これまで民主党の変容と変質を嘆きつつも、少しでも結党時の原点であるリベラル勢力の総結集の路線に引き戻そうと努力してきましたが、忍耐の限界に直面し、ついに民主党を離党しました。本日の神奈川県庁記者会見でのDraftは次のとおりです。
民主党との決別および今後の活動について
神奈川県庁 11.11.2013
首藤信彦
1.離党報告
私儀 首藤信彦(すとうのぶひこ)は10月30日の日付をもって民主党に離党の意思表示を行い、11月6日に民主党本部にて大畠幹事長および中川副幹事長と面談、同日に神奈川県連に離党届を提出いたしました。
1996年の旧民主党結党に参加してから17年間、民主党神奈川県第7区総支部長また衆議院議員として三期の間、日本の政治行政改革、外交、地域の安全などに取り組んできましたが、今後は党を離れ、一人の政治家として引き続き神奈川7区(港北区・都筑区)で活動を続けてまいります。
2.離党にいたるプロセス
私は、巨大な組織や利権地盤を持たず代表せず、研究者・教育者あるいはNGO活動家としての経験をもとに政治に参加したところから、県下のみなさんからよく「もっとも民主党らしい政治家」「民主党の良心」とも言われることもありました。その私が今回離党を決断したのは以下の理由です。
昨年末の衆議院選挙で民主党は多くの議員を失いましたが、私を含め、リベラルな政治家へのダメージはとりわけ大きかったと感じています。果たしてあの選挙時期が適切であったかどうかは別として、すでに民主党内では、私が取り組んだ反TPP、脱原発、消費税慎重の三つの大きな争点とグループに対し、保守派を中心とする執行部との確執が致命的なレベルに達し、もはや政党としての体をなしていない状態に陥っていたことは事実です。この時期多くの同僚議員が民主党を離れましたが、それはまさに官僚と保守層の喜ぶところであり、私はたとえ民主党が野党に転落しても、政治の正道を守るために残留を決めました。
しかしながら、選挙後に野党となった民主党は、右傾化する安倍政権と利権政治回帰の与党に対峙することなく、むしろ、自公政権の補完勢力のような政治行動・議会運営に終始しているように思われます。それは地方政治でも同様で、首長選挙における自公民相乗り選挙がその典型です。民主党執行部は党再生の鍵を国民ではなく、長年議席を維持している地方議員に求めていますが、その結果がこのような自公および行政との癒着そして国民からの拒絶を生むことになりました。
さらに、最近では日本版NSC設立などに関しても、右傾化する与党への協力姿勢が顕著です。東アジアに武力衝突の可能性すら高まりつつある現在、そうした民主党の安倍政権への妥協・容認姿勢はもはや看過できないものがあります。
1990年代に自民党腐敗政治に対して立ち上がった、さまざまな社会各層・リベラル勢力の総結集であった民主党の政治基軸は揺らぎ、理念は形骸化し、保守的な政治信条を持つグループと労働組合を背景とするグループの並存する保身的な政治集団に堕してしまったのが現在の民主党の実態です。
このような状況にもかかわらず、これまで離党に踏み切らなかったのは、一つに私自身が民主党を創った者の一人であり、市民に対する責任を考えれば、外部に出て第三者的に批判するより、民主党を少しでも内部から改革し、本来あるべき路線に戻すために努力を傾注する必要があったことです。そして、第二にはこの夏の参議院選挙において、全国比例区のツルネン・マルティ候補の選対本部長としての責任感であったと考えます。
しかし、その参議院選挙では多様な人材やリベラルな政治信条を持つ候補者の議席を確保することができず、比例当選者はほとんどが組織候補というように、民主党の組織が保守勢力と労組勢力の並立状態に陥るのを加速する事態となりました。さらにまた、地域においては、地方議員の保守化・保身化は著しく、行政と癒着し、あるいは第二自民党化し、ここでも社会改革の旗手としての民主党の存在意義は失われてしまいました。このような状況下では、もはや変質し変容した民主党に残留する意味も意義もなく、離党を決意したしだいです。
最後に、今回、世間的には離党ということになりますが、私自身の基本的な政治スタンスは民主党結党時以来、何ら変化しておらず、むしろ民主党こそが結党時の精神と歴史的意義を喪失し、日本の政治改革の場から勝手に退出していってしまったのが実態であり、私は現時点で最終的に、そのような民主党と決別いたします。
3.今後の活動
(1) 末期状況に至った日本政治
① 民主党の末期症状
民主党がその理想を政治に生かすためには再度、党勢拡大し、選挙に勝利して再び政権交代を実現させなければならないはずですが、現在の民主党はむしろ自公の補完勢力として、さらには将来の連立による与党利権への回帰を目指しているとしか考えられません。また党の組織運営に関しても、理解に苦しむところです。10月30日に総支部長の新任(第一次公認一次集約)が発表されましたが、そこで任命された者の多くが、これからの民主党再生の中心になることには首を傾げざるを得ません。
一例を挙げれば、新潟県の田中真紀子氏、そして神奈川県では城島光力氏です。田中氏は衆議院選挙直前の内閣改造で文部科学大臣に任命され、突然の大学認可取り消し騒ぎが教育界に混乱をもたらし、それまでまがいなりにも民主党の教育行政を評価していた支持層さえ反民主となり、民主党凋落の原因となった議員です。またそれゆえに新潟県民主党県連も推薦せず、支部長任命は党指導部の独断と聞いています。
また、城島氏は選挙直前には現職の財務大臣でありながら、本来兼務が認められないはずの県連代表に居座り、県における民主党の選挙準備を遅滞させ、自身も大敗して現職大臣落選の不名誉となりました。さらにその後も川崎地域責任者として党勢衰退を食い止めることができていないことは、先日の自公民相乗りの川崎市長選での惨敗を見れば明らかです。このような両氏が民主党再生の旗頭として、先頭を切って支部長に任命されるのは理解に苦しむところで、民主党自体が党運営の方向性すら定めることができない証左といえます。そのような民主党に、もはや日本の政治改革の中心的な役割を期待することはできません。
② 民主主義の機能不全
日本の民主主義システム自体が多くの欠陥と機能不全を抱えています。前回衆院選・参院選ともに定数是正の無い違憲状態のまま強行され、すでに衆院選については選挙そのものを無効とする地方裁判決がでています。その後の参議院選挙についても多数の違憲訴訟が提訴されています。このような違憲状態、無効判決の下、国民の多数ではなく少数で選ばれた議員による自公政権は衆議院議席の過半以上を占め、国会でのチェックの利かないまま、日本版NSC,原発輸出、秘密保持法、TPPを推進し、近隣諸国との緊張を高めています。要するに、この国ではすでに民主主義自体が機能不全に陥っているのです。
③ 社会と国民の衰退
日本は一応、民主主義国家ということになっていますが、学校においても政治教育がなされず、家庭においても民主主義を論じることはない。選挙は人気投票になり、その瞬間瞬間のマスメディアに煽られた結果となる。大手新聞・TVなどのマスコミ各社も政府を批判せず、テレビ報道はワイドショー中心となり、社会の真実は芸能のレベルでしか伝えられない。派遣や限定社員など労働条件の極端な悪化にもかかわらず、労働組合はストライキを行わない。若者は単なる消費者となり、政治に無関心。その一方で、格差社会が拡大し、財政は悪化の一途。知識人や選良は政治の世界から駆逐。我々はこうした日本社会と国民の衰退と劣化の現実を直視する必要があります。
(2) 今後の活動:草の実運動
1990年代は冷戦構造崩壊を受けて、日本社会がようやく政治の改変に取りかかった時期でした。そのとき立ち上がった、さまざまな市民グループ、学者、ローカルパーティや社会組織の総結集として、民主党が1996年に形成されたわけです。後に自由党等との合併を経て政権党となったわけですが、前述のごとく、今後の進路はもはや閉ざされています。
それならば、ここで再び原点にもどり、広範な市民各層によびかけて、新しい政治運動をつくり出していきたいと思います。政治には草の根民主主義という概念がありますが、結局それは日本には存在しないことがわかった以上、民主主義砂漠の日本社会にまず草の実を蒔いていくことから始める必要があります。それを迂遠という人は、日本社会の病理の深さと深刻さを直視していないというほかありません。
具体的には、ともかく政治を支える国民と政治を担う者を新たに構築しなおす必要があります。社会に対しての啓蒙活動と同時に、具体的に政治を担う老若男女を育てていかなければなりません。一般的な政治スクールだけでなく、これからの社会を長期的に担う若者を育てるために、まず高校生に対して政治教育の場を作りだしていくつもりです。
同時に、これまで政治に関心があっても具体的な活動にまで結びつかなかった、若者、主婦層、高齢者、いそがしすぎるサラリーマン・OL、子育て世代の皆さんにも、それぞれが社会のステークホルダーとして政治の正確な知識と情報を獲得し、自ら考え、判断して政治参加できる仕組みを考案していきたい。
私は、これまで政治の世界に20年ほどいますが、この世界ほど、人材に欠けているフィールドはありません。何でこんな人ばかりが政治家をしているのかと嘆息するだけでなく、国政においても地域においても、そして世界にむけても、新しい政治を担う人材を発掘し、彼らが育ち、やがては日本の政治を担えるように、日本政治の土壌改革に取り組んでいく覚悟です。 以上
なお、今後の活動組織および拠点は次のとおりです。
「市民政治バンド」代表 首藤信彦
〒222-0026 横浜市港北区篠原町 2859-6 ソフィア新横浜202号
電話 080-5873-7305(注)
e-mail:sutoband@gol.com
(注)最初の電話番号はミスプリントで090-となっていましたが、080です。大変失礼いたしました。
民主党との決別および今後の活動について
神奈川県庁 11.11.2013
首藤信彦
1.離党報告
私儀 首藤信彦(すとうのぶひこ)は10月30日の日付をもって民主党に離党の意思表示を行い、11月6日に民主党本部にて大畠幹事長および中川副幹事長と面談、同日に神奈川県連に離党届を提出いたしました。
1996年の旧民主党結党に参加してから17年間、民主党神奈川県第7区総支部長また衆議院議員として三期の間、日本の政治行政改革、外交、地域の安全などに取り組んできましたが、今後は党を離れ、一人の政治家として引き続き神奈川7区(港北区・都筑区)で活動を続けてまいります。
2.離党にいたるプロセス
私は、巨大な組織や利権地盤を持たず代表せず、研究者・教育者あるいはNGO活動家としての経験をもとに政治に参加したところから、県下のみなさんからよく「もっとも民主党らしい政治家」「民主党の良心」とも言われることもありました。その私が今回離党を決断したのは以下の理由です。
昨年末の衆議院選挙で民主党は多くの議員を失いましたが、私を含め、リベラルな政治家へのダメージはとりわけ大きかったと感じています。果たしてあの選挙時期が適切であったかどうかは別として、すでに民主党内では、私が取り組んだ反TPP、脱原発、消費税慎重の三つの大きな争点とグループに対し、保守派を中心とする執行部との確執が致命的なレベルに達し、もはや政党としての体をなしていない状態に陥っていたことは事実です。この時期多くの同僚議員が民主党を離れましたが、それはまさに官僚と保守層の喜ぶところであり、私はたとえ民主党が野党に転落しても、政治の正道を守るために残留を決めました。
しかしながら、選挙後に野党となった民主党は、右傾化する安倍政権と利権政治回帰の与党に対峙することなく、むしろ、自公政権の補完勢力のような政治行動・議会運営に終始しているように思われます。それは地方政治でも同様で、首長選挙における自公民相乗り選挙がその典型です。民主党執行部は党再生の鍵を国民ではなく、長年議席を維持している地方議員に求めていますが、その結果がこのような自公および行政との癒着そして国民からの拒絶を生むことになりました。
さらに、最近では日本版NSC設立などに関しても、右傾化する与党への協力姿勢が顕著です。東アジアに武力衝突の可能性すら高まりつつある現在、そうした民主党の安倍政権への妥協・容認姿勢はもはや看過できないものがあります。
1990年代に自民党腐敗政治に対して立ち上がった、さまざまな社会各層・リベラル勢力の総結集であった民主党の政治基軸は揺らぎ、理念は形骸化し、保守的な政治信条を持つグループと労働組合を背景とするグループの並存する保身的な政治集団に堕してしまったのが現在の民主党の実態です。
このような状況にもかかわらず、これまで離党に踏み切らなかったのは、一つに私自身が民主党を創った者の一人であり、市民に対する責任を考えれば、外部に出て第三者的に批判するより、民主党を少しでも内部から改革し、本来あるべき路線に戻すために努力を傾注する必要があったことです。そして、第二にはこの夏の参議院選挙において、全国比例区のツルネン・マルティ候補の選対本部長としての責任感であったと考えます。
しかし、その参議院選挙では多様な人材やリベラルな政治信条を持つ候補者の議席を確保することができず、比例当選者はほとんどが組織候補というように、民主党の組織が保守勢力と労組勢力の並立状態に陥るのを加速する事態となりました。さらにまた、地域においては、地方議員の保守化・保身化は著しく、行政と癒着し、あるいは第二自民党化し、ここでも社会改革の旗手としての民主党の存在意義は失われてしまいました。このような状況下では、もはや変質し変容した民主党に残留する意味も意義もなく、離党を決意したしだいです。
最後に、今回、世間的には離党ということになりますが、私自身の基本的な政治スタンスは民主党結党時以来、何ら変化しておらず、むしろ民主党こそが結党時の精神と歴史的意義を喪失し、日本の政治改革の場から勝手に退出していってしまったのが実態であり、私は現時点で最終的に、そのような民主党と決別いたします。
3.今後の活動
(1) 末期状況に至った日本政治
① 民主党の末期症状
民主党がその理想を政治に生かすためには再度、党勢拡大し、選挙に勝利して再び政権交代を実現させなければならないはずですが、現在の民主党はむしろ自公の補完勢力として、さらには将来の連立による与党利権への回帰を目指しているとしか考えられません。また党の組織運営に関しても、理解に苦しむところです。10月30日に総支部長の新任(第一次公認一次集約)が発表されましたが、そこで任命された者の多くが、これからの民主党再生の中心になることには首を傾げざるを得ません。
一例を挙げれば、新潟県の田中真紀子氏、そして神奈川県では城島光力氏です。田中氏は衆議院選挙直前の内閣改造で文部科学大臣に任命され、突然の大学認可取り消し騒ぎが教育界に混乱をもたらし、それまでまがいなりにも民主党の教育行政を評価していた支持層さえ反民主となり、民主党凋落の原因となった議員です。またそれゆえに新潟県民主党県連も推薦せず、支部長任命は党指導部の独断と聞いています。
また、城島氏は選挙直前には現職の財務大臣でありながら、本来兼務が認められないはずの県連代表に居座り、県における民主党の選挙準備を遅滞させ、自身も大敗して現職大臣落選の不名誉となりました。さらにその後も川崎地域責任者として党勢衰退を食い止めることができていないことは、先日の自公民相乗りの川崎市長選での惨敗を見れば明らかです。このような両氏が民主党再生の旗頭として、先頭を切って支部長に任命されるのは理解に苦しむところで、民主党自体が党運営の方向性すら定めることができない証左といえます。そのような民主党に、もはや日本の政治改革の中心的な役割を期待することはできません。
② 民主主義の機能不全
日本の民主主義システム自体が多くの欠陥と機能不全を抱えています。前回衆院選・参院選ともに定数是正の無い違憲状態のまま強行され、すでに衆院選については選挙そのものを無効とする地方裁判決がでています。その後の参議院選挙についても多数の違憲訴訟が提訴されています。このような違憲状態、無効判決の下、国民の多数ではなく少数で選ばれた議員による自公政権は衆議院議席の過半以上を占め、国会でのチェックの利かないまま、日本版NSC,原発輸出、秘密保持法、TPPを推進し、近隣諸国との緊張を高めています。要するに、この国ではすでに民主主義自体が機能不全に陥っているのです。
③ 社会と国民の衰退
日本は一応、民主主義国家ということになっていますが、学校においても政治教育がなされず、家庭においても民主主義を論じることはない。選挙は人気投票になり、その瞬間瞬間のマスメディアに煽られた結果となる。大手新聞・TVなどのマスコミ各社も政府を批判せず、テレビ報道はワイドショー中心となり、社会の真実は芸能のレベルでしか伝えられない。派遣や限定社員など労働条件の極端な悪化にもかかわらず、労働組合はストライキを行わない。若者は単なる消費者となり、政治に無関心。その一方で、格差社会が拡大し、財政は悪化の一途。知識人や選良は政治の世界から駆逐。我々はこうした日本社会と国民の衰退と劣化の現実を直視する必要があります。
(2) 今後の活動:草の実運動
1990年代は冷戦構造崩壊を受けて、日本社会がようやく政治の改変に取りかかった時期でした。そのとき立ち上がった、さまざまな市民グループ、学者、ローカルパーティや社会組織の総結集として、民主党が1996年に形成されたわけです。後に自由党等との合併を経て政権党となったわけですが、前述のごとく、今後の進路はもはや閉ざされています。
それならば、ここで再び原点にもどり、広範な市民各層によびかけて、新しい政治運動をつくり出していきたいと思います。政治には草の根民主主義という概念がありますが、結局それは日本には存在しないことがわかった以上、民主主義砂漠の日本社会にまず草の実を蒔いていくことから始める必要があります。それを迂遠という人は、日本社会の病理の深さと深刻さを直視していないというほかありません。
具体的には、ともかく政治を支える国民と政治を担う者を新たに構築しなおす必要があります。社会に対しての啓蒙活動と同時に、具体的に政治を担う老若男女を育てていかなければなりません。一般的な政治スクールだけでなく、これからの社会を長期的に担う若者を育てるために、まず高校生に対して政治教育の場を作りだしていくつもりです。
同時に、これまで政治に関心があっても具体的な活動にまで結びつかなかった、若者、主婦層、高齢者、いそがしすぎるサラリーマン・OL、子育て世代の皆さんにも、それぞれが社会のステークホルダーとして政治の正確な知識と情報を獲得し、自ら考え、判断して政治参加できる仕組みを考案していきたい。
私は、これまで政治の世界に20年ほどいますが、この世界ほど、人材に欠けているフィールドはありません。何でこんな人ばかりが政治家をしているのかと嘆息するだけでなく、国政においても地域においても、そして世界にむけても、新しい政治を担う人材を発掘し、彼らが育ち、やがては日本の政治を担えるように、日本政治の土壌改革に取り組んでいく覚悟です。 以上
なお、今後の活動組織および拠点は次のとおりです。
「市民政治バンド」代表 首藤信彦
〒222-0026 横浜市港北区篠原町 2859-6 ソフィア新横浜202号
電話 080-5873-7305(注)
e-mail:sutoband@gol.com
(注)最初の電話番号はミスプリントで090-となっていましたが、080です。大変失礼いたしました。
私も残念ながら今の民主党には失望して離党しました。
理由は首藤先生と全く同じです。
本当に政治家やりたがる人はいっぱいいても
不適任な人ばかりで人材不足ですね。
どこの組織も自分たちだけ良ければいいようで
いくら国や国民が大変でも自分たちが我慢しなくてもいい
チャンスは平等でなくてもいいと思ってるようです。
この国の行く末を憂いております。
これからお金の面や組織のバックアップがなくなり
大変苦しい政治活動になると思いますが
これからも首藤先生は応援いたします。
頑張ってください。必ずや首藤先生の信念が
わかってもらえる時がくると信じてます。