SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

闇の奥へ

2005年09月06日 | Weblog
 ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作とするフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』は、その内容の難解さにおいても、また映像的なスケールの大きさにおいても、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅(2001:A SPACE ODYSSEY) 』と双璧をなす歴史的な大作であるとされている。

 この1979年に公開された『地獄の黙示録』が後のサブカルチャーに与えた影響は計り知れないが、しかしそれははるか聖書の時代から人々を魅了し続ける黙示録的な終末史観のひとつの経由地点に過ぎないだろう。サブカルチャー化したアポカリプス幻想はこの映画を媒体としてキッチュに増殖し、その影響は日本ではオウム真理教事件にいたるアノーマリーな時代背景とともに、例えばレントゲン藝術研究所で活動したアーティスト達の想像力の源泉となり、そして椹木野衣に『日本・現代・美術』を執筆させる動機-オウム真理教事件-以前の潜在力となっている。

 実際、ミスター・アノーマリー椹木野衣の著した『日本・現代・美術』が、そのイメージとともに『地獄の黙示録』のストーリーとよく似ていることは言うまでもない。メコン川を遡るウィラード大尉のように、椹木野衣は「悪い場所」の起源に向けて日本の戦後の歴史を遡る。それは「闇の奥」への終わらない旅だ。