あたしかがライブドアでこっそり球根を栽培している。つねに隠喩を実体化してものを考えている彼のことだから、どうせその「球根栽培法」というブログタイトルもまたドゥルーズ=ガタリの例のアレを意味しているのに違いない。そんな「哲学肌」のあたしかの手にかかれば、アニメの『ハラウの動く城』だって立派な「戦争機械」となってしまうのだ。だから11月23日付の投稿で、「手紙」という隠喩をまんま実体化したとしても何ら不思議ではない。ここであたしかは「エクリチュール」という概念を、当然のようにまんま「文字デザインそのもの」とイメージしている。なんと彼にとって「手紙のエクリチュール」とは、まさにそのまんま普通に「手紙に書かれた文字」のことなのである。
そんな理解の仕方は絶対に何か間違っている。
ラカンの『盗まれた手紙』にしろ、デリダの『真実の配達人』にしろ、そんな杜撰なことは書いてないはずだ。もちろん「彼らの議論などここでは関係ない」と言われればそれまでだが、それでもやはり彼は何か絶対的に間違っている。残念なのは私にもその二人の議論がなんだったのか思い出せないことなのだが......。
そんな理解の仕方は絶対に何か間違っている。
ラカンの『盗まれた手紙』にしろ、デリダの『真実の配達人』にしろ、そんな杜撰なことは書いてないはずだ。もちろん「彼らの議論などここでは関係ない」と言われればそれまでだが、それでもやはり彼は何か絶対的に間違っている。残念なのは私にもその二人の議論がなんだったのか思い出せないことなのだが......。