市長は県市長会などの要請を受けて来週にも出馬表明のようですが、こちらも参院選でのアベ首相の争点隠しと同じく、柏崎刈羽原発の再稼働はうまく隠されての激戦になりそうな気配です。

20世紀の科学史最大の発見ともいわれる核エネルギー、“絶対悪”の原爆投下と原発再稼働と、眩い太陽エネルギーとを考えてしまう暑い週末です。


巻原発住民投票から20年

2016年08月04日 | 地震・原発

1996年の今日は、新潟県旧巻町(現在は新潟市西蒲区)で、原発建設の是非を問う住民投票が全国で初めて行われました。人口3万人の町が国策である原発の反対を選択して原発計画は消え、その後の巻町は新潟市に編入されました。

国内外から注目された住民投票でしたが、いま福島第一原発事故を忘れたかのように原発再稼働に前のめりのアベ政権、“民意とは、政治とは何か”と考え、民主主義の原点を巻原発住民投票の歴史から学ぶことが多い昨今です。現地では8月7日の日曜日にシンポジウム「巻原発住民投票・あの日、あの時」があり、近くなら参加したいところです。

あれから20年が経過し、日本列島には核のゴミが未解決のまま54基もの原発が立地し、新潟県にはいつの間にか世界最大出力の東京電力柏崎刈羽原発で、県民として傍観することなく未来を見据えて真剣に考え続けなければなりません。

10月16日投開票の知事選では、東京電力と自民党県連は現職の泉田知事では柏崎刈羽原発再稼働は難しいとして、知事を変えるしかないと判断で長岡市の森民夫市長を擁立する動きが活発です。「森」は「森」でも大違い、“未来を選ぶのは政治家ではない”、いま巻原発住民投票から学び、つながり、進んでゆきたいと思います。

ところで昨日は朝からゴロゴロと雷が鳴り、何だか胃腸を悪くしているような天候で、「大雨洪水警報」が「注意報」に変わり昼過ぎには晴れてきました。そして今日は朝からうだるような暑さで、元気なのは孫たちで愛犬と私は暑さでダウン寸前ですが、お盆を前にしてバテてはおられません。 

夕方、スーパーへ買い物に寄ると、お母さんと一緒の「2016高校生平和大使」(6月23日書き込み)の白嶺高校の渡辺未鳩(みはと)さんに会いました。国連へ持参する署名を集約して2回届けましたが、目標数を超えてこの土曜日に長崎へ出発するそうです。9日の長崎平和式典に参列し、その後は研修を済ませてからスイスのジュネーブへ・・・。ヒマワリの花のようにいつも明るい笑顔で、若い人たちからエネルギーをもらう暑い一日です。


人も建物も角度を変えて見ると

2016年08月02日 | 日々思うこと

梅雨が明けたというのに大気が不安定で、午後からはバケツをひっくり返したような雷雨です。「9条の会糸魚川」の役員会があり「ビーチホールまがたま」へと急ぎましたが、傘をさしてもびしょ濡れです。

雨はいったん小康状態になったものの、会議が終わった3時過ぎにはまた大降りです。途中で買い物を済ませて帰宅すると、糸魚川地域には「大雨洪水警報」が発令され、JR大糸線も一部区間で運休です。上越地域もまた先週と同じく大雨で大変な様子が伝わってきます。

午前11時頃に孫を「サンドリームおうみ」の水泳教室へ送って行った時はまだ晴れており、隣接する青海中学校を撮りました。先日のムクゲと百日紅の花を角度を変えて撮ると、その向こうに校舎モニュメントの塔(?)を見ることができます。ぐるっと移動して正面から見ると人の顔のようですが、3年間在籍中にこの角度から校舎を見ることのない生徒は、多分気が付かないかもしれません。

東京都知事に当選した小池百合子氏、“敵ながら”あっぱれで選挙戦での演説演出は実に巧みな“騙しのテクニック”で、結果的には290万人の有権者を惹きつけました。今日は初都庁ですが、こちらも角度を変えてみるとチョッと気の毒になる光景を目にしました。

新都知事として都議会正副議長(自民公明)への挨拶では記念写真を断られ、さらに最大会派の自民党への挨拶周りでは、幹事長不在でナンバー3が対応です。まるで相手にされていないようでしたが、他の主要各会派では幹事長が対応でした。女性ということで軽視されているのか、「東京大改革」とやらが気に入らないのか、闇のボスが支配する利権まみれの都議会の一幕を見た思いです。

また職員16万人の東京都では、先ず都政の透明性を明言する小池百合子都知事ですが、古い体質を引きずる“村社会”の都議会、その闇のボスといわれる自民党東京都連の内田茂幹事長やオリンピック利権の森元総理らとの対立が続くことは明瞭で、今日の天候のような波乱のスタートでした。


初登院の森ゆう子議員と新都知事

2016年08月01日 | 日々思うこと

本日10時「第191臨時国会」で森ゆう子議員が初登院です。新潟選挙区「市民とオール野党はひとつ」で、この日を迎えることができこんなに嬉しいことはありません。

“ニュー森ゆう子議員”としてブレることなく国会で思う存分活躍してくださることでしょう。(写真は森ゆうこfbからお借りしました)

昨日の都知事選は早すぎる当確で、ドキドキの全くない大差での小池百合子新都知事の誕生です。自民党推薦を蹴ったこの人はあまりにも強すぎたということなのでしょうか、“選挙は勝たなきゃダメ”を痛感する葉月8月の始めです。