SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

世界の終わりの遊園地から

2005年09月08日 | Weblog
 村上隆の「スーパーフラット」という言葉に対する最初の疑惑は、それがあのディズニーランドとどう違うのか? ということであった。確かにディズニーランドはスーパーフラットな世界をすでに達成させてしまっていた。例えば大澤真幸の『世界の終わりの遊園地』と題されたディズニーランド論を、いまそのままスーパーフラット論として読み替えしてみても、さして問題ない。とりわけこの論文で指摘される「超遠近法的」あるいは「逆遠近法的」なディズニーランドにおける視覚のスペクタクルな演出方法は、村上隆の作品にも具体的に見られ、いきおい「岡崎乾二郎のポップ化」を証拠立てる。ここでスーパーフラット(超平面的)であることとスーパーパースペクティブ(超遠近法的)であることは、おそらく二次元立方体的に等しいのだ。

ヴェルベット・アンダーグラウンド

2005年09月08日 | Weblog
 ロックバンド系のイタい野郎が現代アートの引き金を引こうとする時には、だいたいヴェルベット・アンダーグラウンド&アンディ・ウォーホルのイメージを懐に忍ばせていたりするものだ。なにしろ音痴でギターも下手、おまけに犬からも見放されたルックスとくれば、もう早々に引退しておとなしく余生を過ごしたほうが自分のためにも仲間のためにも良いにきまっている。だがウォーホルのそのサイケなプリントに何かを感じた脱線ロック野郎が、今度はアートの世界に転がり込んで万が一の可能性に無担保で賭けてみるのはよくあることだ。そして再び脱線して二度目の引退を余儀なくされるというわけだ。三度目はもう無い。