SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ほしのこえ その8

2010年10月11日 | Weblog
RT @hamano_satoshi(濱野智史): インターネットをはじめとするヴァーチャルなアーキテクチャは、人工的な設計物という点において、一般的な意味での「建築」と共通しています。しかし、もともとリアルの「建築」が、人間を自然環境の猛威から守ろうとするために設計された人工的空間であるのに対し、いまウェブのアーキテクチャは、人間たちが自分で作ったにもかかわらず、いつのまにか全体的な目的はもたずに、私たちにあるときは恩恵をもたらし、あるときは脅威をもたらすような「自然」として現れつつある。(『思想地図』3号27ページ)

 右が『ほしのこえ』、左がピーター・ドイグの絵画だが、ともに同じ「徴」が描き込まれている。淡く発光する電線と、一部が白く塗られた木々の描写である。境界神テルミヌスの光臨が、『ほしのこえ』では「恩恵」として、ドイグの絵画ではおそらく「脅威」としてポイントされている。『ほしのこえ』で少年に「恩恵」がもたらされたのは、このバス停の小屋が、心の「隠れ家」(セキュリティ)として機能していたからだ。「避難場所」について川俣正は語る。

RT @tadashi_kawamata(川俣正): 日常生活の中にあった、いわゆるちょっとした隠れ家的なスペースがどんどん消されていく。そこで生活している人たちの生活習慣の中にも、もはや、そのようなスペースを持ち、そこで無為の時間を使うという意識自体がすでに欠如し始めているのかもしれない。自分の隠れ家となるスペースを都会の中に持つということは、昔あった優雅な時間に対するノスタルジー以上に、ここで生活している人たちの精神的な避難場所として、あるいは緊急避難所としての意味があるのではないかと思う。(『アートレス―マイノリティとしての現代美術』(フィルムアート社)153ページ)

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