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ぶっちゃけ、20世紀絵画の歴史は、「絵画の死」という物語への長き序文として語られる。「絵画の死」はつい最近言われ始めたことではない。すでに19世紀後半ば以降、つまりは写真技術が広まった頃から公然と自覚され始めた。写真は絵を殺す。だがここでパラドキシカルな転回が起こった。写真の発明により、絵画はついに「絵」から離れ、それ以外の何物でもない真の「絵画」として自律する。この絵画の自律が、技術によって可能になったという事実は重要である。というのも、基本的にこの技術/自律の関係は、のち20世紀絵画の歴史そのものを強く規定するからだ。「絵画」という形式は、広い意味での技術的革新のもたらす「絵画の死」によってこそパラドキシカルに回帰可能となる。この「絵」という記述内容と「絵画」という説明形式の分離によるパラドキシカルな自律循環は、そもそも「技術」により可能になった。であるが故、その技術の情報化により「絵画」という自律形式は、20世紀半ば以降から大きく変質することとなる。以下続く。(図はクラインの壷)